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SAKURA SAKURA 2024

ようやく冬も終わりましたかねー。



ご近所。
気がつけば、いつの間にか風景が変わってきてます。
時が経つのは早いですね。





ほい。こちら。





たくさんの人で賑わっています。
みなさん、春を待っていたんですね。







↓こちらは某地方ですね。
こちらはまだ時期的にちょっと早かったですね。
雨が降っちゃいました。





↓こちらも某地方です。
いやー、良かったなー。みなさん、良い人で。
ファンになっちゃいました。











1日1日を大切に。

ぶらり ハチ形城

所要をこなす。
果たしてこんなことして、意味があるんだか、ないんだか。汗。
まー致し方ない。

ちょっと寄り道しよー。
(この時点で、もーすでに午後)
この時期は日没が早いんで、あまり時間がないが、
せっかくこちらまで来たのでね。





このタイプの自動改札機、どーしたらいいのかー、戸惑う。笑。
そのまま行こうと思えば、行けちゃいそーじゃないですかー。



飲まず食わずなので、何か食えるモノでも買おう・・・と思ったが、何も買わず。
(なにが食べたいのか自分でもわからなくなりまして・・・汗)
結局、本日もノーイート。
ワシはいつも、こーなっちゃう。笑。

それにしても、こちらの住宅街の住宅は、
こーして、歩きながら外観を拝見すると・・・思わず、なんでだか、笑っちゃうほど・・・デカイ! 笑。
いや~、きっと都内とは単位が違うんだろーなー。笑。
きっと1mは120cmくらいなんだろーなー。笑。



まずはこちらに寄ってみよー。
(イメージとしては、スーパーで何か食べるものを購入して、こちらで青空の元いただく予定でしたが・・・汗)

河原へ降りていく。



向こう岸に見える河岸段丘(ブラタモ風)の上に、
かつて、お城がございました。
ハチ形城ですねー。
元をただせば相当古いお城だが(15世紀?)、現在私たちが楽しめる城跡は戦国期末期(16世紀末)のお城ですね。
その意味では、このように川(こちらのお城でいえば荒川と深沢川)に挟まれた舌状大地の上というのは、戦国期末期のお城としてはわりと「ある」パターンですかね。
それまで城は山の中、山の上にあったんだが、
この時期(戦国期末期)になると、こういった平地に降りてきて、
政庁としての役目を効率的に果たすよーに、なったんですねー。

さー、
本日も、
行ってみましょー! 笑。
(ワクワクしてきた。いい歳なのに・・・笑)



こちらへ。



ほいほいほい。笑。
現在位置からすると、
実際は向こう側にある歴史館のある側が、
城としては「正面」側になる。
(正確には正面ではないが・・・歴史館自体はやや脇に逸れた位置)
本来はそちらから「攻め込み」たいのだが・・・本日は時間がないので、こちらから。
(反対側に回る時間的余裕がない)
舌状大地でいえば、先端側からになる。



もー、陽が傾き始めておるね。焦。
この時期は本当に日没が早いね。焦。



先ほどの角を曲がってすぐがこちらの曲輪になる。(笹曲輪というらしい)
こちらは「ワシの見立て」ですと、
おそらく台所ですな。(もしくは米蔵か)
(「ワシの見立て」・・・っつーことは、つまり、またまたワシの妄想説であり、なんら学術的根拠、考古学的知見に基づかない勝手な戯言ですので、その点ご了承くださいませ。汗笑)
つまり本日ワシは台所口からお邪魔しているワケですな。
「ちわー、イソノさん、三河屋ですー」ってカンジ。笑。
石組溝や井戸跡が発掘されているらしいのでね、そー思ったんだけど。
これから参りますが、殿様の館との位置関係などからもね。そー思います。汗。



こちらの武者走り(?)を、女中(?)さんたちがお料理が乗った御膳を持って歩くワケですね。



そのお届け先がココ。
「奥」ですな。
(くどいですが、本日は正面からは逆回りですので、いきなり「奥」なわけです汗)
ここが、おそらく殿様の私的スペースだったところですな。
奥方とこちらで暮らされていた。
・・・と申しても、二人っきり、っつー意味ではなく・・・お付きの人とかもいるだろーし、あとは側室の女性とかね・・・。
(子どもは別の場所でしょーね)

こちらの城主は北条氏邦っつー人ですね。
ちょっと一般的にはマイナーかなあ。
もともとこちらの地域の領主は代々藤田家。
国衆と呼ばれるジモピー。
北条は出自が関東でさえない、新参の外来者。
元々は都からやってきた「伊勢さん」ですねー。
それが、かつての「関東の王」である「北条」を名乗り、
小田原を本拠として関東一円をその配下に治めようとしていたんですねー。
(氏邦自身はその4世代目)

その過程で藤田家はその北条家に従属するということになり、
北条家から養子として氏邦が藤田家に入ったワケですね。
まー、従属する側を「殲滅」せず、
むしろその家の養子として北条が入るのだから、
日本の慣習って面白い。
(外国は知らん)
「藤田のふり」をして、この地域を治める、っつーね。汗。
・・・藤田家の面目は潰さす、北条が支配するという目的も達成するという、ね・・・
藤田としては「屈服・降参」したわけではない・・・っつー、言い訳ができるワケ汗。
後ちの「喧嘩両成敗」的、双方ともに「折れ合う」というか汗・・・1/0ではない考え方・・・汗。
まー、その藤田に今まで従っていた人(家臣・郎党・民衆?)たちも「別に今までも藤田だし、これから藤田」だから、なんら「変わりなく」(代替りしただけで)今まで通りです、って話になるワケですな。
このあたりも今の日本の国民性・メンタリティーに通ずるものがあって、面白いよね。汗。
(「よくわからんが、今まで通りに暮らせるなら、それで結構です」「細かいことはどーでもよいです」的な・・・)
ま、今で言えば企業でも、
買収された側の企業の取締役に、買収した側から取締役がやってくる、っつーのがあるよね。従業員にとっては、毎月給与がちゃんと出れば、どっちでも構わない・・・みたいな。汗。
なので、本来は「藤田氏邦」なのだが、そこはパワー関係なのか、いつの間にか「北条氏邦」ということになっている。

・・・
まあ、いい。

ちなみに奥様の名前は大福さんです。
面白い・・・いや、良い名前ですね。マジで。笑。
最終的には、大きな歴史のうねりの中で悲劇的最期を迎えられたのだが・・・。涙。



そこからの眺め。
先ほどはあちら側(河原)からこちらを見ましたね。



曲輪が分割されていて、
向こうが「表」でしょーね。
政務をとる所ですな。



殿様はここを渡って、「表」と「奥」を行き来したんですね。
(何か橋が架かっていたんでしょー)
(建物が連結していたカ??)



ここは広いですな。
「伝本御殿曲輪跡」・・・「伝」とついているが(=定かではない、という意味ですね)、なにか発掘調査などはされているんでしょーか?
それなりに広い御殿が建っていたと思われますね。



ドドーン!



ドワーン!
土塁が素晴らしいですな!



こちらはその「表」の下段になる。
(伝御殿下曲輪)
下から「表」=本御殿を見上げたところ。

もともとの古いハチ形城は、おそらく「砦」程度の規模だったであろうと考えられるね。
ここまで辺りの本郭部分が古い「ハチ形砦」だったのかも。
(ワシ説ね汗)
氏邦時代になって政庁(この地域のより広域な邑都)になるっつーことで、大規模な改造がおこなわれた思われる。
かなりの掘削、削平工事がなされたんじゃないでしょーか。
(その意味では、以前と以後では別の城と言っても良いんじゃないのカモ?)

