37- 『光る君へ』第20回を視聴して | よどの流れ者のブログ

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『源氏物語』『紫式部日記』『紫式部集』の著作者 紫式部について考えたことを書きます。 田川寿美のファンです。

前回は長徳の変のあり様について妄想が沸き起こり止められなかった。これでは胸を張ったドラマ評ができない。今回は心をあらためて取り組みたいと思います。

 

しかし、長徳の変の真相とその処理に関して、わからないことがいっぱいあるというのは変わらない。妄想と疑問は違う、と思うのだが、その境界がよく見えない。どう書いていけばいいのか、と思っていたら、今朝の朝刊(京都新聞5月21付け)に三宅香帆という書評家が書いている文章に出会って、迷いが軽減した。引用すると

「自分が正しいと思うことを語るのと、人それぞれの受け止めがあるとか考えるのは両立するんです。私は人によって受け止め方が違う物事に面白さを感じますね」

 

紫式部の生涯を誤って伝えられることに危惧を抱いて、敢えて『光る君へ』を視聴することに決め、放映がはじまる前からブログを書きはじめました。一番ストレスを感じない方法だと思ったのです。この考え方がよくなかった。ストレス発散のためだった、というのはよくなかったのだ、と一瞬思ったが、よくよく考えてみると、ものを書くということは書かずにおれないから書く、ということではないか。問題はいい加減なことは書かないという一線を越えないこと、ということにあらためて思い至りました。「正しいと思うこと」の正しいこと、を厳格に追求していけば何も書けないと思う。自らを律する以外にない、と言うことを肝に銘じて、たぶん、今までとそれほど変わらないスタンスで書いていくことになると思います。

 

ここから今回の感想です。

 

中関白家の人たちが無惨に描かれていた。描き方が単調すぎるように思った。伊周の母貴子は存在感がなかった。『栄花物語』でも泣き崩れる「あはれな」母親の姿そのものとして描かれていた。伊周は疲弊し切っていて正常さを失っていた。定子は清少納言に退出するように言った時だけまともだった。隆家は自らの失態はどこ吹く風の様子だった。家族がバラバラになってしまった、そのように思わせる描き方だった。一貫して気に入らない。中関白家の人たちに私が肩入れしているのは事実ですが、そういう立場からではなく、このドラマが人間ドラマとして見るに値しない、稚拙な描き方になっていると思うからです。登場する全ての人物は掘り下げた上で描かなくてはならない、それが大河ドラマではないでしょうか?主人公道長と対立する側の人たちだから、と言って、単純に、横暴で愚かな人たちとしてだけ印象づけるように描くのは安易に過ぎると思う。

 

今回も伊周は散々に描かれている。確かに若さ故の未熟さがあったとは思うが、乱暴な言葉遣いと自分のことしか考えない愚かさを前面に出した描き方はワンパターンで、『枕草子』で伊周に親しみを覚えた私にとっては堪えがたい。兼家の政敵で花山天皇を後見した藤原義懐の時も同じような描き方だった。要するに、失脚して当たり前を強調するためかのように、いずれも無能で性格も悪いところが共通している。

 

俳優はよい人を演じる時と悪い人を演じる時とでは明らかに顔の表情から所作、話し方などそれらしくきっちりと分けて演技をするので、上手だなと感心することが往々にしてある。視聴者にとっては登場人物のどちらがよいか悪いかわかり易くていいように見えるが、あまりにパターン化して描かれると、どうだか、と思ってしまう。

 

斉信が道長に伊周と隆家も「終わりだな」と言ったら、道長が「うれしそうに申すな」と言った。斉信はただただうれしかったに違いない。二人の配流が決まったことで、彼は参議になれたのだから。もっとうれしがるところの描写あってもよかったのではないか。ドラマでは、花山院は隠したい、と言っていたので注進したのは斉信で、その通りに描かれた。道長が実資に連絡したことはさすがに描かれていない。それにしても花山院は隠しておきたかったのだろうか。怒りに燃えて一条天皇に厳罰にせよ、と指示したことはなかったのか。出家して法皇とも呼ばれた人が女の家に通うというのもよくわからない。侍らすことができなかったのか。と、これは純粋な疑問であって妄想ではありません。斉信がこうなるように仕組んだというのが私の妄想でした。

 

