慰安婦と軍票
こんな記述を発見した。というか、慰安婦問題の基本である吉見教授の「従軍慰安婦」からの抜粋だった・・・。うーん、勉強不足を痛感。
- 従軍慰安婦/吉見 義明
- ¥819
- Amazon.co.jp
http://www10.ocn.ne.jp/~war/gunpyou.htm
独立山砲兵第二連隊の平原一男第一大隊長(戦後に自衛隊陸将補)が湖北省洪橋付近にて軍慰安所を開設した際の模様
慰安所の開設にあたって最大の問題は、軍票の価値が暴落し、兵たちが受け取る毎月の棒給の中から支払う軍票では、慰安婦たちの生活が成り立たないということであった。そこで大隊本部の経理室で慰安婦たちが稼いだ軍票に相当する生活物資を彼女たちに与えるという制度にした。経理室が彼女たちに与える生活物資の主力は、現地で徴発した食糧・衣類であったと記憶している。兵のなかには徴発に出かけた際、個人的に中国の金品や紙幣を略奪し、自分が遊んだ慰安婦に与える可能性もあると思われたので、経理室の供給する物資は思い切って潤沢にするよう指示した
(「従軍慰安婦」吉見義明著、岩波新書)
慰安婦を単なる売春婦とみなしたい産経・安倍・ネトウヨ等等は、慰安婦の収入を時期・地域を無視して高給だと言い張ってますが、いくらなんでも1937年~1945年の8年間、中国・東南アジアから太平洋に至る広範な地域で物価が一定だったとみなすのは乱暴すぎます。
buyobuyoさんが言うように 、若い世代では軍票問題に疎いだろうし(そんなに若くはないですが、私も知りませんでした・・・)、ネット上に湧いているイナゴさんたちのほとんどは精神年齢以外の実年齢も低そうなので、「慰安婦は高給だ」という都市伝説が蔓延するのもやむを得ないのかもしれません。その意味では、アメリカ下院決議案121号 にある「(4)日本政府は、「従軍慰安婦」に関する国際社会の勧告に従って、この恐るべき犯罪について、現在と未来の世代に教育すべきである。」というのは、もっともな指摘ですね。
で、「慰安婦は高給だ」という都市伝説ですが、ネット上で本名を出してその説を唱えている人というのを探しましたがほとんど見つかりません。
唯一見つけたのは下記。
(http://hechima.asablo.jp/blog/2007/03/27/1348538
)からの引用
小室直樹「日本国民に告ぐ(ワック株式会社)」120頁に次のような 記載がある。「関東軍女子特殊軍属服務規定によると、女子特殊軍属すなわち慰安婦の月給は信じがたいことに八〇〇円であった。当時の巡査の初任給が四五円、陸海軍の大将の月給が五五〇円だから、破格の高給である」。
小室直樹氏ですか。南京事件に関してこういう発言をしている人ですね。
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/2semi/onisi.html
「捕虜になるには、その資格だけではなく手続きも重要である。当該戦闘員の指揮官が、相手の指揮官に正式に降伏を申し入れなければならない。戦っている戦闘員がバラバラに降伏を申し込んでも受け入れられるとは限らない。降伏も契約であり、相互の合意がないと成立しない」
「支那事変(一九三七年)のときにはハーグ条約は結ばれていました。日本軍は非合法な戦闘行為をするものをどんどん銃殺してもよかったのです」
「便衣兵は非合法戦闘員であり、これを戦争犯罪人として死刑にすることは合法である。便衣兵には捕虜になる特権がない。便衣隊が一般大衆の中に隠されている疑惑がある場合には、軍隊はこの大衆を調査し、便衣隊の疑いがあるものを連れ去る事も合法である」
まあ、それはさておき。
「関東軍女子特殊軍属服務規定によると、女子特殊軍属すなわち慰安婦の月給は信じがたいことに八〇〇円であった。当時の巡査の初任給が四五円、陸海軍の大将の月給が五五〇円だから、破格の高給である」。
これが事実で、勤務地が満洲であったなら月800円は、確かに破格です(満洲のインフレは他地域に比べれば大したことなく1944年7月で1941年12月の1.5倍程度)。
で、「関東軍女子特殊軍属服務規定」で検索してみると、
従軍慰安婦問題に関する自由主義史観からの批判を検証する
というページが見つかりました。
「「関東軍女子特殊軍属服務規定」というのがあって、慰安婦のことだが、給与規定 もあった。年800円だったと思う。」
これ以外は、ほとんど小室氏のコピー・引用ばかりのサイトばかり。
月800円か年800円(月67円)かは随分違います。どっちが正しいかは、現物にあたるしかなさそうですがネット上にはなさそうなのでしばらく保留。月67円なら安くはないですが、さりとて騒ぐほどの高給とは言えないでしょう。
(しかし「関東軍女子特殊軍属服務規定」みたいなのがあるなら、業者に委託どころか軍が組織として売春婦を雇っていたことになりますが・・・。もろ、直接関与ですよ。しかも軍属として売春行為に拘束していることになりますから、民法90条(公序良俗違反)に違反しそうですが。)
この他、当時の娼妓、つまり公娼がどのくらいの収入を得ていたかを調べてみました。
明治40年の職業づくし
で、見てみると、
陸軍大将:月500円(年俸6000円)
上等兵曹/陸軍軍曹:月27円
なので、昭和初期の陸軍大将の年俸6600円から見て明治40年と昭和初期の物価は1対1.1、と仮定しておきます。
明治40年(比較として芸妓も含みました)
一等芸妓:月50円
上等娼妓:月33円(1日あたり1円10銭)
下等芸妓:月17円(1日あたり55銭)
これから昭和初期の収入を推定すると、
一等芸妓:月55円
上等娼妓:月37円
下等芸妓:月19円
くらいでしょうか。
偶然の一致かもしれませんが(売上と手取りのどっちかも不明ですが)、
http://ameblo.jp/scopedog/entry-10030549652.html
http://ameblo.jp/scopedog/entry-10031729317.html
で検証した慰安婦収入の内地換算額とほぼ同レベル(月30~38円)でした。
ちなみに(http://www1.u-netsurf.ne.jp/~sirakawa/J059.htm
)によると、
「昭和6年の政府の家計簿調査によると、都市部勤労者世帯の1か月の平均収入は86円、食料費の支出は25円でした。 1日1人あたりの食料費は20銭になります。」
だそうです。「1日1人あたりの食料費は20銭」なので、1人1ヶ月の食費は6円、1世帯4~5人というところでしょうか。
さらに、「娼妓并芸妓揚代定価」(国会図書館デジタルアーカイブ)(明治18年、村上松太郎著、全国書誌番号 : 40011361 )によると、1885年での一人の客が払う金額は10~75銭だったようです。単純比較できませんが、昭和初期でも20銭~1円程度だったのではないでしょうか。
ここから、昭和初期の上等娼妓の生活を大雑把に推定すると、
1ヶ月あたりの接客数:80人、客1人あたり1円、売上80円
楼主取り分:50%、上等娼妓の取り分:40円
こんな感じでしょうか?
