Courtesy of Fr Lawrence Lew, O.P.
聖書をしっかりと読むならば、聖書の全体のストーリーは「選ばれた民」であるイスラエルと、イエス・キリストを信じる信仰により異邦人でありながらイスラエルに加えられ人達とが「一つ」になって(ローマ11章、ヨハネ14章〜17章、エペソ2章〜4章、ヘブル2章)、新しい天、新しい地に入っていく壮大なサルベーションのストーリーです。
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こうした壮大なストーリーに反するのが、その時代時代に生じる、イスラエルの神に反する存在、
目に見えない霊的なもの、
目に見えない霊的な支配、
目に見えない霊的な束縛、
目に見えない霊的なルール、
目に見えない霊的な決まり事、
「日曜礼拝」から「ご奉仕」から「祈祷会」にある、すべてのプロテスタント教会に同時並行的に共通要素として存在している「ドイツ的プロテスタンティズにあからさまに現れている『イスラエルの神』の敵」。
そこが、「イスラエルの神」の怒りにさらされている、と思うのです。
ドイツ神学で(大元のラテン神学含め)、イスラエルの生ける神を、なめんなよ、と。
「神を知っている」と、勘違いするなよ、と。