こんにちは。パンのミミです。

昨日は衆議院総選挙でした。僕は仕事の前に、行って来ました。淡々とした空間。粛々と進められる作業。

二回目ですが、選挙。 とても緊張いたします。


まずは候補者の名前。ひらがなでもいいんやね。高齢化社会に対して優しい選挙になりました。以前は厳格に、文字間違いが無効票になったと聞きますから。


それから政党名を記入。僕はこの比例代表の形式をあまり善しとはしていません。重複立候補なんてよく理解できないです。小選挙区、落ちました。比例という保険に加盟していました。当選しましたみたいな。そんな気がするんです。その政党に入れたからって、その政党が勝手に選んだ上位名簿候補者に入れた気がしないんです。矛盾しているような。そんな気がします。


次ですよ。次。最高裁判所、裁判官の方々。誰も知らない。何を判決して頂いたのかも知らない。

名前、顔、判例。全てがミスマッチングです。複雑な心境になりました。当然、善悪の判断などつくわけがありません。この判断を国民に委ねるのは、法律上か憲法上、正しいんでしょう。

しかし、「なんかこの名前好きじゃないから。」なんて理由でバツをつけた方がいるなら、日本の司法制度に対する冒涜のような気がするんです。

最高裁判所、裁判官。時に人の生死を判断する人たち。神ではない。仏でもない。それなのに、命の価値を判断することを義務付けられた人たち。こんな神秘的な仕事をなさってる方々を国民が正しく判断することが出来るでしょうか?

僕は大いに苦しみました。後ろが並びだしても、最後まで鉛筆は動きませんでした。


選挙とは?国民の民意を国政に。我々国民に課せられた義務。それが選挙です。

僕の選挙の際の投票の基準。

それは、「もし投票した方が問題を起こして、国民の皆さんに多大な迷惑、影響を掛けたとき。僕は心底、国民の皆さんにお詫びしたい気持ちになるかどうか。」 

僕の一票がその候補者を国会に送ったんです。苦しみを伴う一票。投票箱に入れる際に、手が震えるような感覚。これこそが僕に課せられた義務のような気がしています。


僅差で当選された方もおられました。僅差ということは相手側にもたくさんの投票を頂いたという事。

当選した方々は、同選挙区で落選された方々の票さえも国会に民意として運んでいただきたいものです。

当選された方々。ほんとにうれしそうでした。しかし、事の重大さを認識しているのなら。笑顔でずっといられるでしょうか。落選して土下座をされた方がいました。その姿を見たとき、この選挙で僕個人が一番、国政に近づいた瞬間であったような気がしました。


僕は小学校の時、児童会長選挙に当選しました。公約を掲げ、演説もしました。マニュフェストなんて代物ではないけれど、一晩も二晩も考えたものでした。当選した瞬間。僕の肩はずっしりとした重いものを感じました。今後の危難を察したとき、その日の給食を残しました。

僕はこのときの感覚を疑っていません。顔では笑って、心で泣いて。

家に帰り、両親に「おめでとう」と言われたとき、自分の背負った重責を痛感し、部屋でずっと泣きました。


選挙とは? 勝敗だけのものではない。そこには現国民と未来の国民の生活を掛けた、責任の重い重い判断が求められるものである。