一足の靴
 
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ただ、

土曜日にいっぱい緩めてもらって、
すごく幸せでした。

現実の世界は…
今、多分すごいおおきな荷物を背負っていて、
すごくおしつぶされそうで、
怖くて、いつでも逃げたいし、投げ出したいし、
すっごく辛くて、心配。
夜が深くなるほど、不安すぎて眠れない。
でも、何から手をつけていいのか…
ただ、起きて焦ってる。

一本の細い糸が自分をまっすぐ立たせていて、
顔を上にあげさせている。
悲しい事にその糸はとても丈夫で、
まだ「もう、いいんだよ」と言ってはくれない。
その細い糸のお陰で、
ここにいれるんだとも思う。

言いたい事はたくさんあるけど、
愚痴は自分が傷つくし、
「仕方がない」なんていい人になれない。

何も聞かないで、
ただ、「大丈夫、がんばれ。」
って言葉だけ聞きたい。

弱いわ、自分。
まだまだ、だわ。


幸せ。

今日、中学のときの友達が結婚しました。
小中学の友達は、とっても大切なんです。
ちょっとやそっとの関係ではなく、結構深い仲間たち。
メキシコなんて日本からずっと遠くの国で、
いろんな偶然と必然が合って、会えた子たちだから。

友達は新郎だったんだけど、
とっても幸せそうで、私もとっても幸せになりました。
新婦には初めてお会いしましたが、
とっても優しそうで、きれいな人でした。
2次会の新婦、新郎のプロフィールの
スライドショーをみていると、
幼いみんなのメキシコ焼けのまっくろな顔を思い出して、
「ああ、やっぱり特別だな」っと思いました。

中学の時には、まさかこんなに付き合いが長く続くとは、
夢にも思わなかったから、とっても不思議。
本当にみんな、すてきに大きくなって、
もっともっと、やさしくなっていました。

居心地が良すぎて、現実に戻るのがツラくなっちゃうよ…
結婚がうれしくて、幸せになっているのがうれしくて、
みんなに会って、たくさん飲んで酔っぱらいながら、
朝5時にカラオケでまだ「志郎、おめでとう!」って叫んでる、
そんな友達も自分もダイスキ!

ひさしぶりに、背負っていた重い装備を
ガチャガチャ外してもらいました。
会うたびにリセットしてもらっています。

みんなでもっともっと幸せになれますように!

capacity

早く、いろんな事が上手く
まわっていけるようになればいいのに。

お金も趣味も本気もスキルも。
いつも焦って、焦りすぎてつかれてしまう。

やりたい事を何かがおわるまでお預けにしている事とか、
肉体的に本当に辛い!とか、
恐くて逃げたくなる時に、
今は「そこが一番大切で試されている所」だと思う。

ガマンして、じっと座ってコツコツやることが、
やっぱりすごく大切で、
色んな事を簡単に手にはいれられないのだと思う。

いろんなやり方があるし、
違うアプローチの仕方があるけれど、
寝ないで、無理して這いつくばりながらも、
あきらめないでやる事が
今の自分のcapacity。

だから、道をはずれている気はしない。
なかなか、いい方向に向いていると思う。
まわり道しているかもしれないけどね。


夜が明るい

毎年、ちょこちょこ映像を撮りためては、
そのときの気分や思いを、編集しながら考えています。

それは、人に見せてCRITをもらうような大きなものではなく、
しいて言えば、一年間の日記のようなもの。

毎年撮っているものだから、若いときの映像も残っていて、
結構、「これ、よくとれたな~」と関心する事が多いです。
早朝、山手線とかに乗って、普通にカメラまわしたりしてたよ。
そのときは、まだ、「痴漢」とか関係なかった時代だったし。

それで、「最近、私どうだろう?」って考えてみると、
とりあえず、「夜が明るくなった」とかんじました。
比喩もなにもなくて、「夜が暗くならなくなった」と。

夜中に仕事帰りに歩いて帰ると、
ちょうど山手線の線路と渋谷駅が見えます。
そこだけ、ぶわっと明るくなっていて、
夜の空が、昼のように照らし出されていました。
キラキラ星のかわりに、
夜の雲たちが、とってもまぶしそうに、
うっすらうつしだされて、
あ、ここは東京なんだと実感されます。

