SHOKEI 'S TIMES -4ページ目

水彩人展は終わったが、小品展は続いてます。

先週の土曜日(10/5)で第21回展は終了しました。

 

今回の出品作は 慎重に仕上がりのイメージをもって描いたのに

中途半端な感じになってしました。

 

というよりエスキースをしてイメージをもって描いたから より達成して

いないという感じがしたのかもしれません。

 

どうも 後味の悪さだけが残ってしまいました・・・。

 

 

 

水彩人の作品目録は 前回のブログに書いたのですが 一枚一枚手描きで

描く事になっています。

一人20枚ずつ描くのですが これが結構、大変です。簡単にささっと

描いてしまってもいいのですが、受け取る人の事を考えたり、描くならば

自分のためになるようにしようと思ったりして時間がかかってしまいます。

 

でも水彩人の係の人に提出した後 描いた表紙絵が どういう人が持ち帰ったのか、またはどこかに捨てられてしまったのか・・・

見当がつきません。

 

そこで描いたものの記録として記載しておこうと思います。


 

 

 

以前に油彩で描いたものを水彩で〜

 

水彩人の小品展は 10月12日の土曜日まで 銀座の

『ギャラリー・一枚の繪』(凮月堂の3階)で開催中です。

 

尚、10月9日(水曜)の2時からギャラリー・トークを予定しております。

 

お時間がありましたら是非、お聴きに来てください。

 

 

 

 

 

 

 

水彩人 第21回展のお知らせ

       

水彩人の第21回展が昨日(9/27)から10月5日(土)まで

上野の東京都美術館にて開催しています。

期間中に休みはありません。

(am.9:30からpm.5:30  最終日10/5 はpm.2:00 で終了です。)

お時間がある方は 是非お越し下さい。

入場料は無料です。
 

 

 

 

           

 

 

今回は この水彩人展とほぼ同時に銀座のギャラリー一枚の繪に於いて

小品展を開かせてもらいます。

9/30〜10/12 am.11:00〜pm.6:30日曜休廊。

こちらは47名の水彩人の同人と会員による6号以下の作品展です。 

       

 

        

 

 

 

 

下の作品目録は 水彩人の展覧会のものです。

毎回、同人会員が 一枚ずつ手描きで作って

受付においてあります。数が多いのでちょっと

面倒ではありますが楽しくもあります。

その一例〜

 

 

 

 

 

私は都美術館、一枚の繪g.のどちらも日暮里での風景を出品しました。

(会場写真では右側。左は夜中の大袋駅近辺) 

 

 

10年前にこの「夕焼けだんだん」を油彩で数点描いたことが

あるのですが、最近再び日暮里に行き、

スケッチしてきました。

 

雨の日や夜などシチュエーションを変えてスケッチにいきました。

自分としては毎回、絵の問題を見つけては少しずつ改善?していこうと

描いてますが・・・倫理的な問題が常に残ってしまいます。

 

来年の秋には 個展を予定してますので その時までには 

このモヤモヤをなんとかクリアしたいと考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「現場主義」から少し離れて

絵画の「現場主義」について 以前、ブログに あれこれ書いた事が

あるが その補足~というか、少しずつ考え方が変わってきている。

 

現場主義というのは 現場に拘って写生する事だが、現場で絵を描き

上げて 帰宅後には一切、加筆しない人と  家に持ち帰ってからも

その続きを描く人がいる。

 

私は後者の方であり、初めは現場で描くが(簡単なスケッチの時もある) 

その後、家に持ち帰ってからも描き続ける。家での制作の方に重きを

置くので 正確には現場主義とは呼べないのかもしれない。

 

しかし どちらの方が良いという事ではない。

「再現」や意味に拘る方向と 画面の中の造形的な「表現」に置き

換えようとする2つの方向があると思う。

 

