完璧なサポート
走りだしてしばらくしてからふと気付いたのだが、よくバイクを見かけた。
スタッフのジャンパーをきていたので、スタッフだったわけだが、ふと気付くと、いつも同じ人なのだ。
つまり、ほぼランナーのスピードにあわせ、先に行ったり、後ろに行ったりと、ランナーと一緒に移動していたのだ。
トンネルがあれば、ライトを付けて明るくし、坂道などで倒れる人がいないかもチェックしていたのだろう。
途中でガソリンを補充していたので、ずっと追跡してサポートしてくれていたのだ。
おかげで、一人旅になっても心配なく安心して走れた。
本当に完璧なサポート、ありがとうございました。
90km
90kmという距離が、実はとってもうれしい距離だった。
いや、たぶん、脚の故障や痛みがひどければ、90kmというのは、ゴールに恐ろしく遠くも、でも普段だったらなんのことのない、とってもシビアな距離なのだろう。
自分の初ウルトラというのは、この90kmを過ぎたときに、体調も悪くなく、また脚の痛みも問題ない状態、
いわば、「あと10km」という距離だったわけだ。
この「あと」10kmなのか、それとも、「まだ」10kmなのかは非常に大きな違いである。
初めて自分がフルに参加し、32km地点でリタイアしたことは、いつまでも心に深く突き刺さっている記憶である。
「あと」10kmが、走れなかったのだ。「まだ」10kmも・・・だったわけである。
市民ランナーは、この「まだ」を「あと」にするだけの脚づくりをして、大会に臨むわけである。
仕事もや家庭のことを問題なくやりながら、そして、「まだ」を「あと」にするには、実は並大抵でないと思う。
たまたま、自分は、単身ゆえに、時間的余裕があったと思う。
だから、練習も不足なくできたのではないだろうか?
今回、ベジー!のメンバーでもあり、ともに、「Smile Running Project!」を推進してきたOgamanさんが、サロマでリタイアせざるを得ない話をきいたときに、そんなことを思ったのだ。
ハーフやフルは、多少の環境変化があったとしても、なんとかなるい距離なのだろう。しかし、100kmだけは、さすが、誤魔化しできないのだ。
練習の積み重ねが素直に結果に出る。
体調や、当日の天候も、素直に結果にでてしまう。
しかし、サロマンブルーなるものが賞賛される由縁は、結局は、そういうさまざまま環境変化をも、たたきつぶすような強いランナーの能力に対して賞賛されるのかもしれない。
やはり、ウルトラは奥が深い。
たった、一回、それもたまたま調子よく完走できた自分がえらそうなことを言うことはいけないが、100kmのウルトラこそ、「常に勝ち続ける」ランナーを賞賛する競技なのかもしれない。
90kmは、普段10kmや20kmしか走っていない市民ランナーにとってはとんでもなく遠い距離ではあるが、しかし、90kmをどう通過できるか?自分の目標はどうも、そこにあるように、思いだしたのだ。
たかが90km、されど、90km。でも、たかが90km、いつか90km・・・。
切り替え
ランニングブルー なんてことで、のんびりしてちゃあいかん!
ということで、秋の参加予定大会も徐々に決めだしたので、この夏場の練習計画だ!
やっぱり、夏は、暑い!なので、平地でのトレーニングは避けたい!
ということで、今年の夏は、トレイル三昧!と思っている。
(コンチネンタルデバイドも購入しちゃったし!)
