イェホシュアのイスラエルの信仰と証し -46ページ目

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Fr Lawrence Lew, O.P.

 

 

聖書をしっかりと読むならば、聖書の全体のストーリーは「選ばれた民」であるイスラエルと、イエス・キリストを信じる信仰により異邦人でありながらイスラエルに加えられ人達とが「一つ」になって(ローマ11章、ヨハネ14章〜17章、エペソ2章〜4章、ヘブル2章)、新しい天、新しい地に入っていく壮大なサルベーションのストーリーです。



こうした壮大なストーリーに反するのが、その時代時代に生じる、イスラエルの神に反する存在、
 

目に見えない霊的なもの、


目に見えない霊的な支配、
 

目に見えない霊的な束縛、
 

目に見えない霊的なルール、
 

目に見えない霊的な決まり事、
 

「日曜礼拝」から「ご奉仕」から「祈祷会」にある、すべてのプロテスタント教会に同時並行的に共通要素として存在している「ドイツ的プロテスタンティズにあからさまに現れている『イスラエルの神』の敵」。

 

そこが、「イスラエルの神」の怒りにさらされている、と思うのです。 

 

ドイツ神学で(大元のラテン神学含め)、イスラエルの生ける神を、なめんなよ、と。

「神を知っている」と、勘違いするなよ、と。

 

 

 

 

 

 

 



 

Courtesy of Pedro Szekely

 

 

神は彼らのしたことを知っておられるので、夜、彼らをくつがえされる。こうして彼らは砕かれる。
神は、人々の見ているところで、彼らを、悪者として打たれる。
それは、彼らが神にそむいて従わず、神のすべての道に心を留めなかったからである。

ヨブ記34章

 

義なる神、イスラエルの神。

イスラエルの神に執り成して下さるメシア、イエス・キリスト。

イエス・キリストを信じる信仰によって、イスラエルの神の子供とされた人たち。

ご自身の子供となった人たちを、イスラエルの神であられる天の父は必ず守り抜かれる。

 

 

 

 

最先端をひたすらに突き進む現代の神学者N.T.ライトは、著書"Paul: A Biography"において、現代でも、イエス・キリストが十字架で勝利を遂げたはずの暗闇の支配者達、及び、暗闇の諸力によって、ほとんどの人間が支配されている、という趣旨のことを書いています。

これは、パウロが宣教している異邦人のための福音に反します。
また、主イエス・キリストが宣教した神の国の福音にも反します。

なぜ、このようなことが起こっているのでしょうか。

キリスト教会は、何に取り組むべきなのでしょうか?

 

 

 

 

Taken by me

 

 

Courtesy of Pedro Szekely

 

 

悪霊の追い出しに取り組んでわかってくるのは、ほぼすべての人が、怯えや恐怖感の奴隷になっているということです。

これは、ローマ8:15に「人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊」として出てくる「奴隷の霊」。

あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。
ローマ8:15

目には見えないですが、イスラエルの神であられる天の父と、メシアであられる御子イエスに敵対する霊的な存在、すなわちサタン/悪魔。サタン/悪魔が頭脳を持った司令塔のような存在だとすると(サタン/悪魔は、その国々で"神"としての固有名詞を持ち、崇拝されている存在。元々は天から落とされた御使い/天使)、その配下で頭脳的には劣るが単一の働きはできる悪霊。その悪霊の一つが「奴隷の霊」。その「奴隷の霊」が、人が好むと好まざるとにかかわらず、人に付着して、心に入り込んで、「奴隷のような発想」をさせ、「奴隷のように世界を見る視点を持たせ」、「奴隷のように諸々の事を諦めている」。そうした生き方をさせる。奴隷として生き続けるようにさせる。そうした「霊」、目に見えない存在がある、ということです。



従って、「奴隷の霊」に囚われて10年20年30年と生きてきているため、イエス・キリストが自分を自由にしてくれるということを知らされても、にわかにはわかりません。そういうことがあるのだ、ということが信じられません。

