中国軍拡の動きについて
中国の軍拡が脅威であるとの論調が多いので調べてみた。
陸軍
中国:160万人、日本:15万人
海軍
中国:750隻939万t、日本:150隻426万t
空軍(作戦機数)
中国:2390機、日本:480機
(防衛白書を参照)
これだけ見ると、中国は日本に比べ圧倒的な軍事力を有しているように見える。
が、統計資料というのはその気になれば、逆の結論を簡単に示すことができるので気をつけてみる必要がある。
陸軍は10対1で圧倒的な差であるが、湾岸戦争でも100万のイラク軍が簡単に敗れたことから陸海空三軍中の主戦力とは言えない。また、日中間には海があるため、陸上兵力だけの比較はあまり意味がない。
さらに中国は、日本と異なり地上に長い国境線を抱えている。
そこで海空について考える。
海軍も中国は隻数で日本の5倍でありトン数で2倍強である。大きな差に見えるが、1隻あたりの平均トン数で見ると、
中国:1250t、日本:2840t
となる。要するに中国には小型艦艇が多いであろうと推測できる。(もうひとつ予測として、中国海軍の集計には日本の海上保安庁にあたる組織の艦艇も含めているのではとも思ったのだが、どうもよくわからない。ちなみに日本の海上保安庁は、452隻15万tの艦艇を保有している。)
戦闘艦艇のうち、護衛艦について比較してみると、以下のようになる。
3500t~4500tクラス護衛艦
中国:16隻、日本:10隻
4500t~5500tクラス護衛艦
中国:0隻、日本:18隻
5500t~6500tクラス護衛艦
中国:2隻、日本:0隻
6500t~クラス護衛艦
中国:6隻、日本:4隻(イージス艦)
護衛艦戦力だけを見ると、日中ほぼ互角と言える。
次に空軍。
作戦機数で見ると、5対1でやはり圧倒的に中国有利に見えるが、主力戦闘機について考えると、日本のF15戦闘機200機に対して、中国はF15と同等とされるSu27/30を2004年で160機保有している。
中国軍は年間30機ほどのペースでSu27/30を導入している。
すなわち、ようやく日中が拮抗する程度でこれまで日本が優位であり、F2戦闘機も含めると当分中国と互角の状況を維持できると考えられる。
最後に軍事費。
日本:4兆8千億円に対し、中国:2400億元(1元13円として、3兆2千億円)。
物価の違いなどもあるが、日中同程度で今後も中国が軍事費を増加させても当分は同レベルと言える。
少なくとも現時点において、中国が危険とは言えないのではないかと思う。
首相の靖国参拝について
小泉首相の靖国参拝について、いろいろ思うところがあるので、まとめておこうと思う。
首相の靖国参拝について、筆者としては反対である。
理由は、一言で言えば、政治と宗教は分離すべきであると考えるからである。これは別段、憲法で保障
されているからとかではなく、筆者自身の基本的な主張であるので、憲法が改正されて政教分離規定が
なくなったとしても、この主張は変わらない。
以下、これを基本として述べるので、政教分離すべきとの考えに反対な人は読むことをお勧めできない
。読むだけ無駄だと思うので。
政教分離は、政治が特定の宗教に対し保護あるいは弾圧を与えるという介入をしてはならない、という
ことで、宗教が政治に働きかけることを規制するものではない。
この場合、言うまでもなく政治は首相、宗教は靖国神社にあたる。
したがって、靖国神社が首相の靖国参拝を求めるのは構わないが、首相は参拝してはいけない。
よく言われるのは、首相個人の信教の自由であるが、これは問題にならない。筆者個人的には、強大な
権限を持ち、かつ強制されてなっているわけでもない首相にことさら信教の自由を保障する必要はない
だろうとも思うが、そういった個人的心情を別にして、まず首相は常に公的存在であることは否めない
。
首相が私人でありうるのは、首相の私室内くらいでその中でならば、神道だろうがイスラム教だろうが
ブードゥー教だろうが構わないし、儀式でも何でもすればいい。もちろんそれを報道するのは論外であ
る。なので、報道されていないがひょっとしたら小泉首相はキリスト教徒かもしれない。
しかし、報道される状態にあるときは常に公人である。いくら「私人として」と言ったところで、本当
に私人だったら報道なんかされないわけで、報道されている時点で既に公人なのである。
そして、小泉氏の公人としての地位は首相であり、行政府の長であり、日本における政治権力の代表で
ある。
政治権力は特定の宗教に対し保護あるいは弾圧を与えるという介入をしてはならない。