この曲輪は大規模城郭になってからは、
武者溜まり的スペースだったんかなあー。



二の丸の方へ行ってみます。
現在は道路によって、分断されてますねー。



ジンジャーがございます。



こちらのスペースもかなり広い。
天正年間になって、上方から豊臣軍の来襲が予期される中で、ここも武者溜りとして拡張されたスペースなのかも知れない。
そこにジンジャーがあり、大掛かりな戦勝祈願などの神事を行うことができたんでしょーなー。
(おっと、繰り返しますが、妄想説ですよ)
各地のお城にはかなりの確率でこーいったジンジャーとか、持仏堂とかがあるんですね。(ほぼある?)





堀(空堀?)
あちらが三の丸になる。



畝堀? 障子堀? になっていた?
やはり北条系のお城である山中城のそれが有名だが、こちらのお城にもあるよーですね。
(これはやがて上方にも「逆輸入」された)



右側が二の丸と三の丸の間にある馬出(?)だという曲輪。
(パンフにそー書いてある)



櫓門か何かがあったんかなー。



イメージを膨らますと、こんなカンジかなあ。
(おそらく橋は、現代の観光用であって、当時はンなのは、なかったと思われる)



こちらが三の丸。
伝秩父曲輪と呼ばれている。
庭園や池などがあり、
(色をつけておきました)
ある意味、外来客をもてなす迎賓館的な、
あるいは、領主が楽しむ行楽地的な場所だったんかな、と思われる。(妄想説ですよ)
ある意味、箱庭的な理想郷を作り出すことによって、
領民の安寧と領地の発展を願った、と申しますかね。汗。
その行為がどうして、領民や領地のためになるんだ? と糾されれば、説明は長くなってしまうので割愛いたしますが・・・。汗、
領主のだたの道楽じゃねーのか? ってね。汗汗。
後ちの(江戸時代)大名庭園とかも、同じ「思想」なんでしょー・・・が、
まあ、いい・・・。



石垣・・・ではなく、石積、というらしいです。
石垣の技術とは違うため、そう区別しているよーだ。
お城と言うと、天守閣や石垣をまずは思い浮かべる方も多いのではと思いますが、
実は東日本、関東のお城はほとんどが土。土塁ですね。
(土で成っている=城ですねー)
(「いわゆる天守閣」っつーのも、徳川が入国するまでは・・・関東にはかったんじゃないかなー・・・うろ覚え汗)
なので、関東(北条)には石垣を高く積み上げる技術はなかったよーです。
あっても、ご覧のように↑低い、そして高さを出すためにはこのように段状にしなくてはいけない、っつーね。
信長が小牧山ですでにやっていた、という意味では上方と20年くらいの技術的開きがあった、ってことになるね。汗。
それでも、
じゃー、なぜ、ここにあるのか? と言えば、
まさに客に見せるためなんでしょーね・・・。
「どう? 石をキレイに積み上げちゃっているんだけど、スゴイでしょー、オレ」って。汗笑。
「石を並べてキレイでしょ?」ってカンジかなー。
現代で言えば、キレイにタイルを並べたりしますよね? あんなカンジでしょーか? タイルで化粧するのと同じっつーか。
(おそらく、ここに招かれるのは近隣の国衆や土豪などで、上方の高石垣のことはご存知なかったのかもねー汗)

ただし、その後このスペースは削平されてしまったよーで、詳細なことはわからないよーです。
豊臣軍の来襲時に(?)畑にしてしまった(?)のかなー?? 食料確保のためにね(?)
(妄想説です)



四脚門の再現。



門前には馬場? のよーなスペース?
先ほどの伝秩父曲輪が想像通りであるとするならば、
室町様式的な空間がこちらの曲輪にあったのかな(?)汗。
客をこのスペースに連れてきて、
「私の家は都の武士のように、格調高いのですよー。決して田舎侍ではありません」
と、自慢(?)主張(?)誇示(?)できる、っつー。汗。
(妄想説です)
社長になったら、ベンツに乗って、ゴルフして、元読モの秘書を侍らして・・・んなカンジ??汗汗。
(妄想説です)



こちらへ行くと。



こちらにもジンジャーがありますね。
そのまま曲輪になっていたよーで、
これも過去に何回か申し上げてきましたが、寺社はそのまま軍事拠点になるんすねー。
んま、平時には、
外来客はこのルートで迎賓館たる先程の三の丸(伝秩父曲輪)へ招かれるわけで、
その途上で
こちらの立派なジンジャーを見せつける、っつー意味もあったのかも知れませんね。
見せつけつつ~の~からの~→先ほどの三の丸の庭園! みたいな。汗笑。
で、戦時には、
ここが一つの防衛拠点にもなる。っつー。



やっとこ、
正面にやってきました。
王手です。
往時の姿を妄想します。↑笑。
こちらは伝逸見曲輪とされています。
逸見とは人名ですね。
(先程の秩父も人名のよーです。曲輪は守備していた人の名前で呼ばれることも多いよーです)
正面門の守備を任されるというのは、勇猛だったのでしょーね。
また忠実でもあったんでしょー。
親衛隊長、っつーカンジですかね。
豊臣期江戸城でいえば、半蔵門(=服部半蔵)ですな。
※半蔵門は豊臣大名時代の徳川江戸城の正面だったんじゃないでしょーか?(ワシ説=妄想ですな汗)

↑真っ直ぐ突き進めば本丸に達しそうに見えますが、
到達するためには画面向かって左の先程の三の丸方向へ進まなくてなりません。
間違って画面右側に行ったら、行き止まりです。
(まーここで、場内を知らない敵は右と左に別れるから、ある意味半減できるわけですな)
そこを突破しても、二の丸、本殿下の曲輪と何重にもゲートが設けられていることになりますね。
厳重ですね。



こちらには弁天社。(弁天島??)
こんなカンジだったのカナ。笑。
(橋を渡ってお参りできる)
(ワシ説=妄想です汗)

ある意味、
「北条」という家名=三つ鱗(家紋)=そして弁財天? はセットなんでしょー。(??)



馬出とされてます。
馬出とは、ある意味機動的な出撃口。
正面門に敵を引きつけておいて、脇にあるこちらから出撃した兵(騎馬武者?)が横腹を突く、っつーね。
この出し入れは指揮官の腕の見せ所でしょ。
後年ね、
大坂冬の陣で、真田信繁(幸村)が有名になるけど、
あの真田丸での活躍は、こうした北関東~甲斐・信州~越後の武士ふたちのレベルの高さがあったんだろーなー。





ぐぐっと、曲輪を降りていく。
この高低差が土塁の高さですね。
往時は川幅もこんなもんじゃ、なかったでしょーね。
(↑の赤←→くらい・・・以上はあったでしょーか?)



曲輪の前を深沢川が流れる。
現代ではチョロチョロですね。
往時はお堀の役割を果たしていたんでしょー。



外曲輪へ。



ここに歴史館があり、
本来はこちらから先程の本丸(表、奥)に向かって歩かれるのが良いのではないでしょーか。
広い駐車場もこちらにあります。
歴史館は時間がないため、泣く泣くスルー。
ワシはローカルの歴史館も大好きなんだが・・・汗。
・・・入館しようか、どーしよーか、もたもたしていると、
どこぞからいらしたらしい、若い兄ちゃんと、ちょっと話す。
お城好き? 歴史好き? のよーだ。
(話したカンジだと「まだまだの腕前」にお見受けしたが・・・笑。上から目線汗)
・・・昔の自分を思い出すなー・・・笑笑。
・・・同じ匂いがする。笑笑。
同じ人種ですな。笑。
キミの将来大丈夫かなー。心配です笑。
(余計なお世話ですね笑)
もっと突っ込んで話すべきか、戸惑ったがほどほどにしておいた。笑笑。(上から目線汗)
またいつか、どこかで! 笑。(?)