で、まずは六甲については、ずいぶん道も覚えだしたが、基本的な練習の場として活用していこうと思います。
「宝塚~六甲最高峰~有馬温泉」
「宝塚~六甲最高峰~麻耶山~三宮」
などを基本に、まずはトレイルの脚づくり。
そして今年は、関西でも有名なダイトレ(ダイアモンドトレイル)も、徐々にチャレンジしていきたいと思っています。
そう、
「葛城山~金剛山」のルートです。
今まだ梅雨ですが、この梅雨が明けても昨年などは蒸し暑い夏が9月まで続きました。
たぶん、今年も蒸し暑さは変わらないでしょう。
これが大阪の暑さなのですから仕方ないですね。
さすがこれだけ暑いと、ネクタイ+スーツなんていう、形式ばったスタイルをそう重んじることもなくなり、開襟の半袖シャツで過ごすことが普通になるので、気楽さもありますね。
(ただ、寝るときのエアコンは欠かせなくなりますが)
あと、大阪は、西方面に海がありますから、西陽がきついのです。
自分の部屋も西向きなので、夏場は、夜帰宅すると「サウナ」状態。さらにベランダのコンクリートも触ったら熱いくらい焼けているし。
ですから、夜帰宅する前に冷房が動くようにセットしておかねばなりません。
なかなかいろいろ工夫するものです。
今年の最初からのレースの好結果は、昨年のこの夏場のトレイル中心の練習の成果だと思っています。それに当然、年末から毎日10kmのペースを維持して月間300kmという走行距離を増やしたこともよい成果をもたらした要素です。
ひきつづき、「京都~大阪」「京都~奈良」「大阪~奈良」などのマラニックもとりいれてロングに対する不安も解消したいと思っていますが、でも、さすが夏場の平地のロング走は相当ばてそうですね(笑)。
暑い、熱い夏が、やってくる!!
次なる目標に向けて・・・
村上春樹氏は「走ることについて語るときに、僕の語ること」の中で、サロマウルトラマラソン完走後に、急激にマラソンそのものへの執着心をなくしている。彼は「ランニングブルー」という言葉でそれを表している。
ウルトラマラソンの尊敬すべきランナーとして著名な夜久弘氏は、サロマを10回以上完走した、いわばウルトラランナーの憧れである「サロマンブルー」の称号を獲得した人物であるが、彼は、サロマでのリタイアしたレースを最高のレースとして大切にしている。
この100kmという超長距離のマラソンは、多くの人に、さまざまな思いとさまざまな影響を与えている。
そういう自分は、実は、今回100kmを走ろうと思ったのは、なかなか更新できなかった42.195kmというフルマラソンの距離を、できるだけ負担を感じず走れ、そしてさらなる時間短縮を期待していたわけだ。そういう目的で100kmを走ろうと考えた。
今季(昨年秋からこの初夏までのマラソンシーズン)においては、非常にたくさんの収穫があった。
①フルで自己ベストをどんどん更新できたこと
②ハーフで国際大会に参加し、それも自己ベストを出せたこと
③ウルトラ100kmで感想できたこと
①については、初めて参加した「荒川市民マラソン」での3時間47分以降、なかなか自己ベスト更新ができないでいたのが、今年1月の館山若潮でステップアップし、そして、泉州国際で3時間31分という、目標まであと一歩までに近づけることができた。なかなか、サブスリーというのは本当に走力のあるかぎられた人しか勝ち得ないかもしれないが、サブ3.5は、なんとか手が届く目標かと思う。そういう自己実現がこの年齢でも可能であるという事自体が非常に嬉しいものなのである。
②については、これもひょんなことから、ベジー!の仲間が参加するし、たまたま、参加資格も緩和されたお陰で出走できたわけだ。その中でも、しばらく更新できなかった1時間34分を1分短縮することができた。
そして、いっしょに参加した仲間すべてが完走し、いい結果を出せたことはすばらしい出来事であった。
③については、もはやここで語るべきものはない。12時間5分という、初めてにしては自分としても嬉しい結果であったこと。それより何より、「隠岐の島」の町の人々のすばらしさ、自然のすばらしさに、今だ尾を引いている。
そういったたくさんの収穫があったのだが、ここにきて、次なる目標がちょっとぼやけてしまった。
当然、フルのサブ3.5も、ハーフの90分も、ウルトラのサブ10も、すべて目標にはなるのだが、なんかそういうスピードの記録を求めて走るだけでよいのか?という気持ちになっている。
「隠岐の島」を走っているときの、応援や運営体制については、いまだに忘れられない印象が残っている。
どうもウルトラというのは、そういう精神的なダメージを与えるもののようだ。
「サロマ」については3000人くらい参加したようだが、その参加料だけでも、約5千万円は収入がある。
しかし、「隠岐の島」については、たかだか500人。いいところ、500~600万円程度しか、参加料の収入はないのだが、あれだけの運営をどう「隠岐の島」町が決めて、市や県などが協力して実施されているのか?
