走りながら、食べて、聞いて、考えて! -122ページ目

月間300km まであと25km


走りながら、食べて、聞いて、考えて!

いぢわる

どこにでも、「いぢわる」ってもんはいるわけですね。


実は昨日は会社の飲み会があり参加しました。

その際、まあ飲んでいるときの話題ってのはいろいろ多岐にわたるもので、「石川遼君の大人的な記者会見」の話題もあったわけですが、自分のウルトラマラソンの話題もしたわけです。


そうすると、こういうときは「いぢわる」な人がいるわけで、


「無理してそんなに走ると、カラダによくない」というようなことを言い出すわけです。

「だいたい、スポーツ選手なんか早死にするし」とか、

「無理すれば心臓に負担がかかってけっこうコロっといっちゃう」

「以前の会社で、良く走っているやつがいたが、転勤して急に心臓発作でペースメーカーつけるようになった」とか


まあ、こういうときは面倒なので、テキトーな相打ちを打ちながら、「そうですね~、まあ、自分も走っていてコロっといっちゃっても気持ちいいのでいいですけどね~」などと、とりあえずあわせる。


まあ、けっこうそういう厭味っぽいことをいう人っていうのは、なぜか「ゴルフ談義」しか好まなかったりする。

そして、しまいには、「やっぱり、ウオーキングが一番カラダにいいんよ。ゴルフ場で歩くのが一番いいんよ。」

などと言ってしまう。


でも、カートに乗って移動していると思いますけどね~。



健康にいい、とか、痩せたいなどと表走り出す人はいても、ウルトラなんて走る人が、そんなことを思って朝鮮はしてないんですけどね~。


まあ、どこにでも、そういう「いぢわる」はいるってことで。


ちっちゃいことは気にしない~ウ~ワカチコ!ワカチコ!

勇者に乾杯!

先週は自分が「隠岐の島ウルトラマラソン」に参加し、今日はラン仲間が複数「サロマ湖ウルトラマラソン」に参加していた。


通過時間をWebでチェックできるので、最初からチェックしていたが、前半はなかなか順調に見えたものの、ほとんどのメンバーは後半急速に失速していた。


サロマ湖については、北海道の大平原を走るわけだし、また今日は最高気温15℃という絶好のコンディションに見えた。しかし、やはり違うものなんだなぁと、つくづく感じていた。


「隠岐の島」はウルトラでも屈指の難コースといわれる。その理由は、アップダウンが、小刻みにもあるし、また最大250mも上っていかねばならないからだ。

しかし、「サロマ湖」については、100mもの坂を上っていくこともないので、難コースというものでは無いように思える。

しかし、だ。

自分も気づいたが、適度なアップダウンは、気持ちの切替もできるし、集中力も比較的維持できる。また、上りになれば歩けばいいし、また下りは身体の重力で駆け下りることが可能だ。したがって、自分の場合は、上りがキロ8分後半レベルまで落ちても、下りで5分台でおりることができたために比較的、精神的にも楽であったようにも思う。

ところが、ずっと平坦な道が延々続くというのは、かなり精神的に疲労感が蓄積されてしまうように思う。


これは、「かすみがうら」もそうなのだが、後半のダラダラ長い距離を走っていくのは、集中力を保てないのだ。脚の痛み以上に精神的に苦痛を伴うように思う。


したがって、自分が、2回続けて「隠岐の島」において、完走、それも12時間前後で走りきれるのはそういう理由があるからではないか?と感じた。


本日、ラン仲間のOgamanさんや、マイクさん、どらさん、そして、まさにウルトラランナーのchamaさんらが、苦しみながらリタイアやゴールをしている状況をみて、そう感じた。


ウルトラは、単なる体力だけの問題ではない。やはり何か大きなプレッシャーのようなものがあるのだ。


それを、しっかり跳ね返し、そして完走をしたランナーの皆さんは、やはり勇者と呼ぶべき者たちだと思う。



自分も、これで、今シーズンはまずは終了としたい。

あとは、秋からのレース、特に、ハーフおよびフルでの記録更新をめざし、練習方法も見直していきたいと思う。

そして、またしっかり準備を行い、来年の隠岐の島でさらなるステップアップを目指したい。


サロマ湖ウルトラマラソン 参加の皆様 本当にお疲れ様でした。


完走記、期待しています!