ちょっとした邂逅・・・。
不思議なものです。
別々な時間をこれまでずっと過ごしてきた、これからもずっと過ごしていくアカの他人が、
今日、ここで、ピンポイントでクロスするなんて・・・。
日本のどこかで朝起きて、顔を洗って、歯を磨いて、電車に乗って、あるいは車に乗って・・・
・・・「たまたま」・・・ここで一緒になった。
偶然だけなんですね、人生なんて・・・。笑。
ものすごーーーい確率だな・・・
全ての出会いに感謝しなくてはね・・・。

さて、
外曲輪をぐるっと回って、帰りましょう。
もうだいぶ暗くなってきて。



パンフによるとこちらにも馬出があるらしいが・・・
ちょっと、どこなのかわからんかったな。

しばらく歩いているとこのような・・・



鉢形城祭十五周年記念碑。
石柱に名前が刻まれているが・・・



な、な、なんと!
先ほどの伝逸見曲輪のご子孫らしき方のお名前が・・・!!
他にも錚々たるメンバーのお名前がある・・・!!
大福御前のご実家だとするお名前も!
なんとも・・・まさに歴史ってのは現代に繋がっているんですね~。
「たまたま」を「たまたま」が紡いで、今日につながっている・・・
ある人は抗い、ある人は翻弄され、ある人は流され、
ある人は自分が勝者だと信じ、
ある人は自分の価値に気付かず・・・
「たまたま」そうなった日々を過ごし、
今日につないできた・・・
感慨深いものですな・・・。

歴史のうねりの中で・・・北条にのみこまれ、北条は豊臣に、そして豊臣もやがて徳川に・・・
しかし、今も石となってここに佇む一族・・・。
・・・まー・・・
地方の方は、
「あそこの家は元家老で~~」云々とか、
「うちは武士じゃなかったからね~~」云々などと、
それ故、面倒くさいこともあるんでしょーけど・・・
もー、さすがに令和の現代には、そんなこともないですかねー?? 汗。



長久院跡とされる方にも足を伸ばす。
位置的にはグルッと回って、最初の「台所」の曲輪(笹曲輪)の下段になります。
つまりこちらの先端にも防御施設として寺院があることになりますね。
平時は位置的に殿様の生活の何かしらの機能を果たしていたのかも知れません。
(居間? 坊さんもいたと思うので、いろいろと治政について相談していたとか?)
坂を下りきると、河原に降りれるよーでした。
(そこまでは行きませんでした)
目の前が川なので、ここは平時には物資の搬入口の役割も果たしていたのかもしれない。台所口ってやつですね。
(妄想説です)



これでほぼ一周したカンジかな。
時間的にもギリギリですかね。
短い時間だったけど、
久々、
楽しめたなー。

That Day Doesn’t Exist Anywhere ToDay

久しぶりに革靴なんて、履いたのさ。笑。
(↓安物を晒すのは恥ずかしいのですが・・・汗)



10年ぶり?
・・・いや、も、もっとか・・・汗汗。
結局リーマンにはなれんかったなー笑。
(スーツを着るのもそれぐらいぶりなんだろー・・・こうして画像で見ると、やはり生地が痛んでいるなー汗)

実際、人のライフコースモデルを考えると、
リーマンというのは、悪くないシステムだと思うよ。
(・・・だった・・・と、過去形で語るべきですかね? 令和の現代では・・・汗。昭和の遺物としてね汗)
本来の構造設計としてはね、という意味ですけど・・・汗。
んまー、
みなさん(特に今の若いみなさんは・・・)、
よってたかって否定するでしょーけどね。汗。
んまー、
そのシステムを担保するアレがなかったからね汗。
実態は全く名目通りではないのでね、
「本来の~~」と言っても意味がないんだろーけど。汗。
雇う方もアレだけど、
雇われる方すらね、
そのシステムに則っろーとしなかったからね・・・。汗。
労使ともに、システムというルールではなく
「情念」(とても言いましょーか・・・)でガシガシやってきたのが日本のリーマン社会。(外国は知らん)
(そんな「統一された情念」も現代では消失し、ミッションとか、パーパスとか、よくわからんカタカナでなんとかしよーとしているけど、それも上手くいっとらんね・・・)
・・・

・・・ん、ん、んまーあ汗、
・・・まあ、いい。
社会不適合格者がなにを言っているんや。笑。
何の話じゃょ・・・笑笑。
失礼しました。汗汗。

まあ、ワシも
リーマンになろーと思ったのが間違いだったし、
リーマンを続けたいと思っていたのも大間違い。笑。
社会不適合格者なのにね。笑。
この性格で、よーゆーわー。汗汗。
そもそも間違っとったわー。汗汗。
哀しいねえ・・・汗笑。
挙句、 寝首を搔かれて・・・ね。
昔、張飛の最期はちょっとなー、なんて思っていたのにナ! 笑。
ワシが寝首掻かれたわー笑。



↑この人ね。笑。
(ワシの中で張飛はこの顔。笑)

この10年のツケをどうすればいいのだろう。
自分のことは自業自得でアレなんだが・・・
周りの人に対してね・・・どうにも申し訳が立たん。
負債を背負わせてしまったんだね・・・。
ツケを払うローンを組めればよいのだが、
ジジーにはそれすら許されない。
それを支払っていく時間がない、っつーことらしい。笑。
残り時間がない=明日がない、っつー、なんともね。汗。
ジジーは「明日の計画」っつーのは立てられませんよ、ってことだね。汗。
んで、
どーにもならなくて、だいたい
自暴自棄と一発逆転の妄念がないまぜになって、
ヤバイのに手を出し・・・そして破綻するのがパターンなわけで・・・笑。
どうしたもんかな・・・笑。

それにしても、
革靴は足が痛いなー。笑。
スーツもフガフガするしな。笑。

あの日はどこにも今日存在しない。
それが良かった日だろうが・・・そう・・・そして悪かった日もね。
時は流れとる・・・。

ぶらり ジャー窪~オー森

本日はこちらへ。



住宅街の中の
こちらのジンジャーでーす。



こちらの住宅街は
なんと・・・「スネークタウン」(!)笑。
(↑見づらいと思いますが、懸垂幕にそー書いてあります笑)



このようなお触れ書きも。
へー。
「白蛇伝説」云々はともかく・・・
まー、おそらく、
昔・・・昔って、この場合は中世以前、それこそ古代~中世・・・の時代に・・・
おそらく、この辺りは河川(大きな河ってより、小さな、まさに小川級)が入り乱れていて、
ちょっとまとまった雨が降ると、
水が溢れ、
水害にあってきたのでしょーねー。

白蛇・・・まあ、竜ですな。
氾濫する・暴れる川の様子、あるいは大地から噴き出す鉄砲水の姿が竜であり、白蛇だったんでしょー。
白蛇はわりと縁起が「良い」とされるのは・・・金運や開運、商売繁盛・・・つまり、水害の分、その「実り」も享受してきたからこそ、なんでしょーね。きっと。
川が暴れると→肥沃な土地になる→実る、っつーね。
現代の人に水害にあって「良かったね」なんて、口が裂けても言えませんが(現代では水害による「実益」なんて、とーていナイからね)
古代の人にとっては・・・むしろ吉祥??
それを知っていたんだね。
だからこそ、祀る。そーいうことなんでしょー。

もしかしたら、古代の人には「水害」という概念はなかったかもね??
そりゃー、なんでもそーだが、度が過ぎたらね、困るんだろーけど、
ほどほどにね、
暴れてほしいっつーか、
「白蛇」が現れてほしい、っつーかね。汗。
だからこそ、祀る。そーいうことなんでしょー。

(あ、なんら学術的根拠、証拠のある話ではないです。汗。ただのワシの妄想話ですから、妄想。あまり真にウケないでください。悪しからず。笑汗)

こちらのジンジャーの近くにも、
現在、立合道路っつーのが走っていて、
その地下に立合川が暗渠にされて現在も流れていますね。
だから、ここにジンジャーがあるっつーね。

