『光る君へ』第22回を視聴して | よどの流れ者のブログ

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『源氏物語』『紫式部日記』『紫式部集』の著作者 紫式部について考えたことを書きます。 田川寿美のファンです。

越前下向の為時は国府に直行しないで、敦賀に来着していた宋人を訪ねた。宋人たちが何のために来たのか、左大臣道長から直々に指示された最優先案件だ。宋人たちを収容していた松原客館は実際にあったらしい。番組に続く『光る君へ紀行』で「松原客館は気比神宮に検校(管理)させよ」(延喜式)と紹介されていた。氣比神宮は『日本書紀』にも記されていて、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇ゆかりの由緒ある神社だ。『日本紀』と言えば紫式部、思いを馳せなかったのだろうか。

 

 

 (氣比神宮)

 

映し出された越前の海は光り輝いていた。壮大な海を前にして乙丸が珍しく用向きでない、自ら思ったことを口走っていた。「海というものは近江の湖と同じように見えます」。波の高さも勢いも、対岸に山などが見える琵琶湖とは全く違って見えたはずなので、これは愛嬌のつもりの台詞でしょう。まひろが海の向こうに宋の国がある、と言ったが、彼女はしっかりと海の向こうに何があるか見据えていた。待ちに待った越前の描写を福井県の人はどのように視聴されたのだろうか。白山に連なる山並みも見せてほしかった。はじめて遠国に来た紫式部にとっては、都の山と越前で見る山とはまるで違って見えたのではないか。

 

 

宋人のリーダー朱仁聡役の浩歌の演技にはびっくりした。落ち着いた佇まい、主張は曲げないが温和な雰囲気を醸し出していて、友好的だ。しかも一癖あるのを隠している。『光る君へ』のキャスティングは総じてよい、と思っていたが、この役者はまさにぴったりだ。周明役の松下洸平はそつなく演じていた、という感じだ。これからどういう役柄を演じるのだろうか。

 

国府に着いた為時を出迎えた当地の役人源光雅他一名の風貌が汚い役人そのものの顔をしていた。このキャスティングもうまい、と言っていいのか。福井県の人たちは、彼らは当地の人間ではないと言いたかったのではないかと思う。自分の住んでいる土地を悪く言われたり、見せられたりするのは不愉快、というのは人間の本能だ、とまで思っているので、越前をはじめて放映するのだから、もう少しいいところ、いいこと、を見せてほしかった。まひろが部屋に案内されたときに、案内してくれた女たちに親しみを込めた声くらいかけてほしかった。「帰りましょう」と言う乙丸を無視して周明には声をかけたのに、好奇心旺盛なまひろが女たちに「越前は良い所ですね」と言わないまでも、礼の一つもなぜ言わなかったのだろうか。「?」が宙を彷徨った。

 

    

 

『紫式部集』からの和歌がはじめてお目見えした。「かきくもり・・・」、琵琶湖湖上で夕立に遭ったときの歌だ。回想シーンをよぎらせてもよかったのではないか。自分の部屋に通されてすぐに文机に座って書いていたが、越前下向中に作った歌は頭の中にあって、越前和紙の書き心地を試してみたかったのだろうか。越前和紙かどうかもわからないが、何の説明もない。お座なり感がした。前回、近江から越前への山の途上には多くの人が同行していたように見えたが、今回は為時とまひろと乙丸だけ、他の人たちはどこに行ったのだろう。当地の曰くありげな役人たちに囲まれて、為時たちが孤立しているようで危うく見えた。為時が病に倒れたり、朱仁聡が通事を殺した犯人だとか、越前に来てまもなく問題が噴出していたがまずまずの滑り出しだ。

 

明子と道長のやりとりが面白かった。「お前の父は左大臣だったな」と道長が明子に言ったが、まひろが書いた「左府殿」に気を取られていたのだろうか。何を今更、左大臣だった父を陥れたのは藤原だったのに、とは明子は思わなかったような感じはしたが、よくわからない。「・・兄が左大臣になっていた・・」と言う明子の胸の内に、「世が世であれば兄俊賢が左大臣で、道長が兄に仕えていたかも」という思いは去来したかも知れない。「お前の父は左大臣だったな」と言うような言わずもがなのおかしな台詞をことさらに入れ込んだのは、こうした錯綜した時代の流れを感じさせるためだったのか。そこまで考えていたのだとしたら、敬意を表すべきか。

 

 

