先日Yahoo!知恵袋を何気なく見てると、こんな感じの質問を見つけました。
「いじめられた人といじめた人、幸せな人生を歩むのはどちらですか?」
他にこんな質問もありました。
「いじめをした人は不幸な末路になるんでしょうか?」
「いじめられた人は不幸な人生を歩んでるのに、いじめた人の方が人生が上手くいくのはなぜですか?」
こういう話題は以前から見聞きすることがありました。
いじめられた側といじめた側、幸せな人生を歩むのはどちらなのか?
またはどちらが不幸になりやすいのか?
そして見解や考え方も、人により異なるようです。
私の個人的考えになりますが、このテーマについて考えてみました。
私の考え(個人的答え)としては
「いじめられたことも、いじめたことも、その後幸せまたは不幸になるかに関係ない」
となります。
先日も書いた記事にも関連します。
恨みや憎しみが合っても幸せになることはできる 補足
その人が幸せになることと、いじめ体験は直接関係ないからです。
先日の記事は、被害者側に関しての記事でしたが、加害者にも当てはまることでもあります。
残念に感じる方もいるかもしれませんが、身勝手な理由または軽い気持ちで誰かをひどく虐げ、苦しめ続けたとしても、幸せになることはできます。
被害者側が不幸でいる限り、加害者側も不幸でいるべきという理があるわけでもないです。
ただ、因果応報など、「したことが何かの形で自分に返る」ことはあります。
追記
オリンピックで問題になった某ミュージシャンも、数十年後になって因果応報が起きたからです。ここまで大騒ぎになったら皆忘れなくて一生いじめのイメージが付き纏うでしょう。例え心を入れ替えたとしても。
オリンピックで国民全体の問題にまでなってしまいましたからね…。
公での活動は難しくなるでしょうし、もう活躍は厳しいでしょうね。
あとは個人的に感じるのは呪いもあると思います。
カルマという考えがスピリチュアルにもありますし、他には恨みなどの他者の念の影響を受け、不運が起きやすくもなります。
ですが、それは「不幸」とは違います。
因果応報はあくまで「試練」のようなものです。イコール不幸ではないです。
他者のネガティブな念の影響を受けるとしても「不運」と「不幸」は違うものです。
他人から見ると不幸な状態に見えるかもしれないし、人によっては試練や不運に潰されてしまう人もいるかもしれません。
ですが、基本的には不幸とは違うものだと思います。
幸せかどうかは他人に判断できない
私の考え方にはなりますが、他人が誰かを幸せかどうかを判断するのは、ナンセンスだなと感じます。
人は時に、他人が幸せか、または不幸かをジャッジしたり決めつけたがることがあります。
ですが、幸せか不幸かどうかは、他人に判断はできないものです。
なぜなら大抵は「自分の幸不幸の基準」に当てはめているからです。
「自分の価値観でなく客観的に判断している」と言う人もいるかもしれませんが(例えばコンサルタントなどのプロの方など)、それもその人が作った幸せの方程式やルール、基準に当てはめてる印象です。
他人が幸せか不幸かをジャッジしたがる人は、そうして自分の幸せを確認したいか優越感を感じたい等
そういうこと(誰かが幸せor不幸)にしたいだけなのかなと感じます。
つまり、思い込みです。
大抵は外側や条件を見て判断されがちです。
ですが外側や条件で判断できるものでもなく、本人がどう感じてるかです。
他人(身内や深い仲であっても)に見えるのは一部分だけです。
※2021年追記
2020年は芸能人の自殺も相次ぎました。
成功者で恵まれている人たちで、外側だけ見ればどう見ても恵まれて幸せそうな人たちですら、自殺してしまうことすらあります。
他人からは幸せかどうかなんてわからない、外側だけで判断できないというのが、このことからもよくわかると思います。
SNSで楽しそうな投稿をしてたくらいでは、幸せだなんて全くアテにならないです。いくらでも装えます。鬱病でも幸せそうなSNSの投稿なんて簡単にできます。
(追記終わり)
その人がどんな気持ちや思考で一日を過ごしてるかは、本人にならない限りわからないし、想像の範疇です。
幸せか不幸かは他人にはわからないもので、本人にしかわからないのではないでしょうか。
わかると思っても、それは真実というより「想像」です。
※ちなみに…
偉そうにこういうことを書いてますが、リーディングで幸せな状態かがわかることは、正直ありますw
ですがリーディングだって全てわかるわけではなくあくまで一部分であり、また流動的なので、結局他人の幸不幸は判断できないものかなと思います。
いじめられた経験は幸せを阻むハンデではない
いじめを受けたことがある体験者の中には、いじめられた経験があると後々の人生にマイナスになるという信念や思い込みを持つ方もいるようです。
例えば人間不信になったり、自己肯定感や自信が下がり成功体験が少なくなる、などです。
いじめられた傷やトラウマが人生に影を落とし、苦しみ続ける場合も確かにあるでしょう。
一概に言えませんが、加害者より被害者の方が忘れられず引きずる傾向もあります。
いじめ加害者は傷ついてないので、比較的引きずることやこだわることも少ないようです。
いじめというのは人格否定であり心を殺される行為です。
最悪な場合、自殺にまで至ります。
社会問題の一つといっていいでしょう。
大小はあれど、人一人の命を奪いかねないほど卑劣な行為です。
もちろん、いじめを肯定する気はありません。
一件でも少なくなってほしい、苦しむ人や傷つく人が一人でもいなくなってほしいと願ってます。
いじめられた体験は、人生に影響を与え後々まで傷を残すほど、辛い体験ともいえます。
なので、足を引っ張られるように感じたり、ハンデを背負わされたように感じる人も少なくないでしょう。
※ただ、全てではないです。人によってというより、体験により違います。
私も何度かいじめられた体験はありますが、傷が残らない場合も残る場合も両方ありました。
なので、いじめられた側は幸せになることが難しいと思い込むケースも中にはあるようです。
ですが、幸せになることといじめられた体験があるかは関係ありません。
幸せになることを阻むわけではないです。
多少立ち直る時間は必要かもしれません。
いってしまえば、例え立ち直りきれてなくても幸せを選択できます。
過去のことであれば、もう終わったことで、その体験はその体験の出来事でしかなく、今や未来の出来事ではないです。
現在進行形の場合は、過去より難しいでしょうが、今苦しくてもいずれ過去になります。
もし現在どうしようもない状況なら、逃げるか相談すべきです。
我慢し続ける必要はないです。
過去のこと、またはいずれ過去になることであり、その体験をくぐり抜けてきたことは、今後生きる上で強みになります。
最後まで耐え抜いたかではなく、過去になった時点で終わり、山場を乗り越えたことになります。
自覚がなくても、山場を乗り越えた体験を得てます。
そういう体験をした人間は簡単には潰れません。
立ち上がる強さがあります。
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