名鉄美濃町線(岐阜県岐阜市~関市。2005年廃止) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

イメージ 1
関駅にて2004年撮影。モ880形電車です。現在は福井鉄道で活躍しています。

 

【踏破後、廃線…】の第28回目は、1999年~2004年にかけて乗りつぶしをしたのですが、利用客減などの原因で2005年4月1日に全線廃止(最終運行日は3月31日)となった、岐阜県の県庁所在地・岐阜市の中心市街地にある徹明町と刃物で有名な関市にある関駅を結んでいた名古屋鉄道【名鉄】の岐阜地区600V線区の一路線、
名鉄美濃町線(徹明町~関)を簡単に紹介します。
尚、1999年に廃止された新関~美濃市については、別記事でUPしています⇒こちらへ

 

名鉄美濃町線は、美濃電気軌道により1911年に神田町(後の岐阜柳ヶ瀬)~上有知(後の美濃町)が開業しました。のちに岐阜側のターミナルが徹明町に変更され、上有知駅も駅名改称や移転の上、最終的に美濃駅となりました。美濃電気軌道も合併を重ね、名古屋鉄道になりました。戦後、地方線区の常としてモータリゼーション時代が訪れ、名鉄も新型車両を導入したり田神線を建設して新岐阜(現・名鉄岐阜)直通列車を運転するなど利用客の繋ぎ止めに努めましたが、状況は好転せず、まずは1999年に末端部の新関~美濃が廃止となりました。同時に新関~関を新規開業して、新関~美濃で並行していた長良川鉄道越美南線に接続させて廃止区間の代替としました。この際、越美南線には美濃町線の代替駅として関市役所前駅(下有知駅の代替)、松森駅(松森駅の代替)が名鉄の費用負担によって開業しています。
その後は半低床電車であるモ800形を投入したりして近代化を図ったものの、残存した区間も利用客の減少に歯止めがかからず、結局、岐阜市内線や揖斐線、田神線とともに2005年に全線廃止となり、岐阜地区600V線区の歴史は終焉を迎えました…。

 

ちなみに、徹明町(岐阜駅・名鉄岐阜駅)~関(関シティターミナル)を岐阜バスが比較的頻繁に走っているので、大半の区間(岩田~小屋名を除く)はバスの車窓から確認が可能です。新関(関)~美濃は長良川鉄道越美南線が代替交通機関となっています。

 

尚、今回も写真が少なく、めちゃめちゃな写真しかありませんが、何卒ご了承願います。


 

イメージ 2
(Yahoo!地図を使用)  

  
  

路線名   区間   営業キロ   備考  
名古屋鉄道:美濃町線  徹明町~関  18.8km  2005年4月1日廃止  
(※)単線・複線混在(徹明町~梅林の0.9kmは複線区間)。直流600V電化。軌間1,067mm。  
(※)因みに、徹明町~新関~美濃ですと24.8km。新関~関は0.3km。  

  
  

踏破達成時   2004年3月  
撮影時   1999年~2004年ほか  

  

  

イメージ 3
(1)起点の徹明町駅にて1993年撮影。車両はモ590形で、現在は高知の「とさでん交通」で活躍しています。
ホームがなく、乗降は大変危険でした。また、手前側にもレールが延びていて、岐阜市内線とつながっていましたが、晩年は直通列車の設定がありませんでした。
また、晩年の日中、徹明町を発着する電車は途中の野一色または日野橋までの運行で、美濃町線のメイン系統は田神線、各務原線に直通する新岐阜(名鉄岐阜)~新関・関の系統でした。

 

徹明町を発車すると岐阜の中心市街地を東西に通る国道248号線の路面中央部を東へ進んでいました(併用軌道区間)。複線で金園町四丁目、梅林と進みますが、梅林からは単線でした。その後も金園町九丁目、競輪場前と東へ進みます。競輪場前では田神線と合流していました。競輪場前を発車後は国道156号線と交差して、その後は156号の旧道(現・県道)上を走りました。北一色を過ぎると併用軌道区間は終わり、専用軌道区間となり住宅地の中を走って野一色、県道に沿って走るようになり、左側の山に沿って走ると琴塚、そして山が離れると日野橋に着きました。当駅以西が岐阜市内線の均一運賃区間で、当駅以東は距離制運賃でした。また、競輪場前~日野橋は徹明町系統と日野橋系統が続行運転を行っていて、徹明町方面~関方面の乗客の便を図っていました。


