『リンキング・ラブ』 | やりすぎ限界映画入門

やりすぎ限界映画入門

ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『リンキング・ラブ』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2017年/日本映画/116分
監督:金子修介
出演:田野優花/石橋杏奈/白洲迅/中尾明慶/落合モトキ/加藤諒