1日あたりの接客数は3~4人。
まあ、そんなもんではないかと。
これに対する従軍慰安婦(1944年ビルマの例)。
1ヶ月あたりの接客数:500人、客(下士官を想定)1人あたり3円、売上1500円
楼主取り分:50%、上等娼妓の取り分:750円
1日あたりの接客数は20人。
するとこんな感じの仮定が成り立ちそうな気がします。
・慰安所利用将兵の視点
軍慰安所は、内地より割高 → 慰安婦は優遇されていると感じる
・慰安婦の視点(元から娼妓である場合)
軍慰安所は、内地より過重労働(接客数が10倍近い)
給料は軍票で、インフレのため軍票750円の実質市場価値は内地38円程度。
→費用対効果を考えれば、明らかに内地より酷い扱いを受けていると感じる
・楼主の視点
慰安婦の管理は、軍の保護により容易ではあるし客も多いが、売上がインフレ軍票では実質的には儲けにならない。
→内地以上に儲けるには、慰安婦の回転率を上げるしかない。と考える
それぞれの視点で見るとこんな感じだったかもしれません。
元日本兵の方の話でも、慰安婦はそんなに酷い扱いを受けたわけではない、的なことを聞くことがよくありますが、上記仮定が正しければ納得できます。
この状況が生じた大きな原因の一つがインフレ軍票であって、日本軍・日本政府はその通貨政策に責任があります。現在でも通貨偽造は、刑法第148条(通貨偽造及び行使等)により無期又は3年以上の懲役と非常に重い罪になってます。これは貨幣経済の根幹を揺るがし社会に大きな悪影響を与えるためですが、第二次大戦中の日本は「ミッキーマウスマネー」とまで揶揄されたインフレ軍票を作り、占領地の経済・社会を混乱させたわけです。
慰安婦問題の一つの側面としてではありますが、稚拙な通貨政策という決して軽くない責任を日本軍・政府は負っています。敗戦と同時に、連合軍指示により日本軍票の無価値化が宣言されましたが、香港軍票については1999年(東京地裁)、2001年(東京高裁、最高裁)と争われ、「国際法では法律上の主体性が認められるのは個人ではなく国家であり、国家賠償法上でも請求は現行法施行以前で根拠がない」と原告敗訴となってます。
しかしながら、強制的に軍票に交換させた挙句、一方的に無効を宣言する国家、を周辺国の民衆がどう見るか、については考える価値があろう。
http://www.kirihara.co.jp/scope/JUNE99/shakai.html
「◆旧日本軍の軍票問題
第二次世界大戦中の日本軍が、香港で香港ドルを強制的に軍票に交換させたまま、戦後も換金しないのは不当であるとして、香港の住民17人が日本政府に、総額約7億6000万円の補償を求めた訴訟の判決が、17日に東京地裁であった。この裁判は、総額約1000億円相当の軍票を所有する「香港索償協会」会長の呉溢興さん及び同協会員が起こしたもので、保有軍票の一部について補償を求めていた。訴えによると、旧日本軍は香港を占領後、市民らに香港ドルを軍票と強制的に交換。第二次世界大戦後の1945年、大蔵省は、GHQの指示に基づき、軍票を無価値とする声明を出した。原告は、「大蔵省の声明は一方的な債務不履行であり、旧日本軍は占領地の民間人保護を定めた『ハーグ条約』に基づき、補償の義務がある」と主張した。また、サンフランシスコ平和条約で日英間の賠償請求権が放棄されたとしても、個人の請求権は消滅しない、とも主張した。
判決で、西岡清一郎裁判長は、強制交換により、原告らが被害を被った事実は認めたものの、争点となった「ハーグ条約」の解釈については「同条約は、加害国と被害国の権利義務関係について定めたもので、被害者個人の、加害国に対する損害賠償請求権を創設したものとは言えない」との判断を示した。また債務不履行に基づく損害賠償請求についても「大蔵相声明により軍票は一切無効になり、新たに日本政府に換金の法的義務が発生したとは言えない」として、原告の訴えを退けた。これに対し弁護団は「債務者が自分で債務無効を宣言すれば通る、という、非論理的な判決」と批判した。また原告団長の呉溢興さんも「千年、万年でも、子孫代々交換を迫っていく」と話している。 この問題に対し野中広務官房長官は「政府の一応の主張が認められた」と評価した上で、「20世紀を締めくくるに当たっての問題点として、できるだけ対応していくことを考えたい」と語り、新たな立法措置などで、個人への補償が可能かどうかを検討していく考えを示した。
」
それはそれとして、
こういう発言は、常識を疑いますね。中山氏は1943年生まれですが、彼の周りには大儲けした元慰安婦が大勢いたのでしょうか?
自民・中山元文科相が暴言
“「従軍慰安婦」もうかる商売”
“ほとんど日本の女性”
--------------------------------------------------------------------------------
自民党の中山成彬元文部科学相は二十日の衆院教育再生特別委員会で、米下院が「従軍慰安婦」問題で日本政府への謝罪要求決議案を採択しようとしている動きを強く非難し、「『美しい国』は強くなきゃいかん。間違ったことに反論していく勇気、強さが必要だ」と述べました。
中山氏が会長を務める自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」は、米下院の決議案阻止のため今月下旬から訪米を予定しましたが、米国内で「従軍慰安婦」問題の批判が高まるなか、「火に油を注ぐ」として訪米延期を決めたばかり。しかし、この日の質問は中山氏の本音をあらためて示したものです。
中山氏は「当時は公娼(こうしょう)制があり、売春が商行為として認められていた。慰安婦はほとんど日本の女性だった」などと述べ、日本軍による「従軍慰安婦」強制を否定。さらに「(慰安婦は)もうかる商売だったことも事実だ」と暴言を吐きました。
産経症・危ないことには首を突っ込まなくていい自由
連休前にUPしようと思ってて忘れてた・・・
「危ないことには首を突っ込まなくていい自由」
極めて消極的ではありますが、それだけに最後の自由でもあります。
自らの”正義”に基づいて行動する、というのは立派なことであり(正義の観念には個人差があり、常に万人に評価される行動とはなりえないにしても)、そうすべきである、というのは言うまでもないのですが。
だからと言って、「危ないことには首を突っ込まなくていい自由」を行使した人を責めるのは、ちょっと違うと思います。
何かというと、この話。
【産経抄】
昨年8月3日の夜、JR北陸線の特急車内で起きた強姦(ごうかん)事件は、日本という国が抱える病巣そのものといえる。若い女性の隣に座った35歳の男が、「逃げたら殺す」などと脅してわいせつ行為を繰り返し、さらに車内のトイレに連れ込み、約30分間にわたって暴行したという。
▼トイレに連れて行かれる間、女性は恐怖のあまり声もあげられず、ただ泣いていた。車内に居合わせた乗客は何をしていたのか。男にすごまれて怖かったといっても、車掌に通報する方法はいくらでもあろうに。味をしめた男は、その後も同様の犯行を重ねた。
★「車内に居合わせた乗客」に関しては色々批判がありますね。私個人としては、(強姦犯が全面的に責められるべきであり、被害者の落ち度などあったとしても取るに足らないものであることは当然として)乗客を責めるつもりはありません。特に産経など右派がそんなこというのは論外でしょう。
★3年前のことですが、「14日の外国特派員との会見では家族から謝罪の言葉も聞かれたが、救出された3人も猛省が必要だ。」(2004/4/16読売社説)
★「解放された三人は帰国後、各メディアに多く登場することだろうが、こうした責任の自覚としかるべき感謝の表明なしに政治的主張を続ければ、国民の反応は冷ややかなものとなろう。」(2004/4/16産経社説)
★「▼誤解を恐れずにいえば、“いわぬこっちゃない”とは、本来、人質になった三人の日本人に対していわねばならぬ言葉だ。イラクでは日本人外 交官も殺害されて治安悪化は深まっていた。外務省は再三、最高危険度の「退避勧告」を行ってきたのである。」(2004/4/10産経コラム)
★「3人は事件に巻き込まれたのではなく、自ら危険な地域に飛び込み、今回の事件を招いたのである。自己責任の自覚を欠いた、無謀かつ無責任な行動が、政府や関係諸機関などに、大きな無用の負担をかけている。深刻に反省すべき問題である」(2004/4/13読売社説)
★当時のこのような論調に対し、江川詔子氏は次のように述べてます(参照しているのは4/10と4/13の論調について)。
★「「危ない所に行ったのは自分が悪い」という言い方には、私は与しない。そうした考え方は、人が助けを求めているのに、「自分さえよければいい」と見て見ぬふりをする風潮につながる。」(2004/4/13いわゆる「自己責任論」について)
★右派メディアが数年来展開してきたことが、そういう「見て見ぬふり」をする風潮を作ったのではないかな?
