「悪霊の追い出し」の具体的なプロセス(1) - 準備対話 | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Damian Gadal

 

 

悪霊の追い出しは、マルコ16章の末尾に書かれているように、イエス・キリストを信じる人の信仰に伴う「しるし」の一つです。聖書通りの信仰があり、聖書通りの教会活動を行なっており、聖書通りに生きているならば、その人は、悪霊の追い出し”も”します。

悪霊の追い出しをしないのであれば、その人の信仰が聖書通りでないか、聖書通りではないキリスト教会に関係していてイエス・キリストの教えを守っていないか、聖書通りに生きていないか、です。

聖書通りとは、言い換えれば、使徒の働きやパウロ書簡に窺うことができる「初代教会」と全く同じ形で、信仰があり、信徒間の交わりがあり、自分の生き方もそれと全く同じになっている、ということです。

残念ながら、初代教会が展開していた1世紀の後で、ユダヤ的旧約聖書的な観点から見れば、全くの異邦人/異教徒の霊的背景を持った人々が2世紀以降のキリスト教会群にあふれるようになって(具体的にはヘレニズム世界におけるグノーシスと新プラトン主義)、最終的に325年ニカイア公会議、381年コンスタンティノープル公会議で成立した三位一体の教義。人工的な"神"。イスラエルの神とは似ても似つかぬ"神"。この"神"の下では、イエス・キリストも偶像に他なりませんから、このイエス・キリストを信じていると言っている人達は、聖書に照らして、信仰があるとは言えない。従って、マルコ16章に書かれている「信じる人に伴う『しるし』」がない。そういう霊的な図式があります。

信じる人は、イエス・キリストの名と権威によって、悪霊を追い出すのです。それはきわめてシンプルな、聖書に照らして、誰にもわかる真実です。それを、神学の終焉主義や諸々の聖書解釈によって、枉げて、何かを論じてみても、詮無いことです。



初代教会の伝統が異教徒(グノーシス、新プラトン主義)によって断ち切られて千数百年。初代教会の具体的な活動形態は、記録が残っていないですから(敵によって記録が抹消されたと考えています)、聖書に記されている断片的な記述を元に、こうではなかったか、ああではなかったかと、試行錯誤しながら再構築していくしかありません。

例えば、祈り方。
例えば、礼拝の仕方。

それを、新約聖書の記述を元に、また、それの下敷きとなっている旧約聖書の記述を元に、再構成していくのです。なぜならば、初代教会の記録は残っていません。伝統が断ち切られています。現在あるキリスト教会のほとんどは4世紀に成立した人工的な"神"である三位一体を奉じている教会であり、初代教会を回復させる時の手がかりを提供できません。

もちろん、初代教会の回復に当たっては、その都度、天の父が教えて下さり、イエス・キリストの執り成しがあります。また、真正な聖霊が下っていますから、聖霊も助けて下さる。

しかし、例えば、悪霊の追い出しの具体的な進め方についても、初代教会のやり方を記した記録がない中では、ある意味、試行錯誤にならざるを得ません。

あるやり方がうまくいくケースがある。
また、別なやり方が、うまくいかないケースがある。
それが現実です。

また、そこにも、創造主であられ、イスラエルの神であられる天の父の御業が働いており、御心がなされている。生ける神の御子イエス・キリストが、臨んでいらっしゃって、常に父の右の御座で執り成しておられる。

そうした中で、信じる人の日常は、記録がありませんから、聖書の記述を元に、右に進む、あるいは、左に進むという形になります。間違っていれば、聖霊が気づかせてくれることもあります。また、明示的に、早朝の祈りの中で、天の父が教えてくれることもあります。

そのようにして、悪霊の追い出しの具体的なプロセスも、固まったきたのです。



リーハイバレージャパニーズミニストリーズの動画で、ジョン・ラミレスの悪霊の追い出しを見た人は、「あれが悪霊の追い出しだ」と勘違いしています。往々にして、ああいうものが、悪霊の追い出しだと考えている。