当然、こういう大会を開催することで、町の知名度も上がるだろうし、宿泊などの観光収入も増えるとは思うが。
市民ランナーはただ、走らせてもらってるだけなのだが、いい大会はさらに継続してもらえるよう参加するほうの心構えやマナーなどやるべきこともたくさんあるような気がしている。
「隠岐の島」の完走記を書き終え、そして次からのレース参加計画をたてたのだが、まあ、秋からぼちぼちやっていくが今ひとつ熱意が失せている。
当然、タイムの目標はもつとしても、今ひとつ大きなものが見えてこないでいる。
今朝も、ちょっと早く目がさめたのだが、「よし、走ろう!」という気持ちになれなかった。
せっかくのいいお天気だったのに・・・今になってもったいないと思う。
でも、そこで、起き上がれなかった何かが、ある。
一度、六甲でも駆けてこないと あかんな~。
隠岐の島 ウルトラマラソン 完走記 スペシャル編
現代のさまざまな問題をすべて放り込んだようなドラマ「ラストフレンズ」も先週で最終回を迎えた。
しかし、「もうひとつのタストフレンズ」とか言っちゃって、今週もスペジャルがあるらしい。
ということで、もうひとつの「隠岐の島」ではないが、スペシャルを書いてみたいと思う。
(なんちゃって、結局は、ただまだ書き足りないっちゅうだけかも(笑))
完走記を書いているうちに、わかったのだが、結局「辛いことや、苦しみを乗り越え」た場合には、時がたつにつれ、その苦しみなどのネガティブな記憶はどんどん薄れていくものなのだ・・・ということである。
そして、美しいよかった思い出だけがどんどん美化されていくのかもしれない。
少なくとも、今回の「隠岐の島」はそういう思い出であったのだ。
実際には、その瞬間、その瞬間で、とても耐えられないくらいの辛さもあったのかもしれない。
いや、確かにあった。90kmを過ぎてからは、右足の底に水泡ができかじめ、もうすぐ破ける状態であった。
それに右足の薬指は完全に黒爪だ。
しかし、今回は、一度も「もうやめたい。走るのを止めよう」という気持ちが起きなかった。
自分は間違いなくゴールできると思っていた。
自分としては、珍しく強い意思で、そう思っていたのである。
だから、沿道の応援に笑顔で応えられたし、応援してくれる人からも「いい笑顔だ!」って褒められた。
ようやく「Smile Running Project!」が、実ったのではないかと思う。
赤い陸橋を超えたときに、もうゴールは見えた。
嬉しかった。脚にはまだまだ走れる力は残っていたし、応援に応える余裕もまだあった。
応援してくれる人に、できるだけ手を振った。
赤い陸橋は、とても心地よい海風で自分を迎えてくれた。
最後に、99kmを通過した瞬間、自分は完全に解放されたように思う。
100kmがゴールではあるけれども、この99という数字を踏みこんだ瞬間、なんだか自分は「勝った!」という気持ちになれたのだ。1kmを確実に、100回走ったのだ。
いや、100mを1000回、いやいや、10mを10000回、いやいやいや、1mを100000回だ。50cmのストライドであれば20万回だ。そんなにストライドは広くなかったのだから、20万回以上の前進をしたのだ。
それを、この「99」という数字があらわしているように思った。
最後のトンネルを抜け、坂道にはいってからは、正直あまり記憶がない。
ゴールしたときに々思ったのか?とか、感激したのかとか?
