イェホシュアのイスラエルの信仰と証し -47ページ目

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Terry Goodyer

 

 

本日の礼拝と交わりは以下のGoogle MeetのURLで行います。

礼拝
7月 24日 (日曜日) · 午前10:00~11:00
Google Meet の参加に必要な情報
ビデオ通話のリンク: https://meet.google.com/amt-ddmi-fqx

交わり
7月 24日 (日曜日) · 午前11:00~午後12:00
Google Meet の参加に必要な情報
ビデオ通話のリンク: https://meet.google.com/xqm-ddxz-enw

礼拝メッセージのテーマは
「私の家」が「神の家」になる。「家」が大切なのはなぜか?

聖書を注意深く読むと、「神の家」「あなたの家」「わたしの家」…「家」に関する記述が複数あります。「神が、わたしの家に来て下さる」、「神が、わたしの家で一緒に住んで下さる」。そういう信仰が、確実にあります。特にダビデの詩篇を読むと、これがはっきりとあります。

この、天地創造をなさった神、新約聖書で御子イエスから「天の父」と呼ばれた神。この神が「自分の家に来る」という信仰は、「自分の『家』」が「アブラハムの『家』」とほとんど同じものになる。つまり、「自分の『家』」が「アブラハムの『家』」に連なる。そういう信仰です。

この『家』において、神は大いなることをなさいます。

 

そう言う私も、諸々の悪霊の問題を抱えていた人間であり、ある時期まで、感謝することを知らない人間でした。感謝する心が欠落している人間でした。

 

ですので、感謝する心が欠落している方々のことは、自分のことのように理解できます。

 

 

Courtesy of Elke Mader

 

 

 

その人が死んで、イエス・キリストの前に立った時、生前悔い改めることがなかったすべての「嘘」について、言い開きをすることになるのだ、ということに、今気づきました。

 

それは恐ろしいことです。

 

 

わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。
あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。

マタイ12:36-37

 

 

Courtesy of Elke Mader

 

 

Courtesy of Elke Mader

 

 

悪霊に強く影響されている人に共通した特徴として、「感謝がない」ということがあります。
単に感情として「感謝がない」というレベルではなくて、「感謝する心が存在しない」あるいは、「人間の自然な心の動きとしてある『感謝する機能』が根本的に欠落している」という感じです。

これは悪霊の大元であるサタン/悪魔が、すでにそうした感謝知らず、恩知らずであり、自分のことだけを考え続ける、神に反するプライドの権化であることから、手下である悪霊どももその影響を受けて、「感謝しないキャラクター」を帯びるのでしょう。



悪霊の追い出しは、取り組んでみるとお分かりいただけると思いますが(マルコ16章末尾に書いてあることがありますから、本源的に、本当にイエス・キリストを信じているのならば、天の父が色々に経験させて下さって、誰でも悪霊の追い出しをするようになります)、お一人お一人に、非常に時間のかかるプロセスです。

この投稿で、悪霊の追い出しを実際に行う前の準備的な対話のことについて説明しています。

「悪霊の追い出し」の具体的なプロセス(1) - 準備対話
https://ameblo.jp/sasuke-memo2/entry-12753802698.html

週に1度1時間の準備的な対話を重ねて、その方に、どういう経緯で悪霊が入るようになったのか、どういう罪が関係しているのか(聖書で言う罪。イスラエルの神から外れている行為一切←例えばカトリック教会の影響を受けている、例えばプロテスタント教会固有の聖句を信じる偶像崇拝をしている、といったことも含みます)、そうしたことを明らかにして行きます。

悪霊の追い出しには、イエス・キリストのお名前によって悪霊は出ていくのだという素朴な信仰も必要です。この素朴な信仰を培うための準備期間も必要になります。そうしたことを手ほどきさせていただく。

それらの準備を経て、実際の悪霊の追い出しのセッションに入ります。通例、準備には数ヶ月かかります。

通例、その方が住んでいる都市に伺って、カラオケなど防音が施された部屋で、悪霊追い出しのセッションを行います。私の側でも、途方もない大声を出して、悪霊を叱りつけ、悪霊を怒鳴りつけ、一つ一つの悪霊と対決しながら、また、そのやり方をその都度、天の父に教えてもらいながら、ひたすら大声で怒鳴りまくる的なことを行なって、最終的に、頭を出した悪霊を、マルコ16章にある蛇をも掴む式で、ずるずると引きずり出します。

また、追い出される側の方も、中に入って隠れていた悪霊が、いわゆるマニフェステーションをして、その悪霊固有のキャラクターをさらけ出し、様々に醜悪なことを言い、叫び、抵抗し、私の怒鳴り声に対抗してきます。こちらは、イエス・キリストの名と権威によって、あくまでも敢然と立ち向かいます。

