「I love you & I need you ふくしま」猪苗代湖ズ
西田さんは、母校の先輩です。
阿武隈川が懐かしい。
夕日が懐かしい。
安積疎水の水がのみたい。
おいしい水なんです。
西田さんの最後の表情がたまらない・・・
初のハセツネ30kは・・・
トレランはマラソンの練習のため・・・と思いつつも、とうとうレースに参加することにしたハセツネ30k。それも大会エントリーは締め切りも早いと聞いていたので、タイミングを見計らって最優先でエントリーしたにも関わらず・・・大会は中止。
ということで、大会はないけど、走りたい人は走ろうよ!というMr.ハセツネこと奥宮さんの呼びかけで、震災のチャリティーもこめて参加することにした。
前日は立川駅のホテルに宿泊。というのも、大会の際は前泊をしてそこから会場まで電車で行こうと思っていたので立川駅が便利だろうということで予約していたのだ。
しかし、結局、荷物も多いしまkegさんの計らいで会場付近の駐車場も核緒できるとわかったので、車で行くことにしたら、立川はけっこう遠かった。八王子のほうが楽だったみたい。
で、ホテルには駐車場はあるものの小さい箱で、朝7時でないと出庫できないということで付近の駐車場を捜したが、比較的安全そうな地下駐車場を発見しそこにとめた。
前日の夕飯はその駐車場のあるスーパーで購入しその駐車場料金も割引できたのでラッキー。
朝5時には目が覚め、買って置いたパン2つとバナナを食べて出発。でもこれでは足りなかったかも。
6時30分にチェックアウトして車に乗ってkegさんに教えてもらった集会所に行く。
7時20分ころについたが、ほどなくkegさんが着て、集会場の畳の部屋を使える。
また、続々kegさん中心に仲間が集まる。
そして、8時半ころには会場に向け出発。
大会は中止しているからそんな物好きは・・・けっこう、これがいて、300人くらいはいたかな?
会場では以前、奥宮さんの練習会に参加してた人も多かった。
9時ころに奥宮さんがスタート宣言。
でも普段のレースとは違ってわきあいあいの雰囲気。
ほどなく山に入る道に出て上っていくがけっこうはじめからばらつく。
山に入る手前で渋滞になるというので、あまりペースを落とさず踏ん張るも、渋滞になるような人数ではなかったし、そもそもみんなどんどん山道を進むので、渋滞にならないんだね。
まず自分にとっては第一の試練
「刈寄山」までののぼり。走れることはほとんどなく、しがみつきながら上る。
なんとか頂上までいけたがほんと、最初のこの山がキツい。
そして頂上からは急な坂が待ち構えているが、そこを走って降りれるほどのテクニックも勇気もなくなんとか降りる。
そしてあとはしばらく下り。
あっという間に入山峠に出る。復路でここを通るときに自分はどんな状態になっているかと思いながらも、ここで脚をつかったら持たないと思い、ほとんどキロ5分30秒レベルでゆっくりいく。
そして今度はのぼりが約4kmくらい続く。
前の下りでけっこう抜かされたが、逆にここでは自分が抜いていく。
のぼりは比較的大丈夫。隠岐の島で鍛えたせいかもしれないが、長いのぼりでも走り続ける気力はある。
ただ、これは決して最善の策ではなかったようで、再び林道にはいったとたんに脚が動かなくなる。
それからおねづたいに行くが、降りてはのぼりのぼっては降りるというキツイ繰り返しが何度も続く。
途中道に迷いそうなところもあり、以前練習でも間違えたのだが、今回は山岳会の人が案内板を立てていてくれたので助かった。一度も間違わずに走れた。
市道山の分岐を回り、このアップダウンを繰り返す。
相当バテる。
前後のいたランナーがどんどん減っていく。
それに女性ランナーにいともカンタンに抜かれる。
女性は強い。本当に強い。
前後にランナーがいるとなんとか自分も踏ん張れるが一人旅になると、ついつい歩いてしまう。
これが情けない。
トッキリ場の手前で、たまらず必殺 レッドブル!
万一へこたれそうになったら、と思い1本ザックに入れときました。これが効果あり!
ここからは再度、入山峠にもどり、その後今熊山に向かいますが、後半の元気回復に即効役立ちました。
何度か歩きますがでもまだ走れる、そんな感じでようやく今熊神社。
神社まできれば、もう大丈夫。
そこからはほとんど下り。
あっという間に変電所まで降りました。
途中、スタッフもいてくれたので安心して走れました。
そしてゴール手前で公衆トイレに立ちよりゴール。
奥宮さんやkegさん仲間が待っていてくれて楽しく、笑顔でゴールできました。
ありがとうございました。
走る終わると反省点がたくさんありますが、今の自分の実力はこの程度。
4時間24分(トイレ休憩抜きで22分くらいかな?)
次回、参加することがあったら、もう少しは更新できそうな気はしてます。
まあ、それだけ、けっこう気を抜いてしまったのかと。
この前後にどれだけのランナーがいたのか?かなりまばらだったので、きっと、自分が最後のほうだろうと思いましたが、でも、今回は、スタッフがちゃんと準備いただいていたので、本当に助かりました。
山岳会の皆さん。Kegさん、みなさんありがとうございました!
