イェホシュアのイスラエルの信仰と証し -48ページ目

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Damian Gadal

 

 

悪霊の追い出しで思い出すのは、最初に悪霊の追い出しに関わった、当時30代半ばの女性のケースです。

この方は、4〜5歳の頃から、父と母の双方から、棒で殴られるなどの想像を超えた虐待を受けて育ち、高校生になってから、当時のテレクラで知り合った男性達二百数十名と売春を行い、その後、大人になってスピリチュアルにはまり、結果として、20以上の悪霊に住み着かれることとなった、壮絶な人生を歩んでこられた方です。



親から受ける虐待は、子供が選択できない問題であり、子供は逃げ場がありません。
従って、理由が何であれ、父と母の双方から、棒で殴られるなどの度を超えた虐待を受けるケースでも、この女性には、逃げることができず、それを耐え続けることしかできませんでした。繰り返し虐待を受ける時の苦しみがどれほどのものであったか。また、父ないし母がこれから虐待をすることが予想される展開となった時、その恐怖がどれほどのものであったか。

それが四、五歳の時から起こるのです。
この虐待を受けて育った女性は、親からのスキンシップが全く不十分で、人間同士のスキンシップ -- それは育ての親から受けることが当然のものなのですが。しかし現代では歪んでおり、不十分なスキンシップしかなくて育つ子供が多いのもうなづける時代状況ですが -- それがなくて育つので、思春期に、自分が住んでいる田舎にもテレクラというものがあって、女子中学生であって、そこに同級生と一緒に面白がって電話をかけると、男性が出る。男性と話をするとおもしろい。そこで面白がって、何度かテレクラに電話をする。それを中学生の時代に覚える。

当時、女子高生売春というものが、一世を風靡していました。取り締まる条例はなく、野放図に、全国津々浦々で、それが行われていました。現在、40代の女性で、そrを経験した人は少なくないと思います。そうした時代があったのです。

そうした時代の中で、高校生となり、周囲でも色々な人がやっている「女子高生売春」というものを、試しに一、二度やってみると、子供の頃には味わえなかったスキンシップが味わえる。欠落していたスキンシップへの渇望が癒される気がする。その実、男性のおもちゃにされている訳ですが。



聖書の観点では、男女が一体になること、すなわち、性的な交渉を持つことは、創世記の初めで、アダムとエバに与えられた最大の祝福です。

これを、神に敵対する存在であるサタン/悪魔が、目に見えない霊となって、人間に作用し、その言葉を聞かせ、人間を引きずり下ろす。そうして、人間に与えられた最大の祝福である男と女の性交渉を、世の中で、一番汚れた行為に落とす。これが神に敵対する存在であるサタン/悪魔がやることです。そうして、そこには、サタン/悪魔の配下にある無数の悪霊どもが群れをなしている。

罪とは、ヘブライ語原義でも、ギリシア語原義でも、神から的外れになること。神の保護の下から外れること。

性の罪は、神の祝福が及ぶ、結婚した男性と女性との間の性交渉の真逆。神の祝福が及ばない、むしろ逆に、この世の様々な場所に巣食っている悪霊どもの餌食になる、そうした行為です。性の罪を繰り返していくと、間違いなく、悪霊複数が入ります。

淫乱の霊、性中毒の霊、性奴隷の霊、オージーなど乱交を好む欧州から来た悪霊、マスターベーションをし続ける霊、誘惑する霊、ポルノ中毒の霊、レイプを願う霊、死体と交わる霊、などなど。

これらは全て、旧約聖書に現れるイスラエルの神、以外の、異邦人の国に満ちている、その土地土地で拝まれてきた”神"、旧約聖書ではバアル、アシュタロテ、アシェラ、モレクなどとして登場してくる地元の"神"。その"神"に周囲に渦巻いている悪霊です。

欧州の場合も、ギリシャで崇拝されていた神々にまつわる、酒池肉林・乱交であるオージーにまつわる霊。そうした悪霊どもが、繰り返される性の罪の周囲に渦巻いています。



この女性の場合も、二百数十名の男性達とセックスによって「一体」となることで、相手が持っている悪霊複数を宿すことになりました。相手は、ポルノの霊や、レイプを願う霊や、性中毒の霊や淫乱の霊をすでに持っていますから -- そうした悪霊を宿した男どもがテレクラに集まっていた訳です -- その相手の悪霊がこの女性にも入る…。