★それに、詳しくはないのですが、もし犯罪に巻き込まれて怪我をした場合、生活の保障は誰がするのでしょうか?第一に加害者に請求は出来るでしょうが、自己破産などされた場合、暴力団の仲間などがいた場合、現実的に回収可能なのでしょうか?こういう現実的なバックアップがないのなら(ホントはあるのかも知れませんが周知されていなければ意味がないのであえて書きますが)、それは、”名誉”と”正義感”だけのために、自分と家族の生活を捨てる覚悟を持て、という意味になりませんかね。
★乗客を責める、という論調を見ると、”危ないことには首を突っ込まなくていい自由”それすら奪われようとしているようにも感じます。
▼「見て見ぬふり」が横行するのは列車内だけではない。いじめや虐待のSOSを発していながら、犠牲になった子供たちは数知れない。北朝鮮の工作員による拉致事件にいたっては、何十年間も、犯罪自体が存在しないことになっていた。
★「見て見ぬふり」・・・安倍が統一協会に祝電を打ったことを産経だけは全国版で報じなかったですね。
▼昭和48年に失踪(しっそう)した渡辺秀子さんの2児拉致事件の捜査から、今になって驚くべき事実がわかってきた。拉致には工作船だけでなく、万景峰号や貨物船が使われ、5年前までは積み荷、乗下船者ともにノーチェックだった。
▼犯行グループが所属する組織と朝鮮総連とのかかわりも明らかになりつつある。悪質きわまりない犯罪がどうして見過ごされてきたのか。これまで総連を擁護し、献金を受けてきた政治家だって、知らなかったではすまされない。
★ほう、そういえば、こんなニュースもありましたが。
★2006/6/6産経記事「小泉純一郎首相は6日夜、与謝野馨金融担当相が村上ファンド前代表の村上世彰容疑者から政治献金を受け取っていたことについて「政治資金規正法にのっとってやれば問題はないでしょう」と述べた。官邸で記者団の質問に答えた。」
▼昨年、日本でも上映された「ユナイテッド93」は、9・11米中枢同時テロの乗っ取り機内を再現していた。乗客が敢然と犯人に立ち向かう姿に、国柄の違いを思い知らされたものだ。「悪」に立ち向かう気概がなければ、いくら法律を整え、ミサイル対策に金をつぎ込んでも、安全保障は絵に描いた餅(もち)にすぎない。
★個人的には「ユナイテッド93」の内容に不審を抱いてますが、特に証拠もないので不審だけですけど。
★強者にコバンザメのようにくっついて、弱者を「悪」とみなしてたたくのは、さぞ気分がいいでしょうな。
★そういえば、産経は、権力者である現与党・安倍やブッシュにべったりですね。
(2007/04/27 05:10)
ま、何と言うか、国家が国民に「「悪」に立ち向かう気概」を求めるにあたって、その代償が”名誉”と”自己満足”だけというのは、成熟した社会とは言えない、と思うわけです。まして日本は60年前に、気概どころか命まで求めた前科がありますし。
売春のからんだ人身売買は過去のものではない
双子のネコが木に登る で紹介されていた痛いコメント。
「ソープランドで一日何人もの男を相手に仕事をしている女性のすべてが、強制されているとでも言うのでしょうか。」
痛いなあ、すべてじゃなければ問題じゃない、と考えている点とか。
従軍慰安婦のような、管理売春がらみの人身売買は決して過去のものではないんですよね。
風俗店摘発5容疑者逮捕 名簿破棄、パソコンも撤去か
2007年05月09日06時18分
愛知県警は8日、風俗店の従業員名簿を破棄したとして、ファッションヘルスの実質的責任者、児玉健児容疑者(31)=名古屋市中区丸の内2丁目=と従業員ら計5人を風営法違反(従業員名簿の不備)の疑いで逮捕し、名古屋に本拠を置く指定暴力団山口組弘道会の資金源になっている可能性があるとみて捜査している。
(中略)
県警は、名古屋市中区の人材派遣会社会長の男(36)らが、わいせつな接客行為をさせると知りながら、風俗店に女性を雇わせた容疑などを裏付けるため、1月18、19の両日、受け入れ先の疑いのあったブルーグループの風俗店会社事務所など計約20カ所を捜索した。
(中略)
県警は昨年6月、ヤミ金融での返済が滞った女性に、風俗店での勤務をあっせんしたなどとして、弘道会系組幹部ら2人を職業安定法違反容疑などで逮捕。この店もブルーグループで、女性の給料が店から組幹部側に渡っており、県警はグループが弘道会の資金源になっている疑いがあるとみている。
この事件、現状では「従業員名簿の不備」の容疑に過ぎません。だから人身売買・管理売春と無関係なんて判断するバカはいないでしょう。
ところが、容疑者が旧日本軍になると擁護するバカが現れたりします。
産経笑・西尾の悲鳴
いや、面白いわ、これ。
何が面白いって、「何者かが背後で日本の政治を操っているのではないか」って真面目に書く評論家が存在すること自体が、ですけど。何か具体的な根拠のある深刻な疑惑ならともかくねぇ。
これが保守なら、保守≒ヒキコモリ、が成立しそうな気がする。保守の人の方が怒りそうなんだけど・・・。
なんかね、おもちゃを取り上げられてぐずっているような論調なんだよね。
「安倍氏が迷走し、取り返しのつかない失態を演じているのに「次の人がいない」「官邸のスタッフが無能なせいだ」とかわいい坊やを守るようにひたすら庇(かば)うのも、ブレーンと称する保守言論界が政権べったりで、言論人として精神が独立していないからである。」
まあ、私の見たところ、問題なのは、庇う方・庇われる方の両方が「坊や」ということじゃないかな?
【正論】評論家・西尾幹二 慰安婦問題謝罪は安倍政権に致命傷
■保守の本当の声結集する政権を待つ
≪そらされている熱い感情≫
私は冗談のつもりではなかった。けれども人は冗談と取った。話はこうである。
月刊誌「WiLL」編集部の人に2カ月ほど前、私は加藤紘一氏か山崎拓氏か、せめて福田康夫氏かが内閣総理大臣だったらよかったのに、と言ったら「先生冗談でしょ」と相手にされなかった。今までの私の考え方からすればあり得ない話と思われたからだが、私は本気だった。
安倍晋三氏は村山談話、河野談話を踏襲し、東京裁判での祖父の戦争責任を謝り、自らの靖国参拝をはぐらかし、核と拉致で米国にはしごをはずされたのにブッシュ大統領に抗議の声ひとつ上げられず、皇室問題も忘れたみたいで、中国とは事前密約ができていたような見えすいた大芝居が打たれている。これらが加藤、山崎、福田3氏の誰かがやったのであれば、日本国内の保守の声は一つにまとまり、非難の大合唱となったであろう。
3氏のようなリベラル派が保守の感情を抑えにかかればかえって火がつく。国家主義者の仮面を被った人であったからこそ、ここ10年高まってきた日本のナショナリズムの感情を押し殺せた。安倍氏が総理の座についてからまぎれもなく歴史教科書(慰安婦、南京)、靖国、拉致の問題で集中した熱い感情は足踏みし、そらされている。安倍氏の登場が保守つぶしの巧妙な目くらましとなっているからである。
≪「保守の星」安倍氏の誤算≫
米中握手の時代に入り、資本の論理が優先し、何者かが背後で日本の政治を操っているのではないか。
★「野望の王国」とかの読みすぎではないでしょうか?いや、あれ面白いけど。「何者か」、うーん、柿崎とか征二郎兄さんとかかなぁ。
- 野望の王国 8 完全版 (8)/雁屋 哲
- ¥1,470
- Amazon.co.jp
首相になる前の靖国4月参拝も、なってからの河野談話の踏襲も、米中両国の顔色を見た計画的行動で、うかつでも失言でもない。しかるに保守言論界から明確な批判の声は上がらなかった。「保守の星」安倍氏であるがゆえに、期待が裏切られても「7月参院選が過ぎれば本格政権になる」「今は臥薪嘗胆(がしんしょうたん)だ」といい、米議会でのホンダ議員による慰安婦謝罪決議案が出て、安倍氏が迷走し、取り返しのつかない失態を演じているのに「次の人がいない」「官邸のスタッフが無能なせいだ」とかわいい坊やを守るようにひたすら庇(かば)うのも、ブレーンと称する保守言論界が政権べったりで、言論人として精神が独立していないからである。
★「保守言論界」とやらの庇い方も、その目的が権力維持・拡大にあることが見え見えなんだけど。「7月参院選が過ぎれば」なんて、国民の審判が終わるまで猫かぶって誤魔化すってことだしなあ。
考えてもみてほしい。首相の開口一番の河野談話踏襲は得意の計画発言だったが、国内はだませても、中国サイドはしっかり見ていて安倍くみしやすしと判断し、米議会利用のホンダ決議案へとつながった。安倍氏の誤算である。しかも米国マスコミに火がついての追撃は誤算を超えて、国難ですらある。
最初に首相のなすべきは「日本軍が20万人の女性に性奴隷を強要した事実はない」と明確に、後からつけ入れられる余地のない言葉で宣言し、河野衆議院議長更迭へ動き出すことであった。
★いや、つけ入れられる余地あるだろ、それも。「多数の女性が犠牲になったことが問題で、20万人という数字が重要ではない」という感じで。西尾氏は、ツッコミをしたいのか、ボケをしたいのか、よくわからん。
★大体、アメリカ下院決議121号にも河野談話にも、「20万人」なんて記載はないんだが。批判するなら、批判対象くらいよく読め、と言いたい。
しかるに「狭義の強制と広義の強制の区別」というような、再び国内向けにしか通じない用語を用い、「米議会で決議がなされても謝罪はしない」などと強がったかと思うと、翌日には「謝罪」の意を表明するなど、オドオド右顧左眄(さべん)する姿勢は国民としては見るに耐えられなかった。
★「国内向けにしか通じない用語」ああ、それは自覚があったんだ。
★ほんと、見るに耐えませんでした。全く同感です。
そしてついに訪米前の4月21日に米誌「ニューズウィーク」のインタビューに答えて、首相は河野談話よりむしろはっきり軍の関与を含め日本に強制した責任があった、と後戻りできない謝罪発言まで公言した。
★「やぶへび」のことわざを説明するのにぴったりな状況を、こんな大規模にやってもらえるとは思いませんでした。
≪通じない「事なかれ主義」≫
とりあえず頭を下げておけば何とかなるという日本的な事なかれ主義はもう国際社会で通らないことをこの「保守の星」が知らなかったというのだろうか。総理公認であるからには、今後、元慰安婦の賠償訴訟、過去のレイプ・センターの犯人訴追を求める狂気じみた国連のマクドゥーガル報告(1998年8月採択)に対しても反論できなくなっただけでなく、首相退陣後にもとてつもない災難がこの国に降りかかるであろう。
