こんにちは。仕事の前にパンのミミです。

残暑厳しい今日この頃。皆さんいかがお過ごしでしょうか?

私、パンのミミはちゃっかりと家の手伝いという名目で小金を稼いでいます。


僕のお金の使い道は多岐に渡ります。最近、両親が僕の占いに行ったそうです。

僕は自己投資型の人間だそうで、自己投資を繰り返し、人間を形成しているようです。

当たってるわ。って二人は感心していました。

僕は金銭感覚は正常だと思います。スーパーの卵の価格も、高騰するガソリンの価格にも敏感に反応します。お金は使うときに使う。ドンと使う。カッコつける時は、レジに真っ先に走る。みたいな感じです。


お金は使い方によって、「笑ったり泣いたり」するような気がするんです。感覚的な話で恐縮です。


最近、買い物に行きました。僕はこのショッピングが大好きでして、この日も多くのショップ開店時間11時から入店を繰り返し、終了した時には18時になってました。

休憩時間は昼食時の30分。その他、六時間半は歩きっぱなしの服を見まくりでして。呆れる位に多忙は一日でした。


僕はファッションに興味を持ち始めたのは小学生のときくらいでした。母親の影響でしょうか。僕は幼稚園のとき、皆がガンダムや怪獣もののすぐに脱げる靴を履いていたとき。僕はコンバースオールスターを履いていました。ムッチャチッチャイの。自分で紐も結べず。良さも分からず。皆が羨ましかった。怪獣が欲しくて。

今になって、僕はなんてオマセサンだったんだろうと思います。

僕の子供。覚悟しとけよ。凄いの履かせてやるからね。ロックなの。親馬鹿の自己満足。でもいつか、気付くんだよ。ロック魂。コンバースはラモンズに始まり、ニルバーナのカートコバーン。グランジからグラムロックまで。未だに不朽の名作なんだよね。

子供が泣くかもね。「父ちゃん、怪獣がほしい」って。

じゃあ、父ちゃんと一緒に履こうよ、コンバース。

文句ないでしょ。一緒なら。未来の嫁にも履かそう。コンバースオールスター。

ならもっと文句はない。近所で有名なオールスター一家になるね。楽しみだな。評判になるよ。

パンのミミ家 家訓。 「晴れの日は。家族みんなでコンバース。」


中学に入って気付いてしまったんです。僕。ファッションセンスがないって。気付いたとき愕然とした。絶望しました。それからだったかな。自分磨かないとって心底思った。

自分が服を着ているんではなく、服に着られてる感覚に陥ったんです。音楽、映画、ドラマにファッション雑誌。ホンとに勉強するつもりで熱中しました。むちゃくちゃ読んだ。ファッション雑誌。

それは今も変わらない。僕のスタイルです。今手元にある雑誌、「HUGE」「メンズノンノ」「メンズノンノ増刊号」「JORKER」「BRUTUS」。最近買ったものばかりです。でも三回は目を通しました。全部。


ファッションセンスは天性型か努力型だと思います。僕は完全な後者タイプ。ホンとに最初はミーハーに流行を勉強しました。パクリました。エッセンス。説明書を読んでるような感覚でした。

今の僕も、まだまだ甘ちゃんだと思います。


服装は自己表現の一つの方法。そして、最も多くの人と接する自己表現。ならばやっぱりこだわらないと。


ファッションは奥が深いよ。僕は今も猛勉強。


いつか自分の服ぐらい、自分で作れるようになりたいな。


そしたら僕の子供にも。小粋な服をプレゼント。

こんばんは。パンのミミです。今日は自分の時間がたくさんありますので、もう一つ書いちゃいましょう。

さて、今回は数日前、久々に乗った電車の中での出来事です。


就活以来、久々に乗った電車。僕は紀勢本線、和歌山駅~湯浅駅間をユラリユラリ、揺られておりました。

僕は移動の時間をあまり苦にならないたちでして。ほとんどは「ヘッドフォン+読み物」というスタイルで時間を過ごしています。今回も、電車前に買った1260円の本を片手に乗車しました。

読みます。読みます。ページを捲ります。僕の集中力はこのようなふとした時に発揮されるようです。

オモシロいなって必死に読んでいました。時には自然と頷いていたかもしれません。


その時です。僕の前に座っていた高校生のカップルが何やら話しているようです。

彼女:「ねえねえ、あの人何読んでるんやろ?」

彼氏:「サッカーの雑誌やないん。あっ、選手名鑑やな。」

彼女:「大人の人でも選手名鑑って読むん?」

彼氏:「読まんやろ。普通。この人はオタクかマニアでしょ。」 (二人は大爆笑。)