その意味で、
この地域の歴史は古い。
まさに古代から人が集住し続けてきた地域。
ここから、もーちょい海岸付近に行けば、古代遺跡であるオー森貝塚っつーのもあるし、
中世でいえば、
源氏関係の逸話・・・源氏たって、頼朝以前の古い源氏の逸話があったりもする・・・そーいうのが遺っていたりするもんね。



こちらは現在の品川の水没ハザードマップ。
周辺が水没エリアになっている。
※矢印がジンジャーの位置
※クリーム色やサクラ色の部分が水没するだろう地域

これを参考にワシの妄想地図を反映させてみると、



古代~中世はこんなカンジなんかなー。
※水色の部分が河川・海
なーんて。汗笑。



建て替えられたばかりなのかな?
わりと新しくてキレイな建物が多い。
ぶっちゃっけ、思ってたより、
現代でも立派に運営が機能されているジンジャーさんでした。



手水舎



ジンジャーの手を洗うところに、
このよーな竜があることが多いでしょ?
水と竜・・・そーいうワケなんですね。
それにしても、こーいった所も、
オサレにされているジンジャー様ですね。



浄財。
やましい気持ちもスッキリ(?)
売り上げるって、大変ですもんね。
どんな手段でも稼がな、いかんもんね。
どんな手を使ってでも、ね・・・売り上げたほうが勝ち。汗。
弱肉強食って奴ですね。汗。
商売敵きはギタンギタンにしないと、足元をすくわれる、って(?)
ムサシも言ってました。敵は徹底的にやっつけろ、って。コエ~汗。
・・・そーすると・・・
やはり人としての心が傷むこともあるのでしょう(?)
そんな時はこちらへ!(はへ?)
浄めます!(はふ?)



「撫で白蛇」
願い事を唱えながら撫でると叶えてくれるらしーですが・・・ワシもお願いしよーかなー。笑。
(ワシは基本、むやみに神様には触らないことにしております・・・触らぬ神に・・・って、そー言いますでしょ?)



夢己
むちゃくちゃ縁起(金運)が良くなるらしい、っつーことらしいです。







近くの公園へ。



ハトさんたちが井戸端会議中です。
あー、でもない。
こー、でもない。
笑。


オー森貝塚遺跡に足をのばしてみましょー。





古代ではこちらは何かの河川の河口付近だったんでしょー。
ここが河口? と、思われるかもしれませんが、
わりと近代まで、こちらのすぐ横が東京湾でした。
JRのあたりが海岸線ですかねー。
近くに滝オー子という地域名も残っているしー。
(滝・・・川が流れていたっぽい地名でしょ?)
滝オー子稲荷神社、っつーのもあるよーですね。
行ったことはないので、そのうち是非行ってみよー。汗笑。
祠やフジ塚が遺っているみたいだ。
あ、池まである!
行ってみよー。ムフフ。
地形も気になるし。ムフフ。

オー森は、
こーした河川の「実り」と、
海の「幸」に囲まれた古代の大きなムラ(古代の大都市??)だったんでしょーねー。
特に海側は断崖絶壁だったよーで、
それが塩害からムラを護ってくれたんでしょーね。
で、海が荒れていない日は、その断崖絶壁を降りて行って、漁に出かける。
で(近いから)すぐに新鮮な「幸」をいただける。
っつー、利便性の良さね。
現代の大田区の住宅街は、
まー、深い森だっただろうから、
そちらからもね、いろいろ恩恵もあるだろーし。
人が集住・定住する条件は揃っていたんでしょーねー。

(あ、なんら学術的根拠、証拠のある話ではないです。汗。ただのワシの妄想話ですから、妄想。悪しからず。笑汗)



ラストはその貝塚からほど近い所にある歴史館へ。





そちらのお庭です。

Shut Up and Dance

上がる↑↑↑ 笑、
と、言えば、こちらの曲ですかね!



「Talking Is Hard」(2014年:album)

え? 2014年?
最近の曲のつもりで取り上げたんだけど・・・汗、
2014年ったら、
もー約10年前じゃないですかー汗汗。
お、お、おかしい・・・
時の進み方が・・・
時間の速度が・・・おかしい・・・汗。
・・・
もーすでにアルツなのか、ワシは・・・汗汗。


Ooh-ooh, ・・・のところ↓、
どういう文脈で捉えるか、悩みました。笑。


おっと、
あえてふり返ったりしないで。
ただボクの目を見ていればいいだ。
「ずっとそうしていてね」と言ったら、
「黙って踊りなさい」と言った。
この女性こそ運命さ。
「バカ言ってないで、黙って踊りなさい」と彼女は言った。

ボクたちは夜の生贄。
化学的な、物質的な無力化ポイント。
重低音のビートと消えていく灯りにはどうしようもないのさ。
そう、
ボクたちはお互いに運命だったのさ。
お互いの運命だったんだ。

彼女はボクの腕をつかんで、
なんでこうなったのかわからない、
フロアで彼女が言った。

おっと、
あえてふり返ったりしないで。
ただボクの目を見ていればいいだ。
「ずっとそうしていてね」と言ったら、
「黙って踊りなさい」と言った。
この女性こそ運命さ。
「バカ言ってないで、黙って踊りなさい」と彼女は言った。

ドレス姿とズダボロのスニーカ。
ディスコ版ジュリエット。10代の頃からの夢だった。
彼女を見つめていると、ボクの胸は高鳴る。
ボクたちはお互いに運命だったと、ボクは知っていたよ。
お互いの運命だったんだ。

彼女はボクの腕をつかんで、
なんでこうなったのかわからない、
フロアで彼女が言った。

おっと、
あえてふり返ったりしないで。
ただボクの目を見ていればいいだ。
「ずっとそうしていてね」と言ったら、
「黙って踊りなさい」と言った。
この女性こそ運命さ。
「バカ言ってないで、黙って踊りなさい」と彼女は言った。

さあ! 踊ろう!

彼女の瞳の奥に、
ボクは将来を見たような気がした。
最大のチャンスが巡ってきたんだ。
彼女はボクの腕をつかんで、
なんでこうなったのかわからない、
フロアで彼女が言った。

おっと、
あえてふり返ったりしないで。
ただボクの目を見ていればいいだ。
「ずっとそうしていてね」と言ったら、
「黙って踊りなさい」と言った。
この女性こそ運命さ。
「バカ言ってないで、黙って踊りなさい!」と彼女は言った。

おっと、
あえてふり返ったりしないで。
ただボクの目を見ていればいいだ。
「ずっとそうしていてね」と言ったら、
「黙って踊りなさい」と言った。
この女性こそ運命さ。
「バカ言ってないで、黙って踊りなさい」と言った。

「バカ言ってないで、黙って踊りなさい!」
「バカ言ってないで、黙って踊りなさい!」


ダンスする若者を見た。
躍動する肉体、
弾ける若さに、
初めて魅力みたいなのを感じた。汗。

溢れるバイタル・・・
こちら側が歳をとった証拠なんだな、きっと・・・ort
人は自分にないモノに魅力を感じる。
(もしくは嫉妬をする場合もあるんだけどね・・・汗)

嘆いていても仕方ない。
上げいきましょう。ね。
・・・さあ、上げていくしかないでしょー。笑。

Do You Believe In Love

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズであまりにも有名になったヒューイ・ルイス。
こちらは出世作となった多分・・・たしか最初のヒット曲ですね。



「Picture This」(1982年:album)

なーんか「80年代のアメリカ」・・・力強いヴォーカルとビート、そして美しいコーラス・・・感じさせてくれます。
ま、そう思うのは後ちの「Power Of Love」で彼らが80年代のアメリカン・ポップスの顔となったからなのか・・・その意味では「ニワトリと卵」なんですけどね。

・・・と言っても、汗、
実はこの曲の作曲クレジットは・・・あの! ・・・ロバート・ジョン・マット・ランジ!(Robert John "Mutt" Lange)
んー、またこのオッサンかー! 笑。
・・・と、言ってもこの頃はまだオッサンじゃないね。汗笑。
(計算上は34歳になるかな、汗)



