『光る君へ』第18回を視聴して | よどの流れ者のブログ

よどの流れ者のブログ

『源氏物語』『紫式部日記』『紫式部集』の著作者 紫式部について考えたことを書きます。 田川寿美のファンです。

藤原宣孝が国司の任期を終えて筑前から帰ってきた。まひろの家を訪れた宣孝はまひろに唐紅を贈った。まひろは宣孝が話す宋の国への関心を示した。宣孝はまひろの成長に目を瞠っていた。宣孝とまひろが結婚する前兆として描かれたのだろうか。宣孝を演じる佐々木蔵之介はこの役にぴったりだと思っていたが、宣孝の賑やかな性格の一面だけを強調した演技が気になっている。これは制作者サイドの意向のように思えるので仕方ないと思うものの、宣孝はそうした一面以外に学識も備えた深みのある人間だったと私は思っているので(だからこそ妻子ある宣孝と紫式部は結婚したのだ)、そのような一面もある姿も見せてほしいものだ。

 

 

『紫式部日記』には夫宣孝亡き後、彼が遺した漢籍の蔵書を紫式部が「つれづれせめてあまりぬるとき、一つ二つ引き出でて見はべる・・・」と記している。紫式部は時折り、宣孝との漢籍にまつわる思い出に浸っていたようだ。

 

道隆亡き後、中宮定子が帝に後継者として伊周を推しているとの噂に、実資が舌鋒鋭く中宮批判をしていた。秋山竜次の存在感が半端でない。ワンパターンのように見えるが工夫している。だから、またかという感じがなく、いつ見ても面白く見られる。正論ばかり言う人間は面白くないという観念を逆手に取っているから面白いのだろう。

 

今回は一条天皇が主人公だ。つらい立場に立っていたことがひしひしと伝わってくる。可哀想になってくる。伊周側を徹底して悪者に描こうとする制作者側の意向と、自ら描いた一条天皇像との狭間(詮子と定子との狭間ではない)で葛藤する俳優塩野瑛久が浮き彫りにされたように私には見えた。一条天皇と伊周とは定子を通じてなかよくしていたと言われているが、漢籍を通じても切磋琢磨していたとも言われている。

 

 

詮子の意向は母親であり女院でもあるので無視するのはむずかしい。吉田羊は熱演だった。母親として、女院として当然の台詞ばかりが延々と続いた。しかし、母親の情が少ししか感じられなかった。最後には「伊周に決めた」と繰り返していた一条の態度をこうした母親の一念が覆したのだと思う。政治的な発言が多かったが、情に訴えた母親らしい言葉を吉田羊からは聞きたかった。あまりにも説得調の強い一本調子な演技だった。息子なら従わずにいられないような母親の情を熱く感じさせてくれる演技と演出がほしかった。

 

伊周の描き方が最悪だった。若すぎて能力がないと言っても、あまりと言えばあまりな描き方だった。定子に「皇子を産め」とは父道隆と同じで執拗に過ぎた。味方のはずの定子がうんざりした表情だった。清少納言たち女房に「どけ、どけ、どけ」とは、どこを見て、考えついた台詞なんだろうか。さすがに「どけ」はないだろう。一歩譲っても「のけ」だろう。まぁ、顔を横に振るぐらいの所作で済ませてほしかった。伊周に恨みでもあるのだろうか、と思ってしまった。詮子にも「どけ」と言わせていたが、制作者たちはみな関東出身者ばかりなのだろうか。

 

(平等院鳳凰堂)

 

道兼が疫病で亡くなった。自らの死期を悟ったのか、手を合わせた道兼が「浄土に行こうとしているのか、こんな悪人が・・・」と呟き、自嘲するように笑った。倒れた道兼を道長はこれ以上愛おしい人はいないというようにかき抱いた。『栄華物語』に書かれている通りだ。兼家の時もそうだった。彼の家族愛は強い。それは伝わった。道兼がまひろの母を殺めたのは一時の気の迷いとして許してしまったのだろうか。そんなことはあり得ないはずだ。道長はいい人なのだ。道隆を後継者にした父兼家を許せずに自堕落していた道兼を立ち直らせた時に、そのことも描くべきだった、と思う。道兼を説得してまひろの家に訪ねさせ、為時、惟規、まひろに犯した罪を詫びさせるのは、道長がいい人であるための必須条件だったはずだ。いつの間にか道兼はいい人になっていて、死を前にして自嘲する。道長はそのことに知らん顔だ。こんな筋書きがあるだろうか。

