『光る君へ』第21回を視聴して | よどの流れ者のブログ

よどの流れ者のブログ

『源氏物語』『紫式部日記』『紫式部集』の著作者 紫式部について考えたことを書きます。 田川寿美のファンです。

見終わって、ここまでやるのか、と思った。不思議な気持に陥った。申し訳ない、というような気持がしたのです。もちろん、定子に、清少納言に、紫式部に、です。道長には何の感慨もない。当たり前だ。道長を善き人にするためのドラマだからと言って、このドラマの制作陣の何でもありの制作態度に、いくら、今は亡き、定子や、清少納言や、紫式部をどのように描いてもいいとは、たとえ虚構のドラマであったとしても、それは許されない、実在した人たちが織りなす歴史ドラマだからこそ、故人へのリスペクトが必要だと私は思うので、現代に生きる者としてただただ申し訳ない、という気持に陥ったのだと思います。

 

 

二条第が焼けて定子が生きる気力を失ったように描かれた。いつものように清少納言はまひろの家で定子の話をした。『枕草子』を書く助言をしたのはまひろだった、というのには驚きを通り越して、言葉を失ってしまった。なり振り構わない歪曲とは、このようなことをいうのか、と思わず呟いていた。「まくらにこそは、はべらめ」と申ししかば、「さば、得てよ」とて・・・、という『枕草子』跋文に記載された清少納言と定子のやりとりの心地よい響きが私は大好きです。この意味をあれこれと学究者たちは説を立てていますが、わからないままとした方がいいかと、もちろん推測は自由です。そこをドラマではいとも簡単にわかったかのような言葉遊びにしていた。まひろを際立たせようとする意図がありありだ。

 

はっきりとものを言う『枕草子』推しのファーストサマーウィカも、これにはさすがに首を傾げたのではないだろうか、とドラマを見ながら思った。制作陣の方々には、『枕草子』に申し訳ない、と思っていただきたい。ぜひとも! 今後、『枕草子』の文学的評価は、海外でますます高まると思っているので、このドラマが海外で配信されたら、と思うと、それもNHK制作のドラマだと言うのでは、想像もしたくない、配信は止めていただきたいと思ってしまうのは過剰反応だろうか。

 

定子と清少納言が対面する場面がいくつかあった。寂しい限りだ。清少納言以外、女房が一人も出てこないのが理解できない。清少納言が訪れたときには男の侍従が定子に取り次いでいた。どうなっているのだろう。『栄花物語』を読めば定子の懐妊の事情はこの時点で一条天皇はじめ、詮子も知っていたことになっている。わけがわかりません。これから母貴子も亡くなるのに、たしかに意気消沈していたと思うが、生きていてもむなしいだけ、と定子に言わせるのはまだ早すぎるような気がした。それにしても、これから定子は3人の子を産むのだ。これからも清少納言だけが付き添っているように描くのか。先が思いやられる。

 

悲嘆に暮れる定子のために清少納言は筆を走らせた。執筆の時と場所と状況がイメージと違うのは仕方ない。清少納言が自ら書いているように描いているのだから、まぁ、これでよしとしようか、とも言えないのがあまりにも悲しい。

 

 

越前に行く前の日にまひろは例の荒ら屋に道長を誘った。長徳の変から定子の出家など一連の事件は道長が謀ったのか、と訊くためだった、というのだ。二人にはなんと情けない台詞の数々を交わさせたのだろうか、と思った。「あなたのことを諦めたことを後悔しながら生きてまいりました」とまひろが言い、「いつの日も、いつの日も、そなたのことを・・・」と道長が言った。道長は執務に忙しく、倫子と明子との生活も子どもが次々に産まれてきて大変だったはずなので、ここは言葉にしないでただ抱きしめただけでよかったのではないか。聞いていられなかった。

 

吉高由里子はさすがに女優だ。その場に臨んで迷いなど一切見せず、道長への思いを吐露した演技は切なさがあふれていて様になっていた。むずかしかったと思う。柄本佑もまひろを抱きしめたとき、この人がこんなにいい顔をしていたとは今の今まで気づかなかった。ここしばらくは苦み走った顔ばかりだったのでなおさらだ。左大臣になったときに、実資から「浮かないお顔ですな」と声をかけられた道長がそんなことはないと否定していたが、当然のことだ。左大臣になって浮かれていたら善き人でなくなってしまう。ドラマの主人公としては肝心なところだ。抱擁しているときの柄本佑はホッとしている感じに見えた。この場面では苦み走った顔をしていなくてもよかったからだろう。それにしても、この抱擁の先に、この逢瀬の先に何があるのだろうか。不毛だと思うのだが、・・・もしかしたら、もっと気分の悪いことがこれから起こるのだろうか。心配だ。

 

実資と婉子の絡みがおもしろかった。笑いを誘う夫婦のありふれたパターンだが、ほどよいところで終わらせるこのあたりの演出もうまいと思うが、やはり秋山竜次の存在感だなと思う。道長とのやり取りでもどこか抜けている感じと、能吏だな、という感じを両立させていて、そこにいるだけでなんとも言えない和んだ雰囲気を醸し出す希有な役者だ。『男はつらい』シリーズの渥美清はもう一つ好きになれなかったが、テレビドラマ『泣いてたまるか』の渥美清は、ほんとうにそこにいるだけ、黙って立っているだけでおもしろかった。突然彼のことを思い出した。似ているところがあると思ったのだろう。可能性を感じさせてくれる役者だ、と思う。

