今回は加害者のテーマで書いてみます。
人は被害者意識を持ちやすい傾向はあります。
加害者側になることも時にはありますが、それより自分が被害者になったことに意識が向きやすいです。
自分は被害者になることが多いと思っていても、加害者側になることもあるはずです。
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こういう話題って正直、書いてて重いです(苦笑)
結局自分の内側(無意識含めて)が現実を創ってると私は思ってます。
昨年はそれがかなり腑に落ちました。
今までも理解はしてたけど、本当に自分の意識が現実を創ってるなと実感できました。
マジ、外側とか関係ないな、みたいな。
そうなってくると、加害者側の心理とかも実はあまり関係ないよなーって思えるようになります。
ですが、不当に被害者側になり、加害者側が得をして被害者側の自分だけ損をしてると思い、苦しんでいる方も少なくないようです。
というか、私自身もまだそのことを手放しきれてないんでしょう(^-^;)
前置きが長くなりましたが…。
一見、被害者側だけが不当な目に合って苦しんでるように感じるかもしれません。
加害者側は得をしてるように感じるかもしれません。
けど、意外ですが、加害者側は実は大変だったりします。
被害者側と加害者側は、立場が違うだけで同じ波長です(でした)
どちらも波長が低く、エネルギーが不調和だったということです(その時たまたまな場合もあります)
これは被害者側からすると、認めたくないかもしれません。
ですが悪いことではないです。学びの意味もありますし、ネガティブから何かが生まれたり進化できることも多いです。
私自身振り返っても、やはり被害者側だったときは自分の波長が低く、エネルギーが不調和でした。
よっぽと波長が低く、自分が自分を嫌っていじめて、低く扱ってたんだな、それが外側に反映されてたんだな…と今ならわかります。
ただ、被害者側だけでなく、加害者側も同じ波長やエネルギー状態です。
お互い波長が合うから引き合います。
加害者側は一見勝ってたり恵まれてるように見えるかもしれません。
それは見せかけの見える部分だけです。
見えない部分は不調和でカオスです。
そうでないと被害者側と引き合うことはないです。
加害者は抜け出しにくく、被害者は抜け出しやすい
ですが、変化しやすいのは実は被害者側の方です。
当然ですが被害者側なのは苦しいし嫌です。
なので、当たり前ですが、変えたいと望みます。
被害者側は自分が嫌な苦しい目に合うので、抜け出そうと思えます。
なので、被害者側は変えたいと思いやすいです。
変えたいということは、自分が変わるチャンスでもあります。
そのチャンスを掴みやすいのが被害者側です。
いきなりガラッと変わることは難しくても、そこから学べて何かしら前に進め、成長を得やすいです(魂レベルで)
ですが加害者側は、一見自分に害がないので、被害者側のように強く変えたいとは思いづらくなります。
自分を変えるというのはものすごくエネルギーを使うことでもあるし、自分と向き合うのは楽ではないからです。
なので、被害者側と違い、自分を変えるチャンスを掴みづらくなります。
ということは…
波長が低く、エネルギーが不調和でカオス状態のままになりやすいです。
被害者(ターゲット)を変え続けるのも、外側に自分の不調和を投影し続けていることに彼ら彼女らは気付けません。
加害者は外側のせいにする外側軸になりやすいです。
被害者側は必死に抜け出し変えたいと思えます。
その過程で気付いたり変われることもあります。学びも得やすいです。
実は状況をコントロールできるのは被害者側の方です。
ですが加害者側は、必死に抜け出し変えようとはしづらいです。
なので、自分を変えるチャンスを掴みづらく、本当は内側が不調和だけど、それに気付きづらいです。
自分の内側の状態が現実を創ります。
自分でわからなくても、内側の状態を反映した不調和な現実を創ってしまいやすいです。
加害者側は、ターゲットを変えて繰り返し続ける人は多い傾向かもしれません。
それは、ターゲットを変えて繰り返さないといけないような低い波長や、不調和でカオスなエネルギー状態ともいえます。
もし波長が高くエネルギーが調和していれば、被害者側とも引き合わないし、加害者側に回る現実を作ることもありません。
結局、満たされてなかったり自信がなかったり、本当は自分を好きでないわけです。
だから自分を強く見せるためにターゲットに害を加えようとします。
そうして自己防衛したり、自分を保ってます。
内側が調和していると、他者の中に自分を見ることができ、自分も他者も尊重できます。
なので、加害者側の方が実は大変です。
じゃあ、加害者側はずっと繰り返し続けるのか?というと…。
加害者側にもある時、変わるチャンスが巡ってきます。
それは、「被害者側になる」状況です。
因果応報はチャンスでもある
それまで、ターゲットを変えて加害者側になるのを繰り返し続けてきた人も、いずれ、自分が被害者側になる状況がやってきます。
これがいわゆる「因果応報」といえるかもしれません。
自分がしたことは何かの形で自分に返る。
この法則により、今度は自分がしたことが返ってきて、被害者側となります。
他者から見ると、天罰に見えるかもしれません。
私個人的な考えですが、いわゆる因果応報は、罰というよりは、変わるための機会だと思います。
加害者側が、被害者側に回り、そして自己を見つめ直し、変わるための機会。
それが因果応報かなと。
ある意味では救済措置ではないかと思います。
ただ、そこで気付いて変われるか、それとも変われずまた加害者側になるかはその人次第です。