本戦・・・考えて見ます。
ということで、大会はないけど、走りたい人は走ろうよ!というMr.ハセツネこと奥宮さんの呼びかけで、震災のチャリティーもこめて参加することにした。
前日は立川駅のホテルに宿泊。というのも、大会の際は前泊をしてそこから会場まで電車で行こうと思っていたので立川駅が便利だろうということで予約していたのだ。
しかし、結局、荷物も多いしまkegさんの計らいで会場付近の駐車場も核緒できるとわかったので、車で行くことにしたら、立川はけっこう遠かった。八王子のほうが楽だったみたい。
で、ホテルには駐車場はあるものの小さい箱で、朝7時でないと出庫できないということで付近の駐車場を捜したが、比較的安全そうな地下駐車場を発見しそこにとめた。
前日の夕飯はその駐車場のあるスーパーで購入しその駐車場料金も割引できたのでラッキー。
朝5時には目が覚め、買って置いたパン2つとバナナを食べて出発。でもこれでは足りなかったかも。
6時30分にチェックアウトして車に乗ってkegさんに教えてもらった集会所に行く。
7時20分ころについたが、ほどなくkegさんが着て、集会場の畳の部屋を使える。
また、続々kegさん中心に仲間が集まる。
そして、8時半ころには会場に向け出発。
大会は中止しているからそんな物好きは・・・けっこう、これがいて、300人くらいはいたかな?
会場では以前、奥宮さんの練習会に参加してた人も多かった。
9時ころに奥宮さんがスタート宣言。
でも普段のレースとは違ってわきあいあいの雰囲気。
ほどなく山に入る道に出て上っていくがけっこうはじめからばらつく。
山に入る手前で渋滞になるというので、あまりペースを落とさず踏ん張るも、渋滞になるような人数ではなかったし、そもそもみんなどんどん山道を進むので、渋滞にならないんだね。
まず自分にとっては第一の試練
「刈寄山」までののぼり。走れることはほとんどなく、しがみつきながら上る。
なんとか頂上までいけたがほんと、最初のこの山がキツい。
そして頂上からは急な坂が待ち構えているが、そこを走って降りれるほどのテクニックも勇気もなくなんとか降りる。
そしてあとはしばらく下り。
あっという間に入山峠に出る。復路でここを通るときに自分はどんな状態になっているかと思いながらも、ここで脚をつかったら持たないと思い、ほとんどキロ5分30秒レベルでゆっくりいく。
そして今度はのぼりが約4kmくらい続く。
前の下りでけっこう抜かされたが、逆にここでは自分が抜いていく。
のぼりは比較的大丈夫。隠岐の島で鍛えたせいかもしれないが、長いのぼりでも走り続ける気力はある。
ただ、これは決して最善の策ではなかったようで、再び林道にはいったとたんに脚が動かなくなる。
それからおねづたいに行くが、降りてはのぼりのぼっては降りるというキツイ繰り返しが何度も続く。
途中道に迷いそうなところもあり、以前練習でも間違えたのだが、今回は山岳会の人が案内板を立てていてくれたので助かった。一度も間違わずに走れた。
市道山の分岐を回り、このアップダウンを繰り返す。
相当バテる。
前後のいたランナーがどんどん減っていく。
それに女性ランナーにいともカンタンに抜かれる。
女性は強い。本当に強い。
前後にランナーがいるとなんとか自分も踏ん張れるが一人旅になると、ついつい歩いてしまう。
これが情けない。
トッキリ場の手前で、たまらず必殺 レッドブル!
万一へこたれそうになったら、と思い1本ザックに入れときました。これが効果あり!
ここからは再度、入山峠にもどり、その後今熊山に向かいますが、後半の元気回復に即効役立ちました。
何度か歩きますがでもまだ走れる、そんな感じでようやく今熊神社。
神社まできれば、もう大丈夫。
そこからはほとんど下り。
あっという間に変電所まで降りました。
途中、スタッフもいてくれたので安心して走れました。
そしてゴール手前で公衆トイレに立ちよりゴール。
奥宮さんやkegさん仲間が待っていてくれて楽しく、笑顔でゴールできました。
ありがとうございました。
走る終わると反省点がたくさんありますが、今の自分の実力はこの程度。
4時間24分(トイレ休憩抜きで22分くらいかな?)
次回、参加することがあったら、もう少しは更新できそうな気はしてます。
まあ、それだけ、けっこう気を抜いてしまったのかと。
この前後にどれだけのランナーがいたのか?かなりまばらだったので、きっと、自分が最後のほうだろうと思いましたが、でも、今回は、スタッフがちゃんと準備いただいていたので、本当に助かりました。
山岳会の皆さん。Kegさん、みなさんありがとうございました!