ちょっと待った。待ってくれ。今の僕は、CDプレイヤーが一周し、今は沈黙の世界に入っているんですよ。よく聞こえます。心にまで響いてきます。二人の見下したような視線と共に。

お尋ねしても宜しいでしょうか。お二人さん。この方程式の解き方を。

「選手名鑑 + 大人の男性 = 普通ではない × オタクorマニア」

今件は今後の社会の良きケーススタディーになるかもしれません。分析しましょう。


オタク: 俗に,特定の分野・物事を好み,関連品または関連情報の収集を積極的に行う人。

マニア: 特定の分野・物事を好み,関連品または関連情報の収集を積極的に行う人。

goo辞書にはこう記載されています。なるほど。検証してみましょう。

特定の分野・物事を好み?  A. はいはい。サッカー大好きですね。夢があるよ。サッカーには。

関連品または関連情報の収集を積極的に行う人? A.選手名鑑。これは必須ですよ。ヨーロッパリーグは選手の移籍が多いんだ。時代に乗らないとね。

結果発表。僕は辞書に記載された「オタク」「マニア」に該当しました。

おめでとう、僕。僕はオタクなんやね。マニアって呼ばれたら、笑顔で返事しようね。

何か腑に落ちません。オタク、マニアってとてもネガティブな印象が無いでしょうか?

この前、「電車男」をドラマではじめて見ました。鉄道マニアやなかったんや。秋葉系、通称Aボーイの方の話やったんやね。感動しました。好きなことを好きだというのに、こんなに勇気がいるものでしょうか?

僕にも収集癖がありました。NBA(アメリカのプロバスケットボール)のトレーディングカードを集めていたんです。カードですよ。カード。「きもいね」って言われたことが何度もありました。

「はっ?」僕は気にしませんでした。日本には1億2000万人の人口があって多種多様な趣味、嗜好、癖を持った方々がいます。アニメ好きな人。音楽好きな人。映画好きな人。スポーツ好きな人。

電車に切手。キティラーにシャネラーまで。

好きでいいやん。好きなんやから。迷惑かかったり法に触れることはいけませんよ。絶対。

でも、選手名鑑を読んでて嫌な思いをすることは何か腑に落ちませんでした。

みんなでもう一度考えよう。絶対、人間にはオタクやマニアな部分があるんです。この言葉には差別的、軽蔑的な意味なんて含んではいけないと思うんです。

僕はスポーツマニアで、カード収集をしていました。格闘技だってプロレスだって好きですよ。

僕は23歳。サッカー選手名鑑読んでます。

こんにちは。パンのミミです。

昨日は衆議院総選挙でした。僕は仕事の前に、行って来ました。淡々とした空間。粛々と進められる作業。

二回目ですが、選挙。 とても緊張いたします。


まずは候補者の名前。ひらがなでもいいんやね。高齢化社会に対して優しい選挙になりました。以前は厳格に、文字間違いが無効票になったと聞きますから。


それから政党名を記入。僕はこの比例代表の形式をあまり善しとはしていません。重複立候補なんてよく理解できないです。小選挙区、落ちました。比例という保険に加盟していました。当選しましたみたいな。そんな気がするんです。その政党に入れたからって、その政党が勝手に選んだ上位名簿候補者に入れた気がしないんです。矛盾しているような。そんな気がします。


次ですよ。次。最高裁判所、裁判官の方々。誰も知らない。何を判決して頂いたのかも知らない。

名前、顔、判例。全てがミスマッチングです。複雑な心境になりました。当然、善悪の判断などつくわけがありません。この判断を国民に委ねるのは、法律上か憲法上、正しいんでしょう。

しかし、「なんかこの名前好きじゃないから。」なんて理由でバツをつけた方がいるなら、日本の司法制度に対する冒涜のような気がするんです。

最高裁判所、裁判官。時に人の生死を判断する人たち。神ではない。仏でもない。それなのに、命の価値を判断することを義務付けられた人たち。こんな神秘的な仕事をなさってる方々を国民が正しく判断することが出来るでしょうか?