そうして、悪霊が入ると、その人の自由意志が阻害され、いわば悪霊が持つキャラクターの奴隷となります。性中毒の霊が入ると、性中毒のキャラクターに影響されて、その人も性中毒になる。簡単に言えば、そういうことが起こります。ゲーム中毒の霊が入ると、その人がゲーム中毒になる。そういうことです。

こうした性交渉を持った相手の異性の悪霊が入るということについて、以下の投稿で記しています。

クリスチャンとセックス及び性欲(6)- セックスすると相手の悪霊が入る
https://ameblo.jp/sasuke-memo2/entry-12742834466.html



高校生時代に二百数十名の男性と性交渉を持ったことにより、それらの男性と「魂の連結」が生じてしまった、ということもありました。魂の連結の問題は、以下の投稿で述べています。

クリスチャンとセックス及び性欲(5)- 魂の連結を断ち切ると解消する問題がある
https://ameblo.jp/sasuke-memo2/entry-12741951242.html



こうした悪霊どもや、無数の男性達との間に生じた魂の連結によって、この女性は、ある意味がんじがらめになっていました。

そのがんじがらめから逃れるために、パワーストーンや、スピリチュアルの師匠の指導や、スピリチュアルなヒーリングの世界に入っていき、かれこれ十数年。

この間もこの女性は親元から逃れることができず、幼少期に自分を虐待した両親と同居を続けていました。

高校を卒業し、働くようになって、「高校生売春」はスッパリやめた。

けれども、今度は、極度の過食と拒食を繰り返すようになっていました。体重が30kg台と80kg台を行ったり来たりする摂食障害です。



当時の私のブログでも、悪霊の追い出しの問題について様々な事柄を書いていました。私の悪霊の追い出しの師匠であるジョゼフ・ジャシンスキ牧師(Jozef Jasinski、Promisted Land Minisitries)と出会って、悪霊の追い出しのイロハを理解し始めた時期でした。

彼女がメールで相談にやってきて、上記の壮絶な人生の歩みを聞かされ、悪霊の追い出しに取り組むことにしました。



彼女の悪霊の追い出しは、米国のデリバランスでよく行われている電話経由の追い出しになりました。

事前に、信仰告白をして、霊的に、主イエス・キリストの下に入ることが不可欠でしたから、それをしてもらいました。聖書はすでにある程度読んでいて、主イエス・キリストの十字架を信じる信仰はありました。すなわち、主イエス・キリストの名と権威によって、悪霊が出ていくのだというはっきりとした信仰がありました。(この信仰がない人からは、悪霊は、出ていきません)



事前のヒアリングから十数の悪霊は、特定できていました。
実際に追い出しにかかると、二十いくつかの悪霊がいました。
最終的に、巨大なカエルの様相をした淫乱の霊、イゼベルの霊とも言うべき、性の根元に影響を及ぼす、性欲の権化とも言うべき悪霊を、無理くり引きずり出して、彼女の悪霊の追い出しは終わりました。



その後、魂の連結を断ち切る霊的な処理もさせていただいて、彼女は、それらの悪霊から解放され、多数の異性達から魂の連結を通じてやってくる諸々の切ない思いからも解放され、信仰告白したイエス・キリストの道を歩むことになりました。

後日談がありますが、割愛します。



この姉妹は、その後、敬虔なクリスチャンとなって、聖書を読み、信仰を深め、祈りを続ける毎日を歩まれていると聞いています。

おそらく、このブログを、現在も、時々来られて、読まれていると思います。



私は、この方も、エペソ1:4や第一ペテロ1:2に記されている、生まれる前から、主イエス・キリストにに似るように選ばれている方だと、思います。

人生のどこかで聖書を読むようになり、イエス・キリストによる救いこそが救いだと理解して、その救いを授けてくれる教会やミニストリーを探すようになる人たちは、全部が全部そうなのかどうかはわかりませんが、エペソ1:2や第一ペテロ1:4に記されている「召された人」です。

そのような、予め決められて、主イエス・キリストにあって救われるように選ばれた人たち。こういう人たちを、サタン/悪魔は、幼少期から見つけて、周囲の大人に作用して、虐待するように仕向けたり、幼少期からマスターベーションになじむように仕向けたり、ありとあらゆる仕方で、その人を、霊的に引きずり降ろします。

結果、幼少期に人格が歪んでしまい、それから後は、モーセの十戒で言う姦淫の罪か、偶像崇拝の罪を犯すように、仕向けられます。すなわち性の重たい罪を繰り返すようになり、また、ありとあらゆる間違ったものを崇拝するように仕向けられて、その関連の悪霊多数が入り込み、さらに、奴隷となって生きることになって行きます。そうして、20年、30年が過ぎます。

こうした人が、いずれ、主イエス・キリストの名と権威によって、解放を受け、悪霊から完全に解放され、聖書で約束されている福音のすべての良いものを受け継いで、神の国の住人となって行くのです。

ハレルヤ!