本戦・・・考えて見ます。
谷川俊太郎 生きる
谷川俊太郎
生きる
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまがすぎてゆくこと
生きているということ
いま生きてるということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
生きる
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまがすぎてゆくこと
生きているということ
いま生きてるということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
2011年5月8日全国一斉チャリティーラン開催
このたびの震災で多くの尊い命が奪われ、また多くの財産などいままで築き上げてきたものが一瞬のうちに消えてしまいました。
今回の震災は何よりも「喪失感」というものがわれわれの心の中に大きく残ってしまいました。
一方、自分は市民ランナーの端くれではありますが、今回の震災から予定されていたマラソン大会がことごとく中止となりました。
物理的な問題で中止せざるを得なかった大会も数多くありますが、さまざまな配慮で中止されてしまったものもあるように思います。
そして、大会間近になり中止や延期が伝えられ、また、虚しくもナンバーカードなどが送られてきています。
現在の状況を考えると、無理に大会を開催するのは確かに問題も多いと感じますが、ただそれだけで何もしないで というのもどうもすっきりせず、行動として何か起こせないかと Twitter等でも意見交換をしていたら、こんな企画になりそうです。
ということで、この稚拙な案にご賛同いただける方はぜひ、ご参加お願いします。
また、私自身、ネットのさまざまなサービスをよく理解していない点もあるので、「こういうふうにするともっといいよ!」というアイディアがあればぜひご提案お願いします。
【全国一斉チャリティーランの開催】
■日時 開催予定していた大会の日 メインを仙台国際ハーフを予定していた5月8日10時とする
■会場 予定していた大会会場のほか、全国どこでも
■参加費 走った(走る宣言した)距離(km)×10円をそれぞれ寄付(RUN×10に準じる)
■参加方法 Twitterでの参加表明
参加予定していた大会のゼッケンがあればそこにメッセージを書き込む
その写真をTwitterで掲出する(顔出し、顔伏せはおまかせ)
ハッシュタグ #run_2011
■その他 すべて自己責任 給水・トイレなどマナーを守って笑顔で走る
走ったルートやタイムラインを記録公表することは自由
■実施日程 ①4月10日 第40回長岡ロードレース大会(新潟県)
第26回焼津みなとマラソン(静岡県)
第11回日立さくらロードレース(茨城県)
第29回横浜ロードレース(神奈川県)
②4月17日 第26回温海さくらマラソン(山形県)
第13回長野オリンピック記念長野マラソン(長野県)
第21回かすみがうらマラソン 兼国際盲人マラソンかすみがうら大会(茨城県)
第2回中岡慎太郎向学の道マラソン(高知県)
第15回東日本国際親善マラソン(神奈川県)
第19回米山山麓ロードレース(新潟県)
第10回恵那峡ハーフマラソン(岐阜県)
第29回河北新報気仙沼つばきマラソン(宮城県)
③4月24日 第12回前橋シティマラソン(群馬県)
④5月1日 (今のところ不明)
⑤5月8日 第30回八戸うみねこマラソン全国大会(青森県)
足柄大橋開通24周年記念金太郎マラソン大会(神奈川県)
第21回仙台国際ハーフマラソン(宮城県)
第29回全国白川ダム湖畔マラソン(山形県)
第37回安政遠足侍マラソン(群馬県)
以上の5日曜日を設定しておきます。
本エントリーはリンクフリーですので、どんどん広めていただきたくお願いします。
http://ameblo.jp/running/entry-10848865125.html
今回の震災は何よりも「喪失感」というものがわれわれの心の中に大きく残ってしまいました。
一方、自分は市民ランナーの端くれではありますが、今回の震災から予定されていたマラソン大会がことごとく中止となりました。
物理的な問題で中止せざるを得なかった大会も数多くありますが、さまざまな配慮で中止されてしまったものもあるように思います。
そして、大会間近になり中止や延期が伝えられ、また、虚しくもナンバーカードなどが送られてきています。
現在の状況を考えると、無理に大会を開催するのは確かに問題も多いと感じますが、ただそれだけで何もしないで というのもどうもすっきりせず、行動として何か起こせないかと Twitter等でも意見交換をしていたら、こんな企画になりそうです。
ということで、この稚拙な案にご賛同いただける方はぜひ、ご参加お願いします。
また、私自身、ネットのさまざまなサービスをよく理解していない点もあるので、「こういうふうにするともっといいよ!」というアイディアがあればぜひご提案お願いします。
【全国一斉チャリティーランの開催】
■日時 開催予定していた大会の日 メインを仙台国際ハーフを予定していた5月8日10時とする
■会場 予定していた大会会場のほか、全国どこでも
■参加費 走った(走る宣言した)距離(km)×10円をそれぞれ寄付(RUN×10に準じる)
■参加方法 Twitterでの参加表明
参加予定していた大会のゼッケンがあればそこにメッセージを書き込む
その写真をTwitterで掲出する(顔出し、顔伏せはおまかせ)
ハッシュタグ #run_2011
■その他 すべて自己責任 給水・トイレなどマナーを守って笑顔で走る
走ったルートやタイムラインを記録公表することは自由
■実施日程 ①4月10日 第40回長岡ロードレース大会(新潟県)
第26回焼津みなとマラソン(静岡県)
第11回日立さくらロードレース(茨城県)
