愛と平和の弾薬庫

愛と平和の弾薬庫

心に弾丸を。腹の底に地雷原を。
目には笑みを。
刺激より愛を。
平穏より平和を。
音源⇨ https://eggs.mu/artist/roughblue

音源⇨ https://eggs.mu/artist/roughblue

仙台の国分町というところに一軒のロック喫茶がありました。いえ、今でもしっかりあるのですが、わたしが通っていた頃、行けば必ずいたマスターが今ではあまり店にいることがなくなったようなので、わたしにとっては、すいません、ありました、ということになります。

Peterpanーーこれがそのお店の名前です。みんなにはピーパンと呼ばれていましたが、どんな言葉も略して呼ぶのが苦手なわたしにとってはずっとピーターパンです。

そんなピーターパンにとって、というかマスターにとって、わたしはあまりいい客とは言えませんでした。コピーで作った見た目も中身もペラペラのミニコミ誌を置いてもらっているというだけでも十分に邪魔くさい存在なのに、アメリカの土着的音楽を愛してやまないマスターの好みを十分にわかっていながら、私のリクエストするアルバムといったら、

 the doorsの『まぼろしの世界』

 The Stoogesの『Fun House』

ほとんど毎回、この2枚だったからです。

当時ピーターパンで頻繁にかかっていたSteve Winwoodの『Arc of A Diver』、今ではその価値もわかるようになった私です。お元気ですか、長崎さん。

 

 

2024年9月8日㈰

 

2日目は我ひとりで出陣なり。づがれだぁ~とわめき暴れる怪獣はいない。確かにまあ少し「寂しいなぁ」って感は否めない。否めないか?まあ否めないことにしとこう。なんてことはともかく駅前に出たらばまずはそう、腹ごしらえである。初日は「10年ぶりの牛タン!」とか張り込んだりもしたが、我ひとりとなればそこまで気張らんでよろしい。しかしそこは年に数回の「街喰い」である。ちょっとは気張る。未入店の店にチャレンジするぐらいの気概は持ちたい。で、入った。そばの神田!立ち食いそばかよ、と侮るなかれ。そばの神田、近頃やけに聞くのである。麺が上手くなった!とか。乗っけもんがいい感じになった!とか。だから入った。小柱のかき揚げそば¥550。旨かった。腹も十二分にふくれた。結構な満足感である。めでたい。

さて、腹が膨れれば出陣である。しかし本日の第一のターゲットの登場まで、なんとまだ2時間もある。困った。路上で横になって待つこともできぬ。ソニー・ボーイ・ウィリアムスンじゃねんだから。じゃあそうだ。こうしよう。Book Offだ。イオン駅前店のブックオフというところへキミは以前から寄ってみたいと言っていたではないか。それを実現せよ。実現した。行ったのさ。しかし、こういう場所は初見では何がどこにあるのかさっぱり見当もつかないのである。おまけに仙台駅前のイオンなんて場所に気合い入れて2フロアも陣取ってるくらいだからもんげぇ広いわ、空調は効き過ぎで腹は冷えるわ。ダメだ。もういい。俺は行く。一番町に行く。断然行く。本日のターゲットがやがて現れるはずの一番町、元松竹映画館、元丸善、元金港堂のあった通りへと。すっとさ、これ、ジャズフェスの長所ね、聞こえてくるわけさ。いい感じの音が。

 

 

ハンパなタイミングから見ることになったんで、こんな位置からの参加・撮影にはなったが、イシバシケ、ちっちゃいベースとリッケンバッカー、そして譜面台に乗せたカフォン。ジャズフェスにあっては、ある意味完璧な編成ですね。なにせ狭い空間でのパフォーマンスだから。しかしそれにしても、いい。なにがいいって、ボーカルのねえさんの声がコロコロとよく転がって素晴しい!ほんとに素晴しい!そんな心地よい声で歌われるのは「ほぼビートルズ」のサウンドに乗ったオリジナルソングス。「Slow Down」を変態させての「相談(Sow Dan)」とか、「Route 66」風の「ルート4号線」とか。とにかくねーさんのキャラが立っててほんとに楽しませていただきました。ありがとう!イシバシケ!