7つのメダルを目指して!

現在、サロマ湖では、勇者たちが苦闘している真っ最中である。

サロマでは、10回完走すると、「サロマンブルー」という称号が与えられ、いわば、ウルトラマラソンランナーのVIPとなるのだ。これは、うらやましい!


で、隠岐の島の場合も、(この前の前夜祭で、町長さんはこんなに長くやり続けることになる計画ではなかった というようなことをお話されていましたが)なんと、7つのメダルを集めると、なんか特典があるらしい。

虹をイメージした、レインボーメダルというものになるようなのだが。


昨年から、隠岐の島に参加しはじめて、2回連続完走したために現在2個のメダルを獲得している。

第3回目の、昨年は、「緑」の色がついていた。そして、今年は、「黄色」であった。この調子で、7個の色違いのメダルを集めたくなった・・・・のだが・・・・よ~く考えると、けっこうこれは至難の業であることにはたと気がついた。


毎年、メダルの色は変わるらしい・・・でも、1回完走できないと、なんと、あと7年待たないと揃わないってことですよね・・・これは・・・。

けっこう、ショック。

最悪14年かかるわけですよね。・・・それはなかなか厳しい問題であると気づいた。


毎年この大会にあわせ、仕事のスケジュールやコンディションを調整してこないと、7年間連続で7つの色のメダルを獲得できる確立が相当厳しい。


ん~いかがなものか。


毎年色違いを選べる なんてことにはならないだろうな~・・・・・



夏


走りながら、食べて、聞いて、考えて!

海沿いが好き!


走りながら、食べて、聞いて、考えて!

隠岐の島ウルトラマラソン2009 番外編2

完走記の最後に、最適な内容はやはり朝から晩まで、島ぐるみで、また、町ぐるみで応援してくださった隠岐の島の皆さんのことだと決めていた。
とうとう、これが最後の完走記となりました。

いくつかの大会に参加してはいるものの、ウルトラについてはこの大会しか参加していないわけだから、決めつけるようなことは言えないのだが、もし、5つ星をつけるべき最高の運営を行っているマラソン大会をひとつだけ選ぶとすれば、この「隠岐の島ウルトラマラソン」しか無い、と私は考える。

ただ、とても悩ましいのだが、最近のマラソンブームのおかげで、さまざまな大会が、ますますマンモス化し、それに伴い、運営が疎かになったり、参加ランナーにマナーを守れない、もしくは、守る気もないような輩が増えている現実を考えると、この大会は、余り人気が出ないでほしいというのが正直な気持ちなのだ。
それに、そうは言っても「隠岐の島」は、小さな島だから、所詮「東京マラソン」のような3万人規模の大会など受け入れ不可能だ。
島の自然だって壊されてしまう。だから、今の規模で十分だと思う。

運営側もそれをわかって、今の規模が参加ランナーを手厚くサポートする限界だと思っているようだ。

事務局から送られる受付案内状には、小学生の応援メッセージが同封されている。
空港に着けば、横断幕が迎え入れ、会場行きバスが待機している。
会場と宿泊先の間は、循環バスが送ってくれる。
スタート後、沿道では、顔を出せる人全てが応援してくれるような熱い応援。そして、皆素晴らしい笑顔で。
ランナーが近くに来ると立ち上がって応援してくれる。
ランナーのナンバーカードを見て、フルネームで応援してくれる。
すれ違う車からも、応援の声がする。
レストステーションや、ゴールでは、荷物を運んで渡してくれる。
エイドでは、ランナーに近づき水を渡してくれる。
歌を歌ってくれる。
おしぼりを渡してくれる。
トイレにわざわざ誘導案内してくれる。
何度も先回りして応援してくれる。
ランナーの安全確保のために、バイクで並走してくれる。
アイシングをしてくれる。
ゴールを讃えてくれる。
・・・

これで、感激しない?
涙が出ない?
また、行きたくならない?