なので、オウムにしたところでオウムと言う宗教そのものではなく犯罪者と犯罪教唆に繋がる教義を裁
いたものと筆者は理解している。そのため実際に犯罪を実行するまで警察組織は動いていないし、弾圧
もしていない。事件後も犯罪に関与していない信者に対して弾圧をかけるべきでもない(やってるけど
)。
弾圧してもいけないし、同様に保護してもいけない。
靖国は宗教ではない、との意見もあるが、靖国神社は、宗教法人であるので法的にも宗教だが、仮に宗
教法人でなかったとしても宗教である。
「大辞林 第二版」によると、宗教とは、
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(1)神仏などを信じて安らぎを得ようとする心のはたらき。また、神仏の教え。
(2)〔religion〕経験的・合理的に理解し制御することのできないような現象や存在に対し、積極的な
意味と価値を与えようとする信念・行動・制度の体系。アニミズム・トーテミズム・シャーマニズムか
ら、ユダヤ教・バラモン教・神道などの民族宗教、さらにキリスト教・仏教・イスラム教などの世界宗
教にいたる種々の形態がある。
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靖国神社は、戦死者を神と祀っていて護国の鬼としているわけだが、まさに「神を信じて、(国家安泰
という)安らぎを得よう」としているわけである。宗教以外の何者でもない。
日本人の風習としての墓参りや初詣などと同一視して靖国参拝を習慣であると主張する向きも少なくな
いが、これも毎年靖国神社や護国神社で戦没者の慰霊に出向く日本人が大多数とは言えない事から賛同
できない。
筆者は、神社には行くことはあるが靖国神社や護国神社にはあまり行かない。というより神社に行くと
きにそこが何を祀っているかを意識しないのである。
全国にある神社で祀っているものの多くは、アマテラスやスサノオなど神話上の登場人物であり、実在
した人物を祀っている神社はそう多くはない。つまり、近現代の戦没者を祀っているのは神社の中でも
特殊な部類に入るのである。
そのため、神社にお参りするのが日本の習慣だったとしても、それが靖国参拝とは等価とはいえない。
また、そもそも江戸時代・明治・大正・昭和に比べ、神社にお参りするのを習慣にしている人間自体減
っているのではないか、とも思える(もちろん人口の増加率を考慮したうえで)。
おそらく、日本人が一番神社に行くのは初詣だと思う。戦没者慰霊のために神社に参拝すると言うのは
、とても日本の風習とはいえないだろう。
戦没者慰霊をするとすれば、終戦記念日の8月15日だろうが、時期が時期だけに先祖の墓参りに行く人
のほうが多いと思う。墓参りで戦没者一般の慰霊をする人も多くはないと思う。少なくとも筆者が墓参
りで慰霊するのは、祖父母などの特定の故人である。
また、仮に戦没者慰霊が日本の風習であったとしても、それを行うのが靖国神社でなければならない理
由はない。たとえば、8月6日の広島原爆投下の日である。
筆者は学生時代に学校で黙祷をした記憶があり、これが筆者の経験上もっとも戦没者慰霊に近いだろう
が、別に靖国神社も護国神社も他の宗教も関与した記憶はない。
したがって、戦没者慰霊が日本の風習であり首相もやるべきだと言うのなら、無宗教の慰霊施設でやれ
ばよい。
このような意見に対しては、戦没者が祭られているのは靖国神社であり、それを移すことはできない、
という反論がある。
これに対する再反論は単純である。祀っている戦没者を移さなければいい。そもそも戦没者の魂が靖国
にあると主張しているのは靖国神社の宗教(ここでは「靖国教」と呼ぶことにする)の教義に過ぎない
。靖国教の信者にとっては、「戦没者の魂は靖国にある」として構わないが、信者でない者がそれに付
き合う義務はない。
重要なのは、信教の自由を持つ一人一人の集合体である国民の代表にとっての「戦没者の魂」がその無
宗教慰霊施設にある、ということだ。何も靖国教の宗教儀式を行う必要はないし、靖国教の許可も必要
とはしない。
(慰霊するなら無宗教じゃないじゃないか、と言う意見もあるが、既存の特定宗教に偏っていないと言
う意味での「無宗教」である)
以上のように、公人たる首相が戦没者慰霊を行うなら無宗教の慰霊施設で行う、という選択肢があるに
もかかわらず、特定の宗教である靖国神社に参拝しなければならない、と言う必然性は筆者には感じら
れない。
最後に2つ。
首相なら靖国に参拝するべきだ、と言う意見に対して。