為時一家に春が来た。陽が差していた。史実がどうだったかよく知らないが、源国盛を推したのは詮子で漢文を書けない能力のなさに道長が苦り切っていた様子だ。詮子が伊周の罪の処置を問いかけたの対して道長が「情けをかける帝は尊い」と言った。敵なのに、と返した詮子に「敵であろうとも」と言い切った柄本佑の表情が格段によかった。前回は褒め殺しのような描写に辟易した様子を感じたが、今回はどの場面でも臆せず道長はこうだったというような確信に満ちた演技をしていた、ような気がする。行成が持ってきた申文を受け取った時の道長の仕事熱心な様子も様になっていた。

 

これは、まひろを演じる吉高由里子にも通じる。酔い潰れて寝てしまった為時を前にしたまひろと宣孝の会話がおもしろかった。為時が若い時に型破りなことをした、と言う宣孝の話を楽しそうにまひろは聞いていた。為時が宋に行こうとした話しだ。まひろが宋に関心を寄せているのがありありで、宣孝の話を心の底から楽しそうに耳を傾けていた。終始一貫、吉高由里子はいい表情をしていた。心を許せるのは宣孝だけ、という感じがした。

 

まひろが父為時に内緒で申文を提出した。あり得ないと思う。淡路守に決まっていたのが越前守に差し替わった話しだ。しかし主人公だから、道長ばかり目立ってはまずいという演出だろう、と思う。後で定子の思いやりから暇を出された清少納言がまひろと定子の実家二条第に忍び込んだのも、同じような意図からの演出だったように思う。ただ、紫式部という人は好奇心の塊のような人だと思っているので、こうした演出はありだと思う。

 

清少納言と紫式部が斯様に仲良しだったというのは、あり得たかもしれないが、清少納言の方が年上だったはずなので、もう少し年の差を感じられるように描いてほしい、と思っている。清少納言は頭の回転が速く、判断力にも優れた女性だ。今回のまひろは生き生きしていた。道長の方ばかり光が当っているように見えていたので、主人公二人をそれらしく見えるように、演出が殊の外、力を入れた様子がうかがわれる。ドラマ作りとしては常道だ。

 

倫子が登場する場面がいつもより少し多かった。土御門第に同居する詮子が体調を崩した。倫子が女房たちに家探しさせて詮子を呪詛する文が見つかった。帝に報告しようと言う道長を倫子が止めた。何のことかわからなかったが、倫子の仕掛けだったのだろうか。そのような倫子の笑い顔だった。伊周が道長に平謝りに謝ったときにも呪詛はしていないと言っていた。わかりにくい描き方だった。あとから倫子の意味ありげな笑顔のわけを明らかにしてくれるのだろうか。

 

定子後宮の描き方がおかしい。定子と清少納言だけの結びつきだけで成り立っているように描かれている。清少納言が道長側に通じていると疑われたのは事実かも知れないが、それにしてもあのようにしか描けないのか。斉信が中宮を見張れと言ったが、やり過ぎだ。『枕草子』をどのように読んだのだろうか。このままでは先が思いやられる。

 

定子は懐妊して内裏を退出したと思っていた。懐妊の話しが一切なかったのはなぜだろう。内裏に戻って一条天皇になぜ戻ったと問われて、「恋しくて」と定子が答えた。兄弟の罪を軽くしてと訴える定子に耳を貸そうとはしない一条天皇。伊周兄弟に対する処断は一条天皇が主導したと言われているので、このあたりは仕方のないところだ、とは思う。が、立ち去ろうとした定子に「待て」と一条は言って定子に歩み寄った。一条は数えで17歳だ、これも仕方ないところだと思った。塩野瑛久はむずかしいところを一生懸命にやっている。なんといっても若い天皇だ。道長贔屓の母がいる。愛する定子の兄弟があってはならないことをやらかした。厳しい状況で決断を迫られた孤独な姿が痛々しい。ここは毅然として、「待て」と言ってほしくなかったが、言い終わってから、これでよかったのだ、と思い直した。

 

追い詰められた中関白家の人たちには猶予がなくなった。それはわかったが、一家バラバラになっているように描いたのはどういう意図なのか。執行する実資は相変わらずうまい、と思う。しかし定子が刀を奪って髪を切ったのには、この演出はないだろう、と思った。この髪を切った、というのが元々私には理解できないことだった。一条天皇への抗議なのだろうか。そんな単純な動機とは思えない。懐妊しているのに何のためだったのだろうか。やはり冤罪だったのだろうか。一条天皇にも聞き入れてもらえなかった末の、全てに絶望してのことだったのか。これは疑問です。道長の手のものに髪を切られて尼にさせられた、と言うのは妄想ですが。ここでは、これ以上究明するつもりも、究明できるものでもないので、思っている疑問を書き留めただけです。定子には静かに小刀か、鋏で髪を切るような描き方にしてほしかった。