ただ、ただ、終わったという満足感と安堵感だった。
出発する前に妻からメールが来て「来年は応援に行きたいな!」という内容であった。
それに、「いや、そんな気持ちになるかわからない」と返したのだが、「きっとそうなるよ!」という返事。
どうも、そうなりそうだ。
翌日、目が覚めてホテルで最後の食事をして、チェックアウト後、たっぷり時間があったので、歩ける範囲で島内をあるいてみた。
スタート付近の喫茶店でコーヒーもいただいた。
スタート付近は、もう何も残っていない。「祭りの後のさびしさ」を感じた。
スタート直後にあるトンネルを歩いてみた。ここを自分たちが走ったのだと思うととても不思議な感じがした。
夢のような出来事のように感じた。
この島は、そんな魅力たっぷりの島であった。
ありがとう、「隠岐の島」、ありがとう「ウルトラマラソン」
おかげさまで、また、次の自分に出会えました。
たくさんの応援は自分をまた成長させてくれました。
こんなに暖かい応援があれば、今の世の中に起きているヘンな事件だって起きないように思います。
本当にありがとう。応援されて自分は走ることができたと思います。
応援されて生かされていると思います。
自分は、ちゃんと 生きています。だから、まだ走り続けたいと思います。
~完~
隠岐の島 ウルトラマラソン 完走記 完結編
サロマは、天候も厳しく完走も難しかったようだ。
まだ、chamaさんの報告はないが、Ogamanさんは残念ながらリタイアとのこと。
ウルトラを何度も完走したとしても、次が必ず完走できるとはかぎらないのが、この競技の厳しさでありまただからこそチャレンジしたくなるものなのかもしれない。
さて、なんとか、「隠岐の島ウルトラマラソン完走記」の最後を、完走後一週間で終えることができるようだ。
やはり、100kmというのは長いものだとつくづく感じてしまう。
フルマラソンであれば2,3回書けば終わってしまうものの、100kmは一週間もかかってしまった。
それだけ、ドラマがあるのが、ウルトラの魅力なのかもしれない。
さて、最後の章は、ゴール後から ということになる。
スタッフはゴールするランナーのたびに、テープを張ってゴールを祝福してくれた。
今までゴールテープを切るなんてことは、幼稚園か小学校の運動会以来なかっただろう。
会場アナウンサーが、「笑顔で!」と叫んでくれた。
なんとか、笑顔も取り戻し、ゴール。
すぐに首に感想メダルがかけられた。
そして、その瞬間、自分は倒れこんだり、泣き崩れるかもしれない と
走る前までは思っていたのだが・・・
意外に、こんなことを言ってしまうと、ゴールして感動いっぱいになったランナーには申し訳ない気もするが、実は、「ああ、こんなもんか」と思ったのが素直な感想だった。
ゴールテープを切ったあとも、まだ、何キロか走れる余裕があった。
でも、もう走らなくてもいい という安堵感がすべてだった。
今から考えると、自分の力を出し尽くしたのだろうか?と考えてしまう。
精一杯力を出し尽くしたか?といえば、そうだったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。
確かに、天候が味方した。
コンディションは最高だったと思う。
しかし、体調は、腹の具合が悪くかなり精神的にはその点に気がまわっていたと思う。
その結果かもしれない。
結局、走ることについて、大きな「苦痛」はなかったのだ。
さらに、熟練者と走ることで、坂道を無理せずスタミナを温存する術をおぼえた。
だから、本当はもっとしっかり走って力を出し尽くすべきだったかもしれない。
しかし、だからこそ、余裕をもって走りきったのかもしれない。
脚を冷やしながら、妻に電話をした。
「ゴールしたよ」
「おめでとう。どうだった?」
「まあ、こんなもんかな?って感じ」
「へえ、そんなにタイヘンじゃなかったんだ?」
などと・・・
いや、タイヘンだった。いろいろと。
