前世はきっと平安貴族

前世はきっと平安貴族

歴史大好き!とりわけ平安時代をこよなく愛する私です。
こんなに惹かれる理由はきっと前世で生きていたからにちがいない。
源氏物語ネタをメインに、色々思っている事を書いてゆきます。あらすじとか一切書かずに自分の思いだけを強引に綴ってゆきますので悪しからず〜。

匂宮(におうみや?におうのみや?)

 

源氏物語の「宇治十帖」において

薫と並ぶイケメン主人公。

 

ひと言で言うと「チャラ男」。

 

無類の女好きで、

何かにつけて薫と張り合う。

 

まぁ親王という高貴な身分ですもの

やりたい放題ですわね。

 

しかしこのチャラ男は只者ではない。

両親である今上帝と明石中宮から

”次期東宮候補”として期待されているのだ。

 

明石中宮は何を隠そうあの光源氏の一人娘。

 

12歳という若さで入内したが、早々に

皇子を出産する(すごいぞ!)

 

その上、他の有力貴族達は

源氏に遠慮して

姫君を入内させなかったので、

彼女は今上帝の寵愛をず~~っと

独占状態!

 

なので3人の皇子は全て明石中宮の

所生であります。

(明石中宮は皇女も産んでおりますがここでは

割愛させていただきます)

 

① 一の宮・・・すでに東宮

② 二の宮

③ 匂宮

 

ここで「あれ?」とお思いになった方、

はいアナタの疑問は正しい!

 

そうなんです、匂宮って三男なの。

実はお兄ちゃんがもう1人いらっしゃるのよね。

 

なのに何で匂宮が次期東宮候補?

WHY?

 

順番からいえば、当然二の宮が

次期東宮候補ざましょ?

 

でもその一方で、物語の中には

二の宮が次期東宮候補だと記述されて

いる場面もあるからややこしいあせる

 

===============

源氏物語第四十二帖「匂宮」より

《原文》

二の宮も同じ御殿の寝殿を

時々の御休み所にしたまひて

梅壺を御曹司にしたまうて

右の大殿の中の姫君を得たてまつりたまへり

次の坊がねにて、いとおぼえことに重々しう

人柄もすくよかになむものしたまひける

 

《現代語訳》

二の宮も、女一宮と同じ御殿(六条院)

寝殿を、時々ご休息を取られる御屋敷と

されており、内裏では梅壺を自室とし、

右大臣(夕霧)の二番目の姫君を

娶られていらっしゃいます。

次の東宮候補として世評も極めて高く、

お人柄も真っ直ぐ健やかでございます。  

==============

 

どうかしら?

「次の坊がね」つまり「東宮候補」って

はっきり書いてあるでしょう?

 

だから少なくともこの時点では

二の宮は次期東宮候補だったはず。

 

なのに、それ以降の物語では

二の宮の登場は皆無となり

「どこ行った~~???あせる」と

なった頃、第五十二帖「蜻蛉」で

突然”式部卿宮に任官した”という

記述が見られる。

 

しかもたったそれだけ!

これ以降、二の宮に関する話は

基本的に出て来ない。

 

弟の匂宮に関しては、

次期東宮候補として期待されて

いる記述が繰り返し繰り返し

行われているというのに。

匂宮は必ずしもそれを望んでいないのだが

 

一体、二の宮に何があった???

 

 

さて、ここでひとつ

国文学者である藤本勝義氏による

大変興味深い説をご紹介いたします。

 

それは

「二の宮に代わって弟の匂宮が

東宮になった事は、史実における

為平親王の例を想起させる」

というもの。

 

ここで言う「史実」とは

969年に起こった「安和の変」の事です。

 

これは藤原氏が行った他氏排斥行為の

総仕上げともいえる事件でした。

 

安和の変に遡ること約20年、

時は村上天皇の治世。

帝には多くの皇子がいらっしゃいましたが

その中で、中宮安子の産んだ第二皇子の

憲平親王が生後わずか2か月で東宮になりました。

 

そして親王は父・村上帝の崩御後、

18歳で即位して

冷泉天皇となりました。

 

ところがこの方は「狂気の帝」。

「こりゃたまらん!」と思った廷臣達は

早々に譲位をさせるべくとっとと次の

東宮を決めてしまいます。

 

この時候補に上がったのが、冷泉帝の弟である

・為平親王

・守平親王

のお2人。

 

母は冷泉帝と同じで中宮安子でしたので

身分の上では申し分ありません。

 

順序でいえば年長の為平親王が東宮に

なるはずのところを、どういうわけか

年少の守平親王が東宮に立ったのでした。

 

おかしいですよね?

