一足の靴 -3ページ目

そしてまた別離

夜の通路

夜の通路は人間の心の中に開いています
夜が沢山の星を胸に満たして
春先の雨のふる夜の事をふと想い出し乍ら
静かに其処を通り過ぎる時
耐えられない程の憧れが涙と一緒に
其の人の心からあふれでるのです。


夜は思い続けます
いつか自分が胸に抱いて
静かに眠らせてやった老婆の事や
若い母親の事等を
すると其の人の心に嵐が吹き起こって
大きな別離への愛と憎悪に
ひざまづいて祈らなければならないのです




安部公房


答えの無い、くだらない問題

ある面接試験がありました。
面接試験は第三次面接まであり、第三次面接が通れば合格です。
一次面接は大きなグループで二次面接は小グループで、
そして三次面接はその日の夜ご飯招待面接でした。
ちょっとした、でも留学生には
なかなか手の届かないレストランに
ハイヤーで行き、其処で面接官は、今夜はもう無礼講だ、
「ぶっちあけ」話をしてくれといいました。
「正直、留学生活はどうだったか。」と。
「経費でおちるから、ま、スキなものを頼みなさい。」と。
(もちろん!)皆好きなものを頼み、
留学生活のアレコレを話し始めます。
そんな中に一人固く閉ざしたままの人がいました。
彼は「ぶっちあけ」ず、
メニューの中で一番安いものを食べます。
三次面接がおわり、結果が出ました。
内定を獲得した人はたった一人。
「ぶっちあけ」なかった彼一人でした。
この話の裏にあるものは何か?

a.どんな時も我を忘れず、誘惑されようと
常に自分は試されている意識をもって行動する事。

b.要求されている事を無視出来る、自我の強さ。

c.一次面接から自分の考えや仕事に対する思いを正直に話し、
自分に正直に行動し手いる事。

もし、私達が常に試されているものがあるとすれば、
それは情熱だとおもう。

めんどくさい

もう
「いたい」事と
「つまらない」事はごめんだ。

「めんどくさい」事は
やらなくてはいけない事が明確で、
しかも
やるから「めんどくさい」。


ごめん。
減らすようには努力するけど、言わせて。
ちゃんと、やるから。

ああ、めんどくさいったらっ!

ことば

言葉とは人間が共有し合える絶対的な道具だとおもっている。
だからこそ、私達はもっとお互いの意思を表現するべきだ。
それはもちろん、強制という形でなく、尊重という形で、
それぞれの価値観が違うのは当たり前で、だからこそ私達は
’群れ’て生きてるのだと思う。完璧な人間はいない。
皆、それぞれが地図のような物を持っていて、
その地図にはきっと
何処に落とし穴が仕掛けてあるのかが描いてあるだろう。
私がヒトと繋がろうとする時、
それは私が新しい地図を手に入れたい時。

落とし穴はワ-ニングで絶対ではないから、
落ちた方が新しい地図を手に入れられるだろう。
とりあえず、突っ立ってても手に入らない。

ヒトと繋がるか、穴に落ちるか。

フラットな人間関係は長くは持たない。とっても楽だけど。
飾りは最低限だけで、大切なのは中身。
髪型も洋服も哲学も数学もアートもビジネスもウワッツラが良いのは最低。
中身を表現する共通のものは、言葉以外に何がある?
本当に中身をブッチあけた時、理解出来なくても、
まだ其処にいて刺激し合って生きていける人達が、
本当の友達なのかもしれない。
中身を素直に言葉で表現しようと、尊重し合う事が原因で
’戦争’はおきないだろう。

嘘か本当か


嘘か本当かなんて自分できめればいい。

事実はひとつだけ。
嘘か本当かは個々さまざまなもの。
きっと信じている事は本当だし、信じられない事は嘘だ。
嘘なんて腐る程あるし、それで本当はどっち?なんて...
信じている方が本当だよ。

この世で一番退屈なもの。
噂。


信じているものにもっと自信を持つこと!

ひとりごと

もう一度返ってきたとき、もう彼の求むる影は
どこにも見えなかった

その時夜につつまれて
光は重い涙をはらって身を軽くした

彼は出発のまぎはに、
行先をその友に告げる事が出来ないのが
一番つらかった。
けれど一足一足、はっきり見分けがつくように
地面に足跡をつけて行った。
もしかしたら友がその後を追いついて来てくれるかもと
考えたので。

けれど一時間の後には雲の上でのように軽々と歩き始めた。
彼は友をそれ以上に愛していたので。

生きる事が芸術そのものであるように、
彼は生きようと決心した時に、
はかり知れぬ力が涙の内で輝いた。



安倍公房

芸術のひとりあるき

芸術は長し、人間は短しと言う。
なるほど人間は死ぬ。然し作品は残る。
この時間の長短は然し
人生と芸術の価値をはかる物差しとはならないものだ。
作家にとって大切なものは言うまでもなく自分の一生であり、
人生であって、作品ではなかった。
芸術などは作家の人生に於いてはたかが商品にすぎず、
又は遊びにすぎないもので、
そこに作者の多くの時間がかけられ心労苦苦吟が賭けられ、
時には作者の肉を削り取り命を奪う事があっても、
作者がそこに没頭し得る力になっているものは
それが作者の人生のオモチャであり、
他の何物よりも心を充たす遊びであったという外に何者があるか。

そして又、
それは「不正なる」取引によるただの金を得るための具であり、
女に惚れたり浮気をしたりするためのモトデを稼ぐ商品であった。

(略)
死んでしまえば人生は終わりなのだ。
自分が死んでも自分の子供は生きているし、
いつの時代にも常に人間は生きている。
然しそんな人間と、自分という人間は別な物だ。
自分という人間は、全くたった一人しかいない。
そして死んでしまえばなくなってしまう。
はっきり、それだけの人間なんだ。
だから芸術は長いものだって、自分の人生より長いものだって、
自分の人生から先の時間はこれはもう
ハッキリもう自分とは無縁なのだ。
ほかの人間も無縁だ。

坂口安吾

振り


僕が早熟を装ってみせたら、
人々は僕を、早熟だと噂した。

僕がなまけものの振りをしてみせたら、
人々は僕を、なまけものだと噂した。

僕が小説を書けない振りをしたら、
人々は僕を、書けないのだと噂した。

僕が嘘つきの振りをしたら、
人々は僕を、嘘つきだと噂した。

僕が金持ちの振りをしたら、
人々は僕を、金持ちだと噂した。

僕が冷淡を装っていたら、
人々は僕を、冷淡なやつだと噂した。

けれども、僕が本当に苦しくて、思わずうめいた時、
人々は僕を、苦しい振りを装っていると噂した。



「斜陽」 太宰 治

old_picture







ガサゴソと掃除をしていたら、へたくそなポラロイドが沢山出てきた。
私がポラロイド中毒になっていた時に、友達が撮ったのだろう。
おもしろい。掃除もするもんだね。

photo:sammy

エッセイ

今日は夏学期最後の日。
Essayを提出しておわり。
学生最後のEssayを出した。
(社会人でもESSAYってあるのかしら?)
ちょっと寂しい。
一人のヒトが学生時代に書くEssayって
全部で平均どれ位なんだろう?

これで最後の講義のクラスがおわった。
あとは、ひたすら、制作のみ。


さて、今日は打ち上げでもするか。。。
おつかれさま、私。