でも、思い返せば、ハーフだろうが、フルだろうが、100kmだろうが、タイヘンさはそれぞれ違う理由でも同じようにあるわけで、ただ、100kmについては、走った直後にはまだわからない というのが正直な気持ちだ。
意識も100kmを走る12時間の間に、おかしくなっているのかもしれないと思うのだ。
だから、100kmというのは、走ったあと、しばらくしてからそのダメージなどを感じるのかもしれない。
ゴールしたあと、アイシングのためのプールが用意され、氷をいれた袋も頂戴した。
またコーラもたっぷりいただいた。
そして、しばらくして、荷物を引き取りに立ち上がったが・・・ここで、脚がひどく疲れているのに気付いた。
脚が動かない。
ずるずるという感じだった。
脚を引きずり荷物の引き取り会場に行こうとすると・・・なんと、ボランティアの学生が、シューズを脱ぐ前に、持ってきてくれた。
ナンバーカードを見て、荷物を用意してくれるわけだ。
なんてこった。
とにかく、心憎いまでのサービスなのだ。
選手は、好きで走っているだけなのに、この町のボランティアの人たちは、ランナーの気持ちの先をどんどん準備してくれるんだ。
100kmで約200人。50kmでも同じくらいだろう。それだけの小さな規模の大会に、この島の全員が応援してくれているように思った。
何度も目頭が熱くなった。
走っていてとにかく、なんどもそういう歓迎をうけた。
何度もいうけれど、ランナーは好きで走っているのです。決して皆さんに招待されたわけではないのです。
でも、お客様というか、ランナーへの尊敬というか、そういう気持がとんでもなくあふれ帰っているのです。
その気持ちを100kmという距離を12時間走り続けている間に、十二分に頂戴することができました。
これだけで、本当にゴールしたことよりも、感動しています。
ゴール会場から、ホテルにバスで帰ったとき、相当脚はひどくなっていた。特に左足は腫れている感じもした。
ホテルに帰り、まずウエアを脱いで、すぐシャワー。それも水で。
しばらくずっとシャワーをかけていた。
ようやく、100kmの感動があふれ出してきたのだ。
100kmなんてよく走ったものだ。つくづくそう感じた。
でも100kmを走ったのではなく、まさに隠岐の島の皆さんに「走らせて」いただいたのだと思った。
その夜、ホテルでビールを2杯のみ、同じように走りきったランナーと祝杯をあげそしてベッドに倒れこんだ。
しかし、なかなか熟睡できなかった。
自分が走ったあの道、あの景色、あの顔・・・頭の中で、いろんな景色が廻っていた。
100kmウルトラマラソンは、からだへのダメージ以上に、脳へのダメージが大きいように思われた。
(完結しようとおもったけれど、スペシャルが追加されました・・・ということで、つづく)
すべての挑戦者に、声援を贈る!
さて、今は21日(土)の夜11時近くだ。
夜が明ければ、「サロマ」のウルトラマラソンがスタートする。
あと、6時間たらずだ。
先週の今ごろ、自分は焼酎を飲んで爆睡状態だった。しかし、あと2時間ほどで目が覚め、身支度をして、そしてスタート位置に立った。
隠岐の島は、それでも100km参加者が200人程度であったが、サロマは500人くらいいるのだろうか?
多くの選手が、早朝5時ころに、長い一日をスタートするのだ。
今、思い返せば、まだ、ウルトラを走ったことのない多くの人は、その瞬間の 身震いするような高揚感はわからないと思う。自分も、先週の今ごろはそうだったわけだし。
しかし、何千人も参加する大型のフルマラソンとは、全然異なる独特の雰囲気が、ウルトラのスタートにはあった。
明日の朝、多くのランナーが、あの、雰囲気を味わえるのか と思うと、羨ましくなる。
これから始まる、長い一日が、羨ましい。
ただ、ただ、前を向いて走るだけでいい。
ウルトラには競争なんてない。ただ、走りきるために、常に自分の体と対話をして、そしてボランティアや地元の応援の方に感謝して走るだけでいいのだ。
そして、走っているときも、走りきったあとも、100kmを走りきった『勇者』として、賞賛されるのだ。
なんと、素晴らしい官能的な競技なのだろうか?