悪霊の追い出しは、福音書に数多く書かれているイエス・キリストの事績ですし、イエス・キリストを信じる人はイエス・キリストと同じことをすると主イエスご自身もおっしゃっています。またイエス・キリストを信じる人に伴う「しるし」としてマルコ16章の末尾にも書かれています。しかし、このように聖書にはっきりと書かれているにもかかわらず、「奴隷」でいた年月が長いので、それは言い換えれば、「奴隷のように考え、奴隷のように世界を見るクセ」がそのように染み付いているため、聖書で書かれていることが、子供のように素直に信じられないのです。

従って、イエス・キリストの名と権威(ルカ10:19)によって悪霊を追い出すことができると言われても、ピンとこないし、それが起こる訳がないと考える…。

自分が諸々のことに怯えて生きていて、そうした目に見えない「奴隷の霊」に支配されているということが、聖書に照らして、客観的に把握することができなくて、その「奴隷の霊」から、イエス・キリストの名と権威によって解放されることは可能なのだ、と、聖書に照らして示されても、にわかには信じない。

それがまさに「奴隷の霊」の大元にいるサタン/悪魔のしていることです。恐怖を通じて支配する、イスラエルの神とメシア・イエスに敵対する霊的な存在。元々は天にいた御使い/天使。天から落とされて、地域地域で崇拝される"神"となった存在。様々な固有名詞を持ち、霊として、その地域の人を縛り付けている存在。かつ、崇拝されることを好む存在。忌まわしきもの。人を縛り付けて、最終的に地獄に引き連れて行く存在。

そのサタン/悪魔の支配を、奴隷の霊という手下の悪霊を介して受けている状況です。

従って、「本当の自由」がどんなものか、想像できないのです。


「本当の自由」は、聖書、特に新約聖書の各所に書かれています。言葉としてはっきりと記されている。例えば、使徒の働きで、美しの門のところで施しを受けるために座り続けていた生まれつきの足なえ。彼が、イエス・キリストの名によって、自由にされて、足が治って、飛んだり跳ねたりしながら、イスラエルの神を賛美しつつペテロたちについて行った。ああいう「心の底から喜ぶことができる自由」。そうした「本当の自由」は、あることなのです。

ほぼ全ての人が、うつを抱えています。
そうしたうつからの完全な自由は、あることなのです。

ほぼ全ての人が、職場の人間関係の奴隷になっています。組織からくる圧迫。上司からくる圧迫。同僚の複雑な人間関係からくる圧迫。
そうした目に見えない縛りや圧迫から、全く自由になることは、できることなのです。主イエス・キリストの名と権威によって、適切に対処するならば。聖書で書かれていることを手掛かりに、対処するならば。

 

Courtesy of Pedro Szekely

 

 

ダビデが真に願ったこと。

あなたの御名がとこしえまでも真実なものとされ、あがめられ、『イスラエルの神、万軍の主は、イスラエルの神』と言われますように。あなたのしもべダビデの家が御前に堅く立ちますように。
第一歴代誌17:24

つまり、唯一のまことの神であられる方が『イスラエルの神、万軍の主は、イスラエルの神』と言われ、崇められること。

イエス・キリストの父なる神が『イスラエルの神、万軍の主は、イスラエルの神』と言われ、崇められること。

3世紀〜4世紀にかけて、この『イスラエルの神』をおそろかにしたことから、キリスト教会の堕落が始まり、生ける神の御子イエスと、キリスト教会の距離が遠いものとなり、祈りはかなえられないものとなり、癒しもなくなった。罪が赦された実感も湧かない。

一方で、1世紀の初代教会が持っていた信仰を回復し、イエス・キリストの父なる神は『イスラエルの神』であることをまっすぐに知り、まっすぐに信じた人々には、聖書で記されているありとあらゆる良いことが起こる。信じた人に与えれるすべての祝福が臨み、すべての恵みがその人々を追いかける。教会が祝福される。教会が神の家となる。教会が神の住まわれる幕屋となる。ハレルヤ!