『パウロはいかにしてパウロになったのか』

序章 パウロが読んだ聖書から、パウロを読む

序-1 この本で出会うパウロ

パウロを知るために、まず創世記の一場面を開いてみましょう。


アブラムには、自分の跡を継ぐ子がいません。彼はその現実をYHWHに訴えます。するとYHWHは、彼自身から生まれる者が跡を継ぐと告げ、外に連れ出して星を見せます。数えきれない星々を前に、彼の子孫について約束するのです。その直後に、アブラムがYHWHを信頼したことが記されます。ここには、将来への不安を抱える人と、その人に語りかけ、約束を与える神とのやり取りがあります(創世記15:1–6)。


後にパウロは、ローマにいる人々への手紙で、「聖書は何と言っているか」と問い、この場面の言葉を引用します。アブラハムが神を信じ、それが義と認められた、という言葉です(ローマ4:3)。


その引用を読む時、私たちは創世記へ戻ることができます。アブラハムは、誰の、どのような言葉を信頼したのか。YHWHは、彼とその子孫に何を約束したのか。元の物語を読んでからパウロに戻ると、彼がその言葉を選んだ理由を、具体的に考えられるようになります。本書は、この往復を重ねてパウロの信仰に近づきます。


もう一つの入口は、彼自身の生き方です。


パウロは自分の出自を語る際、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身であり、律法についてはパリサイ人であったと述べます(ピリピ3:5)。また、同族の同世代の多くの者よりも先に進み、先祖の伝統に人一倍熱心であったと振り返っています(ガラテヤ1:14)。


使徒の働きは、さらに、彼がガマリエルのもとで先祖の律法について厳密な教育を受けたと伝えています(使徒22:3)。この記述を、パウロ自身の手紙にある自己紹介と照らし合わせながら、彼の学びの背景を探ります。


では、同じ時代に畑を耕し、工房で働き、家庭を営んでいたユダヤ人たちは、聖書とどのように暮らしていたのでしょうか。その生活と、専門的な学びに進んだパウロの生活は、どこで重なり、どこで異なっていたのでしょうか。本書の前半では、家庭、仕事、安息日、食卓、神殿、祭りを手がかりに、その違いを見ていきます。


そのうえで、創世記、出エジプト記、申命記、詩篇、預言書を開きます。引用された一節を、その前後の物語や訴えの中に戻して読みます。誰に向けられた言葉なのか。どのような危機の中で語られたのか。何が約束され、人々にはどのような応答が求められているのか。それぞれの文書に、その問いを向けます。


こうして準備を整えてから、イェホシュアをメシアと認めたパウロの手紙へ進みます。彼はローマ15:8で、メシアの働きを、神の真実と、父祖たちへの約束を確かなものにすることに結びつけています。父祖たちへの約束は、彼がメシアを説明する際の重要な手がかりになっているのです。


パウロは、それらの約束がどのように実現していると理解したのでしょうか。イスラエルと諸国民をどう位置づけ、その理解から、どのような共同生活を築こうとしたのでしょうか。


本書で出会いたいのは、聖書の言葉を学び、その言葉によって自分の経験を理解し、人々に語りかけたパウロです。 彼が引用した聖書を一緒に開きながら、その信頼と希望が、どこに根を下ろしていたのかをたどっていきましょう。


序-2 暮らしの記録、聖書の言葉、パウロの証言をどう読むか

一世紀の家庭で、親が子どもにYHWHについて語りかけている。そのような光景を思い描く時、私たちは何を手がかりにできるでしょうか。


申命記6章には、命じられた言葉を心に置き、子どもたちに繰り返し教え、家にいる時も道を歩く時も語るように、という教えがあります。ここから読み取れるのは、神の言葉を家庭生活の中で伝えていくことが求められている、ということです。一方、各家庭で誰が文字を読めたのか、巻物を持っていたのか、どのように教えていたのかは、さらに別の資料を使って調べる問いになります(申命記6:6–9)。


そこで、聖書とともに、当時の生活を伝える記録を開きます。


ヨセフスは『アピオン反駁』で、人々が毎週仕事を離れて集まり、律法を聞いて学ぶように、立法者が定めたと説明しています。ただし、この著作には、自分たちの伝統を批判する相手に答える目的があります。その記述から、共同で律法を学ぶことの重要性を読み取りながら、彼が読者にどのような社会像を伝えようとしているかも考えます。ペネロペ
こうした文章を、建物の遺構や碑文、生活用品などの資料とも照らし合わせます。地域と年代を確かめ、後世の資料を使う際には、その時代の隔たりも示します。聖書が求める生き方と、人々が実際に営んだ暮らし。その両方を調べることで、生活の輪郭が見えてきます。


パウロについても、証言の性格を確かめながら読みます。


先祖の伝統に人一倍熱心だったという言葉は、ガラテヤ書にある本人の回想です。その回想は、自分が宣べ伝える福音をどこから受けたのか、という説明の中に置かれています(ガラテヤ1:11–14)。 

 

ガマリエルのもとで学んだという記述は、使徒の働きが伝える、群衆に向けたパウロの弁明にあります(使徒22:1–3)。
本人の手紙と、彼の活動を物語る文書。それぞれの言葉が語られる場面を押さえ、共通する情報と、一方だけが伝える情報を整理します。そうすれば、パウロが自分について何を重視していたかと、彼の生涯について何が伝えられているかを、区別しながら結びつけられます。


次に、パウロが引用する聖書の読み方です。


本書では、まず引用と確認できる箇所を集めます。特有の言い回しが響き合う箇所は「暗示・反響」として、主題の理解に役立つ箇所は「背景」として扱います。言葉の似通いだけで引用元を決めず、語句の組み合わせと前後の議論を確かめます。


その際、ヘブライ語とギリシャ語を読み合わせることも重要になります。たとえばイザヤ11:10では、「エッサイの根」について、ヘブライ語本文は諸国民が彼を「求める」と述べています。古代のギリシャ語訳である七十人訳、略称LXXでは、諸国民が彼に「望みを置く」という表現になっています。


ローマ15:12でパウロは「イザヤは言う」としてこの箇所を引用し、LXXと同じ「望みを置く」という表現を用いています。ここでは、ギリシャ語訳との比較によって、パウロが実際に引用している言葉を、より正確に捉えられます。


そこで本書では、引用元のヘブライ語本文を、その章や物語の流れの中で読みます。語句と文法を確かめ、LXXなどと比較し、その後でパウロの文章に戻ります。日本語訳で同じ言葉に見える場合も、異なる言葉に見える場合も、この順序で調べていきます。


この作業の先にあるのは、引用元の聖書が語ること、パウロがそこから読み取って語ること、そして私たちが理解することを、それぞれ確かめられる読み方です。


まずは、YHWHを愛し、その言葉を子どもたちに伝えるように教えられた家庭から、旅を始めましょう。