ベジー!の仲間の、Ogamanさんやchamaさんが明日は参加する。
そのほか、多くの勇者に、声援を贈ろう。
そして、明日の夕方、自分なりのゴールをしてください。
心から応援しております。
隠岐の島 ウルトラマラソン 完走記 その7
村上春樹は、「走ることについて・・」のエッセイの中で、初めて「サロマ」を走ったときに、75km地点あたりから、急に空気が抜けるような感覚になり、その後 脚の痛みや苦しさはあったものの走りきることができた と書いている。
確かに、自分も「あと30km」という距離に至ってからが、精神的に楽になっていった。
脚は確かに痛みはあったが、すでに70kmを走り続けているにも関わらず、フルマラソンのときと、そう大きな違いは感じなかった。
多少膝に痛みがあったので、水をたまにかけたくらいで鈍い痛み程度であった。いや、もしかすると「麻痺」に近かったかもしれない。
また、今回 肩こりが意外にほとんど酷くならなかったのだ。いつもフルを走ると30km付近あたりから、左首筋あたりが凝りだして、本当に辛くて嫌になるのだ。
それを心配して事前に磁気を貼っておいたものの、通常ではこれでも痛みが和らぐ程度だったのだが、今回は、「肩凝り」という症状自体が発生しなかったと思う。
道が下りのときには、おもいきって両手をぶらんっとさせ、リラックスするようにしたのだが、これだけではないと思う。もしかすると、アップダウンの変化があることが、首を凝らせずにすんだのかもしれない。
さて、あと20kmという距離をどうやって走り続けるか?
脚の調子は悪くない。お腹も徐々に改善してきたようだった。
給水所では、なるべく氷をボトルに入れてもらい、塩をなめつつ、水を飲むことに集中した。
途中、私設エイドでいただいた、一杯のコーラは格別の味で、本当に嬉しかった。
しばらく、そう大きな坂道もなく、なんとか7分レベルで走ろうとしていた。ただ、坂道が現れると、無理せず早歩きにして体力を温存するようにした。制限時間にひっかかることはほぼないと思われた。
もし制限時間に間に合わない事態になるとしたら、あとは事故や故障など完全に足腰の急激な痛みくらいしか考えられなかった。
85km地点、残り15km地点でも約3時間以上の余裕があった。しかし、12時間きりはますます厳しくなった。
頭の中で計算するのだが、どうしても超過しそうだ。
7分でいければ間違いなく12時間が切れるものの、まだこのあとに坂道があると聞いていたし・・・。
坂を下るときや、平坦な道では極力早く走るようにこころがけていた(はずだった)のだが、結局は7分前後が関の山で、坂道ののぼりで8分台になってしまう穴埋めまでには至らなかった。
しばらくそんな状態がつづき、町なみが見えてきた。ずうっと先には、赤い鉄橋が見える。あの鉄橋を最後に渡らないといけないのだが、まだまだ先のようだ。ぐるっと湾を回った先にあるのだった。
そして90km通過!「よっしゃ!あと10kmや!」
自然と叫んでしまった。あと、10km。12時間まではまだ1時間以上あるが、なんとかなるのか?
当然、普通にゆっくり走っても問題なく間に合う距離なのだが、もはや、スピードをこれ以上出せる筋力は残っていないようだった。
90kmの給水所では、女子中学生らしいボランティアが待っていてくれた。
そして、なんとかたどり着き、水をいただくと、突然、
「せ~の、『負けないで、もう一度♪・・・・』」と、皆で歌いだしたのだ。
これにはちょっと嬉しくて涙が出そうになった。なんて人たちなのだろう。どれだけ今ランナーたちが疲れているのか、わかるのだろうか?どうすればランナーが癒されるのかわかっているのだろうか?