隠岐の島の皆さん、本当にありがとうございました。
必ず来年も参加します。

隠岐の島ウルトラマラソン2009 完走記4 ゴール

ゴール・・・目標・・・ターゲット・・・終点・・・


まだ朝日も昇らない夜中に起床し、無理に朝ごはんを胃袋に詰め込み、そしてスタート。

一日24時間の半分以上の時間を使って、100kmの道のりを自分の脚だけで走りきる。


そんなことにどんな意味があるのか。


たった3kmを走ることでさえ、大変な負担だった時期からわずか数年で100kmを走りきる、脚力も体力も我慢強さも身につけたが、それに何の意味があるのだろうか?


12時間程度を走るだけのために、毎日1時間以上も時間を使い、年間3000km以上も走り込みを行ってきたが、それに何の意味があるのだろうか?


常に疑問を持たずに走っているわけではなく、途中「何故、自分はこんな苦しいのに走っているの?」と問うてしまうことも、少なくない。


それでも何故走り続けるのだろうか?


この完走記の最初に掲げたテーマ。


「何故、走り続けるのだろうか?」

「何が、100kmもの距離を走り続けさせるのだろうか?」


結局、今回も、確かな答えというものが見つからなかったような気がする。


しかし、

「何故、走り続けるのだろうか?」

の答えは、

自分が走りたい という意思を持っていると同時に、「そこに道があるから」とか、そういう哲学的なものではなくて、単純に、ゴールがあるから・・・。というものかもしれない。

ゴールがなければ、いつまでも走り続けるなんてできないような気がする。


「何が、100kmもの距離を走り続けさせるのだろうか?」

これについても、まわりの期待や多くの暖かい応援もチカラになる。

でも、100kmという長い距離でも走り続けるものは、ゴールがあるからなのではないだろうか?


もし、ゴールが見つからなかったら、走り続けるなんてできないように思う。


ゴールに待っていてくれた妻を見つけ、最後にいっしょにゴールテープを切った瞬間。

「長い一日が終わった」という安堵感とともに、同じ目標をいっしょにクリアできたといううれしさが格別であった。


マラソンは、走るひとは一人だが、結局はチームワークなのだと改めて感じた。



第4回隠岐の島ウルトラマラソン 2009 11時間57分 完走できました。 



走りながら、食べて、聞いて、考えて!


隠岐の島ウルトラマラソン レポート 20090625

結果速報


100kmの部 エントリー: 378名

        出走    : 334名

        完走    : 234名

        完走率  : 70.1%



50kmの部  エントリー: 255名

        出走   : 241名

        完走   : 196名

        完走率  : 81.3%


自分の記録 記録 11時間57分37秒

         男子総合順位 51位/202

         年代別順位   10位/45

        (年代別完走率は65.2%)

隠岐の島ウルトラマラソン2009 完走記3

完走記を書き終える前に、村上春樹の「1Q84」が読み終わった。

読後感想は控えたいと思う。さすがノーベル文学賞の候補にも考えられている作家の小説だけあって、読みごたえは十分あった。

ただ、自分はどちらかというと、エッセイのほうがのびのびしていて好きだな。小説は、頭を使う内容が多くて、ちょっと疲れる。



さて、完走記後編である。ゴールに向かってまっしぐらー!て、わけではないのだが、今回は後半はとても充実していたように思う。



レストステーションを後にして、コースにもどったが、足どりはとんでもなく重かった。さらに、暑さが増してきて、前を行くランナーも走っては歩き、歩いては走るというくりかえしであった。その後を自分も追ったのだが、自分はずっと走っている格好はしているものの、前を行くランナーに追いつけないほど足どりが重かったわけだ。

50kmの部のスタート地点、「水若酢神社」手前では、これからスタートする50kmランナーがバスから応援をしてくれたが、この時点では応援に笑顔で応える余裕がどんどんなくなっていた。

そうしているうちに、またまたeddyさんに抜かれた。

このとき完全に自分の脚は死んでいたように思う。

50kmを過ぎて、しばらくいくと、昨年思い出深い民家。

そう、どうしてもがまんできずトイレを借用した民家が見えた。そのおばさんがいたら、お詫びしようと思っていたが、案内している人がその人かどうかわからず、結局通り過ぎてしまった。


走っているとやけに暑い。のどの渇きもひどい。脚も痛い。時々立ち止まってしまった。

エイドが見えると、ほっとした。ボトルに詰めた氷は、エイドまで持たないくらいに水に融けてしまっていた。

エイドに着くと、「すみません、氷をください」

この声をなんどかけたか、エイドに着くたびに、この声を発していた。

しばらくは、平坦な道が続くが、これが意外とキツい。平坦だから歩きたくない。坂道がくれば歩くのに・・・と思いながら、前を見るともはやeddyさんは見えないところまで先を行っていた。


