社会では受け入れて頂けない風習が昔からある。
「定職にも就かないで。」なんて社会から言われるものである。
時は、平成も19年が過ぎようとしている昨今。
終身雇用が雇用形態のベストとされた社会から、派遣や契約、フリーターなど様々な雇用形態で受け入れられる社会が生まれ、新たな産業(人材派遣業、転職支援業者)が生まれた。
さて、本題に入りますが。
実際、大学のときに自分は転職することをどれくらい考えていただろうか?
転職=マイナスのイメージを実感していたのは確かであり、強いてはご法度感は当時からあった。
しかし、自分はこの期間で3回、職場を変えることになった。
「石の上にも3年。」 何事も三年ぐらい続けないと本質的な実感値、経験値を得ることがない。
と言われることもある。
自分は今、東京から和歌山に戻り、再度梅田で働いている。
自分の性格は我慢強い方だと思う。仕事が嫌で辞めたいと思った事はない。しかし、社会に出たとたんに、利害関係者がたくさんいることに気づいた。というか、気づかされた。
「自分の想う様に行かない。」と駄々を言っている訳ではない。
しかし、仕事と家族(時に家業)を天秤に掛けないといけない場合には、どう判断するべきだろうか?
「お前は使えない助っ人外国人か?」「家族が倒れたくらいで、実家に戻るのか?」「上京した時点で、親の死に目には逢えない覚悟ぐらいあるだろう。」
なんて言われ続けて、東京で鬱のようになった。
家族と仕事。仕事に私情を挟まない。
僕には難しかった。出来なかった。
「都落ち」
コレが僕のもらったレッテルであった。
東京には、後輩を2人残してきた。同じ大学からである。自分は二人に夢を語った。背中を押した。
夢を語るのは自由である。しかし、夢を語るには資格がある。責任がある。それを実感した。
和歌山に帰ったら、社長になってくれと言われた。25歳で社長。父親は昔のような勇ましい姿ではなく、母親の笑顔も昔に比べ、微笑が深く、静やかな顔をしていた。
自分も年をとった。もういい年である。しかし、両親の年齢以上の老いを感じたとき、逆に自分が今やっていることが親孝行になっていたとしても、自分が何かを犠牲にしてやっていくことではないと感じた。
衛藤家も揺れ動いた。親戚も揺れた。兄貴も僕が帰ってきた途端に、居場所を確保しようと必死になってきた。(兄は僕が帰る以前から、うどん屋を継いでいた。)
「一子相伝」
少なくても現状から行って、兄が継ぐ方がいいと思う。
僕は30まではひたすら勉強したいと想った。大学時代に決めたことである。社会勉強のため、また今月から大阪で働いている。
チャレンジすることで生まれる何かがあれば、失う何かもあるだろう。
この年齢で、背水の陣。
気楽に。今度こそ楽しんで仕事をしてみたいと想う。
最近、絵を描いている。
新しい趣味が出来た。
単純に、下手な絵を描き続けていたら、その絵を自分で見ているだけで、心が静まるようになった。
プレゼントすると喜ばれた。
単純に嬉しかった。
だから、今度こそ感謝され、喜びを享受できる瞬間にたくさん出会えるように行動したい。