第29回横浜ロードレース(神奈川県)
②4月17日 第26回温海さくらマラソン(山形県)
第13回長野オリンピック記念長野マラソン(長野県)
第21回かすみがうらマラソン 兼国際盲人マラソンかすみがうら大会(茨城県)
第2回中岡慎太郎向学の道マラソン(高知県)
第15回東日本国際親善マラソン(神奈川県)
第19回米山山麓ロードレース(新潟県)
第10回恵那峡ハーフマラソン(岐阜県)
第29回河北新報気仙沼つばきマラソン(宮城県)
③4月24日 第12回前橋シティマラソン(群馬県)
④5月1日 (今のところ不明)
⑤5月8日 第30回八戸うみねこマラソン全国大会(青森県)
足柄大橋開通24周年記念金太郎マラソン大会(神奈川県)
第21回仙台国際ハーフマラソン(宮城県)
第29回全国白川ダム湖畔マラソン(山形県)
第37回安政遠足侍マラソン(群馬県)
以上の5日曜日を設定しておきます。
本エントリーはリンクフリーですので、どんどん広めていただきたくお願いします。
http://ameblo.jp/running/entry-10848865125.html
2011年3月を終えて
3月31日今月は激動の一ヶ月だった。
短いような長いような。でも、かなり辛い一ヶ月であったことは間違いなし。
11日に地震がありそれから刻々と災害が拡大し多くの犠牲者が出てしまった。
その後、ピタっと走る気力が失せた。
11日の金曜日の二日前にラン仲間とハセツネの試走に出かけたばかりであった。
まだ雪が積もって気持ちのよいコース、そして試走で満足した一日だった。
しかしながら・・・ちょうど48時間後にあの地震が日本を襲った。
信じられない状況だった。
ただ、電車の中にいたので、実際の地面のゆれを自分は感じていない。
きっと、すごい状況だったと思う。
それから、なんとか走らなくちゃと思い、走りだしたが結局、今月は走った距離は230km。そして自転車で職場まで62kmの往復。少ない時間でなんとかここまでは走れた。
ただ、その間にエントリーしていた大会が、次から次と中止になった。
板橋City、ハセツネ30k、かすみがうら。そして、とうとう仙台もだめになった。
気力的にももたない状態だから仕方ないと思うし、ましてや、被災地でやることはできないのは十分わかっている。
今後、まだいくつかの大会開催が予定されているが、マラソン大会を多くのボランティアや企業がサポートして開催され続けるようになるのか?正直不安である。
ただ、山道を自分の脚で自己責任で走るという、トレイルなどは今回の震災においてかなり役立つこともわかった。ギアも含め、ウエアやシューズや食料も。
明日から4月。
なんとか、楽しい笑顔であふれるそういう日が毎日続くことを願ってやまない。
短いような長いような。でも、かなり辛い一ヶ月であったことは間違いなし。
11日に地震がありそれから刻々と災害が拡大し多くの犠牲者が出てしまった。
その後、ピタっと走る気力が失せた。
11日の金曜日の二日前にラン仲間とハセツネの試走に出かけたばかりであった。
まだ雪が積もって気持ちのよいコース、そして試走で満足した一日だった。
しかしながら・・・ちょうど48時間後にあの地震が日本を襲った。
信じられない状況だった。
ただ、電車の中にいたので、実際の地面のゆれを自分は感じていない。
きっと、すごい状況だったと思う。
それから、なんとか走らなくちゃと思い、走りだしたが結局、今月は走った距離は230km。そして自転車で職場まで62kmの往復。少ない時間でなんとかここまでは走れた。
ただ、その間にエントリーしていた大会が、次から次と中止になった。
板橋City、ハセツネ30k、かすみがうら。そして、とうとう仙台もだめになった。
気力的にももたない状態だから仕方ないと思うし、ましてや、被災地でやることはできないのは十分わかっている。
今後、まだいくつかの大会開催が予定されているが、マラソン大会を多くのボランティアや企業がサポートして開催され続けるようになるのか?正直不安である。
ただ、山道を自分の脚で自己責任で走るという、トレイルなどは今回の震災においてかなり役立つこともわかった。ギアも含め、ウエアやシューズや食料も。
明日から4月。
なんとか、楽しい笑顔であふれるそういう日が毎日続くことを願ってやまない。
2031年の日記
2031年3月11日。
20年前の今日、私の住む日本で大きな地震と大きな津波、そして福島県の原子力発電所が壊れ大きな被害がでました。
当時、私は生まれたばかりで、お母さんは私を抱いて長い間避難所で暮らしたそうです。
そのあと、復興活動はめまぐるしくほぼ1年程度でほぼ8割がた復旧し普通の生活に戻ったと聞いています。
ただ、問題は電気と水、そしてさまざまな食物が手に入りにくくなったことです。
大きな問題は、原発の事故でした。
たくさんの放射性物質が漏れ出して、結局、原発のあった場所から周囲30kmの住民は住み慣れた土地を手放し、新しい場所で生活をしなくてはならなくなりました。
そして、その半径30kmの場所は鉄格子で仕切られ、あと10年は人間は立ち入り禁止とされています。
もう廃墟かジャングルのようになっているようです。
私のお母さんは住み慣れたその土地を捨てて、結局関東の西側の山に住むことになりました。
お母さんは、以前住んでいたところでも山仕事や農業なども少し手伝っていたので、山の中で生活するのには慣れていたようです。
福島から逃げてきたときに、東京や横浜などに住むところも用意されていたようです。国も私たちを放っておくことはできなかったみたいで。
でも、当時も、今もなお、1日の電気消費量は決められていて、特に電車や電気で動くものが多い都会では不便が多くて、だったら山の中で暮らしたほうがいいかもしれない と思って山に移り住んだそうです。