簡単に言うと、ある短い時間の中で、追い出しをやるミニスターが「出て行け!」とやると、それで出ていく。悪霊の追い出しは、それでおしまい。(アフターケア的に、何度かやらないという構えの人達もいます)

ものすごく簡単に言うと、一種のマジックショーのように、ミニスターがエイやっとやると、それで悪霊の追い出しは終わってしまうものだ、と考えている人が、ものすごく多い。リーハイバレージャパニーズミストリーズの動画の弊害が、そこにあります。申し訳ないけれども、弊害です。そんな、短時間で済むものではない。



私の師匠であるジョゼフ・ジャシンスキ牧師(Jozef Jasinski, Promised Land MInistries)は、来日した際の短いレクチャーで、「デリバランス(悪霊の追い出し)は『プロセス』だ」とおっしゃいました。これが2019年のことだったと思います。

その後、様々な大変な方々のケースに取り組むようになって、彼が言っていた「悪霊の追い出しは『プロセス』だ」という意味が、理解できるようになりました。
(私はそれ以前の2017年末から、ジョゼフ・ジャシンスキの最初の出会いの後で、悪霊の追い出しをやらせていただくようになっています)



プロセスだ、ということの意味は、悪霊の問題を抱えた人と、小職とが、何度も何度も対話をしながら、
1)その人に悪霊が入った原因
 を突き止めて行き(それには長い時間がかかります)、
2)その人のイエス・キリストについての信仰
 が育まれるように、聖書の音読を一定期間続けて、
3)悪霊は、イエス・キリストの名と権威によって、出ていくのだという信仰
 をしっかりと持っていただき、
最初の悪霊の追い出しセッションに臨む(何度か必要になります)、という一連の手順が必要になるということです。


通例、一週間に一度、曜日と時間を決めて、話をすることから始まります。

最初の一二回は良いですが、三度、四度と回を重ねるようになると、これが、しんどくなります。この段階で、連絡を絶って、いきなりいなくなる人もいます。

悪霊が入る原因となった事柄を、自分で突き止めていく過程に、耐えられなくなるからです。



悪霊は、一般的には、モーセの十戒のうち、偶像崇拝を禁じている戒めと、姦淫を禁じている戒めのいずれかを犯していることから、その人に入る余地を見つけ、多くの場合は、幼い頃に、入ります。あるいは、思春期に入ります。

偶像崇拝の範囲は広く、異教、占い、スピリチュアル全般、音楽、超能力・霊能力を成長させていく漫画などが入ってきます。日本にはあふれています。
姦淫の罪は、マスターベーションの性癖がきっかけとなって、ポルノ耽溺、婚外交渉の繰り返し、不倫の繰り返し、売春の繰り返し、SM等異常な性交渉の繰り返しなどです。多くは幼い頃のマスターベーションから発展して、そういう事柄に及びます。

 

その他、自分から見て上の世代にいる方が行なっていた、家系にまつわる程度のひどい偶像崇拝が原因となって、下の世代であるご本人に悪霊が入るケースもあります。(出エジプト記20:5など)

悪霊が入るきっかけになった、そうした事柄を、週一回の準備対話の中で、一つ一つ思い出し、記憶を掘り起こして、明るみに出さなければならない。

それは以下の一連の聖句にもある通りです。

あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。
――光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです――
そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。
実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。
なぜなら、彼らがひそかに行なっていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。
けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます
明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」

エペソ5章

悪霊が入るきっかけになった事柄は、必ず、暗闇で行われています。隠れて行われている、忌むべき行為です。

それを、主イエス・キリストの御名によって、主イエス・キリストが臨んでおられる霊的な場において、明るみに出す必要があります。

ここがすでに初代教会的な信仰が、あるか、ないか、が分かれ目になる所です。

仮に、パウロが宣教していた初代教会的な信仰がないのであれば、こうした、週に一度、曜日と時間を決めて行う準備対話において、過去の恥ずべき行為などを、「自分の口で言い表す」(ヤコブ5:16、第一ヨハネ1:9)には、何の意味もありません。

従って、この信仰がない人は、週一の準備対話を続けていく中で、自然と脱落して行きます。残念ながら、そういうパターンになる人が、ある程度、います。