 

実は為平親王の妻が源高明の娘だった事が

ネックでした。

 

つまり、もし為平親王が東宮になって

即位すると、将来源高明が次期東宮の

外戚になる可能性が出て来るわけで。

 

もちろんそんなものはあくまでも

可能性に過ぎないんだけど

「災いの芽は早目に摘んでしまえ!」

というのが藤原氏のやり方。

 

というわけで冷泉帝の東宮は守平親王

に決定し、挙句の果てに源高明は

大宰府に左遷されてしまう・・・。

 

ま、これが「安和の変」の

簡単なあらましです。

毎度ながら藤原氏の陰謀はえげつないな~。

 

 

で、これって二の宮と匂宮の関係に

そっくりだと思いません?

 

兄である二の宮より、弟の匂宮の方が

東宮に近いポジションにあるあたりが。

 

物語の中で結局2人は”次期東宮候補”

のままなので、最終的にどうなるのかは

分からないのだけど、ここで思い出して

ほしいのが「蜻蛉」の帖で二の宮が

式部卿宮に任官したというエピソード。

 

「安和の変」で東宮になり損ねた

為平親王でしたが、実はその政変後に

式部卿宮に任じられていたんです!

その後、皇族として最高位の一品も授与される

 

これは、為平親王が弟の守平親王に

東宮の座をさらわれた事への代償

として与えられた地位だとされています。

 

式部卿宮というのは、親王という身分の

極官であり、一度その職に任官した場合

皇位継承に関わる事はまず有り得ない

一種の名誉職だと言われています。

 

なので「蜻蛉」の帖を読んだ当時の読者は

ピンと来たはず。

「二の宮様が式部卿宮に

任官したんですってよ」

「あら!じゃあ東宮への道は

断たれてしまったのね?」

てな具合に。

 

どうでしょう皆さん。

藤本勝義氏のこの説、非常に

面白いと思いませんか?

 

物語には書かれていないけど、

もしかしたら二の宮が何らかの

政変に巻き込まれて、その結果

東宮候補から外されてしまい、

その埋め合わせとして式部卿宮の

地位を与えられた・・・な~んて

想像をかきたてられませんか?

 

 

もちろん、他にも色んな考察が

出来るとは思います。

 

例えば

今上帝と明石中宮は三男の匂宮が

可愛くて仕方がないので、その偏愛から

どうしても東宮にしたくなった。

二の宮には式部卿宮の職を与えて

おけばよかろう、と。

 

アンタらそれでも親か!

って思うのは我々が現代の倫理感で

生きているからで、平安後期のあの

頃は案外こういった依怙贔屓は

よくある事だったのかもしれない。

 

 

あと考えられるのは、二の宮自身が

東宮を譲ったというもの。

 

匂宮がまだ幼かった頃、夕霧大将に

抱かれて二の宮のいる御殿に来た

事がありました。

その時、二の宮は「僕も大将に抱っこ

された~い」と夕霧のそばに行ったの

ですが「ダメ!これは僕の大将!」

と匂宮が我儘を言ったので、

優しい二の宮は「しょうがないなぁ」と

弟に譲ったというエピがあったのです。

 

だから東宮の座ももしかしたら

「父上や母上がお望みならば」

と、自ら身を引いた可能性も

考えられます。

 

二の宮・・・いい兄ちゃんにもほどがあるぜえーん

 

 

とにかく、何故匂宮が東宮候補なのか?

これって本当に謎ですよね!

 

何でわざわざ

ややこしくしたんだろう?

 

明石中宮もさ、皇子を3人も産まないで

2人だけにしておけば良かったのに。

 

あとね、長男である東宮には夕霧の長女が

入内しているわけで、これから男子が

生まれる可能性は充分あるんだから、

何も無理やり匂宮を東宮にしなくても良くない?

 

それまで待ちきれないという事なのかなぁ?

 

どうも「宇治十帖」は中地半端な

感じが否めない。

 

結局、二の宮と匂宮のどっちが

正式に東宮の座に就いたのかは

分からぬままだし・・・

 

あ~!消化不良!!!!!むかっ

 

やっぱり作者は紫式部ではないの

かもしれないな、などと思ってしまふ 凝視