『光る君へ』のドラマ評を書くことを目的に、このブログを昨年9月からはじめましたが、続けることができなくなりました。今回の放映を見るまでは、7月7日の放映中止日にはドラマの前半の総括をしようかと思っていたところなので、このようなことになるとは、と自身驚いています。また清少納言が中宮定子の不遇のときを記した『枕草子』の各段を時系列にわかりやすくまとめて、ドラマ評に活用できるようにしていたのですが、今回26話を見ている途中で、ドラマ評を続けるのは無理だと気づいたのです。
道長が一条天皇を「誹謗」し、倫子が中宮定子を「中傷」しているのを聞いているのは辛かったです。第7話で道長が「入内は女子を幸せにしないと信じている」との言葉をどのように回収するのかと思っていたら「生け贄の姫」だったのですね。悪知恵が働く、という言葉が思い浮かびました。清少納言が伊周に投げかけた台詞と演出は見ていられず、メモもとれないほどいやな場面でした。ファーストサマーウィカはこんな場面を演じたくなかった、と思いたいです。止めはまひろと宣孝とのやりとりです。まひろが灰を宣孝に浴びせかせた瞬間に、これ以上見ていることができなくなりました。
ドラマ評は、放映日の日曜日に一回、翌日月曜の午前中に一回の二度メモをとりながら見て、書きはじめることに決めていました。月曜日に90%くらい仕上げて、翌日火曜に仕上げる、という手順でした。『光る君へ』のドラマをこれ以上見ることができない、今も心身の拒絶反応を強く感じています。こういう状態では今も『光る君へ』のドラマに関して何かを書くことはできないと感じています。先週の予告編で灰がまき散らされるシーンがあったので、あらかじめ26話のあらすじをチェックして、準備していた文章があります。今回最後にそれだけを、以下に貼り付けます。
文散らしけりと聞きて、「ありし文ども取り集めておこせずは、返り事書かじ」と、言葉にてのみ言ひやりたれば、みなおこすとて、いみじく怨じたりければ、正月十日ばかりのことなりけり
32番歌 閉ぢたりし 上の薄氷(うすらひ) 解けながら さは絶えねとや 山の下水
現代語訳(平安王朝クラブサイト「紫式部・和歌-『紫式部集』-」より引用)
夫がわたしの手紙をよその女に見せたと聞いて、「今までに出した手紙を集めて寄越さなかったら、返事はもう書きません」と口だけで伝えたので、「全部返そう」というので、たいそう怨み言を言ってきた。正月十日ほどのことであった。
32番歌 凍り付いた上の薄氷が解けてきて山の下水が流れ出すように、わたしはとうにあなたのことを許しているというのに、それではあなたは、こういう二人の仲を絶ってしまえというのですか。
この歌のことを清水好子教授はその著書『紫式部』(岩波書店刊)に、「式部は本気で怒っていなかったらしい。この歌では、駄々をこねる子どもに静かに問い返す口調があらわである」と書かれています。「さは絶えねとや」と紫式部が言っているのがおかしいです。手紙を返せ、と言われて手紙をたたき返した宣孝は、式部が関係を絶ちたがっていると思っていたので戸惑ったのでしょう。
すかされて、いと暗うなりたるに、おこせたる
33番歌 東風(こちかぜ)に 解くるばかりに 底見ゆる 石間の水は 絶えば絶えなむ
現代語訳(平安王朝クラブサイト「紫式部・和歌-『紫式部集』-」より引用)
のせられて、すっかり暗くなっているのに、手紙を寄越した。
33番歌 東風が吹いて解けてきたという岩間の水も、底が見えているというものだ。わたしたちの仲も、絶えてしまうというならそれでいいさ。