こういっている人は、日本国の首相になるための条件は、靖国教の信者であること、という宗教国家に
したいんでしょうか。
日本人なら靖国参拝に賛成すべきだ、と言う意見に対して。
別に日本人なら反対すべきとも思わんが(筆者個人は反対だけど)、賛成すべきだと言うのはそれこそ
信教の自由に反するのではないか。
靖国参拝に対する中韓の反応
小泉首相の靖国参拝に対する中国・韓国の反応が意外に冷静である、とのこと。
反日を煽っても自分が困るだけなのを学んだ、とか。
今後も続けて既成事実化すれば、靖国は中韓の外交カードにはならなくなる、とか。
その辺の読みってかなり甘いと思う。
中国・韓国政府の対応が冷静なのは、単に靖国と言う外交カードを今切らなくてもいい、と考えているだけに過ぎないのではないか。形式上でも抗議をしている以上、その抗議を強くするかどうかは、中韓の判断次第であることは変わらない。
首相が毎年参拝し続ける場合、外交的な状況によっては、いつでも「靖国」カードを切ってくるだろう。まず考えられるのは、日本が再度常任理事国入りを求めた場合、などだが、まあこれに限らない。
要するに、靖国参拝を続ける限り、中韓の手には「靖国」カードを持たせたままになるわけで、こういった外交的な不利を容認するのはどうかと思う。
牛肉、大丈夫か?
牛肉危険度、国産と差「小さい」 食品安全委が答申原案(朝日:2005年10月24日21時02分)
http://www.asahi.com/life/update/1024/012.html
どうにも科学的根拠薄弱な気がする。
リスクが同等というのは、何らかの統計的な結果からの判断か「有識者」の判断なのか。
「輸入対象を20カ月以下とし、脊髄(せきずい)などの危険部位を除去するという輸入条件」にしても、月齢を管理できていないとか危険部位が処理の過程で混ざったとか、いろいろあった気がするが、いつの間に解決したのか。
アメリカでの食肉処理の話は、なぜか日本ではちっとも報道されなくなってしまったけど。
とにかく、この牛肉が、30年後のアスベストにならなければいいな、と思う。
サボ島沖夜戦(エスペランス岬海戦) 1942/10/11
1942年10月、日本軍は、ガダルカナル島攻防戦に苦戦し、さらに増援を送ることを決定する。増派される兵力は、第二師団。
この兵力の一部を派遣するためのトウキョウ・エクスプレスが10月11日、ショートランド島から出撃した。この輸送部隊は、水上機母艦2隻、駆逐艦6隻の艦隊であった。この艦隊が10月11日11時45分に米偵察機に発見され、これを迎撃するため、米軍はノーマン・スコット少将率いる巡洋艦隊を出撃させる。その兵力は、重巡2隻(サンフランシスコ、ソルトレイクシティ)、軽巡2隻(ボイス、ヘレナ)、駆逐艦5隻(ファーレンフォルト、ダンカン、ラフェイ、ブキャナン、マッカーラ)。
スコット少将は、8月9日の第一次ソロモン海戦にも参加し、日本艦隊に苦杯をなめさせられていた。
しかし、スコット艦隊は、この輸送部隊を捕捉することはできなかった。日本輸送部隊は無事に兵員物資をガダルカナル島に揚陸し帰投していた。輸送部隊を補足しそこなったスコット少将は21時32分、進路を南西へ180度転換したが、その転換が終わりきらない21時35分、軽巡ヘレナのレーダーが北西16500mに敵艦5隻を捉える。
この艦隊は、五藤存知少将率いる第6戦隊で、兵力は重巡3隻(青葉、衣笠、古鷹)、駆逐艦2隻(吹雪、初雪)。ガダルカナル島の米軍飛行場への艦砲射撃を目的として進出してきていた、日本艦隊は、米軍に遅れること8分後、21時43分に夜間双眼鏡で3隻の艦影を視認するが、味方と思い21時47分、距離7000mで「ワレアオバ」と味方識別信号を連送した。
同時にスコット艦隊は、照明弾を打ち上げ攻撃を開始した。
この第一弾が、五藤少将坐乗の旗艦青葉の艦橋に命中し、五藤少将はじめ幹部が戦死した。
重巡青葉は、損傷し戦場を離脱。並行していた駆逐艦吹雪も砲撃が集中し21時53分に沈没した。
その後、重巡古鷹と重巡ソルトレイクシティの打ち合いとなったが、古鷹は発射管に直撃を受け火災が発生し、この火災を目標として集中砲撃を受け航行不能となる。
22時ごろ、日本艦隊は反撃に出る。重巡衣笠が軽巡ボイスを砲撃し4発の命中弾を与える。軽巡ボイスは危機に陥るが、重巡ソルトレイクシティが盾となり、衣笠との打ち合いとなり、双方ともに損傷を受ける。そしてこの間に、日本艦隊と米艦隊の間に出てしまった駆逐艦ダンカンとファーレンフォルトが日本の砲撃と味方の誤射により、ダンカンは沈没、ファーレンフォルトは大破する。
