『光る君へ』第23回を視聴して | よどの流れ者のブログ

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『源氏物語』『紫式部日記』『紫式部集』の著作者 紫式部について考えたことを書きます。 田川寿美のファンです。

まひろは周明につきっきりで宋語=中国語の会話を学んでいる。楽しそうだ。海辺以外の越前の風物にふれる描写があってもいいのではと思ったが、それではドラマが動かないということなのでしょう。通事殺しの犯人が朱仁聡でないという証人を周明が連れてきた。源光雅が意図的に朱仁聡を陥れたことが明らかとなった。朱仁聡の思い通りにさせたら、越前のためにも朝廷のためにもならないと光雅が抗弁する話を聞いていると、なるほどと思わせるところもある。誰にも言い分があるのだ。都から来た上司に賄賂を差し出すのは慣例だったのかも知れない。思ったほど悪い男でもない、という印象にすり替わった。

 

 

日本語を話す周明の生い立ちもなるほどと思わせられた。口減らしで海に捨てられ、拾われた宋人には過酷な仕打ちにあった。朱仁聡は恩人なのだ。しかし朱仁聡の指示で国司為時を懐柔する役目を負わされた周明はそのためにまひろに近づいたのだ。周明には直秀と同じような運命が待っているのだろうか。まだ周明に感情移入するところまではいかない。朱仁聡は取り巻きたちが周明を非難しているなかで、「周明を信じる」と宋語で言ったが、たったそれだけの言葉遣いで、役になりきりの浩歌の表情に底知れない不気味さが漂ったのを感じて、少し慄いた。それだけのことで、怖さを感じさせる役者だ、うまいなあと思った。

 

(小塩山)

 

まひろが書いていた和歌は『紫式部集』にある。

 

ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に 今日やまがへる

 

現代語訳=こちらでは、日野岳に群立つ杉をこんなに埋める雪が降っているが、都でも今日は小塩山の松に雪が入り乱れて降っているのだろうか(新潮古典集成から引用)

 

この歌の返歌も『紫式集』にあるが、そういう説明が一切ないのでこの場面が広がらない。乳母いとのような立場の人が返歌をしたのだろうが、彼女には詠めそうな雰囲気がなかった。比叡山や貴船山でなくてなぜ小塩山だったのか。日野岳と似ていたのだろうか。

またこの歌の詞書には

 

暦に、初雪降ると書きつけたる日、目に近き日野岳といふ山の雪、いと深く見やらるれば

 

とあるので、せめて越前の雪山風景を映し出してほしかった。ドラマとして描きにくいのはわかるが、和歌の贈答文化はこの時代の特徴的なことなので、ドラマの展開に沿って描写するのは作家さんの腕の見せ所だと思うのですが、望みすぎでしょうか。

 

 

一条天皇の塩野瑛久の真摯な演技には打たれる。定子に会いたい気持を必死に抑えているのが伝わってくる。行成が戸惑っていた。渡辺大知がうまく演じている。「帝の痛みが伝わり、苦しくなります」という行成に、道長が「頭を冷やせ」と言っていた。道長は何を思ってそのように言ったのだろうか。柄本佑も道長の置かれた立場をよく弁えて演じている、ように見えた。

 

そうした一条のあり様に、詮子が「求め合う二人の気持がわからない」と言って、「お前にはわかるか?」と道長に問いかけた。ここはただ、「わかる」とだけ答えるのかと思っていたら、倫子と明子の名前を出して、「心は違う女を求めております」と応じたのには驚いた。気を許した姉との会話だから、ふと漏らしてしまったのか、抑えきれない心を少し解き放そうとしたのか、柄本佑にとってもむずかしい心の動きが表出する場面だったと思う。

 

第2話で、詮子と道長とがやはり二人きりで会話をする場面で、道長=三郎が「何年経っても忘れられないことがある」と口を滑らせたのに、詮子が突っ込みを入れた場面があった。まだ10歳にもなっていないまひろのことを道長がそのように想っていたのだが、まひろを演じていた子役は本当に幼かったので、私のなかではこの台詞が宙ぶらりんで、「?」のまま今に至っている。今回は、少しは理解できるところもあるが、元々が宙ぶらりんのままなので、なぜ道長はあんな幼い女の子を想い続けていたのかという思いが折々に突き上がってくる。

 

 

大河ドラマ広報で道長と紫式部はソウルメイトだとしているのだから理解しないといけないのでしょうか。時代考証の倉本一宏教授は「『ドラマはドラマ、史実は史実』という姿勢で、両方楽しんでいただきたい」と語られていますが、そのように思える描き方をしてくれなくては思えないし、思えない人は見なければいいということなのでしょうか。まぁ、今更言っても仕方ないし、仕方ないことを言うのはよほどのことがない限り言わないようにしているのですが、このことは言えてしまう。ドラマでソウルメイトにすると決めたのだから、しっかりとそのような説得力のある描き方をしてほしかった。稚拙な描写は命取りだと言うことをドラマ制作者にはわかってもらいたい、と切に思っています。

 

定子と清少納言との場面はまたまた寂しくて見ていられなかった。定子の父道隆が亡くなってからも、定子には多くの女房が侍っていたことは『枕草子』に記されている。跋文まで記して流布させた『枕草子』には、上達部・殿上人たちの実名もいっぱい出てきて、実際の出来事をベースに描写されているのはおおよそ確かなことだ。回想・連想で綴られていることが多く、主観も入っているのですべてがありのままというわけにはいかないだろうが、それらを全否定するかのような描き方に見えてしまう。たくさんの女房を出演させるには衣装がいっぱいいるので避けたのだろうか。それでも清少納言一人というのはなんとかしてほしい。

 

 