 

Courtesy of Ted Eytan

 

 

何度か書いたように私は離婚を3度経験しており、今の結婚は4度目です。4度目の結婚は、Twitterで知り合った亜佐子さんと、出会ってから3ヶ月目のことでした。

3度目の離婚は2010年のこと。その後、私は2017年に召命を受け、書き継いでいたクリスチャンブログの名称を「ジーザスどこでも教会」と改め、預言者として天の父から聞いたことに基づいて動くということを始めました。

預言者の召命を受けるとはどういうことか?(1)
https://ameblo.jp/sasuke-memo2/entry-12739276037.html

預言者の召命を受けるとはどういうことか?(2)
https://ameblo.jp/sasuke-memo2/entry-12739447810.html

預言者として動くことには、お手本がある訳ではないので、試行錯誤を伴います。全世界のサタンが支配している富を、イエス・キリストの神の国に持ってくるために、全く新しいタイプの仮想通貨に取り組むということも、2018年には行ったりしました。そのために、シンガポール、テルアビブ、ボストン、サンノゼ、キシナウ、ブダペスト、ロンドンなどに数週間〜数ヶ月滞在したりしていました。

2019年の初めに日本に戻ってきて、浅草のシェアハウスで1年余り暮らし、台東区の中国人語学留学生のための宿舎に、斡旋してくれる知人がいたので移り住み(そこはいわゆる山谷)、ようやくと、一人で祈りに専心できる空間が得られて -- それまではシェアハウスの屋上で祈る時間を持ったり、2畳もない狭い空間で、隣室とは薄い壁材の仕切りがあるだけので、祈りの「声」を出せない状況で、ささやき声で祈っていました -- 霊的な至聖所に入らなくとも、天の父との交わりができるようになりました。

これは第一ヨハネに書かれている御父と御子との交わりです。御子イエスが大祭司となって執り成して下さるがゆえに、こちらは、唯一のまことの神であられる天の父と交わることができます。

そうこうしているうちに、Twitterで亜佐子さんと知り合いました。
詳しい経緯は省きますが、天の父から亜佐子さんを「愛しなさい。いつまでも愛しなさい」と、はっきりと言われ、結婚を決意しました。そうして、息子の学校の問題があるため、私一人が東京からあま市に移り住めば良いではないか、と、天の父から言われたので、2020年の12月末に、このあま市にやってきました。

2018年の世界旅行に出る前に、自分の持ち物一切は処分していたので、私には、家具家電や書籍など持ち物一式がありません。本当に、体ひとつで、仮想通貨立ち上げのために色々な都市を巡っていました。なので、2020年12月末にあま市にやってきた時にも、スーツケース一つ、MacBook Proが入ったビジネスバッグ一つ、あとは身の回りのもの段ボール箱に4箱。それだけで、亜佐子さんが一人で住んでいるこの部屋に移り住みました。



亜佐子さんが暮らしているこの部屋にやってきて、すぐにわかったのは、彼女が朝昼晩の食事をきちんと食べていないということでした。

私は、主義として、三度の食事をきちんとしたものにしないといけないという考えを持っているので、またそれがその人の健康にも良いし、精神生活の安定性を得るためにも良いし…ということで、まず、この部屋で、三度の食事を作り、それを食べることから始めよう、と考え、それを実践し始めました。

私は過去の3回の結婚生活のうち2回で炊事担当でしたから、三度の食事を作ることは、全く苦になりません。朝昼晩の食事を作り始めました。



すると、うまいのです。

当時、作った料理の写真が残っていたので、ご参考までに上げてみます。


別に凝った料理を作ってい訳ではなく、食材も値の張るものを使っている訳ではありませんが、1つひとつの料理がこの上なくおいしい。作った自分が言うのもなんですが。

私は米国視察を仕事としてやっていた時期があり、米国の主要都市の良いレストランを手配することも仕事の一環として取り組んだことがあります。当時、サンフランシスコに流通小売分野の日本人コンサルタントの方がいらっしゃって、彼からおいしいレストラン選びのコツを教えてもらいました。それに従って、入る店入る店を選んでいるうちに、うまいレストランを見分けられるようになりました。これは米国だけでなく東京やその他の都市でも同様です。高額なメニューは縁遠いですが、そこそこの値段で、それなりにおいしい料理を出す店は、わかります。入って食べて確かめると本当においしい。