そうしたセッションを、途中で休憩を挟みながら、あるいはノンストップで、2時間程度行います。



これは、主イエス・キリストにあって行うミニストリーであるとは言え、大変なことです。こうしたことを、その方がお住まいになっている土地に伺って、行います。
(これを書きながら、その方がお住まいになっている土地に行くこと自体が、その土地にまつわる悪霊どもに対する、霊的な戦いの一環になっているということに気づきました。その土地その土地において、古くから行われてきた偶像崇拝や、例えば過去数十年の間にある新興宗教が拠点を置くなどして、新しいタイプの偶像崇拝が行われている、その関連の霊どもがその土地を席巻している、というようなことがある場合に、悪霊の追い出しの当事者であり、霊的な戦いの当事者である私がその土地に行って、その土地の匂いを嗅ぎ、光を浴び、様子を見て歩き、霊的な特徴を五感で感じることには、極めて大きな意味があるのだということに気づきました。例えば、岐阜県のある都市に伺った時のことが思い出されます)

こうした主イエス・キリストにあって行う悪霊の追い出しのミニストリー。それは、聖書で「あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」と書かれていますから、対価をいただかずに行うのです。またこれは、私の悪霊の追い出しの師匠であるジョゼフ・ジャシンスキ牧師(Jozef Jasinski, Promised Land Ministries)の教えでもあります。

病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。
マタイ10:8

従って、何かの報酬をもらおうとか思っていませんし、また、大きな感謝を受けるということも期待せずに行なっているミニストリーです。なので、一連の悪霊追い出しが終わって、その方が解放されて -- とは言ってもこれはファーストステップでありしばらくするとセカンド、サードと悪霊追い出しのフェーズが深化して行きます -- さっぱりとされて、その後のやりとりが続くなかで、ふとある時、何も感謝されていないことに気づく。その方はまだ、悪霊の追い出しが全て完了した訳ではなく、最初に追い出すのが順当が、比較的表層にいる悪霊を追い出しただけなので、まだ悪霊の影響は受けているのです。従って、上記の感謝しない悪霊のキャラクターを帯びている。それがあるために、不思議なほど、感謝の心がない。ああ、この方には、感謝する心がないのかと気づく…。

それもこれも悪霊のせいなのです。


こちらは相当な時間を使って対応をさせていただいている。一応、こちらも人間ですから、ギブ&ギブで行くことに、少しの迷いがない訳ではない。ある程度は感謝の思いを受けたいという人間的な気持ちはある。しかし、その方にまだ残っている悪霊が、感謝する心をその人から除去しているために、不思議なほど全く感謝がない。そういう状況に接します。



これが、その方と中長期に関わって、その方の悪霊の問題が薄皮を剥ぐように薄れて行くと -- それは主イエス・キリストの介在があって初めて可能になるのですが -- その方に、人間本来の「感謝の心」が芽生えてくる。その方は、生まれて初めて「感謝する人間」として行動をし始める。

すると、これまで複雑な感情のもつれや、本源的な親の問題から来るその方の生育歴の諸問題などで、両親に感謝することができなかった人が、自然と両親にも感謝する言動が現れてきて、両親との関係も良いものになって行く。

感謝を知らなかった人が、感謝する人に変えられて行く。そうした変化を見ることになります。

こうした中長期にわたる、その人において起こる、天の父がよくして下さる変化。主イエス・キリストが介在して下さる変化。聖書に書いていある、イエス・キリストを信じることによって起こる全ての良いこと。それを、目の前で見させられるのです。これこそが、その人において現れる主の栄光。イエス・キリストの名によって成就した神の約束。

そうしたものを見させられるので、ある時期、感謝がいただけなかったことも解消されて、それに倍する喜びが沸き起こるのです。

ハレルヤ!

 

Courtesy of Elke Mader

 

 

その人の悪霊の問題を取扱う際には、必ず、その人が人生においてついてきた「嘘」と向き合うことが必要になります。特に女性の場合は、そうです。

サタン/悪魔は本質的に嘘つきであり、自分が影響を及ぼしている人間に、ありとあらゆる嘘をつかせます。サタン/悪魔の下位にいる悪霊どもも、それぞれのキャラクターを帯びながら、それぞれに嘘つきです。従って、色々な経緯で悪霊が住み着くことになった人も、様々な形で、様々な深さ、浅さを持つ、実に様々な嘘をつきます。



悪霊を追い出して欲しい。これこれの状況があるから。そのように相談に見えた方の、その「悪霊を追い出して欲しい」という事柄、その対象。それ自体が、すでに嘘である、というケースがあります。悪霊の追い出しとして取り組んだところ、実際は、10代の頃から患って20年が経過した統合失調症であった、ということがありました。

悪霊の追い出しで対処できる問題ではなく、これは精神科の領域です。それが、悪霊の問題として持ち込まれた。こちらは一生懸命、悪霊の追い出しが必要な方だとして対応をした。しかし、だんだんと、本件は悪霊の問題ではなく、重度の統合失調症の問題だということがわかってくる…。これを「悪霊」の問題だとして、様々な教会に駆け込んで、「悪霊を追い出して下さい」と依頼して歩く、そのご家族の方に「嘘」がある…。

実はこのケースの場合、悪霊の追い出しに際して、最初の段階で天の父に状況を尋ねたところ、「嘘」という一言をいただきました。どこかに嘘がある。何かの嘘をついている。その相談に来られた方に嘘がある…。そうしたことがあって、その相談に来られた方に、「あなたは嘘をついていませんか?」と問い質したところ、それはないとおっしゃる。

