想像で遊び創造で遊ぶ -26ページ目

夏、アート、音楽、自然のこと

2日連続のライブだった。

土曜日はクラブでイベント。

日曜日は琵琶湖でフリーパーティー。


炎天下、昼下がりの演奏。

シャボン玉が飛び、バドミントンをする人が、小さな子供も。


友達が木陰にてすばらしい場所をキープしてくれていた。

木陰の横にはきれいな湖。



たくさん泳ぐ。

演奏前、演奏後、夕方、暑いとき。





木が涼しい陰をつくる。


空気が澄んでいて、水に入ると遠くの山がくっきりと見える。

空の青さは完全な蒼。




空に舞うシャボン玉。





空気が澄んで、夕方に。






影がつくる黒。



浜辺で、貝殻とか木とか羽とかビーチコーミングして楽しいものを作った。



さらに、




奥に鎮座するは、ごみ神さま。





作り出すと創作意欲がすごく湧いてきて、止まらない。

楽しくって、友達とおしゃべりしつつ制作。

暗くなるまで制作、制作。


この日は、本当になんとも言えないぐらいに天気が良くて、

たくさんの人がいて、すばらしき一日。



今日は今日で、のんびり、ぶらぶら、だらだら、すやすやな日。

外は涼しい風が少し強めに吹いている。

今日も空気が澄んでいる。

空気が澄んでいる日は、澱みがない。

遠くへ行けそうな気がする。

遠くが近くにやってくる。

彦根にいくこと

あつい、という言葉しか浮かんでこない今日。



彦根に友達たちと遊びに行く。



お寺に行く。

森が深く、下界はとても暑いのにこちらはとても涼しい。

お寺内部も、風が吹き抜けてとても涼しい。

そして人が全然いないのでとても静か。


観光化されていないので、じっくり楽しめる。

しかも内部も庭もとてもいい感じ。


そのあとなんやかんやで骨の髄まで彦根を堪能する。

とてもいいところで、まだまだ見たいところがいっぱい。



駅前のさびれようからは想像できないほど、お城のまわりは楽しみがいっぱいあった。



夏草、蔦がからみつく、ノスタルジック。



裏道では蔦がからみついた家。



古い自転車、サビた椅子。



夕焼け空を背景にして鳥。



お城のお堀、夕日。




この、日曜日こそ昼寝をしようと思って、

昼一番に本を片手に寝転がって、

扇風機ブーンとまわって、

てな感じで最高の昼寝を演出用意OK。


と、友達がふたりいきなりやってきて、

すぐに帰るといったのに夕方まで居ついて、

6時ごろから昼寝の続きをしようとやっきになって、

30分だけのドリームタイム。



起きると空がとてもきれいで、

今年の初ヒグラシが裏の神社の森でないていて、

上半身裸で家の裏を少し散歩して、

気がつくとフェンネルが自分の背より高くなっていた。



冒険王のこと

人知れず、横尾さんの「冒険王展」へ行った。


boukenou




ひさしぶりに見る生の横尾さんの絵は、なんとも言えない嬉しい気分にさせてくれる。



最初に、新しいY字路シリーズがあって、

夢で見るような、もしくは過去に見たことがあるような世界。

その絵の世界は現実のようで現実ではないけれども、あのとき夢で見たような世界。



ルソーのパロディ?作品群は個人的にクライマックス。

いたずらなのか本気なのか、

絵のうまいルソー好きの子供がやりそうな、

というかルソーが大好きなのか。

サインも、「Henri Usso Yokoo」だったかな、

いたずら心満載、つっこみどころ満載の、楽しくて気持ち悪い絵達だった。


あれ、そういやルソーの絵をパロってライオンに襲われる女の絵、昔にも描いてたのを思い出した。



なんていうか、

子供の時に見た強烈な挿絵とか、絵画とか、漫画とか、

記憶に刻まれたなんとも言えない気分の絵たち。

そういう気分を想起せずにはいられない展覧会だった。



人がすくなくてとてもゆっくり見ることができた。


存在のこと

ちょうど、半年前に大好きな僕のばあちゃんが死んだ。


先月は大好きなライアル・ワトソンが死んだ。




人はいつか死ぬ。

だけど僕は今生きている。


それだけ。



それだけ、だけど日々の生活でどれだけ生きられているんだろう。



いつも思う、これだけじゃない、もっと生きることができる。

たまにある怖いくらいの「生きている喜び」。

それがずっとあればいい。


そう考えるのは人間として傲慢なのだろうか。



ちょうど今、ワトソン先生の本を読んでいる。

地球上にあるものはすべて、

多すぎても少なすぎてもよくなくて、

「ちょうどいい」のが地球にある自然の摂理で、

例えば増殖しすぎたレミングなんかは集団自殺をする。



なにごともバランスを保っているのだ。




そういうことを考えていくと、

自然とか、

人間とか、

ほかの生命体とか、

原始レベルでも、

大きな宇宙が定めた摂理のなかで動いているんだなあ、と思う。

すべてが「ちょうどいい」存在らしいから。



仮にそういう法則があるにせよ、

「ちょうどいい」より、

「めちゃくちゃやばい」ぐらいのほうが好きだ。




21グラムだったかな?

そういう存在に愛と感謝と幸運を祈ります。

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窓からこんにちはのこと

工房の、西側にスリガラスの窓がある。


窓にくっつくように背丈ほどの紫陽花がたくさんあり、

見上げると神社の大きな杉と樅の木が覆いかぶさるようにはえている。

この窓を開けるといつも涼しい風が入ってくる。



今日、窓をガラッとあけたら、紫陽花の小さな葉の上にかわいらしいカエルがちょこんと座っていた。

窓をあけた瞬間にそいつと目があって、向こうの困惑が見てとれた。


風が通りはじめ、葉っぱは裏がわを見せカエルを乗せたまま風になびいていた。




紫陽花は咲いているときだけ、きれいだ。