日記「今日見た映画 2012」4『テルマエ・ロマエ』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

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■『テルマエ・ロマエ』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2012年/日本映画/108分
監督:武内英樹
出演:阿部寛/上戸彩/北村一輝/竹内力/宍戸開/勝矢/キムラ緑子/笹野高史/市村正親/外波山文明/飯沼慧/岩手太郎/木下貴夫/神戸浩/内田春菊/松尾諭/森下能幸/蛭子能収

■2012年 劇場公開作品 4本目

「絶対ありえない」「超バカバカしい」「超ご都合主義」の「とんでも話」だが、「かなり」「泣いてしまった」。極限のくそリアリズムの「ある部分」と「ない部分」が混在する。「ない部分」においては「完全皆無」なくらい「バカバカしい」のに、何でここまで「泣かし」なのか追い込まれた。

まず「今頃」、「ヤマザキマリ」の「原作マンガ」があったの思い知った。また「原作マンガ」と「映画」は話が違うことも思い知った。映画しか見てないので、いつものごとく「原作マンガ」については何も知らない。

「阿部寛」「ルシウス・モデストゥス」が「古代ローマ」から突然タイムスリップした場所が、何で「日本」なのかが全く解からない。これは『マネキン』で、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「キム・キャトラル」が、「古代エジプト」から突然タイムスリップした場所が、何で「アメリカ」なのかが全く解からないのと「同格」、「超バカバカしい」「ショック」「衝撃」に匹敵。まず漏らすしかなかった。

「タイムスリップもの」の暗黙のルールは「完全無視」。過去の歴史を変えてしまったら、未来が変わってしまうはずだが、そんなの「殆ど関係ない」。現代日本の文化が「古代ローマ」で真似されたら、人類の歴史そのものが変わってしまうはず。「超バカバカしい」「とんでも話」にも漏らしてしまった。

これらが「絶対ありえない」「超バカバカしい」「超ご都合主義」な「とんでも話」の、極限のくそリアリズムが「ない部分」。ではこれら「全部」を「完全チャラ」にさせ、「殆ど関係ない」と思わせるまで、『テルマエ・ロマエ』を恐るべきやりすぎ限界映画にした極限のくそリアリズムが「ある部分」とは?

僕は「鶏」だった頃、『ニュー・シネマ・パラダイス』のような野外上映で、「もしも」「江戸時代」に『E.T.』を上映したら、「侍」「農民」は一体どうなってしまうか? と「想像」した。あまりの「ショック」「衝撃」で、「侍」「農民」で「失神」「気絶」する者が出ると思った。

普段「当り前」と思って「完全無意識スルー」。「意識」してない「現代文化」。「風呂」「銭湯」「温泉」だけでなく「トイレ」まで。「もしも古代ローマの人間が現代文化を見たらどうなってしまうか?」という恐るべき極限のくそリアリズムが、「絶対ありえる」「本当にそう見える」 “棲息速度域” まで到達。「かなり」「泣かし」に追い込まれた。

普段「当り前」と思ってるものは絶対「当り前」ではない。「古代ローマ」の人間が見て、「これほど素晴らしいものはない」と「涙」流して「確信」、「完全真似」するまで、どれほど「現代文化」、人間の「想像力」「文明」が「偉大」であるか、『テルマエ・ロマエ』が、「阿部寛」「ルシウス・モデストゥス」の「視点」で、今一度僕達に「再確認」させたのだと思う。

「神への冒涜」「CG」か「セット」なのか。「古代ローマ」を「完全再現」した「セット」「美術」「衣装」には、ビビッて震え上がり「泣きながら」大きい方を漏らすしかなかった。

「絶対戦争反対」の「信念」「価値観」「倫理観」にも心撃たれた。「男は絶対見たくなかった」僕が、「ローマ皇帝ハドリアヌス」「市村正親」と「阿部寛」の「絆」に、「かなり」「泣かし」に追い込まれた。「竹内力」「笹野高史」も「凄かった」。

恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「上戸彩」の「極限の美」も印象に残った。




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日記「今日見た映画 2012」4『テルマエ・ロマエ』
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画像 2020年 9月