砲戦は22時20分に終了し、日本艦隊はガダルカナル島砲撃を諦め撤退する。
10月12日0時28分、航行不能になっていた重巡古鷹は沈没。
米軍は駆逐艦1隻(ダンカン)を失ったのに対し、日本軍は重巡1隻(古鷹)、駆逐艦1隻(吹雪)を失ったうえ、司令官の五藤少将が戦死している。そして日本艦隊はガダルカナル島砲撃を果たせずに撤退している。何よりも日本海軍が得意としてきた夜戦での敗北であった。
レーダーは明らかに米軍の勝因のひとつであったが、敵を発見した時刻・距離は米軍21時35分16500mに対し、日本軍21時43分7000mで、時間はわずか8分差である。砲戦の開始はさらにこの4分後である。海戦における8分は大きな差ではあるが、発見時米軍は回頭行動中であったこと、夜間砲戦距離を考慮すると、日本側にも十分勝機はあったのではないか。
サボ島沖夜戦での日本側の主たる敗因は、レーダーの他に敵を視認したときに味方と判断したことであろう。スコット艦隊が単独で敵艦隊を追っており確認した艦隊は即座に敵と判定できたのに対して、五藤艦隊は輸送部隊が先行しているため視認した艦隊は味方の可能性があった点が日本側の不利であったと言える。
しかし、日本海軍の独壇場であった夜間の戦闘において、米軍が勝利を収めたことはその後の戦闘における自信を深めることにはなったと言えよう。
高松高裁判決
10/5に高松高裁判決が出たので、追加。
「大事なところで逃げた」靖国訴訟高裁判決(朝日新聞2005/10/6)
http://mytown.asahi.com/kagawa/news02.asp?kiji=7634
靖国訴訟、高松高裁が控訴棄却…憲法判断には触れず(読売新聞2005/10/5)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20051005i311.htm
5件:公的・私的の判定せず
松山地裁(2004/3/16坂倉充信裁判長):憲法判断せず
那覇地裁(2005/1/28西井和徒裁判長):憲法判断せず
東京地裁(2005/4/26柴田寛之裁判長):憲法判断せず
大阪高裁(2005/7/26大出晃之裁判長):憲法判断せず
高松高裁(2005/10/5水野武裁判長(紙浦健二裁判長代読)):憲法判断せず
4件:公的と判定
大阪地裁(2004/2/27村岡寛裁判長):憲法判断せず
福岡地裁(2004/4/7亀川清長裁判長):違憲
千葉地裁(2004/11/25安藤裕子裁判長):憲法判断せず
大阪高裁(2005/9/30大谷正治裁判長):違憲
2件:私的と判定
大阪地裁(2004/5/13吉川慎一裁判長):憲法判断せず
東京高裁(2005/9/29浜野惺裁判長):憲法判断せず、ただし「公的参拝であれば違憲の可能性がある」と付加
高松高裁判決について、NHKニュースでの扱いが大阪高裁判決に比べ小さい、と電話で抗議したと書いているブログがあったが、公私の別や憲法判断に踏み込んでいないので当たり前である。
小泉靖国参拝訴訟では、11件目となる判決だが、憲法判断に踏み込んだのが、2件だけだからこそニュースで大きな扱いを受けたわけである。
「傍論なのに(傍論ではないとの意見も見かけるが)」とかは関係ない。もし「合憲」判決が出れば、大ニュースになるはずだし。
高松高裁判決では、上告するそうなので、ひょっとしたら最高裁が憲法判断に踏み込むかもしれない。
可能性は低いと思うけど。
靖国訴訟第二次大阪高裁判決に関する各紙の社説
靖国違憲判決 参拝をやめる潮時だ(朝日新聞2005/10/1)
http://www.asahi.com/paper/editorial20051001.html
【主張】靖国訴訟 ねじれ判決に拘束力なし(産経新聞2005/10/1)
http://www.sankei.co.jp/news/051001/morning/editoria.htm
社説1 重く受け止めたい靖国参拝違憲の判断(日経新聞2005/10/1)
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20050930MS3M3000P30092005.html
社説:靖国参拝訴訟 違憲判断は司法府の警告だ(毎日新聞2005/10/1)
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20051001ddm005070135000c.html
[靖国参拝判決]「きわめて疑問の多い『違憲』判断」(読売新聞2005/10/1)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20050930ig90.htm