★いや、安倍自体が既に災難だからなあ・・・。
米国は核と拉致で手のひらを返した。6カ国協議は北朝鮮の勝利である。米中もまんざらではない。彼らの次の狙いは日本の永久非核化である。米国への一層の隷属である。経済、司法、教育の米国化は着々と進み、小泉政権以来、加速されている。安倍内閣は皇室を危うくした小泉内閣の直系である。自民党は真の保守政党ではすでにない。私は安倍政権で憲法改正をやってもらいたくない。不安だからである。保守の本当の声を結集できる胆力を持った首相の出現を待つ。(にしお かんじ)
★ああ、西尾くんは核が欲しかったんだ。
★「私は安倍政権で憲法改正をやってもらいたくない」おお、気が合うなあ。同感ですよ、理由はどうあれ。
★「保守の本当の声を結集できる胆力を持った首相の出現」とりあえず、弥勒菩薩の到来の後にしてください。
(2007/04/27 05:14)
産経症の症状2・法律と憲法の区別がつかなくなる。
まあ、核武装・海外派兵・北朝鮮型管理社会・世襲支配体制を進めたい統一協会安倍や広報機関産経にとっては、国民投票での投票率は低い方が都合がいいのだろうが・・・。
「「最低投票率」論への疑問」とか言いながら、「すべての国民が今こそ真剣に考えなければならない。そうすると、投票率も自然と高まる」なんて言ってるんだから、自己矛盾を極めてるなあ・・・。
ま、ネトウヨは3行以上の文章は読めない、というより3行前の内容は忘れてしまうので、ある意味読者のレベルに合わせてる、と言えるかもしれない。
【正論】日本大学教授・百地章 憲法改正モラトリアムの終焉
■改憲を参院選の争点に議論深めよう
■「最低投票率」論への疑問
憲法改正国民投票法案は現在、参議院で審議中であり、5月中には成立の見込みという。憲法記念日には間に合わなかったものの、憲法施行後60年にして漸(ようや)く国民投票法が成立することを心から喜びたいと思う。
ところで、最近にわかに浮上してきたのが「最低投票率」をめぐる問題である。
現在の与党案には最低投票率の規定はない。そのため、これに異を唱える人々は「仮に投票率が4割にとどまった場合には、最低投票率の定めがなければ、有権者のわずか2割の賛成で憲法改正が承認されることになる。それで国民が承認したとは、とうてい言えまい」(朝日新聞社説、4月19日付)と批判している。
これに対し、与党側では、「否決を狙ったボイコット戦術を誘発する恐れがある」とか、「国民の関心の低いテーマでは改正が難しくなる」などの理由で反対しているが、さらに反論を加えることにしよう。
★いや、ね、「否決を狙ったボイコット戦術を誘発する恐れがある」って、これには突っ込まないの?ボイコットに参加する有権者が改正案に賛成していないのは当然でしょ?改正案を国民の多く(例えば有権者の5割)が支持しているなら、投票率は自然と上がるはずで、最低投票率を気にする必要などないはずなんですがね(最低投票率が90%とかなら別だけど)。
★個人的には、最低投票率云々ではなく、賛成投票数が投票していない人も含む全有権者数の過半数、とするべきだと思うけどね。
■国会による「発議」の重み
実は、このような主張がなされるのは、国会による「発議」と国民投票による「承認」の意味および両者の関係が正しく理解されていないことによると思われる。つまり国会による「発議」とは、憲法改正案の単なる「提案」ではなく、「提案」と、その前提となる国会による「承認」(賛成)の両者を含んでいる。このことが良く分かっていないのではなかろうか。
すなわち、通常の法律であれば「提案」(議案の発議)は衆議院で議員20人以上、参議院では議員10人以上の賛成者がいれば足り、両院の多数の賛成で「可決」される。ところが、憲法改正の場合には「提案」(憲法改正原案の発議)だけでも衆議院で議員100人以上、参議院で議員50人以上の賛成が必要であり、「可決」のためには、さらに両議院議員の各3分の2以上もの賛成が必要である。
こうした慎重な手続きを経て、憲法改正原案は国会で「承認」され、しかる後に憲法改正案が国民に「提案」され、国民投票にかけられることになる。これを見ただけでも、国会による「発議」が単なる「提案」でないことは明らかであろう。
★国民が政府を縛るための憲法と政府が国民を縛るための法律は異なるんだから、単なる立法手続きと憲法改正手続きが違うのは当たり前じゃん。今さら何言ってんの?
現行憲法は代表民主制を採用しており、国会は主権者国民を代表する「国権の最高機関」である。憲法改正案は、その国会において両議院議員の3分の2以上という多数の賛成を得た上で、国民投票にかけられるわけだから、この「発議」の重みはもっと重視されなければなるまい。しかし最低投票率論者は、なぜかこの点に触れようとしない。
★単なる立法機関が、法律と異なる憲法をいじくる権限を持たないことは自明なのに、改憲論者はなぜかこの点に触れようとしない。
★国会議員は、あくまで立法を行う代表として選出されたに過ぎないわけで、国民が委託しているのは立法権限のみで主権全体ではない。
★ちなみに、立法機関である国会でさえ、法律案を議決するには、「総議員の3分の1以上の出席がなければ、(中略)議決することが出来ない」(憲法第56条)のに、改憲案の賛否を問う国民投票で、最低投票率を定めないというのは異常。
逆に、国会で3分の2以上の多数が賛成しても、例えば国民投票の投票率が4割の場合、有権者のわずか2割以上が反対しただけで憲法改正は否決されてしまうわけだから、理屈からいえば、むしろこの方が問題であろう。
★憲法改正の権限を持つのは、主権者たる国民のみであって、国会ではない。国会での賛成は、あくまで「発議」の賛成であって、改正案に対する賛成ではない(立法時の「衆議院で議員20人以上、参議院では議員10人以上の賛成者」と同じ)。国会には、改憲案の賛否を国民に代わって代行する権限はない。当然のこと。
それに、公職選挙法は最低投票率を採用していないし、諸外国でも、イタリア、オーストラリア、スイス、スペイン、フランスなどの大多数の国は、最低投票率の規定など置いていない。したがって、わが国でもこのような制度の採用は疑問である。
★上でも述べたが、立法案の議決に際しては、最低投票率にあたる国会議員の出席率が憲法第56条に定められている。なぜこれを無視するのだろうか?
■憲法と正面から向き合う
国民投票法が成立すれば、憲法改正問題は新たな局面へと移行する。3年間の凍結期間はあるものの、それを過ぎればいつ国会によって憲法改正案が「発議」され、国民投票に付せられるか分からないからである。そうなれば、これまで「憲法など関係ない」と暢気(のんき)に構えてきた国民も、いやおうなく憲法に直面させられる。国会による憲法改正の発議に対して、それを「承認」するかどうか、正面から向き合わなければならないわけである。
★最低投票率がなければ、正面から向き合わないまま改憲されてしまうわけだが・・・。
戦後60年、憲法改正モラトリアムの時代はこうして終わりを告げ、国民一人一人が主権者としての自覚と責任を問われることになる。21世紀の日本をいかに構想し、わが国の将来をどのようにしていくのか、すべての国民が今こそ真剣に考えなければならない。そうすると、投票率も自然と高まる。
★「投票率も自然と高まる」本当にそう考えているなら、最低投票率はあっても構わないはずでは?何が不満?
安倍総理は、憲法改正問題を次の参議院選挙の争点にしようとしているが、それは当然であろう。選出される参議院議員の任期は6年あり、その間に憲法改正の「発議」がなされるであろうことは、まず間違いないからである。そうなれば彼らは憲法改正案を審議し、発議に直接かかわるわけだから、憲法改正を託すにふさわしい人物を国会に送り込む必要がある。その意味でも、今度の参議院選挙は、かつてない重要な選挙になるのではなかろうか。(ももち あきら)
★「憲法改正を託すにふさわしい人物を国会に送り込む」だからさ、託すのは「発議」だけで、「憲法改正を託す」わけじゃないよ。なんで、産経の関係者は、こうすり替えばかりするかな。手癖の悪い。
(2007/05/08 05:34)
産経症の症状・権力者の思想信条の自由をことさらに守ろうとする。
ま、権力者にだって個人としては思想信条の自由はあるわけだが、肩書きをつけた段階で公人の性質を持つのは当然。
大体、内閣総理大臣がカルト信者だと公言しても、問題ないと思っている人はいないだろう?いるとすれば、それは同じカルトの信者くらい。
すると、産経はカルト信者かな?
って今さら愚問だな。
2007/5/9産経
【産経抄】
神棚に供えられる榊(さかき)の深緑は、太古の昔から自然と共生してきたこの国の原風景を思い起こさせる。安倍晋三首相が靖国神社に奉納した鉢植えの榊は5万円したそうだが、私費での奉納でさえ「憲法が定めた政教分離に違反する」と騒ぐ人たちがいる。
★これ見よがしに「内閣総理大臣」とか書いてなければいいんだけどね。
★大体、本当に純粋な信仰心から奉納したんなら、無記名で構わないはずだけど・・・。名前を出すこと自体、動機が不純だよな。
★ところで自然と共生とか言っているけど、中世日本で宗教施設を建設するため大量の木材を切り出して山林の環境を破壊したことは無視ですか?→日本人と木のつき合い方
★というより、都合の悪い事実は知らないし、知ろうとしないんだろうね。
★日本の自然が豊かなのは、日本人の生活文化による、というより、温帯湿潤な気候帯であるという地理的要因による、と考えた方が適切だと思う。
▼こういう人たちこそ連合国軍総司令部(GHQ)が押しつけた現憲法を一字一句たりとも修正させず、守り抜くことで平和を維持できると信じる「憲法教」の信者ではあるまいか。罪汚れなき榊こそいい迷惑なのだが、いま市場に流通している榊の大半は、憲法教信者のみなさんが大好きな中国産だという。
★憲法を守るべき政府が勝手に解釈改憲して構わないと考えるほど、産経には遵法精神が欠けていることはよくわかった。戦後教育の弊害を自ら体現しているつもりだろうか?