途中、立ち止まった。ふと、超(変)人ランナーのしばぽちさんのメッセージを思い出した。

「脚が止まったら、しゃがんで腸頚をもみ上げるんです」

これをやってみたら、不思議と脚がラクになった。


また走り出した。

しかし、今度は風が強い。これから海の近くを走るのだから仕方ないが、けっこうキツい風が前から吹き付ける。

ヨロヨロしながら、なんとか福浦洞門を抜け、60km地点を過ぎた。


そして、61km過ぎ。このあたりから、少し気分がラクになった。

というのも、「あと39km!」とカウントダウンを始めることによって、残りの距離に対する長さを少しでも感じなくなったのだ。

同じころ、元気な声を発しながら坂道を上ってくる女性ランナーとそれに並走している男性ランナーとほぼ同じ位置になった。

女性ランナーは、「坂道の上りはいいけど」と、元気な声で走ってくる。けっこう呼吸も大きく響いていた。

大きな呼吸音は、リズムを乱されやすい。

ただ、そのランナーは悪気はないのだろう。

仕方ない。自分は、それに惑わされぬよう、上り坂は歩くことにし、下りは勢い良く走った。

これが功を奏した。


上りは無理して走らず、早歩き。

意外にこれは効果あり、前を歩くランナーをずいぶん抜いた。

また、「長い坂ですね~」とか声をかけることで、一体感と、気を紛らわすこともできた。


あるとき、同じように前を行くランナーに「下って、のぼって、なんだか下るのが怖くなりますね~」などと、声をかけたら、ギロっとにらまれてしまった。(いけね、や~めた)


それから、また同じ繰り返し。

後半は、同じ150m程度の山越えが3回もあるのだ。

それも、上っていくと、先が見えない坂。まだ、上る、まだ上る、まだまだ、上る・・・そして、トンネル。

その繰り返しだった。


この頃になると、トンネルは何よりも憩いの場であった。

トンネルにはいると、冷たい風がヒヤっと吹き付ける。

一気に汗が飛んだ。

また、トンネルがあるとそのあとは下りなのだ。これがうれしい。


そういう繰り返しをしながら、なんとか70kmくらいまでやってきた。

途中、並走(歩)していたランナーが、「75kmあたりのエイドは大きいエイドなんですよね~」

と、聞いてきた。

「そうですよ。あそこは、アイシングもあるし、冷奴などもあって助かりますよ」

「よ~し、とにかくそこまでがんばらなくちゃ」


皆同じ思いであった。


途中、いくつかのエイドでは、前方に人をたててランナーのナンバーを見てエイドに無線で指示していた。

なぜかというと、エイドでは「はい、○○さん、がんばってくださいね~」と、名前、それもフルネームで呼んでくれるのだ。

あるエイドでは、エイドを離れるときに、子供たちが「○○さん、がんばって!」と応援してくれる。


また、バイクで安全確認をしているスタッフの人たちも、応援の声をかけていく。

さらに、あるところでは、軽自動車から降りて、大きなうちわで応援してくれる女性もいた。

この人とは、3回ほど会っている。

つまり、先回りして、応援してくれていたのだ。

あるときは、本当にキツくなって、もうやばい という顔になっていたのだろう。そのときに近くまで来て、「ここまで走ったんだから、大丈夫。絶対大丈夫」と声を掛けてくれたり、本当になんて信じられないやさしい応援なのだろう。


そういうたくさんの応援を受けて、なんとか、都万のエイドまでたどり着いた。


走りながら、食べて、聞いて、考えて!

妻が待っていてくれた。

さすが自分も相当弱気になっていた。最初に発したコトバが、「わりぃ。たぶん、めいっぱい制限時間使いそう。歩くと思うから」と。

そして、冷奴をもらい、氷を詰めてもらい、島根大学のスタッフにはアイシングもしてもらい、いたれりつくせりであった。



走りながら、食べて、聞いて、考えて!