 

1.脚本=会話は練られているか、恣意的になっていないか(10→2点)2.構成・演出=的確か(10→4点)3.俳優=個々の俳優の演技力評価(10→6.44点)4.展開=関心・興味が集中したか(10→4点)5.映像表現=映像は効果的だったか(10→8点)6.音声表現=ナレーションと音楽・音響効果(10→7点)7.共感・感動=伝える力(10→3点)8.考証=時代、風俗、衣装、背景、住居などに違和感ないか(10→6点)9.歴史との整合性=史実を反映しているか(10→2点)10.ドラマの印象=見終わってよかったか(10→3点)

合計点(100-45.44点)

 

ここからはNHK大河ドラマ『光る君へ』全般について書く

 

NHKに『歴史探偵』という番組があります。5月15日(水)に『清少納言と枕草子』というタイトルで放送されたのをNHK+プラスで見ました。サブタイトル「春はあけぼのの真実」にひかれてのことでした。しっかりと真実を伝えてくれるだろうか、疑心暗鬼のまま見はじめました。この番組を今まで何度か見はじめたことがあったのですが、すぐに見るのを止めて、最後まで見たことがなかったからです。気に入らないとすぐに見るのを止めるのが私の常です。しかし今回は違いました。はじまった早々に、ナビゲーター役の加藤向陽アナが高校生の時に『枕草子』を買って、はまった、と言ったのに驚き、その思い入れの強さが伝わってきて、その好印象のまま最後まで一気に見終わりました。

 

春といえば、桜、梅などをあげるのが当時も今も変わらないことなのに、清少納言がなぜ「あけぼの」としたのか。彼女は書いています。

 

春はあけぼの  やうやうしろくなり行く  山ぎはすこしあかりて むらさきたちたる雲の ほそくたなびきたる

 

という冒頭の文章についての説明です。春のあけぼの、と言って、だんだんとあたりが白んで行って山際がほんのり明るくなって紫がかっている雲が細くたなびいている、という夜が明けて行く情景を表わしています。この時代、宮中のことを雲の上と言っていました。紫は最も高貴な色とされていたので、むらさきたちたる雲=紫雲というのは定子を暗示していて世の中が明るくなっていくと、というように河合教授が解説していました。ホッとしました。

 

清少納言は定子後宮のある登華殿から、明け方に東山を望んだイメージを文章にしたのだと思われます。番組では3月8日午前5時23分から5時52分の間があけぼのに当る時刻だとして登華殿跡から明け方を望もうと現地に向かいました。そこは道幅の狭い庶民が住む町並みで東山がよく見えません。山が望めない場所なので、近くの船岡山の頂上から望むことになりました。番組スタッフが五日間明け方に通って、東山の空が明けていく様子を撮った写真が美しかったです。ホームページを見てもせっかくの写真はどこにもなかったので、『光る君へ』のドラマの中で、この場面を編集で今の建物を消去した上で、是非放映していただきたいです。

 

興味深い話がもう一つありました。『枕草子』第百七十六段、宮にはじめてまゐりたるころ(新潮古典集成『枕草子下』より引用)、の中の定子と伊周の会話を清少納言が書き留めたエピソードです。雪が降った日に伊周が定子のいる登華殿を訪ねて来て

 

(伊周)「昨日・今日、物忌にはべりつれど、雪のいたく降りはべりつれば、おぼつかなさになむ」と申したまふ。

(定子)「『道もなし』と思ひつるに、いかで」

とぞ、御いらへある。うち笑ひたまひて、

(伊周)「『あはれ』ともや、御覧ずるとて」

など、のたまふ御有様ども、「これより、何事かはまさらむ・・・・」

 

現代語訳=「昨日今日、物忌でございましたが、雪がひどく降ったので中宮様が気がかりでしたので」と申し上げる。

「『道もなし』と思っていたのに、よくまあ」とお答えになる。

(伊周)笑い声をお立てになって「感心だ、とでも、ご覧になるかと思いまして」

など仰るご様子は、(清少納言)「これより、すばらしいことがあるだろうか・・・・」

 

という話を赤間教授が解説していました。『道もなし』というのは、『拾遺和歌集』にある

 

山里は 雪降り積みて 道もなし  今日来む人を あはれとは見む

 

で、平兼盛が詠んだ歌です。山里は雪が降り積もって道がなくなった。今日私を訪ねて来るような人がいたら、その人を愛おしく思うだろう、という意です。

 

 

このタイミングで『枕草子』のこと、定子と伊周のエピソードをNHKが取り上げてくれたことに感心しました。うれしかったです。