紫式部の32番歌に対する宣孝の返歌33番歌の詞書の「すかされて」の「すかす」という語の意は「調子に乗せる/なだめる」です。これを宣孝の歌の詞書に紫式部が書いているのです。清水好子教授は「これしきのことで文句を言うような、浅まな心の底が見えるお前とは切れてもいいのさ。もう何にも言わない」と宣孝が逆に不貞腐れている、と書かれています。
「今は物も聞こえじ」と腹立ちければ、笑ひて、返し
34番歌 言ひ絶えば さこそは絶えめ なにかその みはらの池を つつみしもせむ
現代語訳(平安王朝クラブサイト「紫式部・和歌-『紫式部集』-」より引用)
「今は、話もしたくない」とご立腹なので、笑って、返事を書く
34番歌 それなら、おっしゃるように仲を絶つといたしましょう。みはらの池の堤ではありませんが、あなたが腹を立てていることに何で遠慮することがありましょうか。
宣孝の33番歌に紫式部が返した詞書に「・・笑ひて・・」と書いているのに清水好子教授は紫式部の余裕を指摘されています。「父親ほどの年齢の夫と娘のような妻の位置が入れ換って、式部の方に、母親がきかぬ子を叱ったりおだてたりする気配が出てきている」と書き、「宣孝は若い娘から、早速そんな態度を引き出すことのできる男であった」とも書き添えられています。
夜中ばかりに、また
35番歌 たけからむ 人かずなみは わきかへり みはらの池に 立てどかひなし
現代語訳(平安王朝クラブサイト「紫式部・和歌-『紫式部集』-」より引用)
夜中ごろに、また
わたしのように猛々しくなく、人並みでないものは、みはらの池に立っても(腹を立てても)、かいのないことと思い知りました。
手紙を他人に見せたことで以上の歌のやりとりをした二人でしたが、雨降って地固まる、のような決着です。平安王朝クラブサイトの執筆者は、紫式部が「宣孝の謝り方を見たかったのだろう」という意見を記しています。確かにそういう感じです。この歌のやりとりを知っていて、紫式部がどうして灰をぶちまける、という発想となるのか理解ができません。『源氏物語』真木柱巻にあるエピソードを使えば面白い、と思ったのでしょうが、情けないとしか言いようがありません。
そして『紫式部集』では以前紹介した歌へと続きます。
桜を瓶に立てて見るに、とりもあへず散りければ、桃の花を見やりて
36番歌 折りて見ば 近まさりせよ 桃の花 思ひぐまなき 桜惜しまじ
返し
37番歌 ももといふ 名もあるものを ときの間に 散る桜には 思ひおとさじ
以下現代語訳(平安王朝クラブサイト「紫式部・和歌-『紫式部集』-」より引用)
桜を瓶に挿して見たところ、すぐに散ってしまったので、桃の花を見やって詠んだ歌
36番歌 折り取って見たならば、近まさりするのであってほしい、桃の花よ。こちらの思いなど汲みもせず、散ってしまう桜などに未練は持ちますまい。
37番歌 百に通ずる桃という、長寿を示すめでたい名もあるものだから、あっという間に散る桜に比べて、劣っているとは考えまいよ。
そうして紫式部は懐妊するのです。
以上です。
『紫式部集』120首前後の歌の中で、紫式部と宣孝との歌は20首前後あるかと思います。紫式部が晩年に自ら編纂した家集で宣孝との日々を回想していた息づかいが伝わってきます。すべて私のお気に入りです。また、『枕草子』に関して言えば、『源氏物語』を現代語訳と写本で何度も読み返すうちに、『枕草子』も読んでおかなくてはという気持で読みはじめたのですが、読めば読むほどに清少納言の書きたかったことが痛いほど伝わってくるのでした。中宮定子との思い出と出来事の中で書くべきことと、書かないことを明確に分けて書き進めた清少納言の決意、意図が伝わってきたと言うべきでしょうか。執筆に際しての清少納言の抑制力には、思うだけで涙が出てきます。
10ヶ月ほどでしたが、つたない私の文章を読んでいただいてありがとうございました。