定子が女の子を産んだ。一条が定子と産まれてきた子に会いたいという気持は切実に伝わってきた。詮子の初孫だ。彼女も反応したはず、なぜ飛ばしたのだろうか。東宮居貞親王が初出した。一条天皇の後に即位する三条天皇だ。定子が産んだ子が女の子だということで喜んでいる場面だ。皇位争いで自分の長男が有利になったということだ。道長のことを叔父上と呼んでいた。一条天皇にとっても道長は叔父なのだが、居貞親王は一条より4歳年上の東宮なのだ。道長にとっては、彰子が敦成親王を産んでからは、この二人の天皇が一刻も早く退位してくれることを望んだ。敦成親王が即位して摂政になることが道長の宿願だったのだ。残された時間が少なく、悠長に待っていられないと思ったようだ。三条天皇には百人一首に

 

心にもあらでうき世にながらへば 恋ひしかるべき夜半の月かな

 

という和歌があります。三条天皇と道長との確執をこのドラマで描かれるのかは知らないが、三条天皇はさあ、さあ、とばかりに道長に譲位を迫られてつらい思いをしていたころの歌だということです。「不本意にも、つらいこの世に生き永らえていたなら、(その時には)きっと恋しく思うに違いない美しい夜の月よ」という意ですが、天皇がおかれていた状況を踏まえてみると、痛々しさが一段と伝わってきます。

 

子どもは敦明親王で三条天皇の退位の条件として東宮になるのですが、三条天皇亡き後に東宮を辞退する羽目に追い込まれます。東宮妃娍子は定子と同じように道長には散々に嫌がらせを受けます。思わず生覚えの事柄を書き散らしてしまいました。たぶんドラマではここまでは描かないでしょう。

 

娍子を演じた朝倉あきが見事でした。敦明親王の歳を道長に問われて、「三歳にございます」という台詞一つだけだったが、少し笑みをこぼしながら答えた所作は自然で、その場に溶けこんだ自足感があった。違和感が全くなかった。思い通りに完璧に演じたのではないか。そのように見えた。出番が少ないと思われるのが惜しい。

 

それに引き換え、倫子の黒木華が冴えない印象だ。道長にぞっこん、と描きすぎたためだろう、と思う。彼女はやはり源氏の女性としてプライドが高く、藤原何するものぞ、という意地を持っていたのではなかったのでしょうか。また、さすがの道長も頭が上がらない、そのように描く方がドラマとしては面白くなったように思えるのですが、黒木華もそのように思っているのではないか、と思うような覇気のない演技のように見えます。倫子は一条天皇の世継ぎを産むために元子に肩入れする話を勧めていたが、まもなく10歳くらいになる彰子の行く末を話題にしている方が自然だったのではないでしょうか。

 

三人の妻と四人の子がいると語っていた宣孝が、最後の場面で「わしの妻になれ」とまひろに言った。面白くともなんともない、とは言わない。それなりに面白くはあったが、なんのための平安時代の貴族なのか、という視点が決定的に欠落している。こういうことを言うのはこれを最後にしたいと思う。宣孝と紫式部は婚前の贈答歌がいくつかある。どれをとっても面白い。喧嘩の歌もあるなかで、これで二人が結ばれる、という贈答歌もある。そういう贈答歌のあったことすら描かないのなら、このドラマの意味はない、とまで私は思う。NHKの制作スタッフの方々に問いたい。本当にそれでいいと思っておられるのでしょうか?と。

 

1.脚本=会話は練られているか、恣意的になっていないか(10→3点)2.構成・演出=的確か(10→5点)3.俳優=個々の俳優の演技力評価(10→6.4点)4.展開=関心・興味が集中したか(10→4点)5.映像表現=映像は効果的だったか(10→6点)6.音声表現=ナレーションと音楽・音響効果(10→7点)7.共感・感動=伝える力(10→3点)8.考証=時代、風俗、衣装、背景、住居などに違和感ないか(10→5点)9.歴史との整合性=史実を反映しているか(10→3点)10.ドラマの印象=見終わってよかったか(10→3点)

合計点(100-45.40点)

 

ここからはNHK大河ドラマ『光る君へ』全般について書く

 

 

山本淳子教授が6月9日付けステラnetに宣孝と紫式部の婚前の贈答歌について解説をされています。『紫式部集』28番歌の詞書と歌です。

 

年かへりて、「唐人見に行かむ」といひたりける人の、「春は解くるものといかで知らせたてまつらむ」といひたるに

28 春なれど 白嶺のみゆき いやつもり 解くべきほどの いつとなきかな

 

「春は解けるもの」という言葉は中国の書『礼記』からとったものと教授は解説されています。以下ステラnetから引用

「春は氷も解ける季節。冷たく固いあなたの心も同じ――春だから、あなたは私を好きになる」という意味を込めたのです。いかにも恋の経験豊富な宣孝、自信満々です」

 

と、宣孝が書いて寄越してきた和歌はカットして、自らの返歌だけを28番歌として、その詞書として宣孝の想いを紫式部は記しています。

 

28番歌を教授は以下の通りに訳されています。

確かに春ですけれど、こちら越前の白山は深い雪がますます降り積もって、解けるときなどありませんのよ。おあいにく様。

 

この歌は拒絶の歌ではない、と教授は書いています。拒絶するなら返歌しない、というのが決まりらしい。紫式部は教養を隠さない宣孝との往復書簡を楽しんでいるように見えます。

『紫式部集』には、この後も十首近く二人の贈答歌が続きます。教授の解説は続いて、紫式部が妻子持ちで多情な宣孝との結婚をあえて決意した、と書かれています。これらの贈答歌を読んでいると、紫式部の心の動きが見えてくるようです。そうしたことをドラマで描くのはむずかしいとは思いますが、素通りするのはもったいない気がします。