その場に、その応援歌を聞いて浸りたい気持ちもあったのだが、いや、あと10kmをなんとか走りきらねば終わらないのだ。いや、終われないのだ。
「ありがとう」とお礼をいって、走りだした。
そう、今回、給水所なのでは本当にみんなに「ありがとう」を叫んで出発した。
本当に、すばらしいボランティアの人たちだったのだ。
あと10km・・・これが、なかなか曲者だった。隠岐の島の飛行場をぐるっと左回りでまわってくるようなコースなのだが、しばらくは平坦だったものの、93kmあたりから、坂道になるのだ。
その坂は、決して楽な角度ではない。やっぱり山道なのだ。
右方面には、牛がいた。
西郷というエリアが一望できる、最高に眺めのいい場所なのに、坂道はなかなか厳しかった。
1kmが9分台にまで遅れた。早歩きで登ることにしたが、なかなかくだる気配が現れなかった。
おかしい、あの赤い鉄橋にもうすぐ着くはずなのに。
赤い鉄橋にさえ着けば、あと2km程度のはずだ。
あと、3kmという手前で最後の給水をいただき、走り出した。
そうすると赤い鉄橋がようやく見えた。
赤い鉄橋を渡る。なんと気持ちのよい瞬間なのだろう。
風邪は少し冷たく、脚の疲れを癒してくれていた。
橋を渡りきると、おまわりさんがひとりいて交通整理をしていた。
車をすべてSTOPしていてくれた。そう、自分が通過するのを待っていたのだ。
たしかに、ランナーはばらけていて前後2、30m前後にしかランナーがいない状態。
だから自分は一人旅状態。
その状態をひとりのおまわりさんが車を止めて待っていてくれる。
なんだか、箱根駅伝やマラソンのトップランナーのような待遇を受けて、右に走っていった。
本当に誇らしい気持ちだった。
そして、また応援が増えてきた。
最後のトンネル手前であと1km。
もうすぐだ。ゴールの建物が見えている。
50km走のランナーを何人か抜く。
100km走のランナーは意外にあまり見当たらない。
20m先くらいに、一人だけ。
ああ、もう、5分もない。12時間は切れないなあ・・・
そう思って左折し、ゴール会場に向けて走る。
そして、また左折すると、ゴールに入る最後の上り坂。
なんて残酷な!ここで、先を走っていた100kmのランナーが「なんだよ、最後にこの坂はないだろ!」というような叫び声を上げて、急にペースをおとしてしまっていた。
自分は、ここに来て脚は軽くなり、走り出した。
ゴール会場の音がする。
拍手が聞こえる。
応援するひとだかりが見えた。
会場のアナウンスの声が響き渡る。
ナンバーカードを読み上げているようだ。そして選手名を読んでいる。
ようやく自分も最後のゴール前の直線に到達。あとはゴールを切るだけ。
自分の番号が呼ばれた「1422番」
「神奈川県から参加の●●●●さんです!●●さん、笑顔でゴールしてください!!!」
最後の力を振り絞って、ピンと張られたゴールテープを、切った。
「やった、やっと、終わった。もう、走らなくていいんだ」
(完結編に つづく)
隠岐の島 ウルトラマラソン 完走記 その6
さて、そろそろ終盤に入るのだが・・・
ちょっと書き忘れた大事なものがある。
57km付近で非常に珍しいものがあったのだ。突然、山というか大きな岩を真四角に削りとったトンネルが現れたのだ。「福浦トンネル」というらしい。
このトンネルは長さはあまりなかったが、本当に手で削ったという感じの残る独特のトンネルであった。
こういう普段見れないものを発見するのも、自分の脚で走る喜びの一つといえよう。
話を戻すが、50km以降は、アタマを切り替えるためにカウントダウンをして距離を数えていた。
つまり、51kmのときには、「あと49km!」と。
このカウントダウンもあと40km以上あるとあまり効果もないのだが、30を切ると、普段走ったことのある距離に近づくので精神的に非常に楽になるのだった。