山ですから明かりもあまりなく不便なことも多かったのですが、少しでの電気でインターネットなどでいろいろ情報は入手できたので意外に快適だったように思います。
水は、しばらく関東や東北地方の水道水は飲めない状態でした。ですから、水を求めて西に西に移動した人たちも多かったようです。
それに食べ物も、野菜や魚もしばらく生ものは食べれませんでした。
そこで、この山の中で緑の森に囲まれたところに少しの田畑を作り自分たちの食料にしました。
ここまで生きてこれて自分は幸せです。本当に危機的な状況だったのに、お母さんは私を育てながら必死に生きてきました。ただ、お母さんはときどき「福島に帰りたい」といいます。
私は、あの鉄格子しか見たことがないので、どんな土地だったのか知りません。
お母さんは、「水もおいしくて、たくさん野菜や果物がとれて、それに鮭が川を上ってくることもあったんだよ」と教えてくれました。
そういいながら、いつも最後に、ふとさびそうにします。
お母さんには「ふるさと」がなくなっちゃったんですね。
自分も、「ふるさと」はどんなんだろうって思うことがあります。
ところで、この前、政府からこんな手紙が来ました。
この国には、プロトニウムという核廃棄物があるそうです。それがもう100トンほど。それをどう処理していいかわからず苦労しているらしく、せっかくあと10年で「ふるさと」に戻れるかと思ったのですが、あの鉄格子の中の土の中のずっと奥に埋め込むしかないということで、そのお知らせでした。
たいへんなお金がかるそうで、そのために税金も増えるということです。
もともとは、ウランを使って原子力発電をしたときに核廃棄物としてプルトニウムなどが残るそうなんです。それは昔はすばらしい物質で、高速???とかいうものができれば半永久的にプルトニウムを再生させることができて、まさに二酸化炭素も増やさず、クリーンなエネルギーなんだということで積極的にすすめていたということです。
ただ、なかなか実用化できず、結局、プロトニウムだけが残ってしまったようなのです。
これがとにかく扱いが難しく、一部MOX燃料で処理はしていきましたが、あの原発の事故で結局原発を廃炉にすることになり残った残骸が、このプルトニウムだけだったのです。
過去の政治家や研究者はその夢のような物質に期待し多額のお金を投じて作ったようですが、結局、その後処理は残された私たちになってしまいました。
そんな夢のような物質があるわけないんです。悪魔の物質です。
今日3月11日2時46分。
お母さんと福島のあるほうを向いてお祈りしました。
お父さんが亡くなって20年もたってしまったんですね。
(これはフィクションです。絶対そうであってほしいと思います)
20年前の今日、私の住む日本で大きな地震と大きな津波、そして福島県の原子力発電所が壊れ大きな被害がでました。
当時、私は生まれたばかりで、お母さんは私を抱いて長い間避難所で暮らしたそうです。
そのあと、復興活動はめまぐるしくほぼ1年程度でほぼ8割がた復旧し普通の生活に戻ったと聞いています。
ただ、問題は電気と水、そしてさまざまな食物が手に入りにくくなったことです。
大きな問題は、原発の事故でした。
たくさんの放射性物質が漏れ出して、結局、原発のあった場所から周囲30kmの住民は住み慣れた土地を手放し、新しい場所で生活をしなくてはならなくなりました。
そして、その半径30kmの場所は鉄格子で仕切られ、あと10年は人間は立ち入り禁止とされています。
もう廃墟かジャングルのようになっているようです。
私のお母さんは住み慣れたその土地を捨てて、結局関東の西側の山に住むことになりました。
お母さんは、以前住んでいたところでも山仕事や農業なども少し手伝っていたので、山の中で生活するのには慣れていたようです。
福島から逃げてきたときに、東京や横浜などに住むところも用意されていたようです。国も私たちを放っておくことはできなかったみたいで。
でも、当時も、今もなお、1日の電気消費量は決められていて、特に電車や電気で動くものが多い都会では不便が多くて、だったら山の中で暮らしたほうがいいかもしれない と思って山に移り住んだそうです。
山ですから明かりもあまりなく不便なことも多かったのですが、少しでの電気でインターネットなどでいろいろ情報は入手できたので意外に快適だったように思います。
水は、しばらく関東や東北地方の水道水は飲めない状態でした。ですから、水を求めて西に西に移動した人たちも多かったようです。
それに食べ物も、野菜や魚もしばらく生ものは食べれませんでした。
そこで、この山の中で緑の森に囲まれたところに少しの田畑を作り自分たちの食料にしました。
ここまで生きてこれて自分は幸せです。本当に危機的な状況だったのに、お母さんは私を育てながら必死に生きてきました。ただ、お母さんはときどき「福島に帰りたい」といいます。
私は、あの鉄格子しか見たことがないので、どんな土地だったのか知りません。
お母さんは、「水もおいしくて、たくさん野菜や果物がとれて、それに鮭が川を上ってくることもあったんだよ」と教えてくれました。
そういいながら、いつも最後に、ふとさびそうにします。
お母さんには「ふるさと」がなくなっちゃったんですね。
自分も、「ふるさと」はどんなんだろうって思うことがあります。
ところで、この前、政府からこんな手紙が来ました。
この国には、プロトニウムという核廃棄物があるそうです。それがもう100トンほど。それをどう処理していいかわからず苦労しているらしく、せっかくあと10年で「ふるさと」に戻れるかと思ったのですが、あの鉄格子の中の土の中のずっと奥に埋め込むしかないということで、そのお知らせでした。
たいへんなお金がかるそうで、そのために税金も増えるということです。
もともとは、ウランを使って原子力発電をしたときに核廃棄物としてプルトニウムなどが残るそうなんです。それは昔はすばらしい物質で、高速???とかいうものができれば半永久的にプルトニウムを再生させることができて、まさに二酸化炭素も増やさず、クリーンなエネルギーなんだということで積極的にすすめていたということです。
