ニチアサの『爆上戦隊ブンブンジャー』26話から新幹部ディスレースが登場。
ハシリヤン幹部はカーレース、車映画のタイトルからネーミングされているので今回のディスレースはコーマンのカルト映画『デス・レース2000年』からつけられたのだろう。
どんな映画なんだろう?と興味を持ったニチアサキッズの君に紹介しよう。ただし、子供は見ちゃいけないぜ!
作家・脚本家のイブ・メルキオーは休日にサーキットでレースを見ていたらクラッシュシーンに出くわした。ごうごうと燃え上がるマシンに目を背けたメルキオーだが集まった観客は悲鳴を上げるどころか大歓声。
「人はこれほどまでに暴力や惨事に魅せられるのか」
ショックを受けたメルキオーは暴力に魅せられる人間への警鐘を促すデス・レース2000の原案を書きあげる。それを手にしたB級映画の帝王ロジャー・コーマンは映画化に取り掛かる。
時代は1970年代半ば。泥沼化するベトナム戦争からアメリカは撤退を進めていた。ヘイズコードによってバイオレンスもセックスもないハリウッド映画は下落を続けていたが、コーマンは下町のお上品でない2番館、3番館やドライブ・イン・シアターで血まみれ映画を連発して若者を熱狂させていた。
コーマンが超バイオレンスなカーレース映画に手を出すのは当然。ただ、メルキオーの原案にあった説教臭い描写を真っ向から笑い飛ばすブラック・コメディーに舵を切った。
時は西暦2000年のアメリカ。暴力と破壊によって人心が荒廃した未来のアメリカで国民は大陸横断レースに魅せられていた。三日間にわたるレースで優勝したものには大統領からお褒めの言葉をいただける名誉を授かるのだ。
参加者は5人。ハーケン・クロイツの旗を振る“ナチスの恋人”マチルダ(ロバータ・コリンズ)、二本のツノをつけた「雄牛号」を操るウェスタン・レディ、カラミティ・ジェーン(メアリー・ウォロノフ)、ライオン号に跨る暴君ネロ(マーティン・コーヴ)、すぐに機関銃をぶっ放す粗暴な嫌われ者マシンガン・ジョー(シルヴェスター・スタローン)、そして3大会連続チャンピオンを目指す国民の英雄、事故で負った傷をマスクで覆うフランケンシュタイン(デヴィット・キャラダイン)。栄冠に輝くのは5人のうち誰か?
こうしてレースがはじまるが、これがまともなレースではないことはすぐにわかる。レースの勝敗は一位でゴールしたものではない。別に計算されるポイントが最も高かった者に決められる。ポイントは路上にいる人を撥ね殺すことで加算されていく。男性より女性、成人より子供が高く、老人が一番高いポイントを稼げる。弱者の方が高得点という悪趣味ここに極まれり!さらにレースの運営側がそれを煽る。マシンガン・ジョーが男を轢き殺すと運営は男性の妻をテレビ出演させ
「おめでとうございます!あなたには最初に轢き殺された犠牲者の遺族として豪華マンションと新型テレビをプレゼント!」
何とも言えない顔をする妻。悪趣味すぎるだろ!
こんな無茶なレースを楽しむほど未来(といっても2000年だけど)のアメリカは狂っているのか?そんなことはない。反発する人々もいる。レジスタンスを率いる老女ペイン(ハリエット・メディン)はこのレースをぶっ潰そうと放送を海賊電波で乗っ取り、さらには孫娘のアニー(シモーネ・グリフェス)をナビゲーターとしてフランケンシュタインの車に同乗させる。
レース途中では病院の医者や看護師らが余命僅かで車椅子に乗っている老人を路上に配置する。
「今日は安楽死デーだ」
とフランケンシュタイン。このまま突っ込めば高得点だ!しかしハンドルを切った車は医者と看護師たちをまとめて跳ね飛ばす。素性の知れない男フランケンシュタインは悪党ではないのか?このシーンの前にアニーは彼が激しいレースと事故で体のほとんどを手術して別のものに変えていることを尋ねる。ところが顔を覆うマスクを取るとその素顔には傷ひとつなかった!それどころか体も奇麗なまま。
レジスタンスらはレースを不成立にさせようと参加者らを次々血祭に挙げる。暴君ネロは赤ん坊を擬した爆弾で吹っ飛び、マチルダは偽装した迂回路(高校の演劇みたいなベニヤ板の装置)に誘導され谷底に落下。アニーの手引きで横道に誘い込まれたフランケンシュタインだが罠を突破。偽のフランケンシュタインと本物をすり替えようとした作戦を見破られたわけだがフランケンシュタインはアニーを車から降ろそうとしない。
残り3名になったレースだが運営は「この国にテロなど存在しない」という大統領の言葉通りに二人を単なる事故死として処理する。傷ひとつない体を見せたフランケンシュタインだが、右手の手袋だけは絶対外そうとしなかった。やがてフランケンシュタインは右手の秘密とレースに参加する本当の目的を打ち明ける…
カーアクションとバイオレンス、女の裸、ブラックジョークを詰め込んだ中学生の落書きみたいな映画である。コーマンのターゲットはそんな人たちなのでこの映画もバカ受けした。コーマンの信条である「金はかけずに心を込める(込めているように見せかける)」を貫いた『デス・レース2000』は大金を書けていない故の雑さがあちこちにみられる。大規模のレースなのに参加者が5人だけ、とか。これ以上増やすと金がかかるからである。レースなので車も用意しなければならない。彼らが乗る車はツノがついてたり、ナイフにマシンガン、大砲をそなえたマシンやらこけおどしも甚だしい。それらの装備品が活躍することはない(まさにこけおどし!)
ルールも適当で、人を轢き殺す度にポイントが増えるシステムなのにレースは人なんか歩いてもいない高速道路を通る。途中で子どもが突然道の真ん中をタイヤを転がしながら歩いている場面、なんでそんなところにおるんじゃい!都市部でレースをやればいいのにと思うが、そんなことしたらエキストラを雇う金がかかるからである。またそんなシステムなのに参加者はみな我先にと1日ごとのゴールを目指してゆく。早くゴールすれば高ポイントになるとか、そんな説明もないのでなんでゴールを急ぐのかもわからない。
低予算でパパっと作れることだけを重視したので詰めの甘さがマイナスになっているのが残念。けれどデスゲームものの走りともいえる本作はありとあらゆるところに影響を及ぼしたことは間違いない。クライマックスなんて『リアル鬼ごっこ』に丸パクリされてたし。あれも「中学生の書いた落書き」見たいと言われてたけど、この中学生の落書きがあらゆるクリエイターの原点と言えなくもないのだ。
メルキオーは自分の原案がズタズタにされたことにショックを受け映画の世界から遠ざかった。でも『デス・レース2000』は50年近くたってもみんなが記憶してる忘れがたい作品だ。ニチアサのネタにされるとはメルキオーもコーマンも思ってなかったろう。
コーマン制作指揮、一作目のリブート
『バイオハザード』のポール・W・S・アンダーソン監督によるリメイク。出来は言うまでもない