表題だけでもわかるが、大雑把に各紙の対応を並べてみると、以下のようになる。(50音順)
朝日:判決を支持、参拝はやめるべき
産経:判決を不支持、参拝を継続すべき
日経:判決を支持、参拝は再考すべき
毎日:判決を支持、参拝は再考すべき
読売:判決に疑問
この大阪高裁のポイントは、3点ある。
・靖国参拝を「公的」と判断したこと
・「公的参拝」の目的が政治的であったこと
・「公的参拝」を違憲と判断したこと
「公的」と判定した理由としては以下の5点をあげている。
1.公用車を使ったこと
2.秘書官を伴ったこと
3.「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳したこと
4.首相に就任する前の公約の実行としてなされたこと
5.当初「私的参拝」と明言しなかったこと
また、「公的参拝」の目的が政治的であったことの理由としては、上記に加え、以下3点がある。
6.3度にわたって参拝した上、1年に1度参拝する意志を表明した
7.国内外の強い批判にもかかわらず実行し、継続しているように、参拝実施の意図は強固だった
8.国は靖国神社との間にのみ意識的に特別のかかわり合いをもった
さらに、「公的参拝」の効果については以下があげられた。
9.参拝を実行し継続していることにより、一般人に対して、国が靖国神社を特別に支援しており、他の宗教団体とは異なり特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こした
筆者個人の判断としては、1~4、特に4について、「公的」とみなす十分な理由になると考える。また、5についても、公職のトップにあるものが公私の区別を厳格に求められるのは当然であると考えるので、「公的」を示す証拠と言える。
また、4と9は、目的・効果を示す重要な内容であると考える。
1,2,4,5については、朝日新聞が、1,2,3,4については、毎日新聞が言及しているが、他の3紙にはその記載がない。社説だから省略したと言うわけでもなく以下の記事内でも、4の公約であったこと、について触れていない(日経新聞は記事を見つけられなかった)。
小泉首相の靖国参拝は違憲…大阪高裁が高裁初判断(読売新聞2005/9/30)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050930it04.htm
首相の靖国参拝「違憲」 大阪高裁判決 宗教的活動に当たる(産経新聞2005/9/30)
http://www.sankei.co.jp/news/evening/01iti003.htm
目的が政治的であるとの判断であるが、筆者は4だけで判断の理由となると考えるが、7についても政治的なものを感じさせる。これらについて、毎日・読売は6,7、産経は7,8、朝日は8について社説に記載しているが、これらは1~5とセットで載せないと、薄弱な根拠という印象を受ける。その意味で、産経・読売が、1~5について記載せず6~8について記載したのは意図的なものを感じさせる。一方、日経は9についてのみ記載している。これは、目的効果を示す上で社説での表現上効果的であると言える。
さて、「公的参拝」ならば違憲である、というのは、政教分離原則から筆者個人としては当然のことと理解している。朝日、日経、毎日の各社説においても、同様の流れで、参拝をやめるか再考するか(実質的には「やめろ」と同義)を述べている。日経は9を記載することで、「公的参拝」に効果のあったと言う判断を示した上で違憲という文脈となっている。
では、判決に不支持・疑問である、産経、読売はどういう論理か。
産経では、「昭和五十二年の津地鎮祭訴訟での最高裁大法廷判決は、国家と宗教のかかわりを一定限度容認する緩やかな政教分離解釈を示し、多くの下級審判決では、この最高裁判決が踏襲されてきた。今回の大阪高裁の判断は、この判例を逸脱している。」
と今回の判決の政教分離主義が厳格に過ぎることを示唆している。一方、日経では「最高裁は1997年、愛媛県が靖国神社などへの玉ぐし料を公費から支出したことは憲法の政教分離原則に違反する、との判決を出した。公費支出は「一般人に対し、県が特定の宗教団体を特別に支援し、それらの団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こす」からである。」として、愛媛玉ぐし料訴訟(1997)を例示してる。