▼福岡市内で生花店を営む日野亮一さん(33)はあるとき、東京の花屋をみてまわって驚いた。店先に置かれていた榊のほとんどが中国産の「ヒサカキ」と呼ばれる榊の代用品だったのだ。
▼純国産榊の流通が激減したのはなぜか。地方の過疎化と山林の荒廃で榊の生育地が少なくなったのもさることながら、大量輸入で値段も安い中国産にコスト面で太刀打ちできないのが最大の理由だ。
▼「日本の神様には日本の榊をお供えしたい」と思い立った日野さんは、「日本榊本舗」の屋号で昨年からインターネットによる純国産榊の通販を始めた。反響は大きく、顧客の多くは東京など首都圏在住者だというが、「この仕事をやっている方は80歳代がほとんどなんです」と後継者難を危惧(きぐ)する。
★なにこれ?産経抄っていつから商業広告になったの?
▼大枚を払って榊を奉納した首相のことだから、超高齢化が進む山村の危機をどうやって食い止めるか真剣に対策を講じてくれることを期待したい。靖国の社に中国産の榊が奉納されるようになっては、英霊たちも浮かばれまい。もちろん、供物の奉納だけでなく、ご本人の参拝も忘れずに願いたい。
★首相に宗教活動をするよう圧力をかけるのってどうよ?
★「英霊たちも浮かばれまい」もう何と言うかさ、産経は死者をだしに使いすぎだよ。死人に口なし、と思っているんだろうけど、こんな奴らに「英霊」だとか「参拝」だとか「奉納」だとか語って欲しくないよな。
(2007/05/09 05:21)
慰安婦は贅沢に暮らしていた?
以前のエントリ に、こんなコメントをもらいました。
■同じリポートの中に下記の記述があるそうですが?
彼女らはビルマの他の所と比べて高級地近くに住んでいた。
この事は彼らのビルマ2年目では特にそうである。
彼らは贅沢に暮らした、それは彼女らの食事や物質は大量には配給されず、
彼女らが望む品物を買えるだけの十分なお金を持っていたからである。
彼女らは服、靴、タバコ、そして化粧品を買え、
実家から慰問袋を受け取った多くの軍人から、多くのプレゼントを貰っていた。
ビルマに留まっている間は将兵と共に、スポーツイベントに参加したり、
ピクニックに出席したり、娯楽、社交ディナー等で彼女ら自身楽しんだ。
彼女らは蓄音機も持ち、町の中では買い物に行くことも許された。
みょみょ 2007-05-09 13:54:19
ま、これを読んでも、慰安婦は高収入とも高給とも書いてないので、別に矛盾するとも思えませんが、念のため検証してみましょう。
では、対応する部分を原文で見てみましょうか。(原文 )
"They lived in near-luxury in Burma in comparison to other places."
なので、「高級地近く」ではなく、「他の場所に比べ、ビルマでやや贅沢に暮らしていた。」ですね。
軍慰安所は後方施設なので、前線や僻地に比べて、物資を集中しやすい場所なのは当然でしょう。まして、ほとんどの物資を軍が流通を管理していたでしょうから、軍が駐留していない地域に比べ慰安所のある街の物資が豊かであったのも不思議ではありません。そういう意味(in comparison to other places.)では、たしかにやや贅沢(near-luxury)と言えるでしょう。
それに慰安婦一人一人が内地での陸軍大将より高給取りであったなら、このようなささやかな表現にはならないでしょう。少なくとももっとストレートに「They lived in luxury in Burma.」と書いたはずです(もっと強調してもいいくらいです)。でなければ、日本の陸軍大将は、「他の場所に比べ、ビルマでやや贅沢」以下の生活だったことになります。
"This was especially true of their second year in Burma."
この報告書にある慰安婦がビルマに来たのは1942年8月です。2年目と言えば1943年を指します。エントリにもありますが、軍票のインフレが悪化するのは1943年後半からです。ビルマの防衛体制に日本軍が不安を感じ始めるのも1943年後半からです。
この一文は、1943年以外(特に1943年後半以降)、「やや贅沢(near-luxury)」ですらなかった可能性を示唆しています。一貫して「やや贅沢(near-luxury)」だったのなら、この一文は不要ですから。
"They lived well because their food and material was not heavily rationed and they had plenty of money with which to purchase desired articles."
慰安婦の食糧・物資はほとんど配給制限されず、欲しいものを買うのに十分な金があったので、暮らしぶりは良かった。とあります(rationは「割り当てを制限する」と言う意味があるので、「大量には配給されず」は誤訳だと思いますよ。前後の文脈から考えても不自然でしょ)。これは前文からの続きなので1943年のことだとわかります。ビルマ方面の情勢が安定していた1943年の時点で配給制限されてたり軍票がインフレを起こしていたら異常ですから、これも不思議ではありませんね。ついでに、「plenty of」は「多くの」とも「十分な」とも訳せますので、有り余るほど金を得ていたわけではありません、一般人が普通に購入できる範囲と同レベル(何でも全て買えるわけではないが、全く買えないわけでもない)と考えるべきでしょう(だからnear-luxuryであってluxuryではない)。
"They were able to buy cloth, shoes, cigarettes, and cosmetics to supplement the many gifts given to them by soldiers who had received "comfort bags" from home."
具体的に購入できた物ですね。服、靴、タバコ、化粧品。購入の他に兵士から多くの贈り物もあった、と。兵士は内地からの「慰問袋」で贈り物用の物品を得ていました。くどいようですが、1943年のことです。日本軍の補給線がつぶされ始めてからは流通に著しい支障をきたしたでしょうから。
"While in Burma they amused themselves by participating in sports events with both officers and men, and attended picnics, entertainments, and social dinners."
これは、「While in Burma」とあるので、1943年に限定されませんが、収入云々に言及してない箇所なので関係ありません。むしろ1943年の状況を示している前文までとの区別のために、「While in Burma」と記載したように読めます。
「they amused themselves」から慰安婦自身楽しんだ、とありますが、これは誰に尋問したかによって解釈が分かれるところでしょう(尋問出来た相手は、20人の朝鮮人慰安婦の他に2人の日本人楼主がいます)。つまり、日本軍将兵の慰安としてスポーツイベントやピクニック、娯楽、夕食会にも、参加させられた、という解釈も成り立ちます。
例えば、鉾田市議の視察旅行でのセクハラが問題になったことがありますが、加害者側の主張では、セクハラ被害者も楽しんだことになってます。なので、皆仲良く楽しんだ、と即断するのは危険だと思います。
さらに、こういった夕食会などへの参加は、慰安婦自ら楽しんだのだから業務とみなされず無給だったとも考えられるわけです。もしこの尋問に答えたのが楼主なら「慰安婦自ら楽しんだ」と証言するためのインセンティブが十分にあります(給料出してないので)。
"They had a phonograph and in the towns they were allowed to go shopping."
「a phonograph」なので、各人1個ではなく、慰安所全体で1個の蓄音機があったと言うことでしょう。これも上記の夕食会などに用いる蓄音機を楼主は金を出さず、慰安婦達に金を出させて買った、とも考えられます。その場合、楼主が尋問で「慰安婦達が金を出し合った自分達の物として買った」と答えれば、「They had a phonograph」という表現になるのは不思議ではありません。もし、慰安婦の一人が自らの希望と費用で蓄音機を買ったのなら、「They had a phonograph」と言う表現は不自然です。
「町の中では買い物に行くことも許された。」はその通りでしょう。あくまで「in the towns」であって、自由に別の街に行くことは許されてなかった、ということです。
要するに、慰安所のあったミッチナは補給上の要衝でもあり、少なくとも1943年まで他の場所に比べて比較的物資は豊かであったと。また1943年時点(特に前半)ではインフレもそれほど激しくなく、慰安婦は給料で物を買うことが出来たし、兵士から贈り物ももらえた、と。
慰安婦は、売春だけでなく、夕食会などの接待にも参加させられた、と。
街の中での買い物は許されていた、と。
こんな感じですね。
特に不思議なことはありませんね。
私がエントリで言及しているのは、1943年末以降のことですし、それでも内地換算で約40円の月収と推定しています。
内地換算40円もあれば、市場に物資が流通さえしていれば、物資の無い他の地域に比べてやや贅沢な暮らしはできたでしょう。
特に矛盾が生じるとも思いません。
問題の箇所。
PAY AND LIVING CONDITIONS;
The "house master" received fifty to sixty per cent of the girls' gross earnings depending on how much of a debt each girl had incurred when she signed her contract. This meant that in an average month a girl would gross about fifteen hundred yen. She turned over seven hundred and fifty to the "master". Many "masters" made life very difficult for the girls by charging them high prices for food and other articles.