 

 

冒頭の場面で、一条天皇が伊周は許さぬ、と言った。これは理解できた。中宮も同罪だと言った。これがわからなかった。中宮はもう朕と会わぬつもりか、と言った後の言葉だ。彼は混乱していたのだ。天皇として苦渋の決断をし続けていたのだ。彼に寄り添って味方になってくれる者がいないのがありありで、可哀想で見ていられない。塩野瑛久はそういうふうに思わせる演技で依然としてよかった。

 

二条第でとうとう伊周が捕まった。定子から「見苦しい兄上」と言われ、母貴子に「わたしが行かせる」と言わせた。『栄花物語』の記述では三人は手を取り合っていた。ドラマでは、伊周は出家したと欺こうとしたが、記述では父道隆の墓参りに行っていたのだ。隆家は今回影も形もなかったが、二条第にいたことになっている。貴子は筑紫まで行くとは言っていない。せめて大山崎辺りまで同道したいと言っていただけだ。たしかに伊周は見苦しい態度を取っていた可能性があるにしても、この描き方には辟易する。彼らは冤罪だった、という妄想が走る。

 

詮子を呪詛したのは、詮子の策だったことが倫子の口から出た。道長は平然としていた。黒ではないが、グレーだったかもしれないという制作陣の意思表示なのだろうか。このような権力争いに、聖人のような振る舞いは無理があると思ったのかもしれないが、よくわからない描き方だ。詮子と倫子のやり取りを見ていて、二人に品位が感じられない。このような演出をされて俳優が可哀想だ。勝者のおごりだけが見える、そんな感じがした。詮子は道長が右大臣になっただけで満足だったのではないか。自ら策を弄して呪詛された、なんて必要なかったはずだ。必要だったのは明らかに道長だけだ。宣孝が言ったとおりなのだ。まひろが疑わずにおれなかったことなのだ。

 

だから、今回に限って言えば、この二人、詮子と倫子の登場場面は付け足しで、道長を善き人とするための中途半端な描き方しかできない、吉田羊や黒木華には申し訳ない場面だ。中関白家の凋落に関して、「先のことはわからぬのう」と詮子に言わせていたが、この一点へ、ストーリーを無理やり必要以上に中関白家を貶めて展開させてきたのだ。白々しい台詞だ。ナレーションで十分だった。そんな気がした。

 

まひろと宣孝の仲が意味ありげな様子に描かれていた、ような気がした。「この騒動で得をしたのは右大臣だ」と宣孝が言ったことはすでにふれた。制作陣はよくわかっているのだ。道長を清廉潔白に描くのには無理があると承知だったので、このように言わせて中和しようと思ったのだろう。そのことの確認のためにまひろが道長に会いにいったのだ。このようなことを確認する必要があったのだろうか。吉高由里子はよく演じていたので、これ以上気分が悪くなることは言わないでおこう。

 

     

 

為時の越前下向だ。琵琶湖が出てきた。いやに波が高かった。琵琶湖だろうか。なんでも疑ってしまう。ここで『紫式部集』が初めて披露されることと思っていた。

 

近江の海にて、三尾が崎といふ所に、網引くを見て

20 三尾の海に 綱引く民の てまもなく 立ち居につけて 都恋しも

 

まひろは行きたくなかったのです。

 

また、磯の浜に、鶴の声々に鳴くを

21 磯がくれ おなじ心に 田鶴ぞ鳴く なに思ひ出づる 人やたれぞも

 

鶴が鳴くのも、わたしが泣くのも、恋しい人を思ってのこと、という歌で私は宣孝を想ってのことだと思っています。

 

夕立しぬべしとて、空の曇りてひらめくに

22 かきくもり 夕立つ波の あらければ 浮きたる舟ぞ しづ心なき

 

この歌を背景に雨の中、船を下りて上陸した様子が描かれたようですが、なぜ紫式部の和歌を一首も紹介しなかったのか。ナレーションとテロップで、ほとんど時間を取らずに済ませたはずだ。今まで漢詩などをことさらまひろに書かせていたのに、紫式部の生涯をどのように考えているのか、とほんとうに気分が悪くなった。

 

1.脚本=会話は練られているか、恣意的になっていないか(10→2点)2.構成・演出=的確か(10→4点)3.俳優=個々の俳優の演技力評価(10→6.36点)4.展開=関心・興味が集中したか(10→3点)5.映像表現=映像は効果的だったか(10→5点)6.音声表現=ナレーションと音楽・音響効果(10→7点)7.共感・感動=伝える力(10→3点)8.考証=時代、風俗、衣装、背景、住居などに違和感ないか(10→6点)9.歴史との整合性=史実を反映しているか(10→1点)10.ドラマの印象=見終わってよかったか(10→2点)