いずれも最高裁判決であるので、産経が言うように「多くの下級審判決」で津地鎮祭訴訟(1977)の「最高裁判決が踏襲されてきた」か、特に1997年以降もそうなのか、というのは大きな疑問である。今回の大阪高裁の判決については、津地鎮祭訴訟の最高裁判決を逸脱した、というより、愛媛玉ぐし料訴訟の最高裁判決を踏襲した、と言うべきであろう(それに津地鎮祭訴訟はA級戦犯合祀前で背景の状況が大きく異なっている)。
また、「判決文は小泉首相の靖国参拝の主たる動機・目的を「政治的なもの」と決めつけているが、裁判官こそ、中国や韓国などからの批判を意識しており、政治的意図を疑わざるを得ない。」としているが、「首相に就任する前の公約の実行としてなされたこと」を考えれば、動機・目的が「政治的なもの」とみなされてもやむを得ないであろう。政治的でないのであれば、「公約」にする意味がないのだから。
産経は、今回の判決を「ねじれ判決」と呼び、「このように、問題の多い高裁判断ではあるが、それが傍論である限り、何の拘束力も持たない。」と述べている。法律には詳しくないのだが、そもそも参拝の違憲性を判断するための訴訟はできないのではなかったか(訴訟を起こした人間に何らかの利害関係がないと駄目とかそんな感じで)。そうであれば、「傍論」としか出せないのは当然であるが、「何の拘束力も持たない。」というのは暴論であろう(法的拘束力がなく強制的にとめることができないにしても、裁判所として違憲であると認識しているとの意思表示である)。憲法遵守義務のある首相が裁判所により違憲とみなされている行為を実行するのは、法治国家としてどうなのか。どうしても不満なら、裁判を起こして「傍論」としてでも合憲の判断を得るのが法治国家としてのやり方であろう。
産経も、今回の判決が不満なら、自ら裁判を起こすべきであって、違憲とされた行為を行政の最高責任者にやらせようとするのは納得できない。
次に、読売であるが、目的が「政治的なもの」であったことに関する反論は、産経と同様であるので省略する。
「目的の政治性」の次に読売では「歴代首相は毎年正月に伊勢神宮に参拝している。これも国が伊勢神宮と「特別の関(かか)わり合い」を持っているということになるのだろうか。」と伊勢神宮参拝について述べている。読売の社説には、「公的」と判断した理由が記載していないのだが、「首相に就任する前の公約の実行としてなされたこと」を考えれば、伊勢神宮参拝が「公的」であることの根拠が弱くなり、違憲とは考えにくくなる。
また、伊勢神宮参拝については、筆者の知る限り、そもそも訴訟は起こされておらず、違憲・合憲の判断も出ていない。つまり、伊勢神宮参拝にしたところで、別に合憲とされているわけではない。
したがって、伊勢神宮参拝は何の比較の対象にもならないのである。
津地鎮祭の例については、産経と同様なので略すが、一点「国と宗教とのかかわり合いを全く許さないのではなく、国の行為の目的と効果にかんがみ「社会通念」に従って客観的に判断すべきだ」について。
目的が政治的であったこと及び「参拝を実行し継続していることにより、一般人に対して、国が靖国神社を特別に支援しており、他の宗教団体とは異なり特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こした」という効果を及ぼしたことを考えれば、「社会通念」上許されない範囲と判断されてやむを得ないであろう。この考え方は「愛媛玉ぐし料訴訟」と同じである。読売の記事には「愛媛玉ぐし料訴訟」についても、「「公的参拝」の効果」についても記載されていないにも関わらず、「客観的に判断すべきだ」と述べている。客観的に判断した結果がこの判決だったとも考えられるのだが。
「傍論」についても、産経と同様なので省略する。
最後に判例。これについては、(前日の東京高裁判決を除くと)朝日・毎日に記載がない。
「小泉首相の靖国参拝をめぐる訴訟は全国各地で起こされ、政治運動化しているが、多くの裁判官は憲法判断に踏み込まず、参拝を認める判断を下している。小泉首相は今回の大阪高裁の違憲判断に惑わされず、堂々と靖国参拝を継続してほしい。」(産経)
「小泉首相の靖国参拝をめぐる訴訟の判決で、4件は参拝が公的か私的かの判定をしていないが、公的と認めたのはこれで4件になり、私的と判断したのは、大阪高裁の前日に出た東京高裁の判決を含め2件だ。」(日経)
「小泉首相の靖国参拝をめぐっては、3件の控訴審判決と7件の1審判決が言い渡されている。今回の大阪高裁判決と昨年4月の福岡地裁判決以外は、いずれも憲法判断以前の法律判断で請求を棄却している。」(読売)