(↑若そーなのを拝借してまいりました。1982年の彼かはわかりません汗笑)

実は、実は、
この曲はオリジナルがあるそーなんです。
当時のワシ(ワシだって、まだまだボーイだったね笑)は、
そんなことは全く知らず、むしろ「とてもヒューイらしい曲だ」なんて、思ってました。恥笑。
現代はオリジナルの方も、ググればすぐに出てきます。
(ちょっとタイトルは違う)
・・・なんでもすぐ聴けちゃう。現代は恐ろしい時代ですな汗
昔は、そーとなれば、レコード屋を回って、オリジナル(など)を探して歩く、それに数週間から数年かかる・・・なーんて時代だったが・・・ま、それが大変でもあり、楽しい時代でもあったのかな・・・おっと、また昔話かよ! 汗笑。

えーっと、なんの話でしたっけ・・・汗。
そうそう、オリジナルの方ね。汗。
「80年代のアメリカ」を感じさせてくれます、なーんて、先述したけど、こちらを聞くと、やっぱり「70年代的な」「ビートニクな?」カンジもしますね。汗汗笑。
ロバート・ジョンが、70年代後期にすでに提供していた曲みたいですね。ヒットに至らなかったみたいだけど。
んまー、
レコード会社(マネージメント)が、
ちゃーんと、こういう「良い曲」というのを知っていて、
またヒューイという「良い才能」を判っていて、
なんとか「世に出したい」という「使命」(今で言うミッションだね)のもと、
この「良い曲」+「良い才能」した(結びつけた)、っつーね。
後ち~現代のように、青田買いして切り捨てていく・・・っつーのではなく、
ちゃんと「才能を育成」するという機能を果たしていた時代だったんだね。
80年代初頭は、意外とこのパターンはあるんです。
(うっかりすると見逃しているんだけど・・・)
ちょっと前に某アーティストが使っていたけど、
ヒットにならず、
曲だけ生き残って(アーティスト自体はどっかえ消えちゃって汗)、
次の、別の新人のデビューアルバムでシレッと使っている、みたいなパターンね。

・・・おっと、また昔話かよ! 汗笑。
どーしても「昔は良かった」みたいなニュアンスになっちゃうからね、気をつけないと・・・。
んまー、
今はその分ね、
学校(スクール? 専門学校?)みたいなのがたくさんあって、
そこでそれなりの知識と技術を得て出てくるわけだから・・・
んまー、それはそれでかなり画一化・均一化かされちゃっうんだけど・・・
・・・
・・・おっと、だから、そーいう話はやめときなさい、って汗汗笑。

・・・まあ、いい。汗。

だもんで、
実はこの頃のHUEY LEWIS&THE NEWSも、
今聴いてみると、試行錯誤している跡はなんとなく感じれますが・・・
んまー、それが当時のヒット・チャートだったとも言えますけどね。
いろいろな毛色の曲がドーンとチャートに詰まっていて、チャートを追っかけていくだけでも、それなりに楽しかった・・・っつーかね。

・・・おっと、また昔話かよ! 汗笑。
だから、そーいう話はやめときなさい、って汗汗笑。


ある通りを何度も歩いていた。
誰かさんに出会えないかな、と探していた。
誰かさんも、イイ男を探していたんだよね。

この気持ち、間違ってないって願うよ。
もし今夜がキミがいてくれたならな、と思うよ。
そう、だからボクはやってきた。
(寂しいのは嫌なんだ、キミもそう言ってくれよ)
ただキミを愛したい、それだけなんだ。

キミは愛を信じるかい?
キミは本当の愛を信じるかい?
キミは愛を信じるかい?
そう、キミがボクを信じさせてくれたんだ。

今、その感覚が育ち始めているよ。
その意味はキミだけが知っているよね。
もし信じてくれるのなら、
ボクの手を取って、胸に当ててくれよ。
さあ!

本当の愛って、どこから始まるモノなんだろうね。
(なんだろうね)
ボクはすっかりキミの影響下にはまっていく。
(はまっちゃうね)
愛しい女性よ
(寂しいのは嫌なんだ、キミもそう言ってくれよ)
ただキミを愛したい、それだけなんだ。

(キミは愛を信じるかい?)
キミは愛を信じるかい?
(キミは本当の愛を信じるかい?)
キミは本当の愛を信じるの?
(キミは愛を信じるかい?)
キミは愛を信じるかい?
そう、キミがボクを信じさせてくれたんだ。

(キミは写真の中の人だった)
嬉しいことにそれが変わったんだ。
(でも今はキミがいる、きっとずっとね)
キミは愛を信じるかい?

(キミは愛を信じるかい?)
(キミは本当の愛を信じるかい?)
サイコーだ! サイコーだよ!
(キミは愛を信じるかい?)
そう、キミがボクを信じさせてくれたんだ。

キミは愛を信じるかい?
キミは本当の愛を信じるかい?
キミは愛を信じるかい?
ボクも愛を信じるよ


いいね!
上がってきます!

Downtown

ちょっと古い曲ですが・・・
ペトゥラ・クラークのこの曲。
その世代の人には有名ですかね。笑。
っつーか、ネット世代の人には時代が違いすぎてアレですか・・・汗。



「Downtown」(1964年:single)

↑オリジナルリリースはイギリスで1964年だと思うのですが、
こちらのジャケットはアメリカ盤かも知れません・・・となると1965年のモノかも・・・汗。


一人っきりで、人生が寂しい時は、
いつでも、街に出かけることができるわよ。
心配事や、様々な雑事に急かせれている時に、
助けになりそうよ。
でしょ、この街は。

街に行き交う車の音を音楽にして聴いて、
歩道の上のかわいいネオンサインの所に佇むの。
どう? 楽になったでしょ?
そこのライトはずっと輝いているわ。
心配事なんて全部忘れられるわよ、気になることだって忘れなさいよ。

さあ、街に行きましょう。
街に行けばスゴイことになるわよ。
確かにこの街ほど素晴らしいところはないわ
いろいろなことがあなたを待っているわよ。

街では映画もやっているから、
問題の虜のままで、ぶらぶらしないでね。
もしかしたら、あなたもちょっとした良い場所しっているかもね。
この街は決して拒んだりしないわ。

素敵なボサノヴァのリズムが聞こえてきたわ。
夜が更ける頃にはあなたも踊っちゃうでしょう。
また幸せになっちゃいましょうよ。
そこのライトはずっと輝いているわ。
心配事なんて全部忘れられるわよ、気になることだって忘れなさいよ。

さあ、街に行きましょう。
この街はすべてが光輝いているわ。
今夜、街であなたを待っているわよ。
この街なら、きっと大丈夫よ。


この街ならね。
この街ならね。

そして、あなたを助け、理解してくれるような誰かに出逢っちゃうかも。
その人もあなたのように優しい手を必要としているの。
一緒に導いてあげて。
うん、きっと、
そこで会えるわ。
誰でも心配事なんて全部忘れられるわよ、気になることだって忘れられるわ。

さあ、街に行きましょう。
街に行けばスゴイことになるわよ。
さあもたもたしないで。
この街では、あなたをいろいろなことが待っているわ。

この街で。
この街で。
この街で。
この街で。


やはり名曲は時代を超えて数々のアーティストにカバーされてきまてますね。
その中で、
ワシ的に秀逸はやはり・・・



「Christmas Blues」(1989年:EP)

ホリーのデビューアルバムに先駆けてレコーディングされたEP。
クリスマスEPとなっています。
・・・ん? よく考えると、この曲はクリスマスソングではないんだけど・・・汗笑。