60km以降は、あまり記憶のないところも多い。ただただ、海岸線を走っていたかと思えば、トンネルをくぐり、そうしたら今度は山登り、そしてまたトンネルなど、とにかく変化の多い道を走っていた。
給水所では中学生だろうか、ボランティアが必ず待ちうけてくれていて、まだ給水所にたどりつく5,6m以上も手前から水を運んできてくれるのだ。
さらに、「水をかけますか?」とたずね、水をかけてくれるのだ。
ある給水ポイントでは、水をかけてくれた中学生の男の子が、「握手してください!」というのだ。
汗と水でびしゃびしゃの手を、汗でベタベタのウエアで拭いて握手をしたのだが、なんだか本当にこういうことって自分の気持ちを盛り上げてくれるんだよな~。
それに、至るところで、なぜか自分を名前で呼んでくれるのだ。
そう、公式パンフレットが配布されていたようで、自分のナンバーを見て、探してそして名前で応援してくれるのだ。そういう応援は実は何度も何度もあったのだ。
そのたびに、自然と顔が笑顔になるのだ。
そんなこんなで、那久地区というあたりに入っていく。
70kmの標識が見えた!
あと「サんじゅう!」だ!(世界のナベアツ風に)
しかし、また山を登らないといけない。
よこには川が流れている。気持ち良さそう。しばあく下っていくと、また人ごみの多い地域に出た。
第4関門の77km付近だ。
時計を見るが、閉鎖時刻16:15に対し、自分の時計はまだ14時くらいであった。
「この調子であれば充分楽にゴールできる」と確信したのだ。
そして、関門のあとに設置されたエイドステーションは、久々に賑わいのある場所で、水やドリンクだけでなく、コーラ、バナナやレモン(砂糖漬け)、そしてぜんざい、さらに冷奴、そして塩や梅干など。
イスも数客用意してあった。勧められて腰をおろしてぜんざいを食べようとしたら、こんどは、アイシングの氷をふたつボランティアの子供が持ってきてくれる。
まったく、どういうことなの。こんなに至れり尽くせりっていいのかなあ?と思うほどのサポート体制なのだ。
この大会運営は、とにかくすべての人がランナーを一所懸命サポートしようとしていて、本当にアタマが下がります。どうしてここまでこんなにできるのか。本当にこういう場面に出くわすたびに、実は目頭が熱くなり、いてもたってもいられなく、早くその場を立ち去ってしまいました。そうでないと、本当に涙が出そうだったし。
そして、この素晴らしいエイドステーションもすぐに立ち去る。
しばらく平坦な道をいく。途中トイレにより、海岸線を走っていくと・・・とうとう、80km地点。
「よっしゃ!あと、20km!!」と、本当に声に出して叫んだ。
時計を見ると、12時間まであと2時間30分程度このっていた。
もしかすると12時間を切れる可能性もある。
しかし、このところ平坦な道でも、いいところ7分切れるかどうかだ。
12時間を切るのは危うい。このまま平坦な道が続けば可能性も高いが、もし山があったら厳しいなあ。
「ちくしょう!普通だったら全然余裕2時間30分もあれば20kmを走ってしまうのに」と何度も思った。
しかし、脚の力は相当へたばっていたのだ。
なんとか7分ちょっとで走る場合もあるが、ちょっと坂道だとすぐ7分40秒程度になってしまう。でも、なんとか、12時間切りたい!と思っていた。
途中、私設エイドに出くわす。
そこで、コーラをいただく。そのときに笑顔で挨拶をすると、「いいねえ!最高の笑顔だよ!」って褒められた。
そう、この街は走っている人を自然と笑顔にしてしまう街なのだ。
あと20km。もう、ゴールは見えてきた感じがした。
制限時間までも4時間以上もあるのだ。
でも、なんとか12時間切りたい!
そう思って、力のない足を繰り出していた。
(つづく)