 

イメージ 4
(2)岩田坂駅跡にて2012年撮影。

 

日野橋を発車すると国道156号線と並走して山と山の間を走り岩田坂、平地へと出て岩田と進み、国道から左へ離れると下芥見に着きました。
下芥見を発車後はのどかな田園風景の中を北へ走り、右側から山と用水路が迫ると一時的に併用軌道区間となり上芥見、その後は専用軌道区間に戻り、正面の山を避けるように左へカーブすると津保川を渡り岐阜県・岐阜市から関市へと変わりました。その後は田園風景の中を走り、白金に着きました。

 

白金を発車後は住宅地の中を走り、国道156号線と合流して、国道の脇を専用軌道区間で走ると小屋名に着きました。その後は右へカーブしながら進み、並走道路が国道156号から248号へ変わると赤土坂に着きました。赤土坂を発車後は住宅地の中を専用軌道区間で東へ進みますが、右側に国道、左側に側道が並走していました。尚、廃線跡は国道の拡幅に利用されています。そして東海北陸自動車道との交差地点手前にある新田(しんでん)を過ぎると市街地へと入ります。


 

イメージ 5
(3)新田~新関にて。この区間は国道の北側を走っていましたが、廃線跡は後に国道の拡幅に利用されました。

 

栄町3の交差点を過ぎると国道と離れて市街地の中を走ると運転上の拠点駅だった新関に着きました。新関駅は廃止後も岐阜バスのバスターミナルとして使用されていましたが、現在ターミナル機能は関駅西側の関シティターミナルに移りました。


 

イメージ 6
(4)新関駅跡にて2012年撮影。廃止後7年が経過してもホームが残されていました。現在はどうなっているのでしょうか?

 

新関を発車すると川を渡り、住宅地の中を通って県道と交差していました。1999年の新関~美濃廃止前はこのまま県道上を北へ進んでいましたが、美濃廃止後は県道を渡って東側へ進み、左へ急カーブして右側に長良川鉄道越美南線が見えてくると終点の関に到着しました。


 

イメージ 7
(5)関駅にて2004年撮影。関駅は1999年の新関~美濃間廃止時の代替交通機関が長良川鉄道越美南線となったため、接続を図るために新関~関の新線が開業しました。しかし、この線路も6年間しか使用されませんでした…。


 

イメージ 8
(新岐阜駅にて2003年撮影)ちなみに、晩年の美濃町線では部分低床電車のモ800形も使用されていました。
当該車両は豊橋鉄道と福井鉄道に譲渡されました。

  

  
あとがき  

私が名鉄美濃町線に乗車したのは1999年3月(新岐阜~競輪場前~新関~美濃)、2003年6月(徹明町~北一色)、2004年3月(新岐阜~競輪場前~新関~関)の三度です。存廃問題が出ていたこともあり、比較的早期に乗車しました。

 

私が乗車した時、特に2003年と2004年は乗客が少なかったです。1999年は比較的多かったのですが…。沿線の電車離れは予想以上のハイペースだったかもしれません。
スピードが遅い、運賃が高い、車やバスに完敗、さらには沿線人口減少と、何となく現在の神戸電鉄粟生線と似たような状況に置かれ、美濃町線は2005年の中部国際空港(セントレア)開港、愛知万博【愛・地球博】開幕の陰で静かに廃線を迎えました…。
譲渡や復活の話もあったようですが、いずれも実現しませんでした。もう復活することはないでしょう。

 

また、ほとんど写真撮影をしなかったことを後悔しています…。

  

  
接続路線  

接続駅  接続路線
徹明町駅   名古屋鉄道:岐阜市内線(岐阜駅前・忠節方面。2005年廃止)、(長良北町方面。1988年廃止)  
徹明町駅   金華山ロープウェー (金華山麓駅まで岐阜バスで約12分)  
徹明町駅   ロマンスリフトの廃線跡 (山麓駅跡まで徒歩8分)  
競輪場前駅   名古屋鉄道:田神線(2005年廃止)  
新関駅   名古屋鉄道:美濃町線(新関~美濃。1999年廃止)  
関駅   長良川鉄道:越美南線  
  
(参考:Wikipedia)