よどの流れ者のブログ

よどの流れ者のブログ

『源氏物語』『紫式部日記』『紫式部集』の著作者 紫式部について考えたことを書きます。 田川寿美のファンです。

病から回復したまひろに乙丸が道長の看病のことを告げた。悲田院で倒れた時の様子が少し蘇ったまひろは道長の面影を思い浮かべながらそっと微笑んだ。いい表情だ。父為時が徹夜で看病した道長のまひろへの思いをただならないと言って、まひろの世話をしてもらおうと虫のいい話をしてきたのに、話にならないと言った時のまひろの表情もよかった。道長が悲田院にやって来たのは、七年前の約束を果たそうとしているのかと思いを馳せていた様子もまたいい感じだった。このあたりの吉高由里子の演技はまひろの成長に合わせたかのように一皮むけた趣があって、心地よく見られた。

 

一条天皇の傍らで笛を吹いていた道隆が突然倒れた。病が深刻だということが明らかとなった場面だ。今回の道隆の描き方は醜悪の極みだった。疫病対策で道長が道兼と共同歩調をとっていることに苛立ちを覚え、道兼にはやっとのことでにじり寄り手を握って、わが家を、伊周を頼むと恥も外聞もなく何度も繰り返し言った。一条天皇には跡継ぎとして伊周を懇願してはねつけられる。定子には皇子を産めと鬼気迫る面差しで強要していた。死期が迫っているのを悟り、死後の息子たちの行く末を案じればわからないでもないが、あまりにくどい描き方で閉口した。なぜここまで道隆の終末のあがきにこだわったのだろう。

 

(安倍清明肖像画)

 

道隆は安倍清明に寿命を延ばす様に迫ったが、寿命だと答えて、結局その通りになった。清明の予言は当る。ユースケ・サンタマリアの演技は確かに存在感があって与えられた役を的確に演じている様に見えるが、面白みが全くない。彼が登場すると見ていたくなくなる。陰陽道は当時にあっては重んじられたと思うが、現代ではあり得ない話だ。ただ、このドラマとしては不可欠な存在だとは思う。清明をどのように描けばドラマとして面白くなるのだろうか、と道隆の見苦しい姿に嫌気がさして、どうにもならないことに思いをめぐらした。

 

明子も倫子も道長にぞっこんだ。柄本佑のキリッとした目つきと厳しい顔つきには、思う ようにならない疫病対策と新たな権力争いに悩まされる日々の葛藤が反映されていて、うっかり道長批判ができない雰囲気を醸し出している。悲田院に行った夜はどちらに泊った?と倫子に訊かれて、内裏と答えたが嫌みや狡さは全く感じられなかった。さすが、うまいもんだ、と呟かされた。

 

一条天皇の塩野瑛久も好感を持って見ていられる。公卿たちから未熟だと批判されるのを御簾越しに息を殺して聞いている一条の姿は、天皇としての孤独を感じさせた。父円融天皇も、従兄弟の花山天皇もまたこのドラマで見ている限りでは孤独でつらい立場に立たされていたことが伝わっていた。執拗に伊周のことを懇願する道隆に退がれと言い放った一条が蔵人頭の俊賢に問いかけたが、思わず共感する演技だった。若い天皇批判の急先鋒実資の秋山竜次も大勢の公卿たちの間でひと際目立つ存在感を放っていて見応えがあった。

 

 

定子の描き方は今のところはやむを得ないギリギリのところだ。何がギリギリかというと、それは清少納言の描き方と密接に繋がっている。斉信と深い仲となったことを匂わせる清少納言との絡みを見せていたが、こちらはもう逸脱している。定子の場合はそこまで行っていないと言うだけのことだ。清少納言は斉信とのエピソードを『枕草子』にいくつか記している。

 

『枕草子』第百二十八段、故殿の御為に、月毎の十日・・・、では清少納言と斉信とが粋な会話をしている。月毎の十日、というのは定子が父道隆の月命日の十日に法要を営んでいて、斉信も法要後の宴席に参席した時の話だ。斉信が詩を誦し、中宮定子も清少納言もすばらしいと褒めた。斉信が清少納言に対して、親しく付き合ってくれない、と言ったら、清少納言は、親しくなったら他人の思惑が気になって、主上(天皇)の前などで担当の役目として褒めることができなくなるとかわすと、

 

