かわっていく家族像 | 一足の靴

かわっていく家族像

「東京タワー」の試写会にいきました。
リリー•フランキーさん原作の本を映画化したものです。
映画自体の善し悪しはよくわからないけど、
どこの家でも「家族の風景」って
とっても神聖なものだと思いました。

子どものころ、
私はよく親に「生意気」だと言われていました。
知ったような顔をするところとか、
一人が好きでよく部屋にこもっていたことが
多かったからかもしれません。

正直、家族の団らんがとっても嘘くさく、
無理をしている、静かに我慢しなくてはいけない、
とても居心地の悪い時間でした。
いつもより狭い空間にいなくてはいけない家族旅行も、
本当につまらなかった。
親も、「いい親にならなくてはいけない」プレッシャーを
感じながら教育していたのが、すごく感じとれた。
何か話をしなくてはいけないけれど、
何も話す事がなくて、だまっていることが多く、
大事にされている事も感じなかったし、
私も家族をどうでもいいと思っていた。
冗談でも、家族の話を友達になんてできなかった。
早く、大人になって、
「生意気」といわれない年になりたかった。

その家族像が少しずつかわったのは、
多分、大学受験を控えた高校生の時。
「面倒くさいから、(親の)好きなようにしていいよ。
別に私の事はどうでもいいでしょ?
興味ないくせにコントロールしようとしないでよ!」
と暴言を吐いたときに、母に、
「そんなこといわないでよ、私の大切な娘なんだから。」
と生まれて初めて言われた。
学校や受験や人間関係に疲れて、
結局、日本の大学進学を拒否したときも、
アメリカの大学進学を進めてくれたのは、父でした。
留学をして、生活面も
精神面も支えてくれたのは、結局、親でした。

どうでもいい家族像が大逆転したのは、
留学中に母が怪我をしたと
怪我をした2ヶ月後に教えてもらったときでした。
家族全員が外にいて、外の人が怪我をした母を
病院につれていってくれたそうです。
とっても、自分が情けなくなりました。

大学卒業して帰国してから、
本当に自然に親を信頼するし、
自然と仲良くなれるようになりました。
一人暮らしをしても、できるだけ、
家に帰るようになりました。
なにより、一緒に楽しく遊べるようになりました。

家族は本当に神聖で、
秘密が多くて、なかなか出す事が難しい。
そういう難しいことが、リリ-さんの
「東京タワー」に出ていて、人気なのも
きっと皆、自分家を重ねているのかもしれません。