ただ、なかなか実用化できず、結局、プロトニウムだけが残ってしまったようなのです。
これがとにかく扱いが難しく、一部MOX燃料で処理はしていきましたが、あの原発の事故で結局原発を廃炉にすることになり残った残骸が、このプルトニウムだけだったのです。
過去の政治家や研究者はその夢のような物質に期待し多額のお金を投じて作ったようですが、結局、その後処理は残された私たちになってしまいました。
そんな夢のような物質があるわけないんです。悪魔の物質です。
今日3月11日2時46分。
お母さんと福島のあるほうを向いてお祈りしました。
お父さんが亡くなって20年もたってしまったんですね。
(これはフィクションです。絶対そうであってほしいと思います)
鎌倉天園プチトレイル
今日も元気に生きています。
昨日は鎌倉天園コースをノンストップで往復しました。
なんか無償に走りたかったんです。特に、常に足の置き場とか地面などの変化に対応するために頭を使う、集中力の必要なトレイルがしたかったんです。
(せっかく試走を2回も行い、準備してきた「ハセツネ30k」は、やはり中止になりました。残念なのは残念なのですが、でも、この状況下ではもし大会開催されてもどうもスッキリしないのでこれでよかったのだ と思っています。)
もし電車が通常どおりに動くのであれば、ハセツネコースに行きたかったのですが、近場の鎌倉天園コースで我慢することにしました。
港南台から建長寺の上までの往復はほぼ18km。
昨日もけっこう風も冷たかったので着替えなどももっていけばよかったのですが、電車で30分ほどだし、大丈夫だろうと思いそのまま走れる格好で出かけました。
港南台について、早速軽くストレッチをしてスタート。
アスファルトの道は脚が重い。
トレイルにはいると走れるかんじ。まあ、トレイルと言ってもこのコースの場合はあまりアップダウンがないのでほぼクロスカントリー。
ぬかるみも心配ないほど、結果往復17km(最後1kmは歩いて駅までいったので)をほぼ1時間50分というちょっと遅めのJogペースで走りました。
時折日差しがさして、また、大きなリスもいたり、鳥の鳴き声も・・・なんかとっても平和です。こういうところを走らせてもらっていることに感謝。
途中、けっこうハイカーとはすれ違いました。
また、ランナーも3,4人と。
それに、このコースも道を迷わないように整備されていたり、道もでこぼこを整地したりよくできていました。
帰りの電車は、暖房がきいておらず寒くてけっこうまいりました。
当分、こういう今までと違う環境でがまんしないといけないんですね。
思えば、あまりにも便利になっていたのかもしれません。
電気も無限にあるように錯覚していたのかもしれません。
もはや、原始力発電が無いと環境問題もエネルギー問題も解決できないところにまで世界的に追い込まれてしまっているように思います。
自分は良いとして、後々の世代がどうやってこの難局を乗り越えていくのか・・・本当に気になります。
われわれが、確かに経済成長をメインに考えいろんな問題を先送りや目や耳をふさいでしまっていたのかもしれません。
後悔先に立たず。
これから、何十年か、日本の歴史をあともどりして再スタートしないとだめかもしれませんね。
不便に慣れなくちゃ。
昨日は鎌倉天園コースをノンストップで往復しました。
なんか無償に走りたかったんです。特に、常に足の置き場とか地面などの変化に対応するために頭を使う、集中力の必要なトレイルがしたかったんです。
(せっかく試走を2回も行い、準備してきた「ハセツネ30k」は、やはり中止になりました。残念なのは残念なのですが、でも、この状況下ではもし大会開催されてもどうもスッキリしないのでこれでよかったのだ と思っています。)
もし電車が通常どおりに動くのであれば、ハセツネコースに行きたかったのですが、近場の鎌倉天園コースで我慢することにしました。
港南台から建長寺の上までの往復はほぼ18km。
昨日もけっこう風も冷たかったので着替えなどももっていけばよかったのですが、電車で30分ほどだし、大丈夫だろうと思いそのまま走れる格好で出かけました。
港南台について、早速軽くストレッチをしてスタート。
アスファルトの道は脚が重い。
トレイルにはいると走れるかんじ。まあ、トレイルと言ってもこのコースの場合はあまりアップダウンがないのでほぼクロスカントリー。
ぬかるみも心配ないほど、結果往復17km(最後1kmは歩いて駅までいったので)をほぼ1時間50分というちょっと遅めのJogペースで走りました。
時折日差しがさして、また、大きなリスもいたり、鳥の鳴き声も・・・なんかとっても平和です。こういうところを走らせてもらっていることに感謝。
途中、けっこうハイカーとはすれ違いました。
また、ランナーも3,4人と。
それに、このコースも道を迷わないように整備されていたり、道もでこぼこを整地したりよくできていました。
帰りの電車は、暖房がきいておらず寒くてけっこうまいりました。
当分、こういう今までと違う環境でがまんしないといけないんですね。
思えば、あまりにも便利になっていたのかもしれません。
電気も無限にあるように錯覚していたのかもしれません。
もはや、原始力発電が無いと環境問題もエネルギー問題も解決できないところにまで世界的に追い込まれてしまっているように思います。
自分は良いとして、後々の世代がどうやってこの難局を乗り越えていくのか・・・本当に気になります。
われわれが、確かに経済成長をメインに考えいろんな問題を先送りや目や耳をふさいでしまっていたのかもしれません。
後悔先に立たず。
これから、何十年か、日本の歴史をあともどりして再スタートしないとだめかもしれませんね。
不便に慣れなくちゃ。
悲惨な体験を日本人は二度経験しなくてはならないのか?