僕は大いに苦しみました。後ろが並びだしても、最後まで鉛筆は動きませんでした。


選挙とは?国民の民意を国政に。我々国民に課せられた義務。それが選挙です。

僕の選挙の際の投票の基準。

それは、「もし投票した方が問題を起こして、国民の皆さんに多大な迷惑、影響を掛けたとき。僕は心底、国民の皆さんにお詫びしたい気持ちになるかどうか。」 

僕の一票がその候補者を国会に送ったんです。苦しみを伴う一票。投票箱に入れる際に、手が震えるような感覚。これこそが僕に課せられた義務のような気がしています。


僅差で当選された方もおられました。僅差ということは相手側にもたくさんの投票を頂いたという事。

当選した方々は、同選挙区で落選された方々の票さえも国会に民意として運んでいただきたいものです。

当選された方々。ほんとにうれしそうでした。しかし、事の重大さを認識しているのなら。笑顔でずっといられるでしょうか。落選して土下座をされた方がいました。その姿を見たとき、この選挙で僕個人が一番、国政に近づいた瞬間であったような気がしました。


僕は小学校の時、児童会長選挙に当選しました。公約を掲げ、演説もしました。マニュフェストなんて代物ではないけれど、一晩も二晩も考えたものでした。当選した瞬間。僕の肩はずっしりとした重いものを感じました。今後の危難を察したとき、その日の給食を残しました。

僕はこのときの感覚を疑っていません。顔では笑って、心で泣いて。

家に帰り、両親に「おめでとう」と言われたとき、自分の背負った重責を痛感し、部屋でずっと泣きました。


選挙とは? 勝敗だけのものではない。そこには現国民と未来の国民の生活を掛けた、責任の重い重い判断が求められるものである。

お久しぶりです。パンのミミです。 ホンとに久々に書きますので、何を書いていいのやらであります。

忘れていました。ブログを書くことを。そうです、僕は今、「和歌山」です。


つい最近、すんごい台風が来た最中(さなか。もなかではない。)にフェリーで帰ってきました。愛車の車検が控えていましたので、愛車のジムニーを「カードック」に行かせました。


今回の船旅はキツスギマシタ。今回の台風は尋常ではなく、僕のマンションは台風の日、見事に「断水」を致しました。しかも、丸一日。泣くよ、丸一日は。手が洗えない。歯も磨けない。食器そのまま。トイレ流れない。風呂なんて論外です。どうしたものでしょうか。外の世界はアリエナイ雨風です。とりあえず、自宅待機です。少し外が静かになった隙に、ファミマにGO。水確保。食糧GET。店員さんに断水を告げ、哀れんで頂きました。「頑張って、断水。」帰りしなの一言です。傘はさせません。ずぶ濡れです。何かの板みたいなものが僕の目の前を猛スピードで駆けていきます。身の危険を感じました。自然の猛威。地球は人類の行いに鉄拳制裁を加えてきています。水ってホンと大切だね。水がなかったら生きていけない。これから先、「水」は人間の生活に最大限の制約を突きつけるでしょう。そう感じました。


夜には雨が止みました。ですので銭湯に行きました。銭湯の露天風呂は枯れ木に葉っぱ。僕は裸眼でしたので入るまでわかりませんでした。独りの露天風呂。何かおかしい。何かが違うと感じました。そっか、誰もこんな沼に入りたくないもんね。妙に納得いたしました。


話を戻しまして。フェリーに乗ったその日の海は、ご機嫌が最低です。高い、波が。オリコンヒットチャート一位から翌週には100位に落ち、翌週には1位に返り咲きみたいな。寝返りが自然にうてる。ゴロゴロと寝返りがうてる。ウォーターベットってこんな感じやないかな。そんな気がしましたよ。


寝れない。寝れないのはいつものことか。でも、ほんとに寝れないんです。腹が減った。時間ギリギリ売店に行き、アイス最中(さなかではない。今回はモナカ。漢字って不思議やね。)を買いました。アイスモナカには思い入れがあるんです。中学二年のある日。おばあちゃんがアイスモナカをくれました。「おいしいかい?」聞いてきます。クラブ帰り、ホンとにおいしかったです。だからこの上なく笑顔で「おいしいよっ」って伝えました。それからです。おばあちゃんの家の冷凍庫には、欠かすことなくアイスモナカの山でありました。中学時代は最後までありました。モナカ。高校時代。やっぱりあったね、モナカ。大学時代、帰郷したらやっぱりやっぱりあったね、アイス最中。おばあちゃん。僕は期待に応えるよ。でもね、たまにはチョコ味のアイスモナカなんていかがかな?世の中には中身が白色のモナカばっかじゃないんだよ。喉まで出掛かったこの一言。僕は何度も白色のアイスモナカと一緒においしく頂きました。