現場で描いていて雨に濡れ肺炎を起こし67才で亡くなったセザンヌは 

現場主義者の代表者のように思われているが、主要作の一つでもある

『大水浴図』等の作品群は 殆ど仮想空間であり 現場とは関係ない制作だ。

風景や人物を描く時に写真を利用することもあったそうだ。鑑賞者の私達

が想像する以上にセザンヌは自由に自分の世界を追いかけている。

静物画に於いては 「見る」姿勢はあるが、イデーに拘って制作している

ので再現の写生描写ではないと思う。

 

この相反するような2つの方向は、セザンヌのようなに即非的な方法論

をもって 解決していくしかないと考えている。

 

 

 

文学に於いて 現場を意識して書くものに「紀行文」や「伝記」のような

記録文学がある。

 

芭蕉の『奥の細道』は 紀行文として有名であるが、 現場で見て書いた

句ではないそうだ。

 

芭蕉は旅を終えた後、亡くなるまでの 5年間もかけて推敲を重ねて 

加筆修正を続けた。

つまり写生による紀行文というよりは 加筆することで芭蕉独自の

世界観を表そうとした「作品」だと言えるだろう。

 

過去の歌人による「歌枕」で場所(目標)を定めて、実際にその現場に

行き確めるが、その記録でも報告でもない。芭蕉が求めたのは 現場で

体験した事の再現よりも もっと大切なことがあるのだろう。

 

  『古池や  かわず飛び込む  水の音」

 

有名な この句も古池で詠んだ作品ではなくて 「古池」という言葉は 

後から探し出して 加え、完成させたと言われている。   (長谷川櫂 説)

 

「閑さや 岩に染み入る 蝉の声」

 

上の句も 蝉の騒音に相反する「閑さ」は 後から付けた言葉だそうだ。

 

相反する言葉を付けることで 深淵な精神的な世界を(即非として)開示

させることに成功している。

 

見たモノの再現に拘るならば 他の言葉と合体させることはない。

合体させるのは そのモノを越えた自分の世界を構築させたいからだろう。

 

 

好きな画家の一人に松本竣介がいるが 松本も画面の中で複数の場所を

合わせる事をする事がある。

例えば横浜の風景と下落合をくっ付けたり、お茶の水のニコライ堂と

新宿付近を合体させたりしている。

その事からわかることは 現実のニコライ堂を再現することよりも 

ニコライ堂を借りて松本自身の世界を描きたいのだろう。

 

ゴッホの晩年の有名な「麦畑」を見ても 麦畑を再現として見ようと

しているのではなく、鑑賞者はその絵からゴッホ自身を見たいのだ

と思う。

 

私の絵は これからも現場で「見る」ことからスタートしたいが、

現場の意味やその再現に なるべく拘らないで「絵として」自由に

描き進めたいと考えている・・・が、 実際は まだまだ「再現」と

「表現」の関係の問題が未解決のままであります。

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の雨

 

夜中の写生はボチボチ続けています。


 

「夜の高架下」

 


クレパスでグリグリ描いて テレピンでゴシゴシ消して

汗をかきながら描いていると いいとか悪いとかは分かりませんが

なんか日常のストレスが解消されるみたいでスッキリします。

 

 



夜明け前のまだ眠っている街からは 不思議な緊張感を感じました。

 

「始発前」

 

しかし最近は 雨の夜が多いので外へ描きに出れず 悶々と・・・・。

 

 

花の色は うつりにけりな いたづらに   
わが身世にふる ながめせしまにという
小野小町の歌も ながめ→長雨 とかかり、
雨のために外出できず、窓から雨を眺めては
悶々としている様子の作品だとか・・・。

今も昔も 梅雨は イヤですねぇ 悶々。








黒い犬

 

 真夜中の駅前広場で写生をしている。

 

 終電が行ってしまうと閑散とした広がりが生まれる。

 ほっとしながらクレパスで描いていく

 

 時折、酔っぱらいや意味深なカップルが通り過ぎる。

 