 

  

(↑後日YouTubeより)

 

さて、偶然にも高レベルで楽しませてもらったイシバシケは終った。がしかしまだ一時間ある。なんてこった。しかしアーケード街の天井を阿呆と見上げていてもしょうがない。こうなったら散策だ。我ひとりだからこそできる、散策。いいじゃないか。Goodだ。久しぶりにここら、かつての「オレの庭」を徘徊しちゃおうじゃないか。壱弐参横丁と文化横丁を。

 

 

ジャズフェスにロックを聴きに来たみんな、ほら、ここが文化横丁の「Smoke」だ!とか勝手に紹介したら「一見さんで混むのは困るなぁ」とか店主のアキちゃんに怒られるのかもしれない。でも大丈夫、このブログのせいで新客が発生するなんて、かなりの奇跡でも起きない限りあり得ないから。さて、そろそろ……13時15分。

Rocket☆Hopperの時間だ!フロム山形・酒田!

 

 

居並ぶ各種ギター陣の皆さん!そしてそれを操る安齋肇さん(ちゃうって!)。

 

 

「おろし金かい?」とか言ってるおんつぁんがいたけど、「洗濯板」だかんね。Washboardともいう。

 

 

オープニングはいつものアダルティな「猫たちの夜」をWashboardやカズーを使いながらジャグバンド風に。「Mississippi Delta」(Bobby Gentry)は2曲目でしたよね。で、「Love The One You’re With」(Stephen Stills)と「Hot Legs」(Rod Stewart)は生スライドとタンバリンではじけまくって。

 

 

Linda Ronstadt風の「Heat Wave」もよかったし、もちろん「Shake Your Moneymaker」は"Smokin' Boogie"をぶっこんで!

そして「ジブリっぽいのを」とか言いつつ、なるほど日本語詞を交えての「Country Road」でエンディング。

でもなんでだろうね、こういう見た目ぶっ飛んでてクールででも実はかなり真面目で最高に純な人たちの、熟達しっぱなしで美麗流麗でゴッキゲンでもうどこまでも飛んでいくしかないような感動最上級の演奏を聴いてると、そうなんです、涙が出るんです。知らず知らず感涙に濡れるんです。でしょ。これ、なんでなんすかねえ。

 

感涙のあとはもう迷走。ろけほ以上のバンドなんてどこにもありゃしない。期待もしないし、実際おらん。で、迷走なんだが、ま、このへんかなと向かったのが七十七銀行本店前。ハードロックエリアです。すると聞こえてきました。Voodoo Chile。

Shining Wizardだって。

 

 

じっくりと、しっかりしたサウンドを聴かせてもらって、そして帰路についたわたしだったのだ。まだまだ続くジャズフェスだが、ほら、俺もう65だもんで。ああ、づがれだぁ……。

 

ほんでまず、また来年!

 

↓ロケット☆ホッパー

Rocket☆Hopper La Noche De Los Gatos(猫たちの夜 )in 定禅寺ストリートジャズフェスティバル (youtube.com)

↓イタバシケ

 

イタバシケ ITABASHIKE 板橋家 仙台のロックンロールバンド R&R BAND - イタバシケ ITABASHIKE 板橋家 仙台のロックンロールバンド (jimdofree.com)

 

2024年9月7日㈯

 

まず私が語らねばならぬのはKIKUCHIKAORUくんの真面目さであろう。

 

 

仙台人なんだからたまに街に出た時、しかも夫婦そろって街に出るなんて5年ぶりっすよ、ってんで牛タン。俺たちよく考えてみれば実は5年どころじゃない、ほぼ10年ぶりに牛タンをいただきました。けれどそこには私が語るべき何物もありませんでした。理由は10年前によく食べていた軽食の肉片の小型化によります。かつてはプヨプヨもっちりと私たちの口中に香ばしさを放ちまくったあのお方がもうそこにはいなかった。まるでサラミだ、あんなもんは。もう牛タンとさえ呼べない。どんな誰が仙台に来たってあれだけは、あの店のあの定食だけは食わせられない。わたしたちは涙しました。もう仙台に俺たちの食える牛タンはない、あと500円は上乗せしないと、もう、ない。となりで俺たちより高い定食食ってた若いの、お前ら大正解だったぞ。たぶん。

そんな俺の耳に素直に入ってきたのが菊池(?)君の「After The Gold Rush」でした。そして「Heart Of Gold」でした。とどめの「Desperado」でした。

おっさんかな、と思ってパンフで確認したらなんと木口(?)くんは大学1年生との記載。

世の中捨てたもんじゃない!絶対に捨てられない世の中が世の中にはある!そう言い切らせてくれるKIKUCHIKAORUくん!がんばれ!もっとやれ!やってくれ!ハープもロバート・ジョンソンももっとやってくれ!いいぞ菊知!やれ規矩智!そう願わずにはいられないクリスロード常陽銀行仙台支店前のIZUMISAWANORIYASUなのであった!

