映画批評「無限の住人」 49点 | SayGo's 映画レビュー

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ダラダラとレビューします。

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「面白いとは言えないが、詰まらないとも言えない」



SMAP解散騒動の最中に公開された本作。

真意はさておき、飛び交った憶測によりイメージダウンを余儀なくされた

木村拓哉が主演となる本作は、

公開前から「駄作」と表され、公開後も「大ゴケ」というレッテルが張られた。

自分も木村拓哉に対するイメージと評判から観るのを先送りにしたわけだが、

実際作品を見て、以下にメディアに踊らされてしまったのかを痛感した。



100人斬りの異名を持つ万次は刺客に妹を殺され、

戦いの末、死に面するが、現れた謎の老婆により永遠の命を与えられるのだった。

50年後、万次に妹に似た少女 浅野凛が仇討ちの依頼にやって来たのだった ー



「無限の住人」





国内外で高い評価を受ける沙村広明の人気コミックを

鬼才 三池崇史監督、木村拓哉主演で実写映画化。



解散騒動による木村拓哉のイメージダウンによって

確かに「大コケ」したのかもしれないが、

作品を見て、公開前から広がっていたマスコミの「駄作」という評価には疑問を覚えた。

決して「面白い」作品ではないが、「つまらない」作品ではなかったからだ。



主人公 万次のアクションとその死に際が

純なる時代劇を彷彿とさせる「モノクロ」演出で語られるオープニングは

それこそフィルム映像には及ばないものの、非常にキャッチーなものだ。



そんな万次が謎の老婆から「永遠の命」を与えられると

「カラー」になるという色彩変化演出は、

オープニングの物語を本筋における「過去」にするだけでなく、

「時代に埋もれはずだった武士」が

映画における主人公、他とは異なる存在となる誕生する瞬間をも演出しており、

また、「時代劇」が「異色時代劇」と変わる変化点としても作用しているようだった。



そんなオープニングを過ぎると50年の月日が流れ、

親の仇を誓う少女 凛 とその依頼を受けた 万次 の戦いが幕を開ける。

剣術流派の統一のため、道場破りを繰り返す「逸刀流」剣士との

戦いを描いていく本作の物語は

非常に漫画的な「強さ」をデフォルメされたデザインをなされた敵が立て続けに登場し、

それを凛の代わりに殺していくという非常にシンプルな物語となっている。



やはりその中で見所となるのは「アクション」であるわけだが、

これが確かに作品のエンターテインメント性を高めている出来だった。



「主人公が不死身」となれば「勝って当たり前」となるゆえ、

本作のアクションには不満を持っていたわけだが、

早々に「不死身」という設定を揺るがす展開を作っていたため

アクションは決して「安心してみれるもの」でなかったのが良かった。



「不死身」という設定の曖昧すぎる部分こそ目立つものの、

「不死身」だからこそ演出されるグロテスクな描写や深傷の畳み掛けは

映像のインパクトに加え監督である三池崇史の良い部分の方が際立つ。



流行であるハイスピードカメラによる可変速度演出や

アニメカット演出(非常に細かいカット割り)ではなく

どちらかと言えば「時代劇」寄りなアクション演出は、

「どうなっているの?」という混乱を生まない利点に加え、

作品の持ち味であるグロテスクさや

万次の「その武器どこから出したの?」というファンタジーギミックの面白さを

雄弁にも語るため、作品にマッチした演出立ったと思う。



まるでテレビゲームのような、まるで四次元ポケットを持っているかのような

万次の「武器変え」はツッコメば切りはないが、

300人と対峙するクライマックスではその「武器変え」こそが

アクションのテイストをも次々に変えるため、

エンターテインメントとしては申し分ない。



また、個人的には「一本の刀ではそんなに切れないだろ!」

という無双シーンを見せてきた「あずみ」や「るろうに剣心」などの時代劇アクションへの

「ひとつのアンサー」を出してくれたという喜びを感じた。



とは言え、アクションに関しては残念な部分も多い。

