足利尊氏邸・等持寺跡~室町幕府発祥の地 | 古都の礎

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御池通高倉上るにある足利尊氏邸・等持寺跡碑です。

 

 

室町幕府初代将軍・足利尊氏の邸宅跡に建つ碑。

後醍醐天皇に反旗を翻した足利尊氏は、暦応元年(1338年)、北朝・光明天皇より征夷大将軍に任じられます。この頃、尊氏が住んでいたのが京の二条高倉第と呼ばれる邸宅。万里小路、高倉小路、二条大路、押小路に囲まれた約一町を占めていました。

室町時代の創成期は二頭政治と言われ、尊氏が軍事面、尊氏の弟・足利直義が政務面を担いました。尊氏の邸・二条高倉第と直義の邸・三条坊門第は間に清浄華院を挟んで隣り合っていました。暦応元年頃、足利直義は清浄華院を室町東洞院に移転させ、跡地に先印元を開山とする持仏堂・等持寺を創建。康永3年(1344年)、尊氏は鷹司東洞院第に転居、この部分まで等持寺が拡張されました。

観応元年(1350年)より始まった観応の擾乱により尊氏と直義は争い、文和元年(1352年)、直義は鎌倉で死去(太平記では尊氏による毒殺)。三条坊門第は尊氏が鎌倉から呼び寄せた嫡男・足利義詮の邸となり、等持寺も尊氏配下に入ります。尊氏は等持寺を無窓礎石を開山とする新たな寺に改め、足利家菩提寺としました。等持寺は応仁の乱で廃絶。等持寺の法灯は、等持院が伝えています。

 

 

 

足利尊氏・等持寺跡碑;京都市中京区御池通高倉上る