ここで記されている内容の時期は明記されてませんが、おそらく捕虜となる直前、つまり1944年7月のことでしょう(尋問するなら最も直近の状況についてするでしょうから)。
これが1944年のことと考えると、インフレと戦況の悪化によって物価が高騰し、「Many "masters" made life very difficult for the girls by charging them high prices for food and other articles.」(多くの楼主が、慰安婦に高額で食糧などを売りつけたため、慰安婦の生活は非常に困難になった)という部分の説明がつきます。
同じ報告書中に、矛盾する記載があるように一見見えますが、対象の時期が違うに過ぎません。
また、慰安婦の暮らしは、よかった時期でも、”他の地域に比べれば”、”やや贅沢”だった程度と述べているだけです。
冒頭のコメントで指摘された報告書の部分が、「従軍慰安婦問題・慰安婦高額報酬説のトリック 」に記載した内容と矛盾するわけではありません。
要は、報告書とかは、ただその文面だけを読むのではなく、当時の状況など(この場合ならビルマの戦況や物価指数など)も把握した方がいい、ということですかね。自戒をこめて。
都市伝説・慰安婦高額報酬説(追記)
前回、1944年のビルマでの従軍慰安婦の報酬を米軍の捕虜尋問記録から確認し検証してみた。
ネット上では、慰安婦が高額の報酬を得ていた、との主張が数多くあり、(ほとんどはろくにソースも示していないものの)おそらく多くはこの「米軍の捕虜尋問記録」を元にしている、と思われる。
前エントリでは、慰安所への支払形態、1944年時点のビルマの物価、内地物価との実勢比較を行った。
その結果、慰安婦が得ていた月収750円は南方で発行された軍票であり、内地円との実質的な相場(公式には固定相場)は1944年初頭の時点で20対1であるとわかった。すなわち、実質的な慰安婦の報酬は月収38円程度であり、高額とはとても言えない。
今回は、「米軍の捕虜尋問記録」の他に、慰安婦高額報酬説を裏付ける史料があるかどうかを検証してみた。
見つけたのは2点。
・1992年に「戦時郵便貯金の払い戻し請求訴訟」(下関裁判)を起こした元従軍慰安婦の文玉珠氏の件。
1943年6月から1945年9月まで12 回の貯金の記録があり、残高は26,145 円であった。この他5000円を実家に送金している。
このことから、文玉珠氏が1943年6月から1945年9月までに得た報酬は、少なくとも約31000円であったと言える。
原簿画像がenjoy Korea(http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=74747&st=title&sw=%E6%96%87%E7%8E%89%E7%8F%A0
)にあります。加算しても、12回26,145円になりませんが、利息分の取扱いなどの違いでしょうか。
いずれにせよ、1945年9月末時点で26000~27000円程度の貯金が残っているようです。
原簿の履歴を見ると、結構興味深い事がわかります。
(利息を除いた履歴)
S18.3.6 500円
S18.7.10 700円
S18.8.15 550円
S18.9.18 900円
S18.10.2 780円
S18.11.6 820円
S19.2.12 6円
S19.2.16 950円
S19.3.30 85円
S19.5.18 100円
S19.6.21 800円
S20.4.4 5560円
S20.4.26 5000円
S20.5.23 10000円
S20.9.29 300円
もう少しわかりやすく四半期ごとに集計します。
~1943年3月 500円
1943年 4月~ 6月 0円
1943年 7月~ 9月 2150円
1943年10月~12月 1600円
1944年 1月~ 3月 1041円
1944年 4月~ 6月 900円
1944年 7月~ 9月 0円
1944年10月~12月 0円
1945年 1月~ 3月 0円
1945年 4月~ 6月 20560円
1945年 7月~ 9月 300円
さらに、半年ごとに集計すると。
~1943年3月 500円
1943年 4月~ 9月 2150円
1943年10月~44年 3月 2641円
1944年 4月~ 9月 900円
1944年10月~45年 3月 0円
1945年 4月~ 9月 20860円
ここまでしなくてもわかると思いますが、終戦時残高2万6千円のうち、2万円以上が1945年4月から6月の3ヶ月間の貯金です。要するに、時期によって異常に偏っています。貯金のない1944年7月から1945年9月までの14ヶ月間で稼いだと仮定しても、月平均1400円を超えます(5000円を送った時期が不明ですが)。これに対して、1943年4月から1944年9月までの18ヶ月間の貯金は6千円弱で、月平均300円程度です。
このことから、1944年後半に大きく状況が変化したことが想像できます。
文玉珠氏は主としてビルマにいました(終戦時はタイ)が、ビルマの日本軍は1944年前半にインパール作戦を行い、7月に敗退しています。インパール作戦以降、ビルマの日本軍の防衛体制は崩壊し、1945年1月にはアキャブ陥落、1945年3月ビルマ国軍が日本軍を攻撃、1945年4月ラングーン陥落、を経て終戦を迎えます。
貯金が滞った時期は、まさにビルマの日本軍が崩壊しつつある時期にあたります。文玉珠氏は、タイに後退し貯金が出来るようになるまで自分で軍票を持っていたのでしょう。
また、この混乱期において慰安所規定はあまり守られていなかったとも予測できます。なぜなら「兵 1円50銭、下士官 3円、将校 5円」で月1400円を稼ぐことは物理的に不可能(下士官で月400人以上、楼主の取り分を考慮すればこの倍の800人になる。1日に30人で、1人30分として1ヶ月30日15時間労働)だからです。
また、1944年末の時点でのビルマの物価指数は10000であって(1941年12月を100とする)、インフレ軍票があふれかえっていました。連合軍の攻勢にさらされた状況下で、通常の料金設定が実行されたとは考えにくく、おそらくこの時期に2万円を稼いだのでしょう。
では、内地換算でどのくらいだったのか見てみよう。物価指数は月11~14%の指数モデルで考える。
1941年12月( 0ヶ月): 100
1942年 6月( 6ヶ月): 187~ 219
1942年12月(12ヶ月): 350~ 482
1943年 4月(16ヶ月): 531~ 814
1943年10月(22ヶ月): 993~ 1786
1944年 4月(28ヶ月): 1858~ 3920
1944年10月(34ヶ月): 3475~ 8605
1945年 4月(40ヶ月): 6500~18888
これを文玉珠氏の貯金額にあてはめてみる。
1943年 4月~ 9月 2150円(内地換算:264~405円)
1943年10月~44年 3月 2641円(内地換算:148~266円)
1944年 4月~ 9月 900円(内地換算: 23~ 48円)
1944年10月~45年 3月 0円(内地換算: 0~ 0円)
1945年 4月~ 9月 20860円(内地換算:110~321円)
1944年後半を除けば、内地換算額は、ほぼ200円程度(半年あたり)で一定か、むしろ減少傾向にあると言えます。
月あたりにすれば、30円程度であり、高額報酬と言うには程遠いですね。
ちなみに濫発した軍票などの戦後処理は、一応行っており、閉鎖機関令(http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22CO074.html )の別表などを見ると、占領地と内地の通貨価値格差がある程度推測できます(日本政府の補償に関わるので厳しくつけているとは想像できるのだが)。ただし、南発券はこれに含まれていません。国会議事録でちらほら見かけるのだが、どうも今に至るも補償されていないように思います(私が知らないだけかもしれませんが)。
・慰安婦募集のチラシの件
(http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=74747&st=title&sw=%E6%96%87%E7%8E%89%E7%8F%A0
)
(1)
「軍」慰安婦急募
行先 ○○部隊慰安所
募集資格 年齢18歳以上30歳以内****
募集期日 10月27日**11月8日**
出発日 11月10日頃
契約員待遇 本人面談*****決定*
募集人員 数十名
希望者 左記*********
京城******町195
朝鮮旅館内
光*2645
(許氏)
・写真の説明に1944年10月27日~とある(ハングル)。
(2)
慰安婦至急大募集
年齢 17歳以上23歳迄
勤先 後方○○部隊慰安部
月収 300円以上(前借3000円迄可)
午前8時より午後10時迄本人面談
京城*******20
今井紹介所
・写真の説明で1944年7月26日~とある(ハングル)
*は判読できなかった部分。
朝鮮は、他の日本軍占領地に比べれば、比較的物価が安定していました(それでも1941年12月を100として1944年には150ほどになってますが)。
月収300円は、朝鮮の物価基準では相当高額です。ただし、勤務地も朝鮮でない場合、関係のない話です。前借金は朝鮮で払われますが、月収は勤務地で払われます。
では、1944年7月ごろの占領地域の物価指数を見てみましょう。
「日本軍政下のアジア」p179「日本金融史資料昭和編」第30巻より孫引き
1941年12月を100として、グラフより目視で概算した値。括弧内は、300円の内地換算額。
・マラヤ: 5000( 6円)
・上海、フィリピン:4000( 7.5円)
・ビルマ: 3000( 10円)
・スマトラ: 1000( 30円)
・北京: 500( 60円)
・ジャワ、ボルネオ: 300(100円)
・新京、京城、台北: 150(200円)
この慰安婦がどこで働いたかによるでしょうが、必ずしも高額だったとは言えず、同様に薄給だったとも言えません。募集地域がどこであったかが鍵ですが、これはちょっと難しそうです。
(2007/5/9追記)
慰安婦募集のチラシにある月収300円ですが、これは手取りか売上かがよくわかりません。1937年の資料にある慰安婦の契約書には、「賞与金:揚高の1割とする(但し半額を貯金すること)」(従軍慰安婦関連資料修正1,p50)などとあるので、同様の契約であり、月収が揚高を指すとすれば、実質手取りは30円になります。
無論、チラシを好意的に解釈すれば手取り300円ですが、この手の広告を好意的に解釈するのが危険なのは今も昔も同じでしょう(ネトウヨの主張では、女衒が酷い行いをした、はずなので、この広告内容が誠実であると解釈するのは自己矛盾だと思うんですがね・・・)。
※内地換算:東京の物価指数も1944年あたりから上昇し終戦時には200程度になっているが他の地域に比べて遥かに変動が少ないので、1941年12月の物価をもって内地換算として計算している。
(体裁を修正2007/5/9)
城尾容疑者を在日朝鮮人と決め付けるネトウヨたち
伊藤・長崎市長を暗殺した城尾容疑者についてネット上では、白正哲という在日朝鮮人と決め付けているウヨサイトがあります。ただし公式発表などはないようで、真偽は定かではないです。
この件に関して、論点は2つ。
1.「城尾容疑者=白正哲」説はホントなの?