合計点(100-39.36点)

 

 

ここからはNHK大河ドラマ『光る君へ』全般について書く

 

紫式部をこのドラマの中で脚光を浴びさせるためには、道長とソウルメイトだったという関係が必要不可欠なことだった、とNHK制作陣は考えた、と私は思っている。紫式部は嫡妻になることは不可能だった。妾になることはできたはずだが、ドラマの主人公が妾なんて、ましてや紫式部が、ということで却下されたのだろう。ドラマを見ていたら道長があまりにも善き人として描かれ、望まないのに権力に上り詰めるのだから、おまけにどこに出しても嫡妻として自他共に認める倫子がいて、準嫡妻として明子がいる。まひろの入る余地はこれからもなさそうだ、・・・どうしたらいいのかわからなくなってきたのではないか。

 

歴代そうそうたる歴史的人物が登場する大河ドラマで、寡婦である女性を主人公にして、文学談義を中心にドラマを展開することが可能だろうか、私は可能だと思うが、無理だという意見が多数派だったと言うことは理解できる。だからこそ、権力者道長のソウルメイトであり続けることが女性として主人公たり得る必須条件だったと言える。女性は誰かの女としてしか存在価値がない、とでも言うようにこのドラマは展開しているようだ。

 

 

イギリスの女性作家ヴァージニア・ウルフがそのエッセイ『自分ひとりの部屋』で紫式部の名前を最後の方で記しています。1882年生れの彼女が作家として活動したのは1900年代初めのことです。1925年に全6巻発刊予定の『源氏物語』の1巻目が発売された直後に彼女は書評を雑誌に載せています。「源氏物語ヴァージニア・ウルフ」と検索したら、その書評が読めます。『自分ひとりの部屋』とは女性が何かをするために自分ひとりの部屋を持てなかった時代の話で、何かをするために、彼女はお金と自分ひとりの部屋がいると書いています。男にはそれらが当たり前として与えられているという話です。高等教育も男だけのもので、図書館も女一人で入れなかった時代でした。

 

「女性と小説」について話をしてほしい、と言う依頼があったことから本書ははじまります。何を語るべきか、彼女は悩みながら女性が置かれていた過去・現在の立場、状況を説明していきます。女性たちが文学活動をしていた近代の歴史についても書いていきます。女性が自由にものを書いたり、旅行したり、研究したりするためには何が必要か書き終えたところで、「それにまた、過去の優れたひとたち、たとえばサッフォーとか紫式部とかエミリー・ブロンテのことを考えれば、彼女たちは創始者であると同時に後継者でもあって、それ以前の女性が自然な書き方をするようになっていたからこそ、出現したのだとわかります・・・」とヴァージニア・ウルフは書いています。ほとんどこの書の終わりに紫式部の名前が出てくるのははじめに確認して知っていました。そのために丹念に読み続けて、このフレーズにたどり着いたのです。

 

 

女性が書くことの大変さをウルフは何度も何度も書いています。「女が小説を書くなんて」と公然と非難する高等教育を受けた男たちからの攻撃をまともに受けながら作家活動をしていたのです。ウルフはこのあと『三ギニー』というやはり女性の教育や社会進出に関する本を出版しています。この本は最後まで読み通すことができませんでしたが、彼女の女性の地位向上にかけた思いの真摯さには圧倒された覚えがあります。今回も同様でした。西暦1000年前後に長編小説を書いた東洋の女性がいたことに敬意を抱いたようです。

 

 

紫式部は『蜻蛉日記』を読み、『竹取物語』と『伊勢物語』を読み、そして、『枕草子』も読んで深く影響されたのだ、と私は思っています。かな文学が確立しつつあった時代、ものを書こうとしている者にとって、『枕草子』の内容には驚きしかなかった、と思います。和歌では伝わらない感性と美学があると感じたのではないでしょうか。『源氏物語』の作者にわからないはずがなかった、と考えるのが道理でしょう。そして、英訳ではありますが、ヴァージニア・ウルフもまた『源氏物語』の6分の一を読んで、女性にしか書けない文学だと理解したはずです。彼女は最後まで『源氏物語』を読んだのかはわかりませんが、読んでいたら浮舟の身の処し方=出家した話には感慨ひとしおだったのではないかと思います。

 

大河ドラマ『光る君へ』の主人公は道長です。それを決めた後で、紫式部をソウルメイトにしようと決めたのではないか、と私は思っています。儒教道徳などに反する物語を書いたとして、紫式部を快く思っていなかった男たちが、紫式部は地獄に堕ちたとか、藤原道長の妾だったなどと言ったり、書いたりしたのではないかと私は思っています。

 

番組が決まったときに、大石静がスタッフたちと京都へ行ったときに道長の墓に行き、その「前に立ったとき、『ここだ、ここに道長がいる』と感じ、道長にこの作品を書け!と言われていると思いました」とインタビューに答えています。ここでは紫式部の墓のことは一切ふれられていません。「道長にこの作品を書け!」と言われたとおりに書かれているようなドラマのような気がします。道長の影に紫式部がいた、と言うようなドラマになっているようです。なんと言えばいいか、言いようがありません。