タクシーを降りて一ヶ月、ふとした瞬間に、五橋、連坊、八幡町、台原、国分町、一番町……市内の風景が眼前に浮かんでくる。
俺、懐かしんでる? いや、ホッとしてるのだ。もうその場面の中に紛れ込んでいかなくてもいいんだ。俺はもうその世界の外にいるんだ。
なんでそんなふうに安堵するのか。そんなに俺はタクシー稼業が苦痛だったのか?あの稼業の何がそんなに苦痛だったんだ?なんでそんな仕事を27年も続けてこれたんだ?
最後のやつの答えは単純明白――他にやれることを見つけられなかったから。見つけようともしなかったから。他の仕事に移って失敗したくなかったから。他に何かができるとも思えなかったから。ただ怠惰にしていたかったから。
などと今さら反省する気もない自分の怠惰を書き連ねたって何の意味もない。一番の続けられた理由はただ一つ。
会社が存続してくれたから。
そう。世の不景気やらコロナ不況やらでこの二十数年のあいだにどれだけのタクシー会社が潰れたことやら。どれだけのタクシー運転手が失職したか。それを考えたら、27年間同じ会社にいられた俺はどれだけ幸運だったのか。
わざわざ自分から失業者になる理由なんてどこにもなかった、というわけである。