 

そして私たちは歩きに歩きました。途中ローソンでビールを買い、インド人のマハリシくんに、「10円足りないよ」とせがまれ、いえ、まっとうな抗議を受けて素直にもう10円、いえ、実際には16円でしたので20円をトレイにのせ、西公園市民プール前へ向かいましたとさ。疲れた。そこで語らねばらなぬのは我らが愛する本日のメインイヴェント、スーさんとドライブのライブ風景です。

 

 

 

しかしどうでしょう、愛し続けて5年くらい、通い続けておんなじくらい、そしてコロナ禍を5年、ってことはennのコンサートには種々の訳ありで行けないけど、一応10年ハマりっきりの彼らのライブをどんな曲をやったか程度のことしか私の脳みそには刻まれなかったのです。そして残ったのはステージの真ん前で揺れ踊る二人の女のケツ風景だけなのだ。

 

 

写真は実際に撮れた写真から二人のうしろ姿をなるべく排したものである。

「Rock ’N Roll Soul」~「ナオミの夢」「I Feel The Earth Move」「Golden Age of R&R」どれもカッコよかったし、いつもどおり素晴しい演奏だったはずだ。アンコールの「ロックン・ロール」の歌声ではぶっ飛びもしたがしかし、俺の頭に残ったのは2つのケツとベーアンの轟きだけなのだった。疲れた。街の、イベントの端の橋にまで追いやられても一生懸命やってくれたスーさんとドライブ from Ishinomaki、わたしはあなた達を決して忘れはしません。何言ってんだ、自分でもよくわからない。とにかく疲れて……。

 

だからわたしたち夫婦は階段を昇った、青葉城へと続く大橋のたもとから源吾茶屋が桜の木に囲まれる西公園へと。そして迷った。俺が迷えば妻は怒りだします。どっちさ行きたいのッ!と。あ~~~~づがれだ!と。騒ぎます。暴れます。けれどジャズフェスです。誰が騒ごうが、暴れようが耳にビタッとくる音楽にたどり着かねば何の意味もないのです。しかし西公園は歩けど歩けど深い闇でした。広い森でした。しょうがない、歩き死ぬわけにもまいりません。すわりました、椎名林檎の歌を歌い続けるオバチャンのステージの前に。なぜならその人たちの次に出てくるのがパンフレットに「ストーンズのやっていた曲を中心にやりま~す」というコメントを載せていたからです。The Dealerでした。

 

 

やる気満々でした。とくに赤パンのおじさんはミックになりきってました。のでちょっと俺、笑っちゃいました。だってあまりにカッコ決め決めだもんで。ごめんなさい。と謝るのには根拠があって、ずっと見てるうちに慣れてきちゃったのね、そのキメキメのアクションに。それからは「Midnight Hour」「Carol」「Around & Around」「I Just Want to Make Love to You」etc...もう楽しいだけでした。楽しめるはずだったスーさんとドライブでぜんぜん楽しめなかったから、もうここで取り戻しますからね、俺たちは。そんな後ろ暗い理由もあるにはありました。でもそんな後ろ暗さを吹き飛ばすほどの熱気が、とり憑かれた様に弾きまくり続けるギター、静かに楽しんでいるのがわかる無表情なベース、単純なリズムに力感でファイトを叩きこむドラム、そして歌詞を全く間違えないヴォーカルからズバズバと感じられたからです。ありがとう、ザ・ディーラー、救い主、「Just My Imagination」最高、「Train Kept A Rollin’」悶絶、The Dealerステキ。俺は手を合わせた。いわきからわざわざありがとう。そしてだらだらと帰途についた。夫婦とも65歳ですからね、これ以上の無理は無理ですだ。

 

期待通りだった2日目に続く。

↓上記のみなさんが見られるサイト

キクチカオル (youtube.com)

(21) Nobuhiko Sato - YouTube (スーさんとドライブを撮り続けている「妖精さん」のYouTube)

ザ・ディーラーズ いわき街なかコンサート2023 2023年10月08日 (youtube.com)

 

 

