ぶらり ジャー窪~オー森 | rumblin @ blog

ぶらり ジャー窪~オー森

本日はこちらへ。



住宅街の中の
こちらのジンジャーでーす。



こちらの住宅街は
なんと・・・「スネークタウン」(!)笑。
(↑見づらいと思いますが、懸垂幕にそー書いてあります笑)



このようなお触れ書きも。
へー。
「白蛇伝説」云々はともかく・・・
まー、おそらく、
昔・・・昔って、この場合は中世以前、それこそ古代~中世・・・の時代に・・・
おそらく、この辺りは河川(大きな河ってより、小さな、まさに小川級)が入り乱れていて、
ちょっとまとまった雨が降ると、
水が溢れ、
水害にあってきたのでしょーねー。

白蛇・・・まあ、竜ですな。
氾濫する・暴れる川の様子、あるいは大地から噴き出す鉄砲水の姿が竜であり、白蛇だったんでしょー。
白蛇はわりと縁起が「良い」とされるのは・・・金運や開運、商売繁盛・・・つまり、水害の分、その「実り」も享受してきたからこそ、なんでしょーね。きっと。
川が暴れると→肥沃な土地になる→実る、っつーね。
現代の人に水害にあって「良かったね」なんて、口が裂けても言えませんが(現代では水害による「実益」なんて、とーていナイからね)
古代の人にとっては・・・むしろ吉祥??
それを知っていたんだね。
だからこそ、祀る。そーいうことなんでしょー。

もしかしたら、古代の人には「水害」という概念はなかったかもね??
そりゃー、なんでもそーだが、度が過ぎたらね、困るんだろーけど、
ほどほどにね、
暴れてほしいっつーか、
「白蛇」が現れてほしい、っつーかね。汗。
だからこそ、祀る。そーいうことなんでしょー。

(あ、なんら学術的根拠、証拠のある話ではないです。汗。ただのワシの妄想話ですから、妄想。あまり真にウケないでください。悪しからず。笑汗)

こちらのジンジャーの近くにも、
現在、立合道路っつーのが走っていて、
その地下に立合川が暗渠にされて現在も流れていますね。
だから、ここにジンジャーがあるっつーね。

その意味で、
この地域の歴史は古い。
まさに古代から人が集住し続けてきた地域。
ここから、もーちょい海岸付近に行けば、古代遺跡であるオー森貝塚っつーのもあるし、
中世でいえば、
源氏関係の逸話・・・源氏たって、頼朝以前の古い源氏の逸話があったりもする・・・そーいうのが遺っていたりするもんね。



こちらは現在の品川の水没ハザードマップ。
周辺が水没エリアになっている。
※矢印がジンジャーの位置
※クリーム色やサクラ色の部分が水没するだろう地域

これを参考にワシの妄想地図を反映させてみると、



古代~中世はこんなカンジなんかなー。
※水色の部分が河川・海
なーんて。汗笑。



建て替えられたばかりなのかな?
わりと新しくてキレイな建物が多い。
ぶっちゃっけ、思ってたより、
現代でも立派に運営が機能されているジンジャーさんでした。



手水舎



ジンジャーの手を洗うところに、
このよーな竜があることが多いでしょ?
水と竜・・・そーいうワケなんですね。
それにしても、こーいった所も、
オサレにされているジンジャー様ですね。



浄財。
やましい気持ちもスッキリ(?)
売り上げるって、大変ですもんね。
どんな手段でも稼がな、いかんもんね。
どんな手を使ってでも、ね・・・売り上げたほうが勝ち。汗。
弱肉強食って奴ですね。汗。
商売敵きはギタンギタンにしないと、足元をすくわれる、って(?)
ムサシも言ってました。敵は徹底的にやっつけろ、って。コエ~汗。
・・・そーすると・・・
やはり人としての心が傷むこともあるのでしょう(?)
そんな時はこちらへ!(はへ?)
浄めます!(はふ?)



「撫で白蛇」
願い事を唱えながら撫でると叶えてくれるらしーですが・・・ワシもお願いしよーかなー。笑。
(ワシは基本、むやみに神様には触らないことにしております・・・触らぬ神に・・・って、そー言いますでしょ?)



夢己
むちゃくちゃ縁起(金運)が良くなるらしい、っつーことらしいです。







近くの公園へ。



ハトさんたちが井戸端会議中です。
あー、でもない。
こー、でもない。
笑。


オー森貝塚遺跡に足をのばしてみましょー。





古代ではこちらは何かの河川の河口付近だったんでしょー。
ここが河口? と、思われるかもしれませんが、
わりと近代まで、こちらのすぐ横が東京湾でした。
JRのあたりが海岸線ですかねー。
近くに滝オー子という地域名も残っているしー。
(滝・・・川が流れていたっぽい地名でしょ?)
滝オー子稲荷神社、っつーのもあるよーですね。
行ったことはないので、そのうち是非行ってみよー。汗笑。
祠やフジ塚が遺っているみたいだ。
あ、池まである!
行ってみよー。ムフフ。
地形も気になるし。ムフフ。

オー森は、
こーした河川の「実り」と、
海の「幸」に囲まれた古代の大きなムラ(古代の大都市??)だったんでしょーねー。
特に海側は断崖絶壁だったよーで、
それが塩害からムラを護ってくれたんでしょーね。
で、海が荒れていない日は、その断崖絶壁を降りて行って、漁に出かける。
で(近いから)すぐに新鮮な「幸」をいただける。
っつー、利便性の良さね。
現代の大田区の住宅街は、
まー、深い森だっただろうから、
そちらからもね、いろいろ恩恵もあるだろーし。
人が集住・定住する条件は揃っていたんでしょーねー。

(あ、なんら学術的根拠、証拠のある話ではないです。汗。ただのワシの妄想話ですから、妄想。悪しからず。笑汗)



ラストはその貝塚からほど近い所にある歴史館へ。





そちらのお庭です。