そのことが面白かった、というわけではない。逆にけなそうと思っていたくらいだ。何が面白かったかと言うと、明子役の瀧内公美のインタビューを昨日読んでいたからだ。ステラnet(6月2日付から引用)で瀧内公美が『演出の方からは「明子は道長を好き」と言われているのですが、わたし自身は「明子って本当に道長のことを好きなの?」と疑問に思っていて・・・』と語られています。マイナビニュース(6月2日付から引用)では『・・・正直わたしは、明子が道長さんに対してどう思っているのか釈然としない中、曖昧な気持ちで演じています。好きに見えたら好きなのだろうし・・・視聴者のみなさんに委ねたいですね』と語られています。「委ねたい」というのがいいですね。ここまではっきりと自分の考えを言える役者さんを私は尊敬します。

 

道長が倫子には見せないくつろいだ様子を見せていたことと、明子が「本音」を語っていたように見えたことも面白かった。こういう会話はこのドラマでは珍しかった。「わたしは変わったのでございます」とか、「敵である藤原の殿をお慕いしてしまった」とか明子が言った台詞もすべて気に入らなかったが、瀧内公美の二つのインタビューを読んでいたのでかえって面白かった。

 

登場人物になりきった役者が一番その人物のことがわかる、と私は思っています。作家さんはその手助けをする。作家さんは大変だけど、役者さんと役者さんが演じる人物の両方の心の奥底まで掘り下げて台詞を考える必要がある、と思うのです。だから面白いドラマは当初の筋書きとは変わってくる、それが連続ドラマ、大河ドラマの醍醐味なんだと思うのですが、・・・。道長が訪れる機会を大切する明子の思いと、自分に課されている役割との間隙で葛藤しながら演技する瀧内公美を見ていて、面白い、と言うのは失礼だと思うのですが、明子は複雑な人生を生きたと思っていたので、このインタビュー記事を読んでからこの場面を見られてよかったと思いました。

 

伊周が病に伏した母貴子の見舞いに密かに帰ってきた。見たくない場面だ。貴子があっけなく亡くなった。見舞いに訪れた道長に定子が対面した。清少納言が驚いた顔をしたが意味不明だ。ここで初めて定子の懐妊が一条天皇に伝わった。出家した定子の姿を印象づけるように映し出されていたが、このような形で伝えられたことに驚く。貴子が亡くなったのは10月、定子が脩子内親王を産んだのが12月のことだ。ここでも定子に付き添っていたのは清少納言ただ一人、他にもいたようには見えたが、もはや『枕草子』の世界ははじめからなかったかのようだ。このような描き方でよいのだろうか。NHK制作陣は中関白家と清少納言をとことん気に入らなかったように見える。それにしても、こんなに露骨に見せなくてもいいではないか、とつい呟いてしまった。

 

1.脚本=会話は練られているか、恣意的になっていないか(10→2点)2.構成・演出=的確か(10→5点)3.俳優=個々の俳優の演技力評価(10→6.71点)4.展開=関心・興味が集中したか(10→4点)5.映像表現=映像は効果的だったか(10→6点)6.音声表現=ナレーションと音楽・音響効果(10→7点)7.共感・感動=伝える力(10→3点)8.考証=時代、風俗、衣装、背景、住居などに違和感ないか(10→6点)9.歴史との整合性=史実を反映しているか(10→3点)10.ドラマの印象=見終わってよかったか(10→3点)

合計点(100-45.71点)

 

ここからはNHK大河ドラマ『光る君へ』全般について書く

 

 

見たてまつれば、御年は二十二三ばかりにて、御かたちととのほり、太りきよげに、色合まことに白くめでたし、かの光源氏もかくやありけむと見たてまつる。

↓現代語訳

お見あげ申すと、お年は二十二、三歳ぐらいで、ご容姿がととのい、ふっくらといかにもきれいで、肌の色合いが本当に白くご立派なお方である。あの光源氏もこんなふうであっただろうかとお見あげ申すのである。

 

光源氏の名前が出てくる文章ですが、『源氏物語』からの引用ではありません。二条第から出奔した伊周を必死に探し回っていた検非違使が、車から降りて平然として二条第に戻ってきた伊周に相対したときの印象を『栄花物語』が叙述した箇所です。『栄花物語』が書かれたのは1028年以降で、光源氏と書いても知らない者がいない時代だっからではないかと思われます。

 

伊周を見た印象を検非違使が語っているというこの文章を読めば、『栄花物語』が歴史書でないことは明らかで、虚構を交えた歴史物語だということがわかります。伊周が検非違使に捕まって流刑地に送られるころにはまだ、『源氏物語』は影も形もなかったはずで、光源氏を想起した叙述は虚構そのものです。この後に伊周の着ていた衣装を詳述してから、次の文章へと続きます。