楽器を弾いたり絵を描いたり文章を編んだりするだけが表現ではない。

料理を家族や自分の為に作ることだって一つの生活内表現だ。

一つの仕事を誰かや自分に割り振る、そうやって一日を組む立てることだって一つの表現だ。

問題なのはあれが欲しいこれを食わせろと与えられるものを欲しがるだけ、

金を払えば何でも手に入ると思い込んで、そして手に入れ、自分のモノになったと思うことだ。

自分で手に入れたと思い込んでいるだけで、それは人が作った価値観に隷属してるだけだ。

戦いを推し進めている権力者の横で一緒になって作戦を練ってる奴等も隷属者だ。

楽器を弾かなくたって、筆を持たなくたって、料理が下手くそだって全然かまわない。

人の価値観に自分を委ねちゃだめだ。

隷属はつらいよ。

 

俺たちのやっていることはどこまで行っても隷属だ。

それでも、いや違う今こそ立ち上げれ、などと拳をあげてる男はいるだろうが、

俺たちは、ちょっと待て!それは違うぜ、と怒鳴った。もしくは呟いた。まっすぐ相手の目を見て、怒鳴った、もしくは呟いた。

俺の頭の中にはサティスファクションが流れている。

彼女の頭の中ではポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが宙に向けて銃を放っている。

そういうことなのだ。

俺たちには音楽がある。映画もある。料理も絵画もある。手拍子、会話、ジョーク、食うこと、書くこと、走ること、歩くこと、呼び合うこと、笑うこと。とにかくなんぼだって表現がある。

芸術なんかじゃなくたって、何かを表現すること。

それだけが金や世の中の流れから乖離する手段だ。

隷属してるのは、投資だの政治だのそんなことに現を抜かしてる奴等だけなのだ。

どれがインチキでどれがホンモノかなんてロックで言ったらキリがねえよ。だってほらニッポンレット―から西にスパッとひとっ飛びの地で起きためんたいなんとやら。それもどのバンドが始まりかなんてオラ知らんが、まあサンハウスでいいでしょう。そっからシナロケ、ロッカーズ、ルースターズ、えっとえっとえっとせとらってことで、何が言いたいかはそろそろバレてきたね。そう。サンハウスのLemon TeaはYardbirdsのTrain Kept A-Rollin’、でシナロケのオマエガホシイはStoogesの1970、ロッカーズもルースターズもチャックベリーやらジョニーサンダーズやらをまんま自分たちの曲にしちゃって、それでおれたちをノラせたって事実の積み重ねで、言っちまえばそれをやってノセラレるかどうかだけが真実の核だったわけだ。

だから。

シーナは最後までホンモノだった。

初めて見た時、RCとワンセットで電力で見せられた時はなんでRCが前座なんじゃいと思ったもんだが、そん時はまあYou May Dreamがヒットしてたんでしょうがなかった。RCはごく一部で雨上がりが聴かれだした頃でね。それからR&R Olympicで何回かシナロケは見たけど、いつもどこでもシーナはジャニスどころかカルメンマキにもなれない、高く低く様々に「作った声」で俺達をだまし続ける、実にけなげな「ニセモノ」だった。なのにどこから見てもいつも誠実に、ニセモノを極め続けた。それは間違いなくロックンロールの「ホンモノ」だった。

 

 世の中には中々手が出ない商品というのがあって、その昔の私にとってのそれは「インスト曲のシングル盤」だった気がする。少ないこずかいの中から500~600円を出して買うレコードに歌が入ってなくてもいいのか、それは私にとってちょっとした問題であったのだ。

 しかしそれが好きなテレビ番組のテーマ曲なら話は別だった。そこにハードルは一切なかった。こんなふうに。

 

 

 なぜそこにハードルがなかったのか。映像に負けないパンチ力があっさり数百円の壁を突き破ったのだ。

 けれどテレビに関係ない世界で鳴っていた曲にもやすやすとハードルを越えていったシングル盤が2枚だけあった。彼らはベンチャーズのようにシングルで勝負するアーチストではなかった。アルバム全体で売る方々だった。なのになぜか我が家にはその2枚はいまだにしっかり存在している。こんなふうに。

 

 

 

 この2曲を聴いたことがある方ならなぜ我が家にこれだけがインスト曲のシングルとして残されているのか理解していただけると思う。ELPのほうはルパン三世のテーマにも通じるパンチ力である。ベックのほうはこの一曲だけで十分に得られる満足感。むしろこの2曲はそれぞれこれだけで終った方がいいくらいの実力を持ち合わせているのだ。