 黒い大きな犬がワン・・・ではなく「オウ、オウ、」と

 吠えながら近づいてきた。息が荒い。

 悪気はないのだろうが 1対1で向き合うと恐ろしい・・・

 

 じっと固まって ひたすら通り過ぎるのを待つ〜

 

 

           

 

 

 

  猫ばかり描いてきたせいか

  犬を描いても猫みたいになってしまう

 

  ホントは もっと威圧的な大きな黒い犬でした。

 

  「己が身の闇より吼て夜半の秋」(蕪村) みたいな犬。 

 

 

 

 

 

                  

 

 

  自宅の近くの駅を描いていると  

  記憶の中の駅や夢の中の駅と

  同化していくように感じます。

 

  駅は旅の出発点であり 到着点でもあります。

  またもう一つの世界と繋がる通過点でもあると考えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真夜中の風景画

このところ どうにもこうにも昼間は 雑用と家事に追われて

落ち着いて絵が描けない。

 

以前から 絵は夜中にコソコソと描くことが多いが 好んで

そうしているわけではない。

鈍臭くて融通がきかず、そうなってしまうだけだ。

 

そこで考えたのは 夜中の写生だ。

駅前の広場は 午前1時を過ぎると 終電がなくなり、酔っぱらいもいなくなって

車の往来もなく やっと写生ができるようになってくる。

午前2時頃になると駅前は静かだ。

近くに交番があるので時々、視線を感じるが 

描き始めると気にならない。

 

水彩や油彩は嵩張るので 最近はクレパスで描くことが多い。

「クレパス人」だ。

 

 

 

 午前2時の駅

 

 

 

樹、一本でも夜中に見ると 昼間よりも大きく迫ってくる。

建物も道路も夜空も雲も 何か言いたげに動いて見える。

 

太陽の光で美しく化粧された昼間の風景とは異なり

夜中は 存在そのものがもつ生々しい凶暴な「本性」が見えるような

気がしてくる。

 

しかし 夜が明け始めると樹も街も 突然、何事もなかったような

澄ました表情になってしまう。人に見せてもいい顔になってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ムー」がいない

「ムー」というのは家の中で飼っていた猫の名前だ。

そのムーが亡くなった。おとなしい猫だった。

 

        

 

16才半だから人間に換算すると82才ぐらいのお婆さんに

なっていたことになる。

住まいの関係で最近は 長女にムーの面倒をみてもらっていたのだが、

一ヶ月ぐらい前から便秘気味で病院通いをしていた。

 

よくあることなので すぐに回復するだろうと思っていたが、今回は

容態がどんどん悪化してしまい、食事もとらなくなってしまった。

 

下剤や水を飲ませたり、レントゲンや血液検査などをして診察して

もらっていたが 良くならなかった。

 

夜、長女が仕事から帰宅した時、ムーが妙な声で少しだけ鳴いたそうだ。

そして箱で作ったたムーの部屋の出口から必死になって顔を出してきた。

長女が抱き上げると その腕の中でふっと亡くなってしまった。

亡くなった瞬間、体重が重くなった気がしたそうた。

人間でも死ぬとその瞬間、重くなるという話をきくが、皆そうなのかと

不思議に思う。

 

翌朝、会いに行ったが 既に硬直していた。

生存中には3.7kg以上あった体重が 2.8kgになっていた。

 

痩せて固まって、本当にナキガラ(亡骸)という感じだ。

自分も亡くなったら こんな風に 物になってしまうのだなと思った。

 

 

ペットの火葬は何やら混んでいるそうで順番待ちになった。 

暫くは火葬場の冷蔵庫の中にいる。

 

翌日、銀座の「ギャラリー一枚の繪」にたまたま行ったら 入り口の傍に

偶然、私の描いたムーの絵が飾られていた。

 

          

 

縁側の陽だまりでうたた寝している絵だが、こんな感じで亡くなっていた。

 

16年前に猫を飼うことになったのは、この「一枚の繪」からの猫の絵の

依頼から始まった事を思い出した。

 

       

 

 

 

 

 

 

 

語り口?

