古都の礎
古都~藤原京、平城京が置かれた奈良、近江大津宮・紫楽香宮の置かれた滋賀、
平安京の置かれた京都、難波宮の置かれた大阪、福原京の置かれた兵庫
などを中心に史蹟や歴史的建造物の紹介をしていきたいと思います。
画像はまとめて撮り溜めです。
記事を書き溜めて予約更新をしています。
どうぞよろしくお願いします。
  • 22Jul
    • =祇園祭 後祭 宵々山 2018年=

      2018年7月22日に行われた祇園祭後祭宵々山です。八坂神社の祭礼、祇園祭。従来、山鉾巡行は旧暦6月7日に先祭、6月14日に後祭が行われていました。明治6年、太陽暦の該当日を巡行日とした後、明治10年、太陽暦の7月14日と7月24日に固定。昭和41年(1966年)、交通規制の問題からすべての山鉾巡行は7月17日に統一されました。平成26年(2014年)、かつて後祭の最後尾を飾り、幕末のどんどん焼きで焼失後居祭を続けてきた大船鉾が復興。山鉾巡行が長時間に及ぶこともあり、これを機に後祭が復興しました。2018年現在、7月14日の先祭に23基、7月24日の後祭に10基が巡行します。山鉾巡行の前日を宵山、前々日を宵々山、前々々日を宵々々山と呼び、町会所などにご神体や副葬品が展示され、間近で鑑賞することができます。橋弁慶山。毎年、くじ取らずで後祭の最初を巡行する山。牛若丸と弁慶が五条大橋で対決する様子に由来します。鯉山。鯉が滝を登って龍となる登竜門の中国の故事に由来した山。前懸、胴懸、水引、見送は、16世紀にベルギー・ブリュッセルで制作されたもともと一枚のタペストリーを裁断して仕立てられたもので、重要文化財。役行者山。役行者が一言主神と葛城神の神力を得て、大峰と葛城の間に橋を架けた故事に由来する山。北観音山。楊柳観音と韋駄天を御神体とします。幕末までは南観音山と一年交代で巡行。明治以降は毎年巡行するようになりました。南観音山。楊柳観音と財善童子を御神体とします。幕末までは北観音山と一年交代で巡行しましたが、明治時代より毎年巡行。浄妙山。源平合戦の宇治川の戦いで、先陣を勤める源氏方の武将・浄妙坊の上を、一来法師が飛び越えて先陣を奪った話に由来する山。大船鉾。毎年、くじ取らずで後祭の最後尾を行く鉾。先祭の最後尾を飾る船鉾と対になっており、船鉾は神功皇后が三韓征討へ向かう出陣の船であるのに対して、大船鉾は神功皇后が三韓征討に勝利して帰ってくる凱旋の船となっています。大船鉾は幕末のどんどん焼けで焼失後、長らく休み鉾となり居祭を続けてきました。2014年、復興し巡行に復帰。これを機に後祭も復興されました。

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  • 15Jul
    • =祇園祭 先祭 宵々山 2018年=

      2018年7月15日に行われた祇園祭先祭宵々山です。八坂神社の祭礼である祇園祭。神輿の前駆である山鉾巡行は、7月17日の先祭に23基、7月24日の後祭に10基が巡行します。山鉾巡行の前日を宵山、前々日を宵々山、前々々日を宵々々山と呼び、粽やお守りが売られたり、夜店が建ち並んだりします。3日間合わせて宵山とも呼び、町会所が開かれてご神体や副葬品が展示され、間近で鑑賞することができます。1966年より2013年まではすべての山鉾が7月17日に巡行を行っており、14,15,16の宵山の3日間は18日より23時まで四条通の歩行者天国が行われていました。2014年、後祭が復活。以降、歩行者天国は15,16日の2日間のみとなっています(後祭の歩行者天国はありません)。こちらは先祭宵々山の様子です。夜間は混雑となるため、日曜日昼間の画像となります。長刀鉾。毎年くじ取らずで先祭の先頭を行く鉾。真木の先端に長刀が付けられています。占出山。神功皇后が松浦で釣りを行い戦の吉兆を占う様子を由来とする山。伯牙山。中国・周の人である伯牙が友人の死を聞き琴の弦を断ったという故事に基づく山。太子山。聖徳太子が四天王寺を建てるために杉の木を探し求める故事に由来した山。芦刈山。難波で芦を刈る翁が妻と再会する謡曲「芦刈」に取材した山。蟷螂山。からくり人形の蟷螂が乗っており、巡行当日は動かします。綾傘鉾。大原神社の境内に開かれます。室町時代、応仁の乱以前の形態を残し、風流傘の周囲を棒振囃子が舞い踊りながら巡行します。江戸時代の一時期、鉾の形態をとっていたことがあり、その模型が展示されています。この鉾は幕末のどんどん焼けで焼失。綾傘鉾は休み鉾となりましたが、昭和54年(1979年)、古式に戻して復興されました。船鉾。毎年くじ取らずで先祭の最後尾を行く鉾。神功皇后が三韓征討に出かける様子をモチーフにしています。