今日は夕方になって、電力不足が伝えられ慌てて帰宅した。
会合が東京の霞ヶ関であり、その会議の途中でビルの管理事務所から緊急放送があった。
早く帰宅しないとまた「帰宅困難者、難民」になると思い慌てた。
いったん、地下鉄に乗ろうとしたが、電車は来ない。
仕方なく改札を出て新橋まで歩くことに。
そ、そこにタイミングよくバス。
バスに飛び乗り新橋に向かった。
新橋で、京浜東北線にのり帰宅。
思ったよりも電車の数が多く、結果電車が渋滞することでなかなか進まず。
エアコンは切られるは、まいった。
電車に揺られながら、ふと思い返せば、自分の人生の中で大きな地震は二度あった。
直接体験はしていないが、阪神淡路大震災。そして今回の東日本大震災。
なんだって、二度もこんな悲惨なことが起きるのだろう。
今回は我が故郷が被災。それも、関東に電力を供給する原子力発電所の災害。
なんだか、やるせない。
ツイッターをしてたら、「今までメリットあったんだから文句いうな」的なコメントあり、憤慨した。
確かに、誘致というか、福島の土地に建設することを認めたし誘致しただろう。
しかし、原子力発電所は安全性も高いとか、そういう説明があって誘致したわけだし、さまざまな補助金的なものもあったと思う。だからといって、それがメリットなんだから、今更文句いうのはどうなの?っていうのは、どうなの?
今生活している人たちを危機にさらしていいとは思えない。
話はそれたが、
私の親の時代も、結局、第二次世界大戦もあり、空襲もあり、原爆もあり、地震もあり、ずっとそういう悲惨なことが生きている間になんどか起きるもんなのだね。
でも、強いよね。そのたびに、ボロボロになって、それでも立ち上がってそして高い成長をして。
ある地質学者は、そもそも戦後日本はたまたま地震が落ち着いた時期に合致したために、安定成長ができたと話をしていた。これから地震が活発化しますます危険が多いと。
なかそういう話をされても、今生まれて生きている自分たちは、結局受け入れないといけないのか。
外国に移りすむこともできないし。
日本はいい国だし。
やっぱり、この苦しみや悲しさを乗り越えていかねばならないんだね。
でも、人間は、思ったよりも強いし、でも、思ったよりも弱いもんなんだよ。
だからみんなで協力しあわねば生きていけないことだけはわかったような気がする。
それが人間の知恵なのかもしれない。
会合が東京の霞ヶ関であり、その会議の途中でビルの管理事務所から緊急放送があった。
早く帰宅しないとまた「帰宅困難者、難民」になると思い慌てた。
いったん、地下鉄に乗ろうとしたが、電車は来ない。
仕方なく改札を出て新橋まで歩くことに。
そ、そこにタイミングよくバス。
バスに飛び乗り新橋に向かった。
新橋で、京浜東北線にのり帰宅。
思ったよりも電車の数が多く、結果電車が渋滞することでなかなか進まず。
エアコンは切られるは、まいった。
電車に揺られながら、ふと思い返せば、自分の人生の中で大きな地震は二度あった。
直接体験はしていないが、阪神淡路大震災。そして今回の東日本大震災。
なんだって、二度もこんな悲惨なことが起きるのだろう。
今回は我が故郷が被災。それも、関東に電力を供給する原子力発電所の災害。
なんだか、やるせない。
ツイッターをしてたら、「今までメリットあったんだから文句いうな」的なコメントあり、憤慨した。
確かに、誘致というか、福島の土地に建設することを認めたし誘致しただろう。
しかし、原子力発電所は安全性も高いとか、そういう説明があって誘致したわけだし、さまざまな補助金的なものもあったと思う。だからといって、それがメリットなんだから、今更文句いうのはどうなの?っていうのは、どうなの?
今生活している人たちを危機にさらしていいとは思えない。
話はそれたが、
私の親の時代も、結局、第二次世界大戦もあり、空襲もあり、原爆もあり、地震もあり、ずっとそういう悲惨なことが生きている間になんどか起きるもんなのだね。
でも、強いよね。そのたびに、ボロボロになって、それでも立ち上がってそして高い成長をして。
ある地質学者は、そもそも戦後日本はたまたま地震が落ち着いた時期に合致したために、安定成長ができたと話をしていた。これから地震が活発化しますます危険が多いと。
なかそういう話をされても、今生まれて生きている自分たちは、結局受け入れないといけないのか。
外国に移りすむこともできないし。
日本はいい国だし。
やっぱり、この苦しみや悲しさを乗り越えていかねばならないんだね。
でも、人間は、思ったよりも強いし、でも、思ったよりも弱いもんなんだよ。
だからみんなで協力しあわねば生きていけないことだけはわかったような気がする。
それが人間の知恵なのかもしれない。
「絶対に」は、「絶対にない」ことがわかった日本人
福島原発事故のこと
小学校のとき、担任の先生が原子力発電所の話をこうしてくれました。
「福島の浜通り地方に作っている原子力発電所は、東京電力がつくっています。ですから、あそこで作られる電力は、この福島県に供給されることはないんです。福島は東北電力ですからね。
「で、東京電力や政府は、原子力発電所は安全だ といいます。そういって福島につくったのです。
「おかしいと思いませんか?もし安全だったら、わざわざ福島の土地で発電所をつくる必要はないはずです。そもそも電気を送電線でおくるなんてことは距離が長くなればなるほど電気も逃げてしまいますからね。
「だから、何も福島ではなくて、東京や千葉、神奈川につくればいいんですよ。本当は。だって安全って言っているんだから。でも、わざわざ、福島に作ったんですね。」
この時から、小学生ながらも私はずっと原子力発電所については不信感をもっていました。
でも、その反面、東京で生活をしていて、ずっとそこでつくられる電気をつかって生活してきました。
原子力発電所は「安全」だ。「クリーン」エネルギーだ、と言ってましたね。
この「安全」「クリーン」とはいったいどういう意味なんでしょうか?