北海道に住む大学時代の友人からジャズのフランク・モーガン等の

CDが多数 送られてきた。マイクル・コナリーの小説を読んでいたら

小説の中でよく取り扱われているので このフランク・モーガンを

聴くようになったという。

そのCDを聴いてYouTubeで他の演奏を探したりしているうちに 

どんどん興味を持ち、いろいろ調べてみた。

 

アルトサックスのフランク・モーガン(1933-2007)の経歴は 

ちょっと変わっている。1955年にGNPに一枚目のアルバムを

吹き込んでデビューしたが、その直後に麻薬常習で収監されてしまい 

以後 約30年も活動できなくなってしまう。(1978年社会復帰)

1985年になって甦った時の演奏スタイルは 当時(ビ・バップ)

のままだった。

急速に進展してしまったジャズ史の中で切り捨てられてしまった

モノが、見直されてきたのかもしれない。

 

アート・ペッパーやソニー・クリスを思わせる時があるが、

ペッパーのようなカッコいいキレ味は ここには感じられない。

でも どこかモソモソしたトーンが独特な哀愁を感じさせてくれる。 

 

その上、年齢を重ねたせいか語るような演奏の口調は

更に 深みを増したと思う。

 

 

表現に於いて この語り口(口調)は、 内容よりも大きな意味を持つ

ことがある。

絵では「何を描くか(内容)」や「いかに描くか(技術)」が

よく問われるが、この醸し出てしまうニュアンスも考慮したい。

 

 

キレイなお姉さまに小声で「バカっ」といわれるのと強面のオヤジが

「バカッ」と罵るのでは 言葉は同じ「バカ」でも全くちがうのだ。

FAXやメールで 口調(ニュアンス)が通じない為に誤解された事は

よくあった。

 

 

古典落語の名人芸や面白さは 内容より この口調の巧みさが大事だ。

志ん生など呂律が回らなくて 言葉が聞き取れなくても面白いと思う

ことがある。

 

絵に於いても語り方は いろいろだ。

セザンヌの絵は いつも怒っているような口調だと感じる。

セント・ヴィクトワール山なども一見、平静な山の絵のようだが、

よく見ると喧嘩腰で描いているように感じられる。

他にもボナールの絵は 小声で鼻唄を呟いているし、シケイロスなど

大声で叫ぶシュプレヒコールだろう。

断定的な口調の絵もあれば 雄弁なだけの絵もある。

優しい独り言の絵もある。

 

 

音楽を聴いていても同様で 演奏家の語り口が気になってしまう。

シューマンの「森の情景」や「ダヴィッド同盟舞曲集」など

演奏家によって かなり違った印象を受けてしまうと思う。

 

私はケンプの弾くシューマンが好きで、よく聴いている。

ケンプの演奏は 先ず自分に向けて弾いているように感じる

から好きだ。

 

こんな風に然り気無い語り口の

自分に素直な絵が 描けたらいいのにな・・・と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年頭の戯言

昨年末に書きかけたブログだが、うっかりしていたら 

中途半端なまま年を越してしまった。

 

          

 

水彩人を始めて20年が過ぎ、振り返ると自分の絵に対する考え方が 

かなり変わってきた事に驚いている。

優柔不断のように思われるかもしれないが、変わらないよりは 

いい事だと思っている。

進歩とか後退とかは どうでもいい事であって、それよりも常に

動いている事の方が大事だ。

水彩人はその意味に於いて 自分にとってとても大切な集まりなのだ。

いつも  いくつもの疑問と否定を投げかけてくれる。

 

仲間の絵を見るだけでなく、その絵の感想を述べたり 自らの絵を

言葉にすることで新たな発見があった。

 