フェリーの中で食べたアイスモナカは中身が白色のものでした。おばあちゃんに久々に逢える喜びと一緒に僕は自然と手にとっていたんです。封を開け、ヘッドフォンをかけ、みうらじゅんの「LOVE」を読みながら、口にそいつを運んだんです。

「ん?」「ん??」「な、なんだこの味?」 しょっぱいんです。皮が。賞味期限の関係でしょうか?イヤハヤ不思議な味。

袋を釘射るように初めて見ましたよ。そこにはこのキャッチフレーズ。「新発想、旨味 モナカ」(確かね。) 皮に岩塩かけてんだってさ。おいおいロッテさん。スイカの季節はもう過ぎますよ。甘さを引き立たせるのはわかりますよ。デモさ、よりによって僕の思い出の味をしょっぱくしてくれなくていいんやないかい? 真剣に考えたんだよ、一口目。あれ、味覚障害かなって。舌には多少自信あるんだよ、僕。舌を汚さないように一回もタバコ吸ってないし。ロッテさん。僕は一瞬、この船の揺れ以上に焦りました。アイスモナカを食べて冷や汗をかいたのは、後にも先にもこれが最後でしょう。


「アイデアとは既存のアイデアの組み合わせである。」by Jeff Foster ホンとにそう思います。たぶんですが、ロッテの商品開発チームはスイカの塩味の延長線上にこのモナカを思いついたのでしょう。僕はそう信じています。 帰路に就き、おばあちゃんはうれしそうに僕を迎えてくれました。うれしそうな笑顔。僕も久々の対面に心底安堵いたしました。おばあちゃんは笑いながら僕に一言。「山賊か?野蛮人みたいやな。」視線は僕のアゴヒゲに向けられています。参った。参りました。

甘さの中にホノカナしょっぱさ。やるね、おばあちゃん。「新発想 旨味アイスモナカ」な一言。

一時間後、僕のあごはきれいさっぱり致しました。

おばあちゃん。「やっぱり、その方がいいわ。すっきりしたやろ?」 

僕。「そうやね、やっとおばあちゃんのアイスモナカになったわ。」

おばあちゃん。「はっ。なんて?」

僕。「なんでもないよ。」


追伸。 僕は今、いつもの白いアイスモナカを食べています 。

こんばんは。ではなくおはようございます。パンのミミです。

僕はいつものように夜更かしを通り越し、朝日と共に寝床につく日々が続いています。

夜は長く感じます。真夜中には、明日がホンとに来るのかと、ふと不安になることがあります。

不安は募ります。眠さをかき消します。僕は今、人生の「長い休み」に入っています。

僕が生まれて初めて連続ドラマを連続して全て見たドラマがあります。

「ロングバケーション」っていうドラマです。淡い色の物語。蒼々たるキャストが出演しています。そうです。キムタクサンも出とりました。僕は釘いるように見ていました。キムタクサンが全身かっちりスーツ姿で足元スタンスミスなシーンには大いに感銘を受け、次の日には近所の靴屋に買いに走ったことを思い出します。思い出のスタンスミス。かかとが擦り切れても、今でも僕の靴箱に堂々と佇んでいます。この靴がなかったら、この直感を信じなかったら僕は一生、ファッションなんかに興味を持たなかったかと思います。「1万円で売ってくれ。」誰かさんが言ったなら、見向きもしない自信があります。「十万円で売ってくれ。」僕は「嘘だといってくれ。」と頼むでしょう。人生のターニングポイントをこのスタンスミスと迎えたのです。


「ロングバケーション」。僕は今、この時間に入っています。自分にとって今は、これから来る荒波に備えた準備体操の時間だと解釈しています。自由な時間。自由は不安を煽ります。「さあ何でもしていいよ。」不安な問いかけは続きます。贅沢な時間。こんなにも自由な時間を社会に出たら二度と味わうことはないかもしれません。そのくらい自由なんです。

自由ってナンだろう。最近考えています。飲めない酒をかっくらって、廃人の様に寝て。これが自由といえるのでしょうか。答えは「イエス」です。僕にとって「イエス」なんです。