これらを列挙してみるとこうなる。
4件:公的・私的の判定せず
松山地裁(2004/3/16坂倉充信裁判長):憲法判断せず
那覇地裁(2005/1/28西井和徒裁判長):憲法判断せず
東京地裁(2005/4/26柴田寛之裁判長):憲法判断せず
大阪高裁(2005/7/26大出晃之裁判長):憲法判断せず
4件:公的と判定
大阪地裁(2004/2/27村岡寛裁判長):憲法判断せず
福岡地裁(2004/4/7亀川清長裁判長):違憲
千葉地裁(2004/11/25安藤裕子裁判長):憲法判断せず
大阪高裁(2005/9/30大谷正治裁判長):違憲
2件:私的と判定
大阪地裁(2004/5/13吉川慎一裁判長):憲法判断せず
東京高裁(2005/9/29浜野惺裁判長):憲法判断せず、ただし「公的参拝であれば違憲の可能性がある」と付加
産経では「参拝を認める判断を下している」としているが、これには疑問がある。上記を一目見てわかるが、公的・私的を問わず合憲の判断はひとつもない。原告がすべて敗訴しているのは、「参拝を認め」ているのではなく、原告に民事訴訟上、請求の資格がないためである。この理由により、読売に述べられているように「いずれも憲法判断以前の法律判断で請求を棄却している」のである。したがって、別に参拝を認めているわけではない(強いて言えば黙認だが、黙認であれば「判断を下している」という言い方は適切とは思えない)。
上記の結果を考慮すれば、「公的参拝であれば違憲であり、私的参拝であっても合憲とは言えない」と考えるのが妥当であろう。
形式上国の勝訴であるため国は上告できないという、産経の言う「ねじれ判決」であるが、これを「上訴権を封じる」と呼ぶのであれば、そもそも「国家が違法なことをしているのに、法的利益の侵害がなければ誰も争えないという」(東京新聞社説(下記参照)東大の奥平康弘名誉教授の言より抜粋)のが「おかしい」のではないか。
(参照)
靖国参拝訴訟 高裁判断真っ二つそれでも『違憲』に重み(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20051001/mng_____kakushin000.shtml
つくる会HPのちょっとどうかと思った記事
第二次大戦の始まり(理事・京都大学教授・中西輝政)新しい教科書をつくる会(「史」の記事)
http://www.tsukurukai.com/07_fumi/text_fumi/fumi51_text01.html
どうも、第二次大戦における日本を善玉にしたいように感じる。
とりあえず、この記事について自分なりの意見をまとめてみる。
「ライシャワーは、第二次世界大戦はドイツのポーランド侵攻(一九三九年九月)によって始まったのではなく、昭和十二年(一九三七年)八月十三日の中国軍による上海における日本海軍(上海特別陸戦隊)への全面攻撃の開始によって始まったとしている。」
これ自体は、別に違和感はない。これ以降主要交戦国となる中国軍が日本との外交を諦めて全面戦争に突入することを決意した上での攻撃が上海への攻撃であったととらえれば、これ以降、日本の無条件降伏まで続く一連の戦争の開始点とするのは、説のひとつとして理解できる。
同様に説のひとつとしてなら、満州事変や日中戦争(盧溝橋事件)の開始時点をもって第二次大戦の始まりとしても、別段誤りではないだろう。
これらの説の違いは、満州事変や盧溝橋事件の後も、上海事変まで中国側は日本との間で外交的な解決ができると考えていた点ではないかと思う。つまりいずれかが外交的解決を放棄した時点を持って第二次大戦の始まりとしてのではないか。
さて、記事では、ライシャワーの発言を盧溝橋事件のような小競り合い程度の局地紛争をもって全面戦争の開始とするべきではない、ととらえている。
別に、きっかけが小競り合いであったかどうかなど問題ではないのではないか。全面戦争のきっかけとなったのであれば、それが過去、日常的に繰り返されてきた小競り合いであったとしても、始まりと呼んで差し支えないと思う。
この記事からは、第二次大戦は中国が始めた、とでも言いたいかのように感じられる。
また、この後の記事は、全面戦争を、「少くとも当事国のいずれか一方に明確な国家意思をもって大規模な近代戦を仕掛ける決定がなくてはならない」ものとして定義した上で、中国側は西安事件以降「抗日全面戦争への意志が明確」であったとし、日本側は「一貫して不拡大方針を堅持していた」としている。