 

2018年に海外の複数の都市を回っていた時にも、所持金には限りがありましたが、そこそこうまい飲食店を見つけて、食べていました(ロンドンのパブで試したフィッシュ&チップスの高品質!)。移動が多かったので、様々な都市の空港でおいしい食事を見つけることにも意欲的でした(サンフランシスコ空港で見つけたトマトスープの美味しさ!)。また、滞在している都市のスーパーで食材を買って、宿のキッチンで料理して食べるということも行っていました(テルアビブの旧市街天幕マーケットで見つけたミックススパイスの異次元的味覚!)。なので、自分の作った料理が、どの程度おいしいか、客観的にわかるつもりです。。。

撮影:今泉大輔

 

 

先ほど、「男部屋」で寝ている私を含む3人のうちの1人、S1君が寝言で「イエス・キリスト!」とはっきり言うのを聞きました。深夜1時30分頃のことです。その後で、自分に言い聞かせるように「イエス・キリスト」と、3度言っていました。夢の中で、おそらく、誰かと話をしていたのでしょう。

 

彼は、明示的に、召命を受けています。召命を受けた時の個人的なストーリーを聞かされましたが、それは洗礼を受ける前の事であり、非常に不思議な話なのですが、本当なのだろうなと思いました。召命を受けるほどの人間ですから、夢の中の対話でも「イエス・キリスト!」と大声で言うようなやりとりが、展開しているのだと思います。

 

 

この家で展開している出来事が、時々、昭和時代のホームドラマのようだと思うことがあります。向田邦子が脚本を書き、久世光彦がプロデュースしたTBSのホームドラマ「寺内貫太郎一家」のように、毎日、家族の誰かに何かが起こります。ハラハラすることも、ドキドキすることもあるのですが、最終的に必ず、イエス・キリストの執り成しがこういうものだ、天の父の愛はこういう風に働く、ということが、「家族」の1人ひとりにしみじみとわかるように、物事が落ち着きます。そうして、平安が来ます。

 

それはあたかも、この「家族」が「神の作品」(エペソ2:10)であり、この「家族」を用いて、イスラエルの神であられる天の父が、一種の創造活動をなさっているかのようです。この創造活動は、ひとり神のみがなさる活動ではなく、人間との共同作業です。私たち「家族」の1人ひとりが、この世との格闘でもがきながら、それでも聖書に書かれているイエス・キリストの教えを守るように、守るように、歩きつつ、それを守るがゆえに、聖書で約束されている展開が訪れる。

 

人間の側は、本当に大変で、自分が持っている課題や、親兄弟との間にある課題や、職場の人間との間に生じている課題に、毎日のようにぶつかるけれども、それでも、聖書に立ち返る。イエス・キリストがなんと教えているか?それに従う。そうすると、不思議と、それらの課題が解消していく。そうして、解決した後には、「神であられる天の父は、やはり『愛の神』なのだ」という、不思議な印象が残る。イエス様が介在して執り成して下さったこともはっきりとわかる。天の父の愛の御業にあずかるためには、イエス様が十字架にかけられる犠牲が不可欠だったのだ、ということがはっきりとわかる。

 

そうした展開がこの「家族」において起こる。この「家族」とは、「主イエスと食事をする教会」という、少し変わった名前を持つ教会を構成する、27歳の兄弟S1君、23歳の姉妹Aさん、40歳の亜佐子さん(私の妻)、13歳のS2君(妻の息子)、そして私の5人です。

 

 

私と亜佐子さんの結婚の経緯、当時12歳小6だった息子S2君を引き取って一緒に暮らすようになった経緯を書くと長くなるので、そこは端折ります。実はS2君は、私が最も苦手とするタイプでしたが、今では、実の父と息子のように、仲良くなっています。こうなるまで、何度ぶつかったか。また、彼にもゲームやアニメから来る悪霊の問題があったので、何度、怒鳴って、それに対処したか。(悪霊の追い出しとは、詰まる所、イエス・キリストの権威によって悪霊を叱りつけ、その人から出ていくように、怒鳴りまくることです)

 

亜佐子さんとS2君と私の三人が本当の家族のようにまとまり始めたのが2021年の後半。私は、毎日、3度の食事を作りました。おいしい食事を朝、昼、晩と作り、それを3人で食べることには、実に深い意味があります。これによって、「家族」が回復しました。

 

証として書きますが、亜佐子さんには重いうつ病があり、また、後から判明しましたが、境界性パーソナリティ障害もありました。精神科に通って数年になります。そのため、息子と同居する生活ができず、息子は祖父母の元で暮らしていました。朝と午後の登下校の時だけ、この部屋に顔を出していました。母の亜佐子さんと言えば、うつ病がありましたから、朝昼晩の食事はきちんとしたものではなく、私の目から見れば、「荒れた食生活」でした。

 

悪霊の追い出しについては、別投稿で何度も記していますが、悪霊の問題がある人は、「食事が荒れて」います。

 

続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Courtesy of Fr Lawrence Lew, O.P.