今日も飲めない酒を飲みました。僕は酒が飲めません。飲みたいとも思いません。「僕が酒に弱いんやない。酒が僕より強いんや。」これが僕の苦し紛れのいいわけです。でも、最近はおいしいく飲んでいます。感覚的には自分が飲んでるんやなく、空気、雰囲気が飲んでいる感じです。

夢を語ります。愛や恋を語ります。自由や真実なんて語ってやります。答えなんてないんです。全て。だから何時間でも語り合います。酒が進みます。ヒートアップします。自分を否定します。相手を受け入れます。

合言葉は「ロックだね。」とんだキザ野郎です。楽しいんです。この自由さが。

休憩がてらに温泉に行きました。雨降りの露天風呂。下半身が人肌のように暖かく、上半身は夏だというのにひんやりと社会の矛盾を感じます。湯から上がり、椅子に腰掛け。生まれて初めて真っ裸で全身で雨を力いっぱい受け止めました。時には温泉より気持ちがよく感じます。矛盾しています。それが今の自由な時間。やることなんてたくさんある。やらないといけないことは山ほどある。それでも矛盾した自由な時間を謳歌しています。


自由を翳し、戦争を繰り返す人たちに。今日の僕は言ってみたい。真実ってナンですか?あなたの真実は現実の上に成り立っていますか?醜さと美しさは紙一重です。そして、その境は十人十色と考えます。

僕が正しいわけやない。でも、君たちも正しいとは言い切れないよ。

矛盾した自由。今宵はキザに「ロック」な気分で眠りに就きたいと思います。

夜分遅くにお邪魔します。パンのミミです。

おばあちゃんの家には古い本棚があります。本棚には数冊の本。しかし、僕は今おばあちゃんが本を読んでいる姿を思い出すことが出来ないでいます。おばあちゃんは本を読むのを好ましく思っていないのだろう。そう感じます。今の僕にはその本棚にある一冊の本が鮮明に思い出されます。文豪、遠藤周作の「眠れぬ夜に読む本」。

僕は今眠れないでいるのです。そして村上龍の「映画小説集」をずっと読んでいます。もしも今、遠藤さんのこの本が手元にあったなら。僕は眠ることが出来るでしょうか。おばあちゃんに何度か聞いたことがある。その本読んだら眠れるかって。子供ながらに不思議だった本のタイトル。おばあちゃんは決まってこう答えるのです。「おばあちゃん、本読まなくてもぐっすり眠れるから。」おばあちゃんのくしゃっとした笑顔を思い出しました。和歌山に少し帰りたいな。今宵は感傷的な気分です。


本を読みながら僕は一曲の歌を十数回リピートして聞いています。何度聞いても歌詞を覚えることが出来ません。そして、リピートボタンを押しに五分数十秒ごとに席を立つので本のページも全然進まないのです。今聞いている曲はとても素敵な曲です。願わくば曲のタイトルを知りたいと思っています。加えて、口ずさみたいなって。しかし、その術を僕は持ち合わせていないでいます。

僕が小学校四年のとき、母親が簡単な質問を僕にしました。社会の授業で習うようなことだったと覚えています。そしてその答えを発したとき、お母さんは僕に「物知り博士」って言ってくれました。「物知り博士。」とてもいい響きでした。心底うれしかった。他愛もないことだったけど本当にうれしかったのです。でも、それと同時にこう思ったんです。「当たり前だよ。その質問の答えを言うために二年も待ったんだから。」小学二年の時、偶然読んだ伝記の本が今回の答えを教えてくれました。お母さんに褒められたかったのだと今は思います。本を読み、テレビの内容を記憶し、先生の話を聞いて、公文式でいろいろ覚えて。僕はいつか来る母親の質問に答えることが出来る準備をしていたのだと思います。二年後に来た、偶然のチャンス。そのチャンスを手に入れることが出来たからこそ、「物知り博士」の称号を与えられたのだ。子供ながらに誇らしく、低かった鼻を高々と突き出しました。


僕が今聞いている曲を、僕はいつか調べたいと思っています。そして、もし二年後に。もし、とあるカラオケで。もし、大切な人といれたなら。僕はこの歌をゆっくりと歌いたいと思います。そして、もしもその大切な人がこの曲を素敵な歌だといってくれたのなら、僕は小学四年生のときに感じた感動を25歳になってもなお、この上ない幸せだと感じていることでしょう。