「絶対に」安全とは言ってないし、「100%」クリーンとも言ってないので、いいじゃないかという考えもありますが、「安全」は100%安全を言うのでしょ?
クリーンは100%クリーンを言うんでしょ?
「安全」で「クリーン」だったら、一番電力の消費の大きい自分たちが使う場所にその発電所を作ればいいじゃないか?
まったくそのとおりです。
実際に、枝野幹事長がまだ新人議員のときにはそのように意見していたようです。
まさか、このような事態になり自分が反対していたことについて釈明、説明するような立場になろうとは皮肉な話です。
脱線しましたが、
「安心」「クリーン」な「原子力発電所」を、東京や、神奈川につくればいいじゃないか?という理屈はまさにそうです。
でも、そうだったら、正直、自分も東京や神奈川で仕事をして生活をするのは嫌です。
それに、現実的に今回のようなことになったら、やはり東京や神奈川ではもはや収拾のつかないことになって何よりもパニックで「秩序正しい日本人」なんて評判もあっという間に崩壊したでしょう。
とにかく、早くこの発電所をなんとかしなくちゃ何もスタートできません。
復興もできません。
せっかく支援にきてくれた諸外国の人たちも帰ってしまいますよ。当然です。
今回、「絶対に」ということは「絶対にない」ということを、私たち日本人は本当にわかったのではないでしょうか?
それにしても、このあとどうしたらよいのでしょうか?
私は、昨日までは、「ああ、『チェルノブイリ』や『HIROSHIMA』と同じように正解に『FUKUSHIMA』という地名が記憶されてしまうのか」と悲しくなりましたが、それどころじゃない状況です。
「人体に影響のある」ことがわかってしまいました。
どんなことがあっても、東電の社員だけでなく、この自己を食い止めてください。
お願いです。
もうそれしかない
小学校のとき、担任の先生が原子力発電所の話をこうしてくれました。
「福島の浜通り地方に作っている原子力発電所は、東京電力がつくっています。ですから、あそこで作られる電力は、この福島県に供給されることはないんです。福島は東北電力ですからね。
「で、東京電力や政府は、原子力発電所は安全だ といいます。そういって福島につくったのです。
「おかしいと思いませんか?もし安全だったら、わざわざ福島の土地で発電所をつくる必要はないはずです。そもそも電気を送電線でおくるなんてことは距離が長くなればなるほど電気も逃げてしまいますからね。
「だから、何も福島ではなくて、東京や千葉、神奈川につくればいいんですよ。本当は。だって安全って言っているんだから。でも、わざわざ、福島に作ったんですね。」
この時から、小学生ながらも私はずっと原子力発電所については不信感をもっていました。
でも、その反面、東京で生活をしていて、ずっとそこでつくられる電気をつかって生活してきました。
原子力発電所は「安全」だ。「クリーン」エネルギーだ、と言ってましたね。
この「安全」「クリーン」とはいったいどういう意味なんでしょうか?
「絶対に」安全とは言ってないし、「100%」クリーンとも言ってないので、いいじゃないかという考えもありますが、「安全」は100%安全を言うのでしょ?
クリーンは100%クリーンを言うんでしょ?
「安全」で「クリーン」だったら、一番電力の消費の大きい自分たちが使う場所にその発電所を作ればいいじゃないか?
まったくそのとおりです。
実際に、枝野幹事長がまだ新人議員のときにはそのように意見していたようです。
まさか、このような事態になり自分が反対していたことについて釈明、説明するような立場になろうとは皮肉な話です。
脱線しましたが、
「安心」「クリーン」な「原子力発電所」を、東京や、神奈川につくればいいじゃないか?という理屈はまさにそうです。
でも、そうだったら、正直、自分も東京や神奈川で仕事をして生活をするのは嫌です。
それに、現実的に今回のようなことになったら、やはり東京や神奈川ではもはや収拾のつかないことになって何よりもパニックで「秩序正しい日本人」なんて評判もあっという間に崩壊したでしょう。
とにかく、早くこの発電所をなんとかしなくちゃ何もスタートできません。
復興もできません。
せっかく支援にきてくれた諸外国の人たちも帰ってしまいますよ。当然です。
今回、「絶対に」ということは「絶対にない」ということを、私たち日本人は本当にわかったのではないでしょうか?
それにしても、このあとどうしたらよいのでしょうか?
私は、昨日までは、「ああ、『チェルノブイリ』や『HIROSHIMA』と同じように正解に『FUKUSHIMA』という地名が記憶されてしまうのか」と悲しくなりましたが、それどころじゃない状況です。
「人体に影響のある」ことがわかってしまいました。
どんなことがあっても、東電の社員だけでなく、この自己を食い止めてください。
お願いです。
もうそれしかない