昨年12月の名古屋巡回展の時も陳列の後、いつものよう飲みながら

絵の話になった。

私は 笹村さんの「私絵画」論に対する疑問点をいくつか聞いて

みようと試みた。笹村さんの絵は、昨今どんどん笹村さんらしい絵に 

なってきていて羨ましく思っている。

学んで身に付いてしまった所謂「絵作り意識」や絵画上の既成の

約束事等を捨てて、素直に「あるかまま」の境地に立ち「絵に生きる」

姿勢が伝わってくる絵になっていると思う。

 

 

ただ要らないものを捨てて純化していく事は 絵に限らず

いいことのように思えるが、本当にそうなのだろうかと考えた。

 

美術史の流れも表現の純化としてとらえる事が出来るが、

絵は 純化したイデーの結晶でもなければ、正論で構築しただけの世界

ではないと考えたいのだ。

私が求めている「私絵画」というものは、作者と等身大のボディのある

作品であり、〈正〉も〈負〉も同居しているものだ。

 

文学に於ける「私小説」は、作者の告白であったり、素の部分が

垣間見れる面白さがある。

自分の内にある「私」に向き合う時、〈いいところだけ〉を取り上げて

書いても私小説にならない。 

 

 

笹村さんの絵は〈見ること=生きること〉の答え(結論)の集積の

ようであり、 文句のつけようがない。

表現された作品には迷いが無く、明解で素晴らしいとも思える。

 

そこで「これでは私絵画というより 笹村出格言集のようではないか」

と失礼な言い方で切り出した。

 

しかし、話始めてすぐに 形勢が不利になっている事に気がついた。

笹村さんに対する疑問点や批判は すべて私に当てはまってしまう

のだった。

むしろ心理的な「影」を捨てたり、ひたすら観念に沿わせて純化

させようと焦っていたのは、私の方だったと気がついた。

 

私の絵は その為に硬くなったり、一面的に屁理屈に走りすぎてしまう

事がよくある。

描き始めの画面には あった「 勢い」やナマな「〈負〉の部分

(病んでいるところ)」を仕上げの段階になると徐々に消してしまう。

そうやって身繕い辻褄を合わせた絵は、自他ともに面白い訳がない。

 

 

 

水彩人の名古屋展の後、ボナール展を見に行った。

ボナールは高校生の頃から大好きな画家で今までにも何度も見てきた。

その好きな理由の一つは綺麗事でない<ボディのある絵画>だと思った。

 

ボナールは時間をかけて熟考して制作し、制作後にまた加筆もしている。

つまり〈負〉の部分を消そうと思えばいつでも消せたはずなのに隠そう

としていない。

病んでいることは隠すことではないと思った。

 

また好きな画家のゴッホにしても同様で病んでいる部分を隠そうとしない。

耳を切り落とした自画像があるが、何の意味があったのだろうか。

 

しかし病んでる部分を意図的に描いてみようとしても作為的で

押し付けがましい絵になってしまう。

 

描こうとしないで描く・・・しかない。

 

禅の公案みたいだが 

こういうことが絵を描く難しさ追求する難しさなのだろうか。

 

 

凡人の私は あーでもないこーでもないと悩みながら、

今年もフラフラ動きながら描き続けるしかないと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水彩人の巡回展は 名古屋

 

展覧会のお知らせです。

 

 

水彩人は毎年、秋に東京都美術館で開催した後、

東京以外の場所で巡回展を行ってきました。

 

今年は名古屋で12月11日より16日まで

開催いたします。

名古屋の近くにお住まいの方々、是非

見にきてください。

 

私の両親はどちらも名古屋生まれですので

この機会を利用して、少し名古屋を散策して

みようと思っています。

 

10日に名古屋入りし、陳列をして翌日の

11日(初日)に出席した後、親戚の画廊などを

ブラブラする予定・・・

楽しみ