 

御身の才もかたりもこの世の上達部にはあまりたまへりとぞ人聞ゆるぞかし、あたらものを、あはれに悲しきわざかなと、見たてまつるに、涙もとどめがたくてみな泣きぬ。

↓現代語訳

御身の学才もご容姿もこの世の上達部としては度はずれていらっしゃると世人は申しているではないか、惜しむべきお方なのに、おいたわしく悲しいことよと、お見あげ申すにつきても涙もとどめがたくて一同みな泣いた。

 

ドラマとは伊周の印象がかなり違います。倉本一宏教授の著書『藤原伊周・隆家』では「出家姿で二条北宮に戻ってきた」と書かれています。前後しますが、二条北宮では「伊周と定子は手に手を取って離れないという有様であった」と書かれています。いずれもこの時、検非違使として現場をとり仕切っていた実資の日記『小右記』からの引用です。ドラマではこの通りに描写したつもりだと思いますが、やはり描き方に問題があるように思います。

 

 

『大鏡』では流刑になった伊周について、以下の通り語られています。

 

「・・・されど、げにかならずかやうのこと、わが怠りにて流されたまふにしもあらず、よろづのこと身にあまりぬる人の、唐にもこの国にもあるわざにぞはべるなる。昔は北野の御ことぞかし」など言ひて、鼻うちかむほどもあはれに見ゆ。「この殿(伊周)も御才日本にはあまらせたまへりしかば、かかることもおはしますにこそはべりしか・・・」

↓現代語訳

「・・・しかし、本当にまあ、このようなことは、必ずしもご自分の過失によってばかりでお流されになるというものでもありませんよ。容貌・学才、何事にも人の身に過ぎている人が、このような災いを受けることは、唐でも、わが国でも、よくあることだということですよ。昔の例は北野(菅原道真)の御事がそれですよ」などと言って、涙ぐみちょっと鼻をかむ様子も、いかにも感慨深げに見えます。「この殿(伊周)も、ご学識が日本には過ぎていらっしゃったゆえ、このような禍もおありになったのでございますよ・・・」

 

 

『大鏡』も歴史を題材にした物語となっています。敗者である伊周への労り、惻隠の情が見られます。太宰府に流れる伊周を菅原道真に重ねています。物語というのは虚構が前提です。『栄花物語』も『大鏡』もその場に立ち会ったかのような叙述をしています。歴史的事実が何かわからないまま、主観的な叙述をしているので、物語として楽しむしかないような書だと思います。ドラマ『光る君へ』はあまりにも中関白家の人たちに厳しすぎる、とは何度も私が書いているところです。両書を比べなから読みましたが、ドラマでは道長のよくないところでは目をつむり、伊周のよくないところはますます悪く描いているのは明らかです。何を思えば、このような描き方ができるのでしょうか。ため息が何度も出ました。

 

伊周は若輩のまま内大臣となり、父道隆病床にあるときは内覧もしていた。ドラマで陣定の場面が何度も出てきますが、伊周が会議を取り仕切ろうとしても、先輩の公卿たちは反対意見を出して従おうとしなかったようです。伊周のことを憎たらしく思っていたのは間違いないでしょう。前例を踏襲する公卿たちの間で、味方するものが少ない状況に置かれた伊周がますます墓穴を掘っていった、ということなのかも知れません。日記などに伊周のことを厳しく書いているのは事実だったにしても、主観も交えて書かれているということもあったのではないかと思われます。『栄花物語』や『大鏡』のように描けとは言わないまでも、見ていて不愉快になるほどのドラマでの描き方では、伊周が「あはれ」過ぎる、と思うのです。

 

 

わたしはテレビでドラマを見るのが好きです。選んでみるようにしていますが、面白いドラマは1-2割くらいです。面白いとする基準は、感動や共感が自然と呼び起こされてくるものです。説得力のある台詞と細心の演出と想像力溢れる俳優の演技が必須条件ですが、その内でも台詞がすべてだ、と言ってもいいのではないか、と思っています。映像が美しくても音楽が切なく響いても、台詞がピタッと決まっていなければ白けてしまいます。台詞がよければ演出も俳優もみなそれに乗っかってくるように思います。台詞のよいドラマの展開は予想外のことが起こり続き、それがあり得ない出来事だとしても面白く見られるものです。作者が題材に惚れ込んでいて、演出に熱が入って、役者が登場人物に憑依したかのような演技をしている、それが伝わってくるドラマには圧倒されます。大河ドラマへの期待が大きすぎるのかも知れません。