 私の選択は非常に正しかった。今でもそう思ってます。

 ひさしぶりに南米の大河コージェーピーで買い物をしたらタダでっせ~とぷらいむ氏が言い寄ってきたので、はい、映画を見たのです。戦後にゴジラがやってきたヤァヤァヤァみたいなのを。

 いやあ、リアルってつまんねっすなあ。世界中で大絶賛らしいっすけど、話がクソ真面目にリアル方向に向かえば向かうほどシラケる。おれ、PCの前でひたすらため息。そっかぁ、こうなるんかぁ、やたらこええけど、俺だめだなぁ的なため息。そして見終わった後。

 見っけ。あ、これもあったんかぁ。これもシンなんかぁ。そっかぁ、でもなあまたリアル路線で現実的世界に絡んで来るんかなぁ、と疑いの目をキープしつつちらっとサワリを見ました。と。

 ほっほー、って感じ。これならうちの奥さんにもお勧めできるかもなあ。

 奥さん、「シン・ゴジラ」ダメな人だったんです。とうぜんそんな人物にマイナス1.0は見せられませんでした。一応聞いてみたけど、わたしゃけっこー、だったのです。そんな奥さんにも勧められるかも、ってのはすなわち怪獣グワーッ、決闘ギャーッ的展開が即座に見て取れたからです。何より懐かしの面々が続々登場してくださるという素晴しい展開。

 結果。

 怪獣、もとい、禍威獣ウッジャウジャ、ウルトラマンシュッワシュワの大爆発的ストレートストーリー。

 奥さん大満足でした。もっち、俺もね。

 もう二年も前の映画だから皆さんとっくにご覧になっておられるだろうが、もし見てない人、とくにショーワ出自のおっさんおばちゃんには大推挙なのです。

 

     

 自意識丸出しのタイトルだけど浮かんだものを書くしかない。

 初めて一人で暮らし始めたアパートは広瀬川のそばの六畳一間だったけど、四畳ほどの板間がキッチンみたいで初めての一人暮らしとしては贅沢な風情もあった。トイレと風呂は同じ空間だったけど、いわゆるユニットバスってんではなくて風呂の横にビニールカーテンで仕切られて洋式トイレがあった。

 家賃分だけは親から金が送られてきたから生活に不安はなかったけれど、食うものがない夜はしょっちゅうで、タバスコを舐めながらハイニッカをラッパ飲みしたりしていた。13だか14だかに親に与えられたバカでかいステレオセットと二万円で買ったエレキギターだけが人生のすべてだった。

 アルバイトとクラブ活動のために書いていたラジオドラマの脚本に時間は割かれて、本末転倒ではあったけれど大学の授業にはまったくでていなかった。当然、単位はまったく得られず三年に上がれず大学は二年で辞めた。一年から二年に上がる時の金を付き合ってた彼女の親に借りていたから、それは返さねばならず、母親の知り合いだというある男から金を50万円もらった。それくらいの金は払ってくれて当然の男だということだったが、その人が自分の実の父親だったと知ったのは30年後、こっちが50歳を過ぎてからだった。

 

 

               

 タクシーを降りて一ヶ月、ふとした瞬間に、五橋、連坊、八幡町、台原、国分町、一番町……市内の風景が眼前に浮かんでくる。

 俺、懐かしんでる? いや、ホッとしてるのだ。もうその場面の中に紛れ込んでいかなくてもいいんだ。俺はもうその世界の外にいるんだ。

 なんでそんなふうに安堵するのか。そんなに俺はタクシー稼業が苦痛だったのか?あの稼業の何がそんなに苦痛だったんだ?なんでそんな仕事を27年も続けてこれたんだ?

 最後のやつの答えは単純明白――他にやれることを見つけられなかったから。見つけようともしなかったから。他の仕事に移って失敗したくなかったから。他に何かができるとも思えなかったから。ただ怠惰にしていたかったから。

 などと今さら反省する気もない自分の怠惰を書き連ねたって何の意味もない。一番の続けられた理由はただ一つ。

 会社が存続してくれたから。

 そう。世の不景気やらコロナ不況やらでこの二十数年のあいだにどれだけのタクシー会社が潰れたことやら。どれだけのタクシー運転手が失職したか。それを考えたら、27年間同じ会社にいられた俺はどれだけ幸運だったのか。

 わざわざ自分から失業者になる理由なんてどこにもなかった、というわけである。