 

だから、道兼の訃報を知った為時とまひろの態度がなんとも理解できない。「さぞや無念であったろう」「あのお方の罪も無念も全て天に昇って消えますように」とは、このような台詞を為時とまひろに言わせるとは私には理解しがたい。すでに、道兼が謝罪に来たことがあって、家族一同許しを与えていたかのような描き方だ。ドラマが空中分解してしまったような気がした。

 

さわがまひろに別れを告げに来た。父が肥前の国司になったので、ついて行くことになったのだ。やはりさわは『紫式部集』の15番歌から19番歌まで紫式部と歌を交わす女友だちだった、ということなのだ。その時の肥前守は平維将で、さわはその娘と言うことになる。紫式部が「姉なりし人亡くなり・・・」と書いて、亡き姉の代わりにと、文の上書きに姉君と宛てた人のことだ。ドラマの中で、まひろとさわをこのような結びつきに描くことができなかった理由は、姉を登場させなかったためだ。ドラマだから虚実入り乱れるのは仕方ない。『源氏物語』の作者紫式部が主人公のドラマなのに、なぜこのようにしたのだろうか。紫式部の精神形成上欠くことのできない姉を描かないのはおかしいと思っていた。制作者たちは何を考えていたのだろうか。

 

脚本=会話は練られているか、恣意的になっていないか(10→2点)2.構成・演出=的確か(10→2点)3.俳優=個々の俳優の演技力評価(10→5.95点)4.展開=関心・興味が集中したか(10→3点)5.映像表現=映像は効果的だったか(10→6点)6.音声表現=ナレーションと音楽・音響効果(10→7点)7.共感・感動=伝える力(10→2点)8.考証=時代、風俗、衣装、背景、住居などに違和感ないか(10→4点)9.歴史との整合性=史実を反映しているか(10→2点)10.ドラマの印象=見終わってよかったか(10→2点)

合計点(100-35.95点)

 

 

ここからはNHK大河ドラマ『光る君へ』全般について書く

 

今回は18回目、全体の三分の一が終わった。『光る君へ』の「道長をソウルメイトとする紫式部」というコピーが気に入らず、かと言って無視もできないから見はじめたのだが、ここまでの印象はやはりよくない。ドラマだから道長とまひろがそれぞれに思い合うことは仕方ないにしても、それ以外の人物描写と筋書きがあまりにもお座なり過ぎることに当惑している。

 

今回で言えば、明子と俊賢兄妹との会話の内容が雑すぎた。一条天皇が伊周でなく道長を右大臣に決めたことで、俊賢が「道長に俺のことを褒めておいてくれ」と明子に頼み、明子が「褒めるところがない」と答えていた。この台詞の中味のなさには驚く。俊賢をこのように貶める意図はなんだろう。彼の履歴を見れば、自らの立ち位置をしっかり考えながら、できるだけ自らの良心に従って行動した人の様に思える。明子もまた、この単純さには驚く。父を陥れた兼家を呪詛したあとは、道長にぞっこんの様子だ。本田大輔と瀧内公美にこのような台詞を言わせるとは、理解できない。

 

今のところ倫子もまた単なる道長賛嘆者として描かれている。なんのための黒木華起用だったのか。やはり理解できない。

 

道兼のことはすでに書いた。「士三日見ざればまさに刮目して見よ」という言葉がある。しばらく見なかった人がいれば、変わったところがないかよく見なさい、という意だ。そこには、人は変わるものだという前提がある。道兼がよい方に変わるのは大歓迎だ。しかし、人を殺したのだから、身を削る反省と当事者への真摯な謝罪なくしては、それはあり得ない話だ。ドラマでは、一切謝罪しなかった道兼も問題だが、それを知っていた道長の方により問題が残ったと私は思う。これでは、道兼を関白の地位に推挙した道長を仮にもいい人だとは到底思えない。制作者側はそのように描くのを失念したのだろうか。そうとしか思えない。ここは譲れないところだ。