やはり、第二次大戦は中国が始めた、と言いたいとしか思えないが、この記事は不正確である。まず、上海事変直前の時点で、中国側は全面戦争を辞さない決意があったことは否定できず納得できるが、日本側は一貫して不拡大方針を堅持していたかと言うとそうとは言えない。確かに日本政府は不拡大を唱えていたが、現地軍が従わないことが少なくなく、政府も後に追認するなどしている。これを一貫して堅持というのは明らかに誤りであろう。日本政府には、自国の軍隊を統率する能力が欠けているか、あるいは「不拡大方針」が欺瞞である、ととられても仕方がない。
記事の最後では、「そもそも盧溝橋などの「小ぜり合い」自体も、今日では中国共産党の謀略によって始められたことが明白となっている。」となっており、結局、第二次大戦は中国が始めた、と主張したいのだと理解できる。
しかし、「盧溝橋事件謀略説」はあくまでも一説に過ぎず「明白」と言える状況ではない。根拠とされる中国共産党のパンフレットは、現物が確認されていないため、根拠そのものが虚偽である可能性も否定できない。もちろん「盧溝橋事件謀略説」が虚偽である、という証拠もないが、「明白となっている」という既に決着済みであるかのような論調には問題があると考える。
「国際関係はそれ特有の論理と枠組みで語られるべきであり、また誤った贖罪の感情や「○○主義」という抽象語で歴史を語るべきではないのだ。」には賛成できる。「第二次大戦は中国が始めた」という主張に都合の良い発言・説のみに拠って歴史を語るべきではないだろう。
あたりまえなんだが
イラク自衛隊撤退は国益で判断…首相、参院代表質問で
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20050929i104.htm
国益で判断って、国益以外で判断するなんていう政治家はいないと思うが。
つまるところ、「ちゃんとやる」と言ってるだけで「何をどうする」ってのが全然ない。はっきり言って中身がない。
どんな基準で国益を判断するのか、「国際協調の中で日本の果たすべき責任」にしても、国際協調とは、どこの国を対象とし(米英か、そのほかの先進国か、中東か、国連か)、どのような行動を行えば責任を果たしたことになるのか、そしてなぜそう判断できるのか、くらいは言わなければ意味がない。
記事の内容だけについて言えば、こんな記事なくても全然かまわない。だって中身がないんだもん。まあ、小泉首相が中身のあることを話しているのを久しく聞いた覚えはないのだが。
それにしても、マスコミはもう少し中身のある情報を配信できないのかな。それともこの記事で知らせたい内容ってのは、「首相はこの程度ですよ」ということなのかな。
和歌山の発砲事件
連続発砲事件、料金所突破車の所有者判明…事情聴取へ (読売新聞2005/9/28)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/wakayama_gun.html?d=28yomiuri20050927i219&cat=35&typ=t
嫌がらせがエスカレートか 和歌山の連続発砲事件 (共同通信2005/9/29)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/wakayama_gun.html?d=29kyodo2005092901000273&cat=38&typ=t
料金所突破ワゴン、ナンバーは偽造か…連続発砲事件 (読売新聞2005/9/29)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050929-00000307-yom-soci
反転逃走、捜査網逃れる 連続発砲直後の自動車道 (共同通信2005/9/29)
http://news.www.infoseek.co.jp/society/story.html?q=29kyodo2005092901004140&cat=38
高速道で乗用車に連続発砲、けが人なし…エアガンか(読売新聞2005/9/26)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050926-00000002-yom-soci
嫌がらせのエスカレートと言うより、ナンバーを偽造して、顔も隠した上、銃(エアガン?)を用意した計画的な犯行だと思う。対象は無差別と思われるので、愉快犯かな。
ただ、「料金所突破車の所有者判明」てのは、結局偽造だったなら、判明してないんだよね。なんか警察発表そのままで、自分でろくに裏をとってないような印象を受けるのだが。