1990年9月30日、横浜アリーナのリングに立つアントニオ猪木。白いガウンの背には闘魂の文字。
「アントニオ猪木30周年メモリアル」が始まった。猪木と関係が深い10人のビッグネームが1人ずつ入場する。
まずは鉄人ルーテーズ。
新日本プロレスをカール・ゴッチと共に旗揚げ当初から支え、藤波から蝶野の世代までコーチしてくれた大恩人だ。
次に元AWA世界王者。金狼ニック・ボックウィンクル。
3人目はインドの猛虎タイガー・ジェット・シン。
数え切れないほど闘ってきた猪木の永遠のライバルだ。
頭にはターバン。布で包んでいるが持っているのは間違いなくサーベルだろう。
厳粛な儀式をぶち壊さないかと心配したが、猪木と握手を交わすと大歓声がわいた。
4人目は、猪木を8の字固めで苦しめたジョニー・パワーズ。
そして5人目は人間風車ビル・ロビンソン。ひときわ高い歓声と拍手が起こる。
猪木とプロレス史に残る名勝負を繰り広げたロビンソン。あのダブルアームスープレックスは忘れない。
6人目は柔道王ウィレム・ルスカ。猪木の異種格闘技戦の最初の相手だ。
7人目は、ヒロマツダ。猪木との決闘が思い起こされる。
8人目、名前を呼ばれた瞬間に大歓声が爆発したのが不沈艦スタン・ハンセン。
ハンセンが入場して来るとハンセンコールが起こった。テンガロンハットに白いシャツにジーパンがよく似合う・ザ・テキサン。
9人目は、人間山脈アンドレ・ザ・ジャイアント。
ものすごい大歓声。223センチの世界の大巨人。アンドレコールが起こる。
そして最後の10人目は、ジョニー・バレンタイン。
新日本プロレス旗揚げ当初、猪木との激闘でリングを盛り上げたバレンタインは、脚を怪我しているので松葉杖をつき、長州力と藤波辰爾に支えられながらゆっくり入場して来る。
今や藤波と長州は新日本プロレスのトップレスラーだ。この2人が付き添うところに、大功労者を重んじる猪木の心が見える。
リングに上がるのもやっとだ。リング上から猪木が手を差し伸べ、バレンタインがロープをくぐった。大拍手が鳴り響く。
代表してルー・テーズが挨拶し、記念品を猪木に渡した。
猪木がお礼の挨拶をする。
「この嵐の中にも関わらず、大勢のファンの方がつめかけてくれました。思い起こせば30年。私の人生の中にも、いくつかの嵐が通り過ぎて行きました」
「私によく投げかけられる質問の中に、プロレスとは何ですか? 私はまだその答えが見つかっておりません。でもプロレスを通じて、終生、大衆に尽くすこと」
「この30年間に、幾多の闘いをやってまいりました。その一つ一つの闘いが、私の言葉です。そして、その一つ一つの試合が、私の人生を教えてくれました」
「きょうここに、ルー・テーズさん以下、かつてライバルであった素晴らしい先輩たち。このリングに迎えまして、私は今このリングに立ち、ご挨拶をしながら感無量であります」
「リングと観客席を結び、そして、熱い興奮と感激と感動を共にできた皆さんと、その思いを、ひとときを過ごせた私は、本当に幸せ者だと思っています」
「私に課せられた使命というものは、ますます大きくなってきたように思います。これから、世界平和のため・・・・・・そして、私をきょうまで育ててくれたファンの皆さんに、心より感謝いたしまして、ご挨拶にかえさせていただきます。本当にありがとうございました!」
大歓声、大拍手、そして猪木コール。
アントニオ猪木が「プロレスとは何か?」という問いの答えがまだ見つかっていないと語った。
それほどプロレスは奥が深く、一生かかっても極めることはできないものかもしれない。
つまり、ネットで知ったかぶりに「プロレスとはこういうもの」と言っているのは、プロレスの一部分であって全部ではない、ということになる。
プロレスは格闘技。プロレスはビジネス。プロレスは真剣勝負。プロレスはショー。これら矛盾しているものが全部正しいのだから、こんなスポーツはほかにない。