「仇討ち」という本筋があるゆえ、

アクションシーンが羅列されても物語は成立しているわけだが、

あまりにも物語がないため、

個々の戦いへのロジックもその勝敗にカタルシスがなく、

単純に勝利したことへの爽快感が薄くなっているのが痛い。



それこそ本作の敵となる「逸刀流」の面子に

「るろうに剣心」の「十本刀」ように強い個性やキャラクター背景があればいいのだが、

「漫画」と「時代劇」の中間をいったような中途半端なデザインに加え

そのキャラクター性が非常に薄いため、

どうしても同じアクションの「繰り返し」にも思えてしまえ、

回を重ねるごとにアクションシーンにおけるテンションの最高点は下がっていった。



簡単に言えば、

クライマックスは「対300人」というスケールの面白さで

なんとか本作のアクションの平均点を保ったような印象だった。



そして、堂々たるアクション演出だからこそ露見したのが役者のアクション技量。

細かなカット割り、ハイスピードカメラ撮影などが流行する要因としては

「役者のアクション技量を底上げできる」からでもあると思うが、

それを最小限に留めている本作のアクションは役者の技量がものを言うわけだが...



木村拓哉以外「なんなの?」の一言だ。

「素晴らしい殺陣」とは言えないが、木村拓哉こそ力量はあるが、

他はとても映画の殺陣としてはあまりにも弱すぎる。

逸刀流の統主であり、ラスボスたる福士蒼汰演じる天津影久なんて

「子供が重い棒を振ってるだけ」にしか見えなかったw

「美形」「イケメン」であることは周知の事実だが、

最後の敵としてはあまりに力量不足なためまったく盛り上がらない。



それはもちろん「天津影久」というキャラクター性でもあるだろうが、

存在感の薄い演技もその要因だろう。

もう少し、天津影久に「敵としての美学」を持たせられる俳優にしてほしかった。



そして、やはり気になるのは「主演 木村拓也」だ。



本作でも木村拓也は木村拓也でしかないわけだが、

「もう見飽きたよ」と思いながらも、どこかで「格好いい」と思えてしまうのは

彼のスター性でしかない。



「誰を倒せばいい?」という問いに対する

凛の「私を殺そうとする人!」という答えに

「それでいいんだよ!」と笑みを浮かべる万次、もはや木村拓也!



このやり取りは、凛の万次に対する感情の変化を描き、

ある種、万次の凛に対する片想いが成就したロマンスでもあり、

お互いがお互いを「大切な人」として認識した素晴らしいシーンであり、

それだけでも申し分なく感動できなのだが、

そこでの木村拓也がやっぱ格好がいい!



なんなら、

「深手を負いながらも立ち続ける万次」に

「好感度が下がってもスターである木村拓也」が重なっても見える。



凛を背に戦い続ける万次の姿は

ファンに自分の堂々たる姿を見せつける木村拓也の雄叫びを見ているようで

「興行」としては「最悪」のタイミングだったかも知れないが、

「映画」としては付加要素をつける「最高」のタイミングだったのかもしれない。



まさに「俺はまだ死んでねぇ」というラストカットを見たら、

映画としては歯切れもよく、木村拓也としても強い意味のあるシーンだった。



ヒロインである杉咲花に関しては...ファンとしてはもっと考えてあげてほしかった。

原作を読んでいないからわからないが、

感情のすべてを言動にしてしまう本作の凛に杉咲花はもったいない。

個人的に「若手女優No.1の実力派」と思っている彼女には、

「叫び」散らす誰にでも出来る演技ではなく、

もっと内面的な葛藤や感情表現をさせる演技や台本を作ってほしかった。

見る者に感情を訴える彼女の「目力」とその「演技」も

ここまで連発されるとうるささを覚えてしまった。



「面白い!」とは言えないが、まったく「駄作」ではない!

「不死身」を活かす血みどろなアクションは確かなインパクトを残し、

良くも悪くもなにも考えず楽しめるエンターテインメント作だったと思う。

また、木村拓也という存在が様々な意味で本作の主人公である万次と重なる本作は、

映画としてだけでなく、スターである木村拓也の「雄叫び」にも思えた。

「主演 木村拓也」であることに意味があり、「今」しか描けなかった作品だったと思う。

結局のところ、木村拓也は「最高のスター」だった。



★★★