まあ、いい・・・。汗笑。

ただ、ホリー版の場合、
3ヴァース目のブリッジの歌詞が省かれている。
And you may find somebody kind to help and understand youのところね。
どうしてなんだろう?
フェミニストっぽく伝えらているホリーだから(本当のところは知りませんが・・・汗)、
そんな「助けてくれる」男なんて、いらねー、ってことなんでしょうか・・・汗。
それとも、
そんなに簡単に出会っちゃう程、甘かねーぞ、ということなんでしょーか??
カバーしておきながら、ここの歌詞はあまり気に入ってないみたいですね。汗。

まあ、いい・・・。汗笑。

ん、ん、んまー、
たしかにホリーの言うように、
街に出れば、そんな簡単に「理解して」「助けて」くれる人に出会えるわけねーだろ、って・・・まあ、それは現実かも知れんし、
一方で、
原曲通り、
Who(He) is just like you and needs a gentle hand・・・誰だって「助け」や「理解」を必要としているもんだよねー、っつーのも、
反面、世の中の真実かも知れんしね・・・。
世の中の明と暗・・・どっちを描くか? っつーことなんだが・・・。

お気楽なポップスの中に、こーいった、ちょっとしたエッセンスを忍ばせることができる。プロですなー。笑。
ライターはトニー・ハッチというイギリス人のプロデューサー。



スーツがとってもオシャレですね。
こんな着こなしをできる人、現代ではおらんなー。
50S、60Sの、この・・・なんっつーんだろ、
選択肢の豊かさ、っつーか、自由さ、っつーかなんつーか、
憧れるところです。
最近ね、古い映像(8ミリだが16ミリが元になっている動画?)とかを見る機会があったんだけど、
ホント、街ゆく人がオシャレなんですよ。
(あくまでも着ているモノの話ね)
多様なんですよねー。
現代は、多様性がなんちゃらとか言いながら、
ホント、ある意味みんな同じカッコしとるもんね・・・。画一的。
なんで、こーなった??
ユニクロもともかく、
ブランドさんだって、なーんか、みんな同じ・・・色も、着こなしも・・・。
ネットの普及がね、
多様性どころか、むしろある意味「こーあるべき姿」を「推奨」してくる。
面接にくる人、入社式の姿・・・まさに鋳型で量産されたかのような・・・おっと、汗、また言い過ぎちゃう・・・汗。
慎め、慎め。

まあ、いい・・・。汗笑。

話が逸れた。汗汗。

Sail Away Sweet Sister

QUEENの8枚目のオリジナルアルバムにあたるのがこちらですね。
こちらに収録されている曲ですね。



「The Game」(1980年:album)

こちらのアルバムジャケ、
↑文字が白抜き版とスミ文字版があって・・・
どっちがどっちだったかな・・・
もう忘れちまった・・・汗汗。
確認しないで、記しちゃうが(汗!)
たしか・・・
EMI版がスミ文字、
アメリカで配給していたハリウッド・レコード版が白抜きだったよーな・・・気がします。汗。
どなたか、確認してください。笑。
責任はとりません!
自己責任でお願いします! 笑。


日本では1992年のGUNS N’ ROSESの東京ドーム公演で、
アクセルがこの曲の一小節をカバー(歌った)ことから、再注目されましたね。



アクセルはQUEENのファンとして有名ですね。
アクセルの世代のアメリカ人には、この「The Game」と、その前のアルバム「Jazz」は思い入れがあるみたいですね。
年齢を計算する10代の終わり頃に聴いていたということになりますもんね。
QUEEN的には初期の音楽性を変えて、アメリカ進出を狙っていた頃であり、作品ですね。


小さなかわいい子よ、
変わっていくんだね。
痛みを感じているのかい?
もう装わなくていいんだよ。
もうこれ以上の戯れは終わりにしよう。

もう子供じゃないというのは明らかだね。
母さんはなんて言うかな。
すっかり女性になったキミ。
どんなふうになっていくのかな。

漕ぎ出すんだかわいい子よ。
海を渡るんだ。
きっと誰かに出会えるよ。
ボクの半分くらいは愛してくると思うよ。
ボクの心はいつもキミと一緒にいるよ。
なにをしようが問題はない。
漕ぎ出すんだかわいい子よ。
ボクはずっとキミのことを思っているよ。

ボクが言ったことを許しておくれ。
心配なあまり、どうにかしていたんだ。
ああ、わかってますよ。
ボクがキミをしばり続けることはできないって。
わかっているよ。
キミは自由になりたいんだって。

漕ぎ出すんだかわいい子よ。
海を渡るんだ。
きっと誰かに出会えるよ。
ボクの半分くらいは愛してくると思うよ。
キミの行きたい道に行くがよい。
でも、ダメになった時に
友として、
もう一度ボクの腕の中に
海を渡ってもどってきなさい。

キミはまだわからないけど、
まだまだ子供なんだよ。
キミは若いんだよ。
キミの人生はまだまだ目の前にある。
そう、
人生を諦めるには早すぎるんだよ。
早すぎるんだよ。

漕ぎ出すんだかわいい子よ。
海を渡るんだ。
きっと誰かに出会えるよ。
ボクの半分くらいは愛するだろうよ。
ボクの心はいつもキミと一緒にいるよ。
なにをしようが問題はない。
漕ぎ出すんだかわいい子よ。
ボクはずっとキミのことを思っているよ。


作曲クレジットはブライアン・メイですが、
ネットでは「ブライアンに妹はいない」(ブライアンは一人っ子)ということでちょっと物議? 謎? になっているみたいですね。汗笑。

どーなんですかね?
「Sister」はたしかに昔ガッコーで「妹」と教えてもらいました。笑。
でも、ググってみると、
「妹」に限らず、女性姉妹は全て「Sister」のよーですが・・・
もちろん、ブライアンに姉もいらっしゃらないですもんね。
ま、その他に、
「同志」「仲間」っつー意味合いもあるみたいですね。
仲の良い友達を男性の場合、「ブラザー」とか言っているのを映画で見かけますもんね。(一応、そこだけは聞き取れる笑)
〇〇ブラザースとかも、よくありますもんね。
DOBBIE BROTHERSとか、
野球でいえば、Bash Brothersとかね。笑。
日本語で言えば、「〜〜と仲間たち」みたいなニュアンスですかね。
ま、その女性版として、
「シスター」って言うですかね??
アベちゃんのギャグで、(女性の社会進出:女性の取締役がどーの、という話題の時に)リーマン・ブラザースもリーマン・ブラザース&シスターズだったら潰れていなかった! 笑というのがありますが・・・笑。
ま、それはともかく、
でも、歌詞の内容からすると、ちょっとそういうカンジでもないみたいです・・・。
それと、
「修道女」という意味合いもあるみたいですね。
やっぱり映画とかで、修道女が出てくると「シスター」って呼んでますもんね。
そーいう意味ではもうちょっと突っ込んで解釈すると、「無垢な女性」=「まだオトナじゃない」=「娘」っつーことなのかな??
ちなみにブライアンに娘はいらっしゃるよーですね。
正確な生誕年は知りませんが、
この1980年でブライアンは33歳? かな。
娘が生まれた頃・小さい頃と考えても、そんなにムリはないですかね。
(その上に男の子もいるので、第二子となりますが)
男親の気持ちと考えれば、歌詞的には全て辻褄が合うっつーか、納得はいきますね。
Maybe you'll find somebody
Gonna love you half as much as me
My heart is always with you
とかね。
オレ程、キミ(娘)を愛しているヤツはおらんぞ、と。
オトコと出会うだろーが、そいつはキミのことをオレの半分しか愛してないよ、っつーね。笑。
親の愛っつーか、親のエゴっつーか。笑。
まー、子ども時代が終わり、旅立つ(巣立つ)娘と、
その直前にはもめたんでしょ、笑。
Forgive me for what I told you
My heart makes a fool of me・・・とかね。笑。
What would your mother say? ・・・とかね。笑。
んで、
Back to my arms again
いつでも、戻ってきなさい、ってね。笑。