2.「城尾容疑者=白正哲」説がホントだとして、それがどうかしたの?
言うまでもないですが、重要なのは、法に則って容疑事実・背後関係の捜査を行い、裁判所で適正に有罪無罪を判定し、有罪の場合、適切な量刑を科すこと、です。憲法で保障される基本的人権も刑法も、容疑者の国籍によって適用のされ方が異なるということは現時点での日本では公式にはありえないはずです。
なので、事件を追求すると言う意味において、「城尾容疑者=白正哲」説自体には何の意味もありません。
ま、そういうと「在日朝鮮人であれば、北朝鮮と通じている可能性がある」などと主張する人も居そうですが、これは反論になりません。なぜなら、北朝鮮と通じているかどうかも、国籍によって判断できるものではありませんから。
「在日朝鮮人は、1人の例外もなく北朝鮮と通じている」かつ「日本人は、1人の例外もなく北朝鮮と通じていない」という現実的にありえない条件を満たしていない限り、国籍が北朝鮮と通じているかどうかを判断する理由にはなりません。
なので、実際は「1」が事実かどうかは、本来どうでもいい話で、言えるのは「城尾容疑者=白正哲」説を"ことさら"に主張する人は人種差別主義者である可能性が高い、ということに過ぎません。
事件に対して義憤を感じる人なら、その犯人の人種がどうかなんて関係ないはずですから。
もちろん、「城尾容疑者=白正哲」説を"ことさら"に否定する人も同様ですが。
こう言ってしまうと、私が
「城尾容疑者=白正哲」説を肯定する人
「城尾容疑者=白正哲」説を否定する人
は同レベルと言っているように読めるでしょうから、「1」について補足します。("ことさらに"を意図的に外してます)
要は、”検証の仕方の誠実さ”が問題なわけで。
1.「城尾容疑者=白正哲」説はホントなの?
「城尾容疑者=白正哲」説を唱える急先鋒は「博士の独り言」 で、典型的なウヨサイトですね。なんか、いろいろあったみたいですが、よく知らないのでそれには触れません。
これに対して、「城尾容疑者=白正哲」説に疑問を呈するのが「解決不能」 です。
・「博士の独り言」 の主張
朝鮮人「日米同時銃撃事件」一考 2007/04/18 16:38
「 伊藤一長・長崎市長が17日夕刻に銃撃を受け、18日未明に亡くなった事件で、報じられた犯人の指定暴力団山口組系水心会会長代行、城尾哲弥容疑者(59)の本名は「白正哲」であることが判明。読者より情報をいただき、通信社筋に確認したところ、確認が得られたので小稿に報告する。」
同コメント欄への「博士の独り言」本人のコメント
「当該情報は取材者レベルによるものですが、あくまでも情報開示の責任は通信社ではなく(故に、通信社名はここに記さず)、筆者に置いての情報として上記に開示しました。」
「「白正哲」容疑者は、メディアの中では知る人ぞ知る名前である。小ブログが言及する以前から、同容疑者を「白正哲」と本名で表示する地元のテレビ報道があった。」
・「解決不能」の主張
2007-04-19 城尾哲彌の本名は白正哲なのか、長崎県警に電凸してみたよ
長崎県警の他、追記で、読売新聞、朝日新聞、長崎新聞へも電話での確認を行っている様子。
全て、「城尾容疑者=白正哲」説を認めず、電話に出た担当者の知る限りにおいて否定されたとのこと。
唯一、朝日新聞のみ
「ただ帰化されてる方だとしたら本名が変わってしまって今の名前しか発表されませんので、昔の名前は出されませんね。もしかしたら本当にそういう名前だったのかもしれませんが、ちょっと我々では分かりませんね。」
と留保、というか補足のレベル。
2007-04-21 城尾哲彌の本名は白正哲なのか、山口組に電凸してみたよ
山口組、松尾千秋法律事務所(知ってると思うが、城尾容疑者の弁護士)、毎日新聞へ電話。
回答を得られたのは毎日新聞のみで、毎日新聞担当者も「城尾容疑者=白正哲」説を否定。
単純化すると、こうなる。
・「博士の独り言」:「城尾容疑者=白正哲」説を肯定する人
・「解決不能」:「城尾容疑者=白正哲」説を否定する人
問題は検証の仕方。
・「博士の独り言」のソース:「読者」「通信社筋」「取材者レベル」「地元のテレビ報道」
・「解決不能」のソース:「長崎県警」「読売新聞」「朝日新聞」「長崎新聞」「毎日新聞」
一見してわかるだろうが、「解決不能」のソースが具体的であるのに対し、「博士の独り言」のソースは抽象的である。
安全のために情報源を秘匿すると言う配慮もありうるが、「地元のテレビ報道」についてはそれも考えられない(放送局・放送日・番組名に言及したところで誰にも迷惑はかからないだろう)。
つまり、「博士の独り言」のソースは、あまりに抽象的で、本人以外の誰も確認のとりようがなく、読者に与えられた選択肢は「博士の独り言」の言を信じるか否か、しかない。
他方、「解決不能」のソースは具体的であり、「長崎県警」などが揃って電話取材に対し隠匿していない限り、本人以外の第3者が改めて同ソースに確認をとることが可能である。これは「解決不能」の言を信じていない読者にも可能である。この場合、読者の選択肢は、「解決不能」の言を信じるか否か、の他に「解決不能」のソースに確認するか否か、が存在する。
実際、「博士の独り言」のコメント欄にコメントしているうちの「城尾容疑者=白正哲」説を肯定する人、は、まさに「博士の独り言」の信者しかいないように見えます。選択肢は「博士の独り言」の言を信じるか否か、しかないのだから当然と言えますが。
で、まとめると、
「情報源の追跡可能性」という意味において、「解決不能」は「博士の独り言」に遥かに優っている、
と言える、と。
私自身の見解は、「城尾容疑者=白正哲」説の真偽はわからない、が、警察やメディアが電話取材に対し意図的に隠蔽することが当然でない限り、「解決不能」の取材結果の方が信用できると考えます。
2.「城尾容疑者=白正哲」説がホントだとして、それがどうかしたの?
銃撃犯よ、甘ったれるな! 2007/04/19 10:20
「正規の国民(納税者)では無い者の凶行!
城尾哲弥こと白正哲容疑者は、市が同容疑者の要求に対応しなかった、とする被害妄想で伊藤市長を銃撃。死に至らしめた。
山口組系水心会といえば、在日が多い山口組系暴力団の中でもとりわけ在日の巣窟ではないか。脱税を生業(なりわい)とする暴力団の中にあって、さらに「納税」とは縁が遠い存在だ。
まして、国籍も無く、日本国民でも無い者が、長崎市に何の要求があるというのだ。要求を聞かなければ、殺害するというのか。人間以下の論理である。
この実態を放置すれば、同様の凶行は各地で続発する可能性がある。日本社会は、はっきりと戦後の「けじめ」をつける時にある。」
こういう意見が一番問題。(納税者云々とか突っ込みどころ満載だが、きりがないので省略)
「同様の凶行は各地で続発する可能性がある」とは、在日朝鮮人=犯罪者予備軍とみなさなければ出来ない発言である。
明らかな差別発言であって、こんなものを言論の自由の範疇に入れて放置しているのであれば、日本全体の人権意識が問われることになるだろう。
個人が罰せられるのは当の個人が犯した罪によるべきであり、決して人種・民族など個人が生まれながらにして持っている属性によるべきではない。
こんなことは、民主主義国家に生きる人間として当然知っておくべきことなのになぁ。
これを許したらどうなるか、ヒトラーやユーゴ、らい予防法、などいくらでも前例はあるのに、これまで一体何を学んできたんだろうね。
・・・私自身は冗談が好きなので、こういう当たり前すぎる正論を真面目に言うのは結構恥ずかしい。でもね、どう見ても「ネタ」や「ボケ」じゃなく素で言ってるように見えるのが多いので、やむなく真面目に言っておくことにした。やれやれ。
(文章の体裁のみ修正、2007/5/9)
産経症・血盟団事件再び?