渋谷の大きなゴミ処理場の煙突のあかりは、
変わらずに、チカチカと時を刻んでいました。

夜が明るくなりすぎて、
星も、雲も、人も睡眠不足です。

小学生

今日は、朝から、
バドミントンをしました。
まず、早朝に起きる事がすごい!
3時間、バドミントンと、バスケ、跳び箱をしました。

ひさしぶりの満足感。
大人になってから、毎日、
とっても短く感じていたのに、
今日は、とっても長い!
充実感!!
体を動かすのって、本当に楽しい。

そして、これから、本当の小学時代の
友達と会う。

みんな、また、すてきになっているんだろうな~!

かわっていく家族像

「東京タワー」の試写会にいきました。
リリー•フランキーさん原作の本を映画化したものです。
映画自体の善し悪しはよくわからないけど、
どこの家でも「家族の風景」って
とっても神聖なものだと思いました。

子どものころ、
私はよく親に「生意気」だと言われていました。
知ったような顔をするところとか、
一人が好きでよく部屋にこもっていたことが
多かったからかもしれません。

正直、家族の団らんがとっても嘘くさく、
無理をしている、静かに我慢しなくてはいけない、
とても居心地の悪い時間でした。
いつもより狭い空間にいなくてはいけない家族旅行も、
本当につまらなかった。
親も、「いい親にならなくてはいけない」プレッシャーを
感じながら教育していたのが、すごく感じとれた。
何か話をしなくてはいけないけれど、
何も話す事がなくて、だまっていることが多く、
大事にされている事も感じなかったし、
私も家族をどうでもいいと思っていた。
冗談でも、家族の話を友達になんてできなかった。
早く、大人になって、
「生意気」といわれない年になりたかった。

その家族像が少しずつかわったのは、
多分、大学受験を控えた高校生の時。
「面倒くさいから、(親の)好きなようにしていいよ。
別に私の事はどうでもいいでしょ?
興味ないくせにコントロールしようとしないでよ!」
と暴言を吐いたときに、母に、
「そんなこといわないでよ、私の大切な娘なんだから。」
と生まれて初めて言われた。
学校や受験や人間関係に疲れて、
結局、日本の大学進学を拒否したときも、
アメリカの大学進学を進めてくれたのは、父でした。
留学をして、生活面も
精神面も支えてくれたのは、結局、親でした。

どうでもいい家族像が大逆転したのは、
留学中に母が怪我をしたと
怪我をした2ヶ月後に教えてもらったときでした。
家族全員が外にいて、外の人が怪我をした母を
病院につれていってくれたそうです。
とっても、自分が情けなくなりました。

大学卒業して帰国してから、
本当に自然に親を信頼するし、
自然と仲良くなれるようになりました。
一人暮らしをしても、できるだけ、
家に帰るようになりました。
なにより、一緒に楽しく遊べるようになりました。

家族は本当に神聖で、
秘密が多くて、なかなか出す事が難しい。
そういう難しいことが、リリ-さんの
「東京タワー」に出ていて、人気なのも
きっと皆、自分家を重ねているのかもしれません。

長電話。

結構よく遊んでいる子に限って、
長電話したり、かといって、
あまり会えないのに、他人行儀になるかといえば、
全然、「昨日のことだけど~」と話す子もいる。
そこが、友達ってことだよね。

最近、真夜中に長電話することが多い。
その子とはよく会っているんだけど、
会っているときは、あんまり意味ない話ばっかりしている。
だから、電話で話すと、すっごい濃い深い話になる。

なんか、最近もやもやして嫌な感じ。
素直に言葉が出てこなくなってきてる。
相手の事を気にしすぎて、ちゃんと話ができなくなっている。
「時間」や「常識」や「思いやり」がぐるぐるまいてる。
もっとバカに話をすればいいのに。

言葉がうまくなりすぎて、
何いっているのか、自分でもわからないよ。

狭い世界

昨日、送別会でした。
今年の夏のマイラインアップでお世話になる
大好きなブランドのデザイナーの子が、帰郷するのです。

それで、ちょっと不思議なメンバーで
ちょこっとご飯を食べたり、
都市伝説について話したり、
世間話したり、
うわさ話して、とても楽しかったです。
帰郷しても、ちょくちょく遊びにくるみたいだし、
本当に楽しそうにお洋服を作っている子だから、
どこにいっても、作り続けてほしいなあ、と思います。

そんなかんじで食べたり飲んだりしていたんだけど、
NYに住んでいる子とNY話になって、
いろいろ話してたら、
Philllyの時の友達の名前が出てきました!