 

さわの人物造型についてもすでに書いた。『紫式部集』には100余の和歌が紫式部自撰で収録されている。生涯にどれだけの和歌を彼女が詠んだかわからないが、その中で明らかに「さわ」なる女性との贈答歌を5首、選んでいる。紫式部にとっては、終生思い出に残る大事な友だちだったのだ。肥前と越後、便りが届くのにどれほどの日数を要したことか。遠く離れた二人が友情を深める姿が見られる。このイメージに見られるような人物になぜできなかったのか。

 

姉なりし人亡くなり、また、人の、おととうしなひたるが、かたみにゆきあひて、
    亡きがかはりに、思ひかはさんといひけり。文の上に、姉君と書き、中の君と
    書きかよはしけるが、おのがしし遠きところへゆき別るるに、よそながら別れ惜

しみて

15 北へ行く 雁のつばさに ことづてよ 雲のうはがき かきたえずして(紫)

 

    返しは、西の海の人なり

16 行きめぐり 誰も都に かへる山 いつはたと聞く 程のはるけさ(友)

    津の国といふところより、おこせたりける

17 難波潟 群れたる鳥の もろともに たちゐるものと 思はましかば(友)

    

筑紫に、肥前といふところより、文おこせたるを、
    いとはるかなるところにて見けり。その返ごとに
18 あひ見むと 思ふ心は 松浦(まつら)なる 鏡の神や 空に見るらむ(紫)

    返し、又の年もてきたり
19 ゆきめぐり あふを松浦の 鏡には 誰をかけつつ 祈るとか知る(友)

 

『紫式部集』は紫式部晩年に編纂されたらしい。これらの歌を自ら選んで読み返しながら、亡き友をしのぶと共に、亡き姉をも同時に思い返していたのではないだろうか。

 

(鏡神社)

 

『源氏物語』玉鬘の巻に、18番歌・19番歌で歌われた松浦の鏡の神が出てくる。夕顔の娘玉鬘が故あって筑紫にいた時に土地の役人、大夫監に求婚される話がある。玉鬘の従者たちは迷いながらも決然として玉鬘を都へ送り返すことになる。その大夫監が詠んだ和歌に

 

君にもし 心たがはば まつらなる 鏡の神を かけてちかはん

 

というのがあり、田舎者の歌心のない者の歌として呆れられる。

 

もう一つ大きな問題として感じているのは、このドラマでは『枕草子』などなかったかのように定子後宮を描いているような気がする。香炉峰の雪の話はあったが、お茶を濁した様な描き方だった。定子後宮にいた多くの女房たちは香炉峰の雪の話を知っていたが、定子が「少納言よ、香炉峰の雪、いかならむ」と問いかけたことに対して咄嗟に簾をあげて庭の雪を見ることまでは誰も思いつかなかった。清少納言の機知が際立った話だ。教養を積んだ女房たちが大勢いたからこそ、『枕草子』のような古今東西に類を見ない文学作品が誕生したのだ。そこを描かなくてどうするのかと言いたい。

 

全てがお座なりだ。今回の定子は何事も思う様にならないことに苛立ってばかりいた。高畑充希が可哀想だ。伊周はそれに輪をかけて横暴極まる理不尽な男として印象づけようとしていた。三浦翔平には申し訳ない気持になった。このように描く意図は何か。全ては道長が善き人として際立たせ、紫式部に賞賛させたいがためなのだ、そうとしか私には思えない。柄本佑には何の批判もできないほどしっかり演じているので、振り上げた拳の落とし所は一つ所しかない。

 

道長とまひろを除いて、ほとんどの登場人物を貶めるか、それほどでもない人格を持つ人物として描いている。その台詞もありきたりで、誰もが思いつく様な平凡な内容ばかりに聞こえる。歴史ドラマだから虚実入り乱れて描かれるのはある程度やむを得ないことだ。しかし、歴史的人物たちに対する最低限のリスペクトをもって、描いてほしい。