まあ、どうでもいい・・・笑。

まあ、
ワシもこの歳になると、
若い皆さんの決意をされた話を聞くと、
「危ういな」と思うのと同時に、
「頑張ってくださいね」とは思うけどね・・・。
ん、んーまー、
ワシとはデキが違うから、余計なアレなんですけど・・・汗笑。
頑張ってくださいね。
・・・いつか、どこかで立派になられた皆様を見かけることもあるのカナ・・・。

ちなみに、
アクセルには妹がいましたね。笑。

Make Your Own Way

・・・今更ね、
ワシがどーして、このようなモノに手を出さなくちゃいけないのかねー、とも思う。
今までコレとは無縁で生きてきたワシなのに、今更どーのこーのするのは、ある意味「今まで」の否定じゃないか、と・・・。
・・・
・・・んまー、
ワシに、そんな拘るような過去があるわけでもないか! ・・・笑。
笑うしかない。ワハハハ。

そう感じちゃうのは歳とった証拠だね。



「Heartbreak Station」(1990年:album)


ある荒れた町で生まれ育った。
そこは決して機会も施しもないところさ。
時代は変わりゆくものだが、そんなものは終わったことだった。
偏見に満ちあふれ、
15の歳まで、オレの目はクスリを追い続けていたもんさ。
オレの母ちゃんは
最後はどっかっで線を引かねばと、心配しあぐねいた。
そして彼女はオレを家から放り出したのさ。

メシを喰っていくことは、簡単なことではないさ。
どんなに頑張っても、何も得るものはない。
毎日を生きていくことは、簡単なことではない。
自分の道を行こうとするのは、簡単なことではないさ。

自分の道をいくんだ。
人生がちょっと辛い時こそね。
自分の道をいくんだ。
誰もあんたのために、死んじゃくれないよ。

ヤベー時にはサイコロを転がすことにしている。
勝つ方法を探しているんだ。
次かた次へと摩訶不思議なことが過ぎていく。
安息の地を探しているだけなんだ。
汚い手を使うみすぼらしい年寄りに出くわすと、
サイコーな思いができると約束してくる。
でもよ、奴は悪魔の手先だぜ。
ヤツはオレにペンを握らせ、
死んだら払い戻せると言った。

メシを喰っていくことは、簡単なことではないさ。
どんなに頑張っても、何も得るものはない。
毎日を生きていくことは、簡単なことではない。
自分の道を行こうとするのは、簡単なことではないさ。

自分の道をいくんだ。
人生がちょっと辛い時こそね。
自分の道をいくんだ。
誰もあんたのために、死んじゃくれないよ。

ああ、そうだよな、
時にはまっすぐ突っ込まなければいけない時もあるよな。
ああ、そうだよな、
ムショみたいな気分だぜ。

人生がちょっと辛くなった時、
自分の道をいかなきゃな。
自分で道をつくらなきゃいけない時があるのさ。
さあ、行こうぜ!

さあ、今こそ歌おうぜ。
自分の道をいくんだ。
あんたの人生が辛くなった時こそ、
自分の道をいかなきゃな。
誰もあんたのために死んじゃくれないぜ。
自分の道をいかなきゃな。
あんたの人生が辛くなった時こそ、
自分の道をいかなきゃな。
誰もあんたのために死んじゃくれないぜ。
自分の道をいかなきゃな。
あんたは自分で自分の道をつくらなきゃいけないんだ。
自分の道をいかなきゃな。
そうだろ! そうだろ! そうだろ!
自分の道をいかなきゃな。
あんたは自分で自分の道をつくらなきゃいけないんだ。
自分の道をいかなきゃな。
自分の道をつくらんだ。
自分の道をいかなきゃな。


sometimes you gotta walk the straight line
そーだよな・・・突っ込まなければいけない時はある。
勝算の見込みがあろーが、なかろーがね・・・汗、
んで、ことごとくクラッシュしてきたけど。笑。
when life gets a little hard
You gotta gotta ooo make your own way
Sometimes you gotta make your own way
・・・んー・・・そーだけどさー・・・

Make your~って言われたってさ、
そーいかんのが、成熟社会ってヤツでさー・・・って、世の中のせいにするわけではないけどさー・・・。汗。

Nobody's gonna die for you
たしかに、そーだね!
We met a mean old man
Who dealt a dirty hand
そのくせね、たしかにね・・・
そーいう人・・・いましたね・・・汗。
んまー、
彼らを悪者にするのはいかんだろーねー。
騙された方が悪い、ってTVで誰かが言ってたし・・・汗、
勝者はそちらで、敗者はこちらってことなんですよね。
彼らだって、
It ain't always easy when you're living hand to mouth
・・・な、わけだから。
必死なわけでしょー。ヨメやら娘やらにメシを喰わすためにね。笑。
視点を変えれば、こちらがただのマヌケヤローって、ことだろう。笑。

・・・
Here we go・・・かー。
さあ、
笑え。
ワハハハ笑。

Life/BRIDES OF DESTRUCTION

またちょっと昔話。
BRIDES OF DESTRUCTIONの話でもしてみますかなー。汗。
日本のファン(ってか、日本のメディア)じゃ「ブライス」なんて略称? で呼ばれてたかなー。汗。
・・・どうだろう?
と言っても、話題になったのは一瞬だったんで、
あまり、浸透もせず、
そーでもなかったかな・・・汗笑。

まあ、いい・・・。汗。

んー、
その「ブライス」の話を紐解くのに、
まずはスラッシュの話からいきますか。汗笑。
え? スラッシュ? スラッシュは関係ないじゃん? って・・・。汗。
まー、まー。

えーっと、当時はですね・・・また時が巡って、
2000年を過ぎて、2002年頃かな。
スラッシュはGUNS N’ ROSESを辞めて、
自らのバンドSNAKEPITとして活動していたんですが、
そのSNAKEPITを解散させたのがその頃ですね。



↑SNAKEPIT後期のメンバー

まー、90Sが終わり、
グランジの波? 風? がおさまって、
また、80Sのロックスター達がちょっと注目されている頃でしたね。
ミレニアム特需で20世紀の大物バンド達が注目されてね(解散だの、逆に再結成だの・・・汗)、
その流れでね。
その意味では「元ガンズのスラッシュ」の動向は注目される存在でしたね。
まー、かつてのロックスター達のまたまた再編問題ですな。笑。

ワシが今現在覚えている当時のスラッシュの状況は・・・
1つは、
元VAN HALEN組のサミー・ヘイガー&マイケル・アンソニーとの合流でしたね。
サミーとマイキーはミレニアム特需で再結成する? しない? でゴチャゴチャしていたVAN HALENから放り出された形になっていまして・・・(脱退は1997年頃だったかな・・・デイヴの復帰話は結局ウヤムヤになったんでしたっけ??)・・・当時はソロ活動(ソロ・バンド。マイキーもご一緒でしたね)をしていた。
元GUNS N’ ROSESと元VAN HALENということで、注目を集めていたが、話は流れちゃいましたね。
スラッシュが断ったといいますね。(?)
この流れは、後にPLANET USそして、SOUL SirkUSまで続いていくっちゃー、続いていきますが・・・。

もう1つは、
ニッキー・シックスとの合流ですね。
ニッキーのMOTLEY CRUEは・・・たしか当時は活動休止中だったかなー。汗。
トミーが脱退中で、ランディー・カストロが亡くなって・・・ヴィンスは・・・? まー、ゴチャゴチャしていたイメージ。汗笑。っつーか、モトリーはこの頃以降から、いつもそんなイメージですね・・・笑。いつも契約問題なのか、なにかでゴチャゴチャしている、っつー・・・汗笑。
で、ニッキーはソロ活動やら、執筆活動? やらやっていたかな~・・・(ウロ覚え汗)
次のキャリアとしてなのか(?)、スラッシュとの合流には熱心だったと記憶しております。
まー、スラッシュとしては引っ張り凧ですわ。笑。人気者ですな。笑。
・・・どうでも、アレだが、バンド名も「~~OF DESTRUCTION」となっていて・・・なんとなくガンズを想起させますよね? 汗笑。
(「Appetite for Destruction」を意識しているっぽくありません?? 汗)
でも、やっぱりスラッシュが断ったといいますね。(?)
結局、スラッシュは元GUNS N’ ROSESのバンドメイト達とVELVET REVOLVERを結成することになります。
よーは、大山鳴動して・・・元サヤですな。笑。