 

 

イエスの血の注ぎを受ける…。

イエス・キリストの福音において、大変に重要な概念です。
すべてのものは血によって清められます。

それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。
ヘブル9:22

主イエス・キリストにあって救われる人も、イエスの血の注ぎを受けます。

そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。
ヘブル10:22

第一ペテロでは、主イエス・キリストにあって召されることが、「血の注ぎかけを受ける」ことと同義だと書かれています。

父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ。どうか、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。
第一ペテロ1:12

主イエス・キリストを本当に信じるということは、イエス・キリストの血の注ぎかけを受け、その血を、常に自分の内に持っている人。そうして、常に、イエス・キリストの血によって、清められ続けている人だと言うことができるでしょう。

なぜなら、主イエスは、ご自身の血が「まことの飲み物」だとおっしゃっています。

イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。

ヨハネ6:53-56

キリスト教会に通っているけれども、救われた感じがしない…。
洗礼を受けたけれども、聖書でクリスチャンに約束されている事柄が自分の身において成就していない…。
そういう人は、イエスの血に関する聖句を確かめてみて、それについての信仰があるかどうかをチェックしてみると良いでしょう。

イエス・キリストにある救い。イコール、イエス・キリストの血をいただくことです。


なぜなら、イエスの血は「契約の血」でもあるからです。


これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。
マタイ26:28

イエスは彼らに言われた。「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです。
マルコ14:24

食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。
ルカ22:20



そうして、そのイエスの血を内に持っている人が、世の終わりの神の怒りを過ぎ越すことができるのです。

信仰によって、初子を滅ぼす者が彼らに触れることのないように、彼は過越と血の注ぎとを行ないました。
ヘブル11:28

ユダヤ人/イスラエル人たちがエジプトの奴隷状況から脱出する際に、「過越」が行われました。過越は、エジプトの歴史始まって以来の災難である初子がすべて殺されるという、イスラエルの神から来る人知をはるかに超えた御業。この人知をはるかに超えた恐ろしい御業から、逃れることができる、それを過ぎ越すことができる、というか意味です。

その過越は、小羊の血によって可能になるのです。

それが、後代のイエス・キリストの血が持つ意味です。
この血によって、終わりの日にやってくると預言されている神の怒りから、過ぎ越すことができるのです。


 

 

過去のブログを読み返していて、「イエスの血」に関して、改めて気づきがありました。

 

イエスの血について、少し前に、啓示をいただいたことがあります。啓示とは、聖霊様が教えてくれる、聖書の事柄に関する新しい理解です。

 

すなわち、天使には、血がありません。よって、天使は、血のことがよくわかりません。

サタンは、天から落とされた、悪しき天使です。サタンも、血そのものの理解がありません。要は、血に対して、無防備です。

イエス様は、神であられるのに、人の子として、この地上に来られ、聖書の預言に従い、父の御心に従って、十字架に付けられらて、血を出されました(デリック・プリンスの動画による勉強が不可欠です)。

この、神の御子の血ということが、サタンには、よく理解できず、脅威です。それが、どれほどのものであるのかを、サタンはよく理解できません。よって、きわめて恐ろしい存在として、目の前にあります。

 

つまり、サタンや悪霊に対して向き合う時に、この「イエスの血」に関する信仰が、はっきりと、あると、この「イエスの血」を突きつけることにより、敵は即座に腰砕けになって、滅ぶ、ということです。

 

「血」は、神の被造物の「いのち」と等価です。

 

旧約聖書の時代、イスラエルの民の罪を贖うため、雄牛や羊が犠牲にされて血が捧げられたのは、その「いのち」を神に捧げたのです。

 

御子イエスの血が捧げられたのは、人となられた御子イエスの「いのち」が捧げられたのです。

 

この「御子イエスの血」が、すべての人の罪を贖うし、最も穢れた存在である悪しき霊、天から落ちた御使いであるサタン(悪魔)を浄化し、滅ぼすのです。

 

兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。

ヨハネの黙示録 12章11節

 

Courtesy of Fr Lawrence Lew, O.P.