(斉信)「などて。さる人をしも、よそ目よりほかに、褒むるたぐひあれ」

とのたまへば、

(清少納言)「それが憎からずおぼえばこそあらめ。男も女も、けぢかき人思ひ、方ひき、褒め、人のいささかあしきことなどいへば、腹立ちなどするが、わびしうおぼゆるなり」

といへば、

(斉信)「頼もしげなのことや」とのたまふも、いとをかし。

 

現代語訳=(斉信)何のそんなことが。特別の仲になった人を、世間の評判以上に褒める女の人だってあるよ」

とおっしゃったら、

(清少納言)「それが気に障らないくらいでしたらねえ。(私は)男にしろ女にしろ、身近な人を大事にしたり、贔屓したり、褒めたり、他人がちょっとでも悪く言ったら、かんかんになったりするのが、みじめな気がするのです」

と言ったら、

(斉信)「頼りがいのないことだねえ」とおっしゃったのも、とてもおかしかったことだ。

(新潮古典集成『枕草子』より引用)

 

この話は、今回ドラマで道隆が死んでからほぼ一年近く経ってからのことだ。他にも斉信が清少納言に素っ気ない態度をことさら見せたエピソードもある。作家さんは『枕草子』を読んだからこそ、このようなエピソードを考えついたのだろう。すでに深い仲になっているなんて唐突すぎる。斉信を考えなしの単なる女たらしの様に描き、清少納言をそんな男の相手をした女として描いた。上記『枕草子』の潔癖で分別を弁えた清少納言の面影は全くない。面白くともなんともないこのような男女の絡みを描いてどういう積もりなんだろう。天国の斉信はあんまりやな、というだろうし、清少納言は悪く思われるのには慣れています、とでも言ってくれるのか、ただただむなしい。文学作品へのリスペクトが足りないとしか言いようがない。

 

詮子が道隆亡き後は道兼が関白だと本人を前にして告げた。同席した道長も異存がなさそうだ。このように描くのははじめからわかっていたはずなのに、なぜ道兼をまひろの母殺しに設定したのか。玉置玲央がせっかくいい表情を見せる様になってきたのにもったいない。どんなにいい人面しても道兼だけは許せない。彼を立てるなら、詮子や道長も同類だ。特に、そのことを知っている道長も許せなくなってしまう。いくら柄本佑が演じていても、だ。そのことの重大さを作家さんはわかっていたのだろうか。なんとも締まりのないドラマになってきた。

 

さわがまひろを訪ねてきた。「お許しください」と頭を下げた。型どおりのつまらない台詞が並んだ。浅はかな言葉を投げかけた非礼を心の底から申し訳ないと思い、反省の日々から出てきた言葉とは到底思えない。なるほどそんなに苦しんで反省した日々を送ったのか、と思わせてくれる様な台詞がほしかった。さわが一人家に閉じこもって、ひたすら自分の至らなさを省みる日々を1、2分くらい描いてほしかった。

 

便りをそのまま返したように見せたけれども、内容を書き写して、と向上する努力をしていたことをさわが言ったことでまひろが書くことの力に目覚めた様な描き方をしていた。安易な感じがした。『竹取物語』『伊勢物語』『蜻蛉日記』を読み、『古今和歌集』をそらんじ、漢籍にも通暁していた紫式部にとって、書くことの力は百も承知だったはずだ。しかし、それはまだまだ先の話だ。ここは女性の深層心理の複雑さに接して、その大変さを直に感じたという設定でよかったのではないか。

 

道隆が亡くなって今回は終わった。道隆が今際の時に妻貴子の歌をしっかりと口ずさんだ。二人のなれそめの頃の歌だ。貴子は感無量の表情だった。これまでの板谷由夏は表立った描写があまりなかったが、道隆との最期の時を感情に流されず、意志強い女性としての矜恃を保ったいい表情をしていた。学者の家出身の働く女性として、自らの学識と才能で光り輝いていた時があったのだ。清少納言や紫式部たちの先駆けとして道を切り開いた女性だったのだ。道隆の摘妻になっていなければ、名を残す文学作品をものにしていたかもしれない。そのような雰囲気さえ感じさせてくれた演技だった。道隆は道長と違って、身分や財産や自らの出世に関係なく等身大の女性を愛して伴侶としたのだ。

 

 