ま、血盟団事件については、各自調べてください(不親切。いや、でも有名なのでネットですぐ検索できますんで)。
「▼今のところ事件に政治、思想的背景はなく、厳密な意味ではテロとはいえない。一部のメディアはことさら、反核や平和といった言葉とからめて論じたがるが、かえって事件の本質から目をそらすことになる。」(産経抄2007/4/20)
いやー、別に何の根拠もないんですが、産経にそう言われると逆に疑わしくなるので・・・。
って、調べてみたら、城尾容疑者の30年来の知り合いとか言う松尾千秋弁護士はこんなこと書いてるし・・・。
「8・15に考える憲法」「9条改正で米依存脱却を」
「基本的には、日本の歴史、文化、伝統を踏まえた独自の憲法を日本国民の手で作るべき―というのが持論だが、当面の話として、少なくとも九条は改正すべき。」
「平和憲法というだれも反対できないごまかしの言葉によって、現実が無視されている。その最たる部分が九条の戦争放棄、戦力不保持だ。」
肩書きも「日本会議長崎副会長」だそうで。
調べて2秒で「反核や平和といった言葉と」からめたくなってしまった・・・。
ていうか、もろ怪しいじゃねーか!
他にも
http://www.sukuukai.jp/report/03092801.html
救う会全国協議会幹事会
会長 佐藤勝巳
常任副会長 西岡 力
副会長 島田洋一、黒坂 真
事務局長 平田隆太郎
事務局次長 福井義高
幹事
(中略)
長崎準・松尾 千秋
(後略)
とか
(http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007041800408
)では
「 弁護士は「個性が強く、主義主張を曲げない人」と同容疑者を評した上で、事件の背景について、「市職員に受け入れられず、トップの市長をという発想だったのでは」と語った。」
(http://www.janjan.jp/election/0704/0704183967/1.php
)では
「城尾容疑者の弁護を務めたことのある松尾千秋弁護士は、18日朝の「テレビ朝日・スーパーモーニング」で「市に不満は持っていることは聞いていたが、過去のことにこだわらないようにと諭していた。思想的な背景は全くないと思う」などと話した。 」
とか。
こんなこと言ってるけど、本当に思想的背景がないのかな?
・故伊藤一長市長の活動
2002年8月に臨界前核実験を行ったアメリカに対し抗議文を出してますね。
http://www.nucfreejapan.com/kaku_1_12.htm
経歴を見ると、必ずしも反戦・非核に積極的とは言えないです。
「長崎新聞 非核の時代へ =伊藤市政の軌跡=」
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2004/kikaku/kikaku5/01.html
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2004/kikaku/kikaku5/02.html
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2004/kikaku/kikaku5/03.html
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2004/kikaku/kikaku5/04.html
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2004/kikaku/kikaku5/05.html
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2004/kikaku/kikaku5/06.html
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2004/kikaku/kikaku5/07.html
まあ、1995年の市長選挙は自民党推薦だったようですから(今回どうだったかは知りません)、反戦に積極的なわけはないですね。なので産経も、こう書いてます。
「▼伊藤市長が核廃絶運動に熱心に取り組み、米国の核政策に批判的だったのは事実だ。昨年7月、北朝鮮が弾道ミサイルを発射したのを受けて、翌月の原爆忌で読み上げた平和宣言には、その脅威にも警告を発している。北朝鮮への言及がまったくない広島の平和宣言の“偏り”とは対照的だった。」
それでも、伊藤市長の非核の運動実績そのものは(不完全にしても)評価できると思います。
伊藤市長個人の思いというより、長崎市民自体が自民寄りの市長ですら動かしたといえるかも知れません。
評価すべきは、長崎市民の政治意識の高さなのかも知れません。
ともあれ、伊藤市長本人の思いはどうあれ、活動としては非核活動を行ってきたわけですね。
その一方で、松尾弁護士。
「私は自力の武装によって、米軍に日本からお引き取り願いたい―と考える。」(「9条改正で米依存脱却を」より)
さすがに核保有を明言はしてないけど、アメリカに依存しない自力武装って、ほぼ核保有を示唆してるでしょ。
実際、日本会議地方議員連盟のブログの2007/2/14の記事「6ヶ国合意のねらいは何か-軍事的な抑止力を持つことなくして拉致の進展は望めない」
には、
「核武装の前段階として、相手国を攻撃できる誘導ミサイルを早急に配備すべきであり、これならば、同盟国アメリカも賛同してくれるはずです。」とあります(他は周辺国が日本の核武装を阻止しようとしている、などとあって、日本がどうするべき、という言い回しは避けてますが、ここは筆が滑ったのかもしれません)。
言うまでもなく「核武装の前段階として~すべき」とあるので、日本会議の最終目標は、日本の核武装とわかります。
非核を訴える伊藤市長と核武装を主張する日本会議。自民つながりがあるとしても、公的には対立しているように見えますわな。
見方によっては、城尾容疑者は鉄砲玉だったのか、とも取れます。
ところで、個人的感覚にすぎませんが、松尾弁護士のテレビへの露出も不自然な気がします。
松尾弁護士が反憲法9条で、日本の核武装を主張する日本会議のメンバーであることは、知ってる人は知ってます(こんな簡単にわかるくらいだし)。
それを知ってる人から見れば、事実はどうあれ、次期長崎市長が取り組むべき非核運動に対する強力な圧力になるでしょう。城尾容疑者の個人的恨みで事件が片付けられれば、なおさらです(主観的には黒幕は逮捕されないことになりますから)。言うまでもなくメディアやネットの情報しかない状況なので、事実はどうかわかりません。本当に城尾容疑者の個人的恨みかもしれません。
ただし、
・松尾弁護士が反憲法9条で、日本の核武装を主張する日本会議のメンバーであること
・松尾弁護士の知り合いの城尾容疑者が伊藤市長暗殺を実行したこと
・伊藤市長が非核運動をしていたこと
これらはメディアやネットでも確認できる事実です。この事実をつなぐ裏があるかどうかはわかりません。
重要なのは、これらが全く関係ない独立の事象であったとしても、今後の非核運動に対する圧力になってしまう、という点です。
松尾弁護士のメディア露出の多さは、その圧力を高める効果をもつでしょう。
今後、日本が60年前と同じ馬鹿げた戦争をしてボロ負けすれば、真相が明らかになるかも知れませんね・・・。
【産経抄】
土佐高知を飛び出し、日本全国に足跡を残した幕末の志士、坂本竜馬は、日本初の「会社」を設立するなど長崎との縁も深い。大株主となった薩摩藩の船で意気揚々と長崎に乗り込んだ竜馬に、司馬遼太郎はこんなセリフを言わせている。「長崎は、わしの希望じゃ」。
▼竜馬ファンで、高校時代から市長を志していたという伊藤一長市長(61)射殺事件の輪郭が少しずつはっきりしてきた。暴力団幹部の城尾哲弥容疑者(59)は、車をめぐるトラブルで長崎市に金銭を要求し、それが拒絶されたことを恨んだのが動機のひとつのようだ。
▼平成8年、産廃処理場の建設をめぐって岐阜県御嵩町の町長が自宅で襲われ、13年には栃木県鹿沼市環境対策部の職員が拉致殺害される事件があった。行政機関に不当な利益を要求し、かなえられなければ暴力に訴える。「行政対象暴力」という名の膿(うみ)がたまりにたまり、長崎において最悪な形で噴き出した観がある。
▼今のところ事件に政治、思想的背景はなく、厳密な意味ではテロとはいえない。一部のメディアはことさら、反核や平和といった言葉とからめて論じたがるが、かえって事件の本質から目をそらすことになる。
▼伊藤市長が核廃絶運動に熱心に取り組み、米国の核政策に批判的だったのは事実だ。昨年7月、北朝鮮が弾道ミサイルを発射したのを受けて、翌月の原爆忌で読み上げた平和宣言には、その脅威にも警告を発している。北朝鮮への言及がまったくない広島の平和宣言の“偏り”とは対照的だった。
▼『竜馬がゆく』に描かれた竜馬は、破天荒にみえて、実は冷静に現実を見つめている。そのバランス感覚を受け継ぎ、政治家として活躍がますます期待できただけに、余計にくやしい。
(2007/04/20 05:00)