最後に、スタッフから、アイシングの氷をいれた袋を「途中でも捨てていいので、もって行ってください!」といわれ、なんとか走りだした。


時計を見て計算すると、なんとか12時間を切れそうか?と思いつつも、まだ十分走れてはいない。

この暑さで、もう無理かもしれない。

そう思いつつ走っていた。


前方に、2600番台の女性ランナーが歩いていた。このランナーは小柄ながら、ずっと自分の前を走っていた。

歩いていたときもあったがでも、平坦な場所では自分よりもしっかり走力があるようで、しっかり走れていたのに、どうしたのだろう?と思い、追いついて声をかけた。

「暑いですね~」

「もう、だめです。暑くてつらいですね~」というようなことを言っていたと思う。

その後、リタイアしたかもしれない。


その先は、海岸線を行く、まったく日陰のない場所。

そして、ようやくエイドにたどり着いたが、そこは、唯一、エイドにおいて氷をもらえないほど、氷が枯渇していたところだった。


しかし、自分は前年そのあたりを走っていて、その先にある私設エイドを忘れていなかった。

そこにたどり着けば、コーラをいただける。そう思い走り続けた。


80km通過。

あと20km。ここから、不思議なことがおきた。


私設エイドに近寄って、「昨年も着ました。コーラをいただきたくて!」といったら、「そりゃ、うれしいね!」とコーラをもらい、また氷をボトルに詰めてもらった。

「来年も絶対来ますね!」


それから、なぜか脚が動くようになった。

とはいえ、坂道を上るのはすぐ歩くことにした、早歩きである、早歩きでランナーを抜くこともできた。

これは確かに、トレランで鍛えた成果だと思った。


下りは一気に駆け下りる。これもトレランの成果だった。脚は確かに痛かったが、駆け下りることに怖さもなくこのあたりでも、キロ6分~7分で走れるようになっていた。


山の途中では、冷たいおしぼりを用意していてくれたご家族にあった。

最高に気持ちよかった。

こうした、さまざまな応援が自分を回復させた。

応援FAXのことを忘れられなかった。今年も20通ももらった。裏切れない。それだけを考えた。


そしてあと10km近くになったころに、またあのうちわの女性に会った。

ここまで先回りして応援してくれた。


あの角を曲がればあと10kmだ。

曲がった。エイドステーション。昨年はここで女子中学生が歌を歌ってくれた。

今年は・・・なかったので、「あれ、今年は歌ってくれないの?」というと、照れていた。

自分もそれだけ冗談を言えるだけの余裕があったのだ。


しかし、昨年はここから歩くことが多かった。まだ、いくつかの坂道があったが、それほど急ではないのに昨年はここでがんばりきれずに12時間きりをあきらめた。


そういう思いもあってか、ずっと走り続けた。

飛行場の下をくぐっていくのだが、そこまでもなんとか走れた。

飛行場をくぐると、あとは5kmくらい。しかし、上り坂が二度ほどある。

上りは無理せず、歩いた。

応援は少なくなっていたが、飛行場のスタッフも応援してくれた。

上り坂の上にある歩道橋から応援をうけ、そこで、残り時間を見て「これは、いける!」と思った。

そこからの下りを走る。

のこりふたつのエイドステーションも必要最小限の時間で過ぎ、時計を気にしながら走る。


このときアタマに浮かんだのは、いっしょに応援に来てくれた妻といっしょにゴールテープをきること!

それだけだった。


なんとかなる。


赤い橋の上で、ランナーが屈伸運動をしていた。

そこを通り過ぎ、右折し見慣れた場所にもどってきた。

すると、また、あのうちわの女性が応援してくれていた。なんて人だろう。


あと2kmをきっていた。


あと1km・・・先を行くもう一人のランナーを抜いた。

あと、もうひとつのトンネルをくぐり、左折すればもうゴール間近。


後ろからランナーが来た。

先ほど屈伸運動をしていたランナーだった。そうしっかり筋肉をほぐしラストスパートに備えていたのだった。

ここは、自分は無理せず、敬意を表して先を譲った。


左折し、最後の坂道。この坂を越えればゴール。


坂道が終わる手前で、妻の姿が見えた。

走りながら妻のほうに手を上げる。いっしょに手をつなぐ。そして、手を振り上げ、ゴールテープをきった。


終わった。


この大会で、いっしょにゴールすることができた。


念願のゴールであった。