名鉄田神線(岐阜県岐阜市。2005年廃止) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

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各務原線の新岐阜駅(2003年当時)にて。部分低床車のモ800形電車です。

 

【踏破後、廃線…】の第24回目は、1999年3月に乗りつぶしをして、2005年3月31日の運転を最後に廃止となった名古屋鉄道(名鉄)の600V路線で、
美濃町線電車の新岐阜駅直通を目的として1970年に開業した、全線が岐阜県岐阜市内を走る比較的新しかった軌道線、
名鉄田神線(競輪場前~田神)です。

 

田神線は前述の通り、美濃町線の新岐阜乗り入れを目的として、岐阜工場への引込線を一部活用した上で主に路面に軌道を新設して開業しました。しかし、美濃町線は600V、各務原線は1500Vと架線電圧に違いがあり、この問題はデッドセクションの設置と複電圧車の製造でクリアしました。

 

田神線が開業した結果、新岐阜駅と関市・美濃市方面の所要時間が短縮され、利便性も向上しましたが、その後のマイカー社会には勝てず利用客が激減し、また岐阜市が路線維持に消極的だったこともあり、廃止へと至りました。

 

尚、今回も写真が少なく、めちゃめちゃな写真しかありませんが、何卒ご了承願います。
また、廃線跡探訪の記事は後日改めて紹介できれば、と思っております。

  
  

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(Yahoo!地図を使用)  

  
  

路線名   区間   営業キロ  備考  
名古屋鉄道:田神線  競輪場前~田神  1.4km   2005年4月1日廃止  
(※)全線単線。軌間1,067mm。  
(※)電化方式は、市ノ坪~田神間にあるデッドセクションを境に競輪場前方が直流600V電化、田神方が直流1,500V電化。  

  
  

踏破達成時   1999年3月  
撮影時   現役時2003年6月、廃止後2011年6月  

  

  

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競輪場前電停跡にて。田神線の競輪場前電停はこの付近の路上にありました。
田神線はこの先右へ曲がって、美濃町線の美濃方面へ直通していました。


 

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競輪場前電停跡にて田神方を望む。
田神線はしばらくの間、写真の道路上を単線で南へ進んでいました。
ちなみに岐阜競輪場は電停の南東側にあります。


 

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そして荒田川を渡ると右へ曲がり、併用軌道区間から専用軌道区間へと変わり、荒田川沿いを西へ進みました。


 

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(競輪場前側を展望)しばらく進むと田神線唯一の中間駅であった市ノ坪駅に着きます。
荒田川改修の際に、西側にあった旧駅から移転したそうです。


 

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市ノ坪駅跡にて田神方を望む。
駅の南側、各務原線との間には600V車両専用の岐阜工場がありましたが、600V線区全廃に伴い閉鎖・解体されました。

 

市ノ坪を発車すると荒田川を渡り、デッドセクションを通過して架線電圧が600Vから1500Vへと変わります。
そして左側を走る各務原線と合流して、以後は各務原線上を走り田神線としては終着駅だった田神に到着します。


 

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田神駅では鉄道線ホームの東側、構内踏切の向こう側に低い軌道線ホームが平行して設置されていました。
田神線の廃止後に軌道線ホームは撤去されました。

 

田神駅を発車後も各務原線上を走り、新岐阜駅(廃止直前の2005年1月29日より名鉄岐阜駅)に到着しました。


 

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新岐阜駅では北側の7番線に田神線・美濃町線直通電車専用ホームが設置されていました。
このホームも田神線廃止後に撤去され、現在の7番線は少々移設の上で各務原線車両の留置線として使用されています。

  

  
あとがき  

私が、名鉄田神線に乗車したのは1999年3月と2003年6月の2回です。1999年に夕方の新関行きに乗った時はそこそこ乗客が多かったのですが、2003年に夕方の新岐阜行きに乗った時はガラガラでした…。新岐阜駅と関市・美濃市を短絡し、利便性も向上したのですが、一方で運賃が田神駅を境に合算となる事や、所要時間がかかりすぎる問題など不便な面も多かったです。また、行政が存続に消極的だったこともマイナス要因でしたね…。

  

  
接続路線  

接続駅・電停   接続路線  
競輪場前電停   名古屋鉄道:美濃町線(美濃方へ直通運転。2005年廃止)  
田神駅   名古屋鉄道:各務原線  
(名鉄岐阜駅)   名古屋鉄道:名古屋本線。JR東海(岐阜駅):東海道本線高山本線  
(名鉄岐阜駅)   名古屋鉄道:岐阜市内線(新岐阜駅前電停。2005年廃止)  
(※)名鉄岐阜市内線の廃線跡探訪記事はこちら   
  
(参考:Wikipedia)