具体的な展開の中でわからされること | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Pedro Szekely

 

 

非常にいい経験をさせてもらっています。

昨日は、愛知県警津島警察署に行って、現在起こっている事案について、二度目の話をしました。かれこれ2時間でした。

担当して下さった刑事Sさんは、親身になって話を聞いて下さり、客観的な立場から、非常に創造的な対応策をアドバイスして下さいました。この対応策は、私たちでは思いもつかなかったものです。また、聖書の教えに合致していると思いました。
その対応策について、説明している刑事Sさんの口を通じて、神様が語って下さっているのではないかと思いました。

ハレルヤ!感謝します!



この事案は、当教会とその方との目に見える関係だけでなく、ご家族であられるその方に働く、聖書で記されている通りの神の働き、御子イエスの執り成し(=救い)のストーリーを包含しているのだ、ということを、先日、天の父から教えられました。目に見えない、神から来るストーリーが、全体の状況の中で、進展しています。それを知らされた時、ああと思いました。神の愛はいかに深いことかと。

神の愛が働く局面では、主イエス・キリストを信じる信徒は、徹底的にイエス・キリストの教えを守るように、仕向けられます。非常に大変な局面で、肉で歩むならば絶対に難しい事柄について、イエス・キリストの教えが頭にはっきりと浮かんできて -- それは聖霊の働きによります -- その御言葉を「守る」ように、仕向けられます。これは、神であられる天の父が、そのように仕向けるのです。なぜなら、私たちは「神の作品」です(エペソ2:10)。

イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。
ヨハネ14:23

イエス・キリストを愛する人は、イエス・キリストの言葉を守るのです。
この「守る」は、ギリシャ語原典を確かめると、「ルールを守る」という意味の「守る」以外に、「その神の言葉が成就するように、敵の攻撃からガードする」という意味合いもあります


これは、エレミヤ1章で、神である主が、つまり、新約聖書の天の父が、ご自身の言葉が成就するように「見張っている」とおっしゃった。それと同じ意味です。

すると主は私に仰せられた。「よく見たものだ。わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っているからだ。」
エレミヤ1:12

神は、ご自身の言葉が成就するように、その言葉と、それを取り巻く状況を見張っているのです。その言葉が、敵によって破壊されないように「守っている」のです。

主イエス・キリストがヨハネ14:23でおっしゃった「わたしを愛する人は、わたしのことばを守ります」も、まったく同じ意味です。イエス・キリストの教えが成就するように、現実に展開するように、また、それによって実を結ぶように、その教えが敵によって蹴散らされることから「守る」(ガードする)のです。それが、イエス・キリストを愛する人の行うことです。

もちろん、困難な状況で、イエス・キリストの教えを守ることには、大変な苦しみが伴います。

しかし、その苦しみは、ご自身について言われた預言が成就するように、ゴルゴタへ向かう途上でムチや悪口や唾を吐きかけられることに耐え、太い鉄の棒で手足を撃ち抜かれて十字架に架けられている激痛に耐えた主イエス・キリストが耐えていた苦しみと、程度の差はあっても、本質的に同じものです。神の言葉を守るために、その苦しみを忍ぶのです。

イエス・キリストを愛さない人は、イエス・キリストの教えをガードしません。むしろ、そこから逸れてしまいます。

最後の最後に、イエス・キリストの教えを守り、その苦しみを耐えて、その先に進む人を、天の父も、御子イエスも、ご自身の家族として迎え入れて下さいます。それがまさに聖書に書いていることです。



そのようなことがありますから、その都度教えられる天の父からの教え、御子イエスの聖書の御言葉を通じた教え。そうして、その都度、わからせてくれる聖霊の働き。

これに従って歩む時、「イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)とイエス様がおっしゃった「道」が、そこに、あると確信しています。