しかし、2ヶ月、3ヶ月が過ぎて、事態が展開していく中で、そこにある「嘘」が浮かび上がって来る。

その嘘とは、その問題が悪霊の問題であるのではなく、20年に渡る統合失調症の問題であった。それを悪霊の問題と思い込んで、悪霊の追い出しのために多数の教会を経巡った。そうして私の所にも来た。そこに「嘘」がある。そういうことが、だんだんとわかってきました。



特に女性の場合は、嘘と言うよりも、虚言症/虚言癖と、その人の人格がくっついているケースがあります。従って、本人も、どこからどこまでがその人の「本当」で、どこから先が「嘘」なのか、わからなくなっている。「嘘」を生きているのだけれども、本人はそれを「本当」だと思っている。

しかし、そうした状況は、悪霊が、一つではなく複数その人を「占拠」している状態で、実は、本人はものすごく苦しんでいる。「嘘」を生きているので、本源的な自分、真実を知っている自分が、奥深い所にはいて、それが「嘘」だと本源的に理解している。「嘘を生きるつらさ」を、その本源的な部分ではわかっている。

 

表層的に「嘘」をつきながら生きている自分がいかにハッピーそうに見えても、深い部分では相当に苦しんでおり、そこに大きなギャップがある。それが、何らかの病気として現れてくる…。慢性的な内臓の病気。慢性的な痛み。慢性的なうつ病。慢性的な被害妄想。慢性的な対人恐怖。などなど。

悪霊の追い出しの相談に見えた方とは、以下の投稿で書いたように、週1回1時間の準備対話を重ねて行きます。そうして、その「嘘」について、一つひとつ丁寧に解きほぐしていく作業をして行きます。

「悪霊の追い出し」の具体的なプロセス(1) - 準備対話
https://ameblo.jp/sasuke-memo2/entry-12753802698.html

 

嘘をつき続けていると、その人から悪霊は出て行きません。
その「嘘」が「嘘ではない」と頑固に頑張っている人からは、悪霊は出て行きません。


その人が、「私はこれこれの嘘をついてきた。主イエス・キリストにあって悔い改めます」と、素直に悔い改める姿勢があることで、その嘘にまつわる悪霊は出ていくのです。





その人における決定的な「嘘」は、モーセの十戒のうち、偶像崇拝(ありとあらゆるスピリチュアリズムを含む)か、姦淫(ありとあらゆる性の逸脱を含む)か、そのどちらかと深く結び付いています。

旧約聖書的な観点で言えば、偶像崇拝(ありとあらゆるスピリチュアリズムを含む。以下同)が行われている所には、必ず、本源的な嘘がある。

 

姦淫(ありとあらゆる性の逸脱を含む。以下同)がある所には、必ず、本源的な嘘がある。

後者で言えば、不倫の罪を犯し続けている人には、必ず、本源的な嘘があり、不倫を続ける限り、本源的な嘘をつき続けることになります。不倫の罪を犯していることから、それにまつわる悪霊 -- 例えば淫乱の霊 -- が入りますし、また、本源的な嘘をつき続けていることから、それにまつわる霊 -- 例えば嘘つきの霊 -- が入ります。

 

Aという悪霊が入ると、その悪霊Aのキャラクターがその人の人格にオーバレイされる格好になって、人格が変化を被ります。Bという悪霊が入ると、悪霊Bのキャラクターが、その人の人格を変えます。悪霊がいくつも入ると、その人の人格が大きな影響を受けて、その人本来の生き方ができなくなります。

前者(偶像崇拝)の場合、スピリチュアリズムに入っていく人は、そもそもの発端において、性格的な弱さ、地域社会の人間関係において自分が被ってきた弱さ、それゆえのいじめなどの問題があり、その発端において、「嘘」が関与しているケースが多いです。ものすごく単純化して言うと、嘘つきであったことから、スピリチュアリズムにすり寄っていく。(ここにサタン/悪魔由来の悪霊の霊としての動きが見えます。悪霊は親和性を求めます。似た人にすり寄って行きます) 以降は、スピリチュアリズムにハマる本人と、根底にあった嘘つきという要素が相まって、ベースに「虚構」がある人格になっていく。その人格をスピリチュアリズムが増強する。パワーアップする。しかしそのパワーは、サタン/悪魔を根源とするパワーなので、いずれ破綻する。本人は、それが決定的に間違いだったと気づかされる…。

このように偶像崇拝と姦淫とは、嘘と切っても切れない関係があります。



この「嘘」から、完全に解放して下さるのが、本源的な所まで降りて行って、救い出して下さるイエス・キリストです。

このイエス・キリストによって、嘘が嘘であったと明らかにされ、その人が幾多の嘘を告白し、悔い改め。悔い改める度に、嘘が明らかにされて、心が軽くなり。最終的に、全ての嘘が告白されて、嘘が嘘でなくなった瞬間に、そこに隠れていた悪霊が見えてきます。

その悪霊を、イエス・キリストの名と権威によって、叱りつけ、怒鳴りつけ、怯えさせて、引きずり出すのです。