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  • 23Jun
    • 月読神社~壱岐氏の神

      松室にある月読神社です。松尾大社の境外摂社。松尾七社の一つ。「日本書紀」によれば顕宗天皇3年、阿閉臣事代に託宣があり、押見宿禰がこの地に祀ったとされます。平安時代の延喜式では葛野坐月読神社とあり、名神大社。もともとは松尾大社とは別であり、松尾大社が秦氏によって祭祀されていたのに対し、この社は壱岐氏によって祭祀されていました。壱岐氏は壱岐国からこの地に移住した氏族であり、壱岐にある月読神社をこの地に勧請したものだと考えられているそうです。月読神社が松尾大社の配下に入って以降、壱岐氏は松尾大社の社家を兼ねますが、次第に秦氏を凌ぐほどの勢力を持ったと言います。拝殿。本殿。祭神は、月読尊。御神水。月読神社;京都市西京区松室山添町15

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  • 22Jun
    • 三宮社~玉依姫命を祀る社

      嵐山にある三宮社です。松尾大社の末社。松尾七社の一つ。祭神は、玉依姫命。四大神社と同座しています。向かって左手が三宮社。右手が四大神社。三宮社;京都市西京区嵐山宮町

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  • 21Jun
    • 四大神社~四神を祀る社

      嵐山にある四大神社です。松尾大社の末社。松尾七社の一つ。祭神は、春若年神、夏高日神、秋比売神、冬年神。三宮社と同座しています。右手が四大神社、左手が三宮社。四大神社;京都市西京区嵐山宮町

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  • 20Jun
  • 19Jun
  • 18Jun
  • 17Jun
    • 松尾大社~亀の井

      嵐山にある松尾大社です。松尾山を御神体とする社。全国にある松尾社の総本宮。松尾山頂上付近に現在も磐座があり、古代より祭祀が行われていたと言います。5世紀頃、渡来系氏族の秦氏が一帯に勢力を持つと、この社も秦氏が祭祀するところとなります。社伝によれば、大宝元年(701年)、文武天皇の勅命により秦忌寸都理が社殿を建造、秦忌寸知麻留女を斎女として祭祀を執り行ったと言います。平安京遷都が行われる賀茂社(賀茂別雷神社(上賀茂神社)・賀茂御祖神社(下鴨神社))とともに王城警護の社とされました。平安時代の延喜式に松尾神社二座とあり、名神大社。摂社の月読神社、櫟谷宗像神社(櫟谷神社と宗像神社)、末社の三宮社、四大神社、衣手社を合わせて松尾七社と呼び、神幸祭(おいで)、還幸祭(おかえり)の時には神輿・唐櫃が出ます。二十二社(上七社)。神仏霊場巡拝の道87番(京都7番)札所。京都五社めぐり札所(白虎)。楼門。江戸時代、寛文7年(1667年)上棟。拝殿。中門。本殿。応永4年(1397年)建造、天文11年(1542年)改造。重要文化財。祭神は、大山咋神と中津島姫命。亀の井。松尾山より流れる御神水。亀は松尾大社の神の使い。上古の庭。昭和の作庭家・重森三玲氏によるもの。曲水の庭。昭和の作庭家・重森三玲氏によるもの。松尾大社;京都市西京区嵐山宮町3

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  • 16Jun
    • 正明寺~後水尾天皇勅建寺

      日野にある正明寺です。法輪寺正明寺という黄檗宗の寺。古くは天台宗の大寺でした。永禄11年(1568年)、織田信長が六角氏を攻めた観音寺城の戦いで一帯は戦火で焼かれ、寺も焼失。江戸時代初期、永源寺の僧・一糸文守が復興。一糸文守(岩倉具堯の子)は後水尾天皇第一皇女・文智尼(梅宮)出家の戒師であり、後水尾天皇から厚い帰依を受けていました。後水尾天皇は御所建て替えの際、清涼殿を下賜してこの寺の本堂としています。日野商人たちからの寄進によって守られてきたと言います。参道。山門。本堂。慶長年間に建てられた御所の清涼殿を、建て替えの際、後水尾天皇から下賜されたもの。重要文化財。本尊・千手観音菩薩像(室町時代/重要文化財)を安置します。禅堂。鐘楼。石仏。正明寺;滋賀県蒲生郡日野町松尾556

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プロフィール

みや

性別:
女性
お住まいの地域:
京都府
自己紹介:
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