うわ。世界って狭い~。
Phillyで会って、NYで遊んで、日本で噂をきくなんて!

おもったより、そんな遠くまできていないかも。
それとも、みんなで遠くまできちゃったのかな?
なんか、こうゆう運命的なものって、
私のまわりで頻繁におこるんだよね。
だから、けっこう運命とか信じてる。

がんばろーっと。
どこで、うわさになるか、わからないじゃない?(笑)

20歳のころ

さっき、
2001年の20歳のわたしが
製作した映像のDVDがでてきました。
赤い風船の中に一息、一息、
思いを入れてふくらませる話。
割と見れるものでよかった。

そのときのこととかいっぱい思い出した。
20歳の時は、びっくりするぐらい幸せでした。
自分の好きなことを、「好き!」と
しっかり言えるようになった年でした。
とても映像をとる事が好きで、
早朝でも、雨のなかでも、山のなかでも、
どこでも出かけていっていました。
周りには恋人や気の合う仲間がいつもいたし、
相手の話や自分の話、好きな映画を見て
言いたい放題に評価を言い散らしたり、
最高にたのしい毎日でした。

また、20歳のころは、いつも不安でした。
毎日、「明日のこと」や「自分の才能のこと」、
「それとなくやること」、や「好きなのか」とか、
こころが幸せいっぱいでも、頭の中はぐちゃぐちゃ。
DVDを作ったのは、留学を次期に決めた後。
どうしても知りたかったし、見たかった。
どんな人たちがいるのか、何を感じながら勉強しているのか。
でも、留学を決めたときから、覚悟をしなくてはいけなかった。
簡単にぬかれる、だから、もう帰らないと思った。
自分の場所も思いも、必要とされることもなくなると思った。
だから、もう帰れないとおもった。

だからこそ、いままで周りの人からもらった、
「大切なこと」を忘れたくなかった。
いつも助けられたし、行動する原動力だった。
言葉そのものではなく、
全体を通した、「大切なこと」をかんじることを
ずっと覚えていられるようにしたかった。
何回でも見られるように、
アブストラクトな形の映像作品だった。

5年たった今、
好きなものを「好き!」と言えるだろうか?
「大切なこと」を覚えていられるように、と
毎日大事にすごしてしていたように、
今、毎日を丁寧に生きているだろうか?

「大切なこと」をかんじることを
思い出した。

<今日のおはなし>

<今日のおはなし> 大きい団体に入ると、時間と共に 其の人の「得意不得意」が分かってきて だんだん役割分担ができる。 ~役って付くのは誇らしい事でもあるけれど、 その団体の弱みでもある。 ~役がいなくては何もできなくなるから。 得意分野を伸ばすのは大切なこと。 でも、全体を見る事ができなくなるのは、いかん。 「昔、ソクラテスは奴隷だった。」 王様に物を教えると言う奴隷だった。 師弟関係にしても、 オーナーと選手関係にしても、 お店とお客さんにしても、 ワガママなのは 弟子じゃなくて、師 選手じゃなくて、スポンサー お客さんじゃなくてお店。 だって、 聞きたくない事は流せば良いし、 投資したくなかったらしなくていいし、 お店に置きたくないものは置かなければいい。 それでも、 師がいなくては学問がなく、 選手がいなくてはスポーツにはならず、 お客さんがいなければお店もできない。 どんな事も両極端の物が存在する。 どっちかじゃなくて、その間のバランズが大切。 そして体も大切。 その日の担当様から ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 水曜日はミーティングです。 こんなおはなしでした。 ふんふん、なるほど。 会社の生活がよく現れています。 我が社には全く持って、~係というものが存在しない。 皆で営業だし、皆で制作、皆でイベント計画進行。 もちろん、ただボーッとしててもまとまる訳が無いので、 必ず何処かで皆がお互いに気を配っているのだと思います。
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