ぼくの住む清瀬での学習会、そこでお話をします。近所に住む清瀬市の教師だった方から『やわらか本』を求められ、それが周りの方たちにひろがる中で、学習会で話をしてほしいということになりました
教育のオモシロさを語る
9月13日18時15分~20時30分まで。
タイトルは『教育はむずかしい。だけどオモシロい!』としました。
あれっ?どこかで見たタイトルだという人がいますよね。そうです、先日の神奈川民教研での神代健彦さん(京都教育大)の講演タイトルのパクリ(!)です。
この学習会チラシをつくっているとき、神代さんの講演を聴いたばかりで、「我が意を得たり」とそのフレーズにとらわれていました。「その通りだよなあ!」と。
そこで、つい使ってしまいました。軽薄ですみません。
しかし、この清瀬での話は、後半の「オモシロい!」にウエイトを置きます。
『教育』誌2024.8月号にも書いたことですが、現場は突然降ってわいたようなことばに振り回されます。お上の使うことばの押し付けに弱いと、現場教師だった自分たちのこれまでを見ても強く感じます。ことあるごとに管理に振り回される私たちです。
一面では官僚組織の末端であるともいえる公立学校では、今次の指導要領のカギになる概念・用語はこれだ!とばかりに喧伝されると、多くの人がはは~っとかしづき、平身低頭それの実際化・具体化に走ります。(もちろん、そんなことはしない人たちもいますが、極めて少数になっています。)
例えば「主体的・対話的で深い学び」というフレーズが、今では何にでもついてきます。ホントにもれなくです。学習指導要領にこのことばが強く押し出されたからです。中央教育審議会答申(2016年12月)あたりから、こればかりという感じになっています。もちろん現在の指導要領もです。
さてさて、これほど、何でもかんでも枕詞のようにこのフレーズばかりというのはどうなんでしょう。字義的な意味からしても、それでは主体的なの?対話的なの?深い学びなの?という大きな疑問がぼくにはあるのですが…。
しかし、そう天邪鬼のように語っても、偏屈という謗(そし)りを免れないので、自虐的に使いますよ、「S+T+F」は大事だよって。(主体的のS、対話的のT、深いのF)
こういう英語風のイニシャルだと、照れずに使えそうです。
ただし、「S+T+F」だと何か大事なものが抜け落ちるとぼくは考えています。それは「O」です。つまり「オモシロい」かどうかが、大事だと思います。
「オモシロい」って言うと、オモシロいだけでいいのかって質問(どちらかというと詰問です!)が飛んできます。
待ってください。ほら、「STF」+「O」って言ってるでしょ。「O」だけなんては言ってませんよ。
でもね、オモシロいことに無頓着な人から、そういう詰問がきてもなあ。
「オモシロい」って様々で、内容は学習者にも、授業者にも必要なことです。具体的な授業の実際で「オモシロい」を検討しましょうね。
ぼくが提供している実践データは、その一端です。
だから、今回のテーマは『教育はむずかしい。だ・け・ど オモシロい!』なんです。その実際を、参加者に体感してもらうことを目指します。
「ことばを文字にとじこめない」
「物語をタンテイする―共同のまなび」
「イメージこそ学びを開く扉」
「教室の主人公は子ども、そして支えるのは保護者、教師―だから参加の授業を」
「下町居酒屋みたいな教室を」(冗談めかしてるけれど、これはひそかなぼくの願い)
「やわらかな教育は、自分をラクにする」
「安易に同調にのらない、でも協調は大事にしたい、じゃあどうする?」
「なにより自由を、自分らしさを失わない」
これらは、ぼくが実践の中で大事にしたフレーズ。
こんかいは、教材をいっぱい紹介しながら共感の学びを一緒につくりましょう。ぜひどなたもお出で下さい。教職員に限りませんよ。
ここでの話のための実践データは、惜しげもなく提供します。どうぞリクエストください。
(ことばあそびの実践、ことばを文字にとじこめない実践、1年間の学級通信『らぶれたあ』の実物データ、子どもの学び・育ちのエピソード、各学年教材の実践データなど)
自費出版本『やわらかな教育をもとめて』(今年の春に出版)も会場に持っていきます。
まだお持ちでない方、周りに拡げてもいいという方ご協力ください。
会場の清瀬けやきホールは、西武池袋線清瀬駅北口から徒歩3分です。
事前連絡は必要なさそうですが、資料準備もあるので、参加する方は連絡いただくとありがたいです。Line、メール、Messengerなど
⇒ shimomura-sanni@jcom.home.ne.jp まで