で、ここでもう一人。
トレイシー・ガンズなんだが・・・。
ま、ワシの印象だと、
80Sに一番「儲け損なった」のはトレイシーかな、とも思ってます。笑。
ま、LA.GUNSとしてそれなりに成功はした、と言えるから、それで充分なのかも知れませんが・・・
GUNS N’ ROSESのオリジナルメンバーであり(ガンズの名前はトレイシーから付けられている)、
そのサウンドを作り上げていく上で、それなりに貢献があったと思うんですよー。汗。多分。汗。
それなのに相応の評価をされていない、っつーか。汗。
それは、オフィシャル的にも決して公認されず・・・汗。
美味しい所はスラッシュに持っていかれている、っつーか・・・汗。
下世話なことで言えば、
LA.GUNSとGUNS N’ ROSESでは同じ成功でも「桁」が違うしね・・・。
ま、そんな感情がトレイシーの中にあるのか知らんが、
ここらで「もう一花咲かせたい感」はあったと思います。
トレイシーは80SのLA.GUNSの成功の後、
やはり90Sの波に飲まれてね・・・いろいろ迷走があった。
この頃はLA.GUNSを再構築して、それなりに安定はしていたんですが、
どこからかこのビッグディール(儲け話)を持ち込まれて、その気になってたみたいですね。笑。
LA.GUNSは安定していたとはいえ、かなり低空飛行でしたからね。汗。
どのように話を聞いていたのかわからんが、
「ベースはニッキーで、もう一人のギタリストはイジー・ストラドリンで・・・」みたいな、有名メンバーによるスーパーバンド結成、ってことを吹聴していた。汗笑。
ワシ的には、
いやいや、あんた、スラッシュの補欠なんだからやめておきな・・・とか、汗、
どうせニッキーはすぐモトリーに戻るに決まっているんだから、やめておきなよ・・・ニッキーにとってモトリー以上のビジネスはないんだからさ・・・とか、汗、
そんな山話に乗らないで、LA.GUNSで地道にやっていった方がいいよ・・・
なーんて、思っていた。笑。
ワシ的にはこの直前頃のLA.GUNSのアルバムはかなり好きだったしねー。汗汗笑。
「あれ? トレイシーってこんな良いギタリストでしたっけ?」みたいな・・・笑。
80S的なフラッシーなフレーズがなくなり、良い味も出てきてね・・・
それだけにね・・・

結果、話は巡りに巡って、
スラッシュが断ったことによって、
トレイシーが採用されたことになりましたね。
トレイシーはスラッシュの補欠だということは知らんかったのかなー? ま、ギャラが違うだろーから、んなことはカンケーないんだろうけど・・・これは後々のことを考えると、良かったのかどうか・・・汗笑
んまー、
ニッキーとしてはスラッシュのネームバリューがあれば、
もしかしたらモトリーに並ぶ(越える?)ビッグビジネスになったカモ知れんが、
スラッシュが抜けた時点でね・・・あかん、と思っていたと思います汗笑。
本気度はかなり下がっていたと思います。汗笑。
ぶっちゃけ、ワシはここで話はご破算になるかなーと思ってはいたんですが・・・
・・・もうプロジェクトは走り出していたのか(予算とかが、ついていた??)・・・ニッキーの契約交渉の選択肢(ニッキー的には、自分には第二のモトリーがあるぜ、として強く出れることになるハズ。それこそ、立ち上げ時には恐らくマネージメント側の都合でモトリーをクビになったジョン・コラビもいたし)として云々~~なのか・・・オトナの事情は知らんが、
とにかく、
バンド結成、デビューまでいってしまった、っつー印象がありますね。汗汗。
へー、出たんだ(リリースしたんだ)、みたいな・・・汗。



「Here Come the Brides」(2004年:album)

どうせ続かんじゃろ・・・そんな印象しかなかったデビューアルバムですな。汗汗。
それなのにトレイシーよ・・・・っつーね・・・汗笑。

メンバーは、
ニッキーとトレイシーの他に、
ロンドン・ルグラムとスコット・クーガン。
かなり力を入れていたプロジェクト(予算がついていたプロジェクト)・・・だったのは伺い知れますな。汗汗。

案の定、ニッキーはすぐに脱退。
・・・ワシの記憶だと、アルバムをリリースした時点で「もうすでに」という印象も残っているのだが・・・現在ググると、当時のライブの動画も出てくるので、何回か? はニッキーも出演しているよーだ。プロモーションっぽい動画もあるし・・・(?)

んで、意外にもセカンドアルバムもリリースしています。
ニッキー以外のメンバーはなんとかこのバンドで一旗あげたいとは思っていたんでしょーねー・・・。
んー、トレイシー、頑張ったね! 笑。



「Runaway Brides」(2005年:album)

ぶっちゃけ、こちらはワシは未聴です。
聴いてみます。汗汗。

結局、「ブライス」は解散。
トレイシーもニッキー同様、元の自らの「ホーム」LA.GUNSへと戻っていくことになりますね。
まー、そこから現在も分裂状態にある「2つのLA.GUNS」の始まりにんるんだが・・・(それは、またいつか・・・かな?? 汗)


前向きでいるのは難しいよな。
オレもどんなカンジか知っているよ。
何かを得るには、時間がただただかかるんだよ。
後ろ向きになるなよ。
気鬱な気分なんて取り払うんだ。
投げやりになんかになるなよ。

それが人生なんだ。そうだろう。
お前が望まない全てのものも、
お前は信じなくてはいけないんだ。
決して価値がないわけではないんだ。
そうなんだよ、それも人生なんだよ。
お前の扉はずっとノックされている。
お前はそれを招き入れるべきだよ。
ムダにするな。
立ち向かう時が来たんだ。

何年も経った気がする。
お前が安らぎを知ってから。
長い間遠ざけていた。
恐れを静めていたんだ。
そして、そこから放り出されるかも知れない。
しっかりそのままでいるんだ。

それが人生なんだ。そうだろう。
お前が望まない全てのものも、
お前は信じなくてはいけないんだ。
決して価値がないわけではないんだ。
そうなんだよ、それも人生なんだよ。
お前の扉はずっとノックされている。
お前はそれを招き入れるべきだよ。
ムダにするな。
立ち向かう時が来たんだ。

どうして泣くんだ?
どうして泣くんだ?
気鬱な気分なんて取り払うんだ。
投げやりになんかになるなよ。

そうなんだよ、それも人生なんだよ。
お前の扉はずっとノックされている。
ムダにするな。
立ち向かう時が来たんだ。

それが人生なんだ。そうだろう。
お前が望まない全てのものも、
お前は信じなくてはいけないんだ。
決して価値がないわけではないんだ。
そうなんだよ、それも人生なんだよ。
お前の扉はずっとノックされている。
お前はそれを招き入れるべきだよ。
ムダにするな。
立ち向かう時が来たんだ。

それが人生さ。
それが人生さ。
逃すんじゃない。
でも過ぎ去っていくさ。
立ち向かう時が来たんだ。
もう一度立ち向かう時がもどってきたんだ。


こちらの曲のヴォーカルはロンドンではなく、
ドラムのスコットです。
ドラマーはわりと歌が上手い人が多いのですが・・・ある意味、もったいないですね。
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