パンのミミです。昨晩、懲りずに長編ブログを書いていたところ何かの拍子に夜空の星となってしまいました。ショッキングな出来事でしたが、自身のパソコン能力の欠如を痛感いたしました。

僕のブログは文章が犇く長たらしいものであります。ブログを開き、このボリュームを見れば大抵の方はお腹が一杯になられるでしょう。そこが、このブログの最大の特徴であり、欠点でもあります。大切な時間を割いていただいてまで読んで頂く代物であるのか。また、自分自身もそこまでして表現したいものがあるのかどうか。自身と向き合い、葛藤を繰り返しているところであります。


今回のブログは、自身の行動から生まれた平凡な失笑であります。

昨日、正午過ぎ友人からの一本の電話で僕は外の空気を吸うチャンスを手に入れました。ついでにマックのアップルパイもおいしく頂きました。そして突然、ひょんなことから意気投合し、颯爽と大分に繰り出したのでありました。目的は①古着屋を探索しよう。②四年間隣人でありましたが、二人は初めて二人して買い物に出かけるという事実。でありました。新鮮なものであります。男二人で大分を颯爽と歩くのは。不思議なものであります。四年間も隣人でありながらなんで今頃なのでしょう。


一軒の古着屋の出来事です。雑居ビルの一角にあるその店はお世辞にも入りやすい雰囲気は出ていませんでした。乱雑に陳列された商品の中から、Tシャツをカチャカチャと音をたて見ていたときのことです。一枚のTシャツが目に留まりました。エンジの色に3L。中心には「ハヴァド University」と書いてあったのです。シュールリアリズム。風格漂う高貴な味わい。みんなの憧れ。僕がこのTシャツを買わなかったのはお察しの通りです。次にポロシャツを見ていました。「なかなかいいのがあるでないかい。」二人は真剣に手に取り見ていたのです。するとその時、水色基調のなかにピンクと赤の太目のストライプ。「おっなかなかいいね。」肝心の値段はどうかなとタグに目を寄せたのです。あれ、なんやろう。次にタグの上に目をやったのです。そのタグの上にはかすれたマッキーでかかれた五文字の文字が。その名も「Nelson」。昨晩ジャックダニエルでもがぶ飲みして喉が焼けたようなかすれた声で。自身の存在を主張するように。Nelsonは生き続けていたのです。刹那でありました。国境を越えた偶然の出会いに、アラバマにいる(空想)Nelsonに思いを馳せていたのです。もしやそなたは「ハヴャド大学」の学生さんかい?全寮制で洗濯機が一緒だからマッキーで自身の名前を書いているのかい?「Nelson」が自分にとってとても近い存在に感じたのです。

友人は何点かの買い物をしました。キャッシャーでお金を払い、商品を受け取る時、まったくしゃべらなかった女性店員は急に一言発したのです。「はい、どうぞ」。えっ「はい、どうぞ」。英訳すれば「Here you are.」?こんな教科書チックな返しをされて二人は大満足な古着屋巡りを終えたのです。


古着には歴史がある。依然着ていた方がいる。もしも「Nelson」が現在超有名人なら。あのポロシャツは直筆サイン入りのレア商品。古着に古本、中古車に、リサイクル品。そなたたちは以前はどこにいたのでしょうか?古着と人間だって一期一会。小さな出会いに感謝しながら、隣人は本日二回目のマックでなんでか土下座していたのです。「スーパーサイズ 隣人。」彼は結構僕にもまして不健康。

今回、ブログを書こうと決意しました。23歳の男の人です。

ブログという存在には気付いていましたが、生粋のアナログっ子でして、ナンともやり方がわからなかった次第です。今回、はじめましたのは以下の理由です。

①時代の波に乗りたかったため。とてもミーハーです。

②一部の人からよく「何を考えているのかわからない」と言われたため。

③情報をインプットするばかりで、自分でアウトプットする(表現する)必要性を感じたため。

④大学四年になり、遠く離れた人が極端に増えたため。

であります。このブログで少しでも自分を表現し、今までの友達と新たな関係を築いたり、まったく新しい友人関係を築けたらと切に願ってのものであります。

さて、何を書いたらいいのでしょうか。時に引きこもり数秒前の生活をしている僕は今、ナンともいえない汗を拭っているのです。単に室温が高いためでしょうが、参ったことです。

