90km
90kmという距離が、実はとってもうれしい距離だった。
いや、たぶん、脚の故障や痛みがひどければ、90kmというのは、ゴールに恐ろしく遠くも、でも普段だったらなんのことのない、とってもシビアな距離なのだろう。
自分の初ウルトラというのは、この90kmを過ぎたときに、体調も悪くなく、また脚の痛みも問題ない状態、
いわば、「あと10km」という距離だったわけだ。
この「あと」10kmなのか、それとも、「まだ」10kmなのかは非常に大きな違いである。
初めて自分がフルに参加し、32km地点でリタイアしたことは、いつまでも心に深く突き刺さっている記憶である。
「あと」10kmが、走れなかったのだ。「まだ」10kmも・・・だったわけである。
市民ランナーは、この「まだ」を「あと」にするだけの脚づくりをして、大会に臨むわけである。
仕事もや家庭のことを問題なくやりながら、そして、「まだ」を「あと」にするには、実は並大抵でないと思う。
たまたま、自分は、単身ゆえに、時間的余裕があったと思う。
だから、練習も不足なくできたのではないだろうか?
今回、ベジー!のメンバーでもあり、ともに、「Smile Running Project!」を推進してきたOgamanさんが、サロマでリタイアせざるを得ない話をきいたときに、そんなことを思ったのだ。
ハーフやフルは、多少の環境変化があったとしても、なんとかなるい距離なのだろう。しかし、100kmだけは、さすが、誤魔化しできないのだ。
練習の積み重ねが素直に結果に出る。
体調や、当日の天候も、素直に結果にでてしまう。
しかし、サロマンブルーなるものが賞賛される由縁は、結局は、そういうさまざまま環境変化をも、たたきつぶすような強いランナーの能力に対して賞賛されるのかもしれない。
やはり、ウルトラは奥が深い。
たった、一回、それもたまたま調子よく完走できた自分がえらそうなことを言うことはいけないが、100kmのウルトラこそ、「常に勝ち続ける」ランナーを賞賛する競技なのかもしれない。
90kmは、普段10kmや20kmしか走っていない市民ランナーにとってはとんでもなく遠い距離ではあるが、しかし、90kmをどう通過できるか?自分の目標はどうも、そこにあるように、思いだしたのだ。
たかが90km、されど、90km。でも、たかが90km、いつか90km・・・。