隠岐の島 ウルトラマラソン 完走記 その7
村上春樹は、「走ることについて・・」のエッセイの中で、初めて「サロマ」を走ったときに、75km地点あたりから、急に空気が抜けるような感覚になり、その後 脚の痛みや苦しさはあったものの走りきることができた と書いている。
確かに、自分も「あと30km」という距離に至ってからが、精神的に楽になっていった。
脚は確かに痛みはあったが、すでに70kmを走り続けているにも関わらず、フルマラソンのときと、そう大きな違いは感じなかった。
多少膝に痛みがあったので、水をたまにかけたくらいで鈍い痛み程度であった。いや、もしかすると「麻痺」に近かったかもしれない。
また、今回 肩こりが意外にほとんど酷くならなかったのだ。いつもフルを走ると30km付近あたりから、左首筋あたりが凝りだして、本当に辛くて嫌になるのだ。
それを心配して事前に磁気を貼っておいたものの、通常ではこれでも痛みが和らぐ程度だったのだが、今回は、「肩凝り」という症状自体が発生しなかったと思う。
道が下りのときには、おもいきって両手をぶらんっとさせ、リラックスするようにしたのだが、これだけではないと思う。もしかすると、アップダウンの変化があることが、首を凝らせずにすんだのかもしれない。
さて、あと20kmという距離をどうやって走り続けるか?
脚の調子は悪くない。お腹も徐々に改善してきたようだった。
給水所では、なるべく氷をボトルに入れてもらい、塩をなめつつ、水を飲むことに集中した。
途中、私設エイドでいただいた、一杯のコーラは格別の味で、本当に嬉しかった。
しばらく、そう大きな坂道もなく、なんとか7分レベルで走ろうとしていた。ただ、坂道が現れると、無理せず早歩きにして体力を温存するようにした。制限時間にひっかかることはほぼないと思われた。
もし制限時間に間に合わない事態になるとしたら、あとは事故や故障など完全に足腰の急激な痛みくらいしか考えられなかった。
85km地点、残り15km地点でも約3時間以上の余裕があった。しかし、12時間きりはますます厳しくなった。
頭の中で計算するのだが、どうしても超過しそうだ。
7分でいければ間違いなく12時間が切れるものの、まだこのあとに坂道があると聞いていたし・・・。
坂を下るときや、平坦な道では極力早く走るようにこころがけていた(はずだった)のだが、結局は7分前後が関の山で、坂道ののぼりで8分台になってしまう穴埋めまでには至らなかった。
しばらくそんな状態がつづき、町なみが見えてきた。ずうっと先には、赤い鉄橋が見える。あの鉄橋を最後に渡らないといけないのだが、まだまだ先のようだ。ぐるっと湾を回った先にあるのだった。
そして90km通過!「よっしゃ!あと10kmや!」
自然と叫んでしまった。あと、10km。12時間まではまだ1時間以上あるが、なんとかなるのか?
当然、普通にゆっくり走っても問題なく間に合う距離なのだが、もはや、スピードをこれ以上出せる筋力は残っていないようだった。
90kmの給水所では、女子中学生らしいボランティアが待っていてくれた。
そして、なんとかたどり着き、水をいただくと、突然、
「せ~の、『負けないで、もう一度♪・・・・』」と、皆で歌いだしたのだ。
これにはちょっと嬉しくて涙が出そうになった。なんて人たちなのだろう。どれだけ今ランナーたちが疲れているのか、わかるのだろうか?どうすればランナーが癒されるのかわかっているのだろうか?
その場に、その応援歌を聞いて浸りたい気持ちもあったのだが、いや、あと10kmをなんとか走りきらねば終わらないのだ。いや、終われないのだ。
「ありがとう」とお礼をいって、走りだした。
そう、今回、給水所なのでは本当にみんなに「ありがとう」を叫んで出発した。
本当に、すばらしいボランティアの人たちだったのだ。
あと10km・・・これが、なかなか曲者だった。隠岐の島の飛行場をぐるっと左回りでまわってくるようなコースなのだが、しばらくは平坦だったものの、93kmあたりから、坂道になるのだ。
その坂は、決して楽な角度ではない。やっぱり山道なのだ。
右方面には、牛がいた。
西郷というエリアが一望できる、最高に眺めのいい場所なのに、坂道はなかなか厳しかった。
1kmが9分台にまで遅れた。早歩きで登ることにしたが、なかなかくだる気配が現れなかった。
おかしい、あの赤い鉄橋にもうすぐ着くはずなのに。
赤い鉄橋にさえ着けば、あと2km程度のはずだ。
あと、3kmという手前で最後の給水をいただき、走り出した。
そうすると赤い鉄橋がようやく見えた。
赤い鉄橋を渡る。なんと気持ちのよい瞬間なのだろう。
風邪は少し冷たく、脚の疲れを癒してくれていた。
橋を渡りきると、おまわりさんがひとりいて交通整理をしていた。
車をすべてSTOPしていてくれた。そう、自分が通過するのを待っていたのだ。
たしかに、ランナーはばらけていて前後2、30m前後にしかランナーがいない状態。
だから自分は一人旅状態。
その状態をひとりのおまわりさんが車を止めて待っていてくれる。
なんだか、箱根駅伝やマラソンのトップランナーのような待遇を受けて、右に走っていった。
本当に誇らしい気持ちだった。
そして、また応援が増えてきた。
最後のトンネル手前であと1km。
もうすぐだ。ゴールの建物が見えている。
50km走のランナーを何人か抜く。
100km走のランナーは意外にあまり見当たらない。
20m先くらいに、一人だけ。
ああ、もう、5分もない。12時間は切れないなあ・・・
そう思って左折し、ゴール会場に向けて走る。
そして、また左折すると、ゴールに入る最後の上り坂。
なんて残酷な!ここで、先を走っていた100kmのランナーが「なんだよ、最後にこの坂はないだろ!」というような叫び声を上げて、急にペースをおとしてしまっていた。
自分は、ここに来て脚は軽くなり、走り出した。
ゴール会場の音がする。
拍手が聞こえる。
応援するひとだかりが見えた。
会場のアナウンスの声が響き渡る。
ナンバーカードを読み上げているようだ。そして選手名を読んでいる。
ようやく自分も最後のゴール前の直線に到達。あとはゴールを切るだけ。
自分の番号が呼ばれた「1422番」
「神奈川県から参加の●●●●さんです!●●さん、笑顔でゴールしてください!!!」
最後の力を振り絞って、ピンと張られたゴールテープを、切った。
「やった、やっと、終わった。もう、走らなくていいんだ」
(完結編に つづく)