では、記念すべき一斤目には、僕がふと不思議に感じたニュースからトピックを拝借したいと思います。

長くなりますがお付き合いください。記念すべきファーストステップですので、ご勘弁を。

topic: 「エシアン。リヨンからチェルシーへ。移籍金約51億円也」

これを見てなるほどと感じた人は、かなりのサッカー通であります。エシアンとはガーナ代表DM(守備的な中盤でボール回したり、守備に走ったり時には果敢に攻めたりする忙しい人。)22歳です。フランスリーグ4連覇中のリヨンから、イングランドプレミアリーグ、前年度覇者、チェルシーに移籍金51億円で移籍したのです。 移籍金、これは選手(今件ではエシアン)に入るものではなく、チーム間で契約が残っている場合、その契約を解除し移籍する際に発生するお金であります。難しいですが、

要は、リヨン側:「エシアンは将来有望な選手。チームには欠かすことは出来ない。」

    チェルシー側:「そこを何とか。51億円まで用意できますよ。譲ってください。」

    リヨン側:「60億円なら譲りましょう。」

    チェルシー側:「いやいや、51億円で手を打って下さいな。」

こんな感じなのです。金額の釣り上げ。妥協案(変わりに違う選手をよこせなど)。交渉は暗礁に乗り上げ、会談は数度に渡り、何ヶ月もやっとるわけです。

何で、60億円でしか譲らないといってたリヨン会長は51億円で手を打ったのでしょう。

答えは、エシアンの意思なのです。頑なにリヨンに残るのを拒み、フランスリーグは開幕しても練習もボイコットしたのです。

選手はクラブにとっては高価な商品である一面もあります。手放すのにはお金が動くのです。

スター選手がチームを勝利に導き、優勝に導き、サポーターをスタジアムに導き、チームやスター選手のグッズに購買の手を導き、テレビ番組のチャンネルを導き、高い視聴率を導き、テレビ広告料を導き、チーム価値の向上を導き、チームスポンサーを導き、導き、導き。サポーターの夢を次の次元に導くのです。

スタジアムで歓声をあげる子供たちにこんな複雑な現実は見てほしくないものであります。

スポーツとはとても単純明快なものであります。「勝利」という二文字を常に追いかけ続けるものかとも思います。

しかしながら、現実は「勝利」を得るためにたくさんの人たちが動き、ビックマネーが何かの引力に導かれて動き回るのです。

ほりえもんは「お金があれば何でも出来ると思っている」と森元総理に批判された。

チェルシー会長、アブラモビッチも同様に批判されている。(会長就任以来、選手補強費に500億円以上を投入。)しかし、現実としてチェルシーは優勝してしまいました。

「勝利」がお金で買える時代。中高バスケ部で六年やってきた僕は、「勝利」=「汗の結晶」と信じていました。多くのプロスポーツ選手は僕と同じ考えではないでしょうか。絶え間ぬ努力が「勝利」を生み、観客の感動を生むのではないかと。

しかし、スポーツが一大産業としてビジネス色が強くなれば、お金の集まるところに選手が集まり始まります。これこそ資本主義社会の極めであります。

今までの文章を読んで頂ければ、僕はスポーツビジネスに悲観的であると思われるかもしれません。

事実、逆なのです。選手移籍が人身売買的に行われたり、アフリカから若い選手が青田買いされヨーロッパリーグで活躍したりする現実を知ったり、交渉を行う代理人が選手を裏切る現実を見ても、なぜかスポーツビジネスに強い興味を感じるのです。

スポーツの本来の意義とは?ビジネスとして「勝利」を計算し、買うことの出来る時代とは?

僕のこの不思議な感覚はどうも収まらないのです。まだまだ答えの出ない疑問。

僕が今考えていることは、マーケティングの考えを拝借したものです。

「マーケティングは、個人と組織の目的を満たすような交換を生み出すために、アイデアや財、サービスを交換から、価格設定、プロモーション、そして流通に至るまでを計画し、実行するプロセスである。」

by AMA

であります。サポーターの感動的満足を得るためには、スポーツ産業も選手(エシアン)を交換し、サービスを交換することが必要なのでしょう。クラブチームは一企業です。フットボール株式会社なのです。

選手ユニフォームのありとあらゆる箇所に企業広告を身にまとい、企業広告に囲まれたピッチでプレーする選手たち。スポーツはビジネスの上で成り立つもの。

選手努力+企業努力の上に「勝利」に至るのでしょう。

至らぬ結論のために長々と申し訳ありませんでした。スポーツ馬鹿の独り言でありました。

では、皆さん今後とも宜しくお願いします。