1.脚本=会話は練られているか、恣意的になっていないか(10→2点)2.構成・演出=的確か(10→3点)3.俳優=個々の俳優の演技力評価(10→6.12点)4.展開=関心・興味が集中したか(10→4点)5.映像表現=映像は効果的だったか(10→6点)6.音声表現=ナレーションと音楽・音響効果(10→7点)7.共感・感動=伝える力(10→2点)8.考証=時代、風俗、衣装、背景、住居などに違和感ないか(10→5点)9.歴史との整合性=史実を反映しているか(10→2点)10.ドラマの印象=見終わってよかったか(10→2点)

合計点(100-39.12点)

 

 

ここからはNHK大河ドラマ『光る君へ』全般について書く

 

兼家に続いて道隆も死んだ。権力争いに憑かれた男たちだ。権力争いというのはいつの時代でも、どこの国でもあった。古今東西の神話などでは兄弟身内は相争うものとされている。人類の始原より、それは後継争いであり、縄張り争いであり、生存をかけた戦い全般を象徴していた。カインとアベル、海幸彦と山幸彦の物語もその一例だ。『日本書紀』と『古事記』は天皇家の征服支配の戦い、そして天皇家内部の兄弟、血縁同士の争いの歴史書でもある。

 

 

聖徳太子が「和を以て貴しとなす」、と十七条憲法に定めて、日本は和の国だと思っておられる方も多いのではないかと思う。皮肉にも聖徳太子の息子山背大兄王は蘇我氏によって攻め滅ぼされた。首謀者蘇我入鹿とは従兄弟同士だ。天智天皇は百人一首の1番歌で「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」という歌があり、いい歌を作ったいい人だな、と漠然と思っていた。歴史書『日本書紀』を読めば、天智天皇が義父をはじめ政敵たちを無慈悲に抹殺している。蘇我入鹿も大化の改新で討たれている。従兄弟の有馬皇子も処刑している。天智天皇の息子大友皇子は叔父大海人皇子に攻められ敗れて自死した。大海人皇子は即位して天皇になった。『日本書紀』にはこのような話が枚挙に暇がない。

 

 

戦国時代も、幕末も陣取り合戦であり権力争いだ。『光る君へ』の時代にも権力争いが続いた。ドラマではそれを避けて通ることのできないのはわかる。しかし、世界に誇る文学が花開いた時代だ。日本が誇ると言えば、紫式部や清少納言は大谷翔平に勝るとも劣らない作家たちだ。それがわかる様に描いてほしい。道長は類い稀な政治家だったと思う。自筆の『御堂関白記』を遺していることは特筆すべきことかもしれないが、世界に誇れる様な人物でもない。誇ってどうする、と言われたら、日本語で書かれている文学作品だからじっくり読んでほしい、と言うしかない。

 

権力争いを主として描くドラマには辟易している。権力争いや戦いの渦中にあった人物を描くドラマをそんなに好む人が多くいるのだろうか。

 

中井貴一さんが主演された『大河への道』という映画を封切りされた年に見た。日本地図を初めて作成した伊能忠敬の物語だ。婿入りした先の家業を盛り立てて、50歳で隠居して天文学を習った好奇心旺盛な人だ。地球の周りの長さを測るために、北海道の地図を作るという条件で幕府の許可を得て、ほぼ自費で北海道に渡り実測して地図を完成すると共に、恒星の観測を通じて地球の周りを誤差少なく算出した。そこから日本地図の作成が始まる。

 

 

伊能忠敬の父親もまた婿入りした人だが、連れ合いが亡くなり婚家を出されたらしい。忠敬はその時には生まれていた。忠敬もまた婿入りして連れ合いが亡くなったが、家業を盛り立てたので出されずに後妻を得たらしい。忠敬の伝記を読んだときからドラマにすればいいと私も思っていた。忠敬一人では地図の作成は無理で、多くの助けがあればこそだった。当時の日本全国の海岸線を実測しながら廻って、地図を作成するというのがどれだけ大変なことだったか。領内の秘密を探られては困るという非協力の藩もあったらしい。幾多の困難があったとされている。大河ドラマにふさわしい話だと、私は思っている。隠居してから当時としては珍しい西洋の天文学を学ぶというのが現代人にアピールするのではないかと思うのだが、そんな風に思う人は少数なのだろうか。NHKは中井貴一さんのパフォーマンスには一顧だにしないようだ。

 

ドラマでは、まひろはまもなく越前に父親と共に行き、清少納言は定子一族の没落を目の当たりに見ることになる。二人には最低限の敬意だけは忘れずに持っていてほしい。