「生んだって
すぐ親になんて
なれないもん」by甘ちゃん母ちゃん
27歳で、突然3つ子の母になる。
赤ちゃんの寝かせ方?
「どうすんの?これ?」に、最強のアドバイザー。
みつご事件簿
・
「頑張りなよ!じゃあね。」
超・長期入院患者である私に、
実家の母は週に一度
お見舞いに来てくれた。
たくさんの大好物を持ってきてくれた。
帰りにかけてくれる言葉が
変わった日だった。
いつもは
「じゃあね。また来週来るから。」
であったが、
妊娠30週を超えて、
私が
もう、お腹が苦しい。
と、弱音を吐いたときだ。
母が帰る時
エレベーターホールで
「頑張りなよ。」
と、私に言った言葉と
その表情が今でも目に焼き付いている。
ああ。私、頑張るのか。頑張っているのか。
少し不思議な気分になった。
応援されるのが当たり前だった。
毎日完全看護されていることに感謝して、
それを理解して、産むために頑張る。
という感覚が薄かった。
まだ私は子供だった。親になっていなかった。
それでも
子供を産めば、親になる。
3つ子の妊娠が判明したその時から
実家の母と姉は100%サポートしてくれた。
3つ子がそろって退院してから、
1年間
母は、私の家に泊まり込むと言ってくれた。
そのために、母が飼っている犬のレモンちゃんも、
埼玉に嫁いでいる、姉にあずけた。
家族全員で3つ子育児のバックアップ体制。
母は、
「予行練習に家に行くわね。」
と
3人が退院する前に
何度も、
私の家に来てくれた。
スーパーの場所や、郵便局の場所を伝える。
病院に行って
沐浴の練習もする。
「つぎ、おばあちゃん、やってみますか?」
と、看護師さんに言われて
「・・・・・」
「あら?私かしら?
生まれて初めておばあちゃんって呼ばれて、
誰かしら?って思っちゃわー。
いやあね。もうおばあちゃんなのね。
あっはっは。
と手慣れた手つきで3つ子を沐浴していた。
母は根っから明るい。
私の
「ま、いっか。」
の、精神を育ててくれた親だ
孫を全身全霊で愛してくれて、
その私の心も身体も
すべてサポートしてくれた。
泣いて泣いてどうしようもない3人を見ても
「まあまあ、たまには泣きたいものよ。
泣かせておきなさい。
さ、泣いている間に、
今のうちにご飯食べちゃいましょ」
なんて言ってのける。
夜中も私を助けてくれた。
朝の4:00から大泣きし、
全く寝ない次男に、
私がイライラして、
どうして寝てくれないのよっ!
と文句を言っていると、
すぐに次男を抱き上げて、
「まあまあ、こんな時間でも遊びたいのね。
ばあばと一緒に遊ぼうねー。
ほら、あなたは今のうち、寝てなさい。」
と私を寝かせてくれた。
私がおっぱいとおむつ替えだけやればいいように、
食事、洗濯、掃除をすべて引き受けてくれた。
感謝
そんな母も今は75歳。
「最近3つ子ちゃんに、会わなくなっちゃったわね。
さみしいわ。ばあばは、もう必要ないかしらね。」
と皮肉っぽく電話口で話す。
膝が痛い。
と病院に通う。
元気がない時が多い。
愚痴っぽくなっている。
私が今度は恩返しする時だ。
月に一度私は、実家に戻る
美的収納プランナーの資格を取ったので、
片付けだけは得意だ。
家を整理する。
時々病院に一緒に付き添う。
そんな時は
「どう?3人は元気にしている?」
と聞いてくる。
自分のことよりも3人が気になるようだ。
あの時、助けられたことの
100分の1くらいしか返せないけれど、
三つ子を産んで20年。
ようやく親になった私は、
自分の親へ感謝できるようになった。
母は
「孫が元気で笑っていればそれが一番幸せだわ。
だからね、あんたにも頑張ってもらわないとね。」
と、私に言う。
子を思う親の思いは計り知れない。
子供のために頑張れる。
親に感謝する。
子供が教えてくれたことだ。
3つ子母ちゃん、まだまだ頑張るぞ
つづく
前回の事件簿はこちら→「3つ子の母私の場合、豊田市3つ子次男暴行死 控訴審」
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