一足の靴 -8ページ目
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驚くこころ1

シャボン玉

シャボン玉の中へは
庭は入れません。

まはりをくるくる
まわっています。

J.コクトー

個人性とは

個人性とは
ひとりの人間の中の常住しているのではなく、
人と人との、
人と自然との、
人と都市との
出会いの瞬間瞬間に、
まるで結び目のようにして、
かたちづくられてくるものだ。

エゴよりずっと巨大な何かの力の場のなかに、
それは永続性のない結び目として、
たちあらわれてくるものだ。
結び目はいったん出来上がると、
ふたたび解かれ、
また別の結び目との出会いのなかに動き出していく。

中沢 新一

Interactive Artの可能性と矛盾 

人が何かに刺激されて生きているという事は、実は日常的なことであり、特別なことではない。Interactivityとは人が何かに刺激されて、それについて反応、行動をするということらしい。新しい可能性があるといわれているこのIntractive Artという物のコンセプトは、どうやら第三者に何かしらの選択を促し、「あなたがこの選択を行ったことにより、このような結果が出ました。」と、いかに一時一時の選択が大切なのかを強調させるということらしい。しかし、このように選択できる自由があるようにみせかけて、でも実は、その枠にはめられた選択しか出来ないという矛盾がある。そういった意味では、自由なんて存在しないし、すべての可能性なんてものもない。大体、Cause&Effectなんて未知の世界に等しい。すべてがこのなんちゃってmultiple choiceのように出来ていたら、今日の技術や哲学、文学はどうやって発展してきたのだろうか。完璧とまでにはいかない、でも割と現実に近い世界を創造するためにはどうしたら良いのだろう。これも推測に過ぎないのだが、そのバーチャル世界の中にある程度の社会を作る事だと思う。結局、一人のアーティストなり、独裁者なりが世界をコントロールするのには知識も情報も経験も足りない。多くの創造者が存在してこそ、第三者が気付かなかったものに直面できるのだし、色々な価値観があってこそ、新しい可能性が存在してくるのではないだろうか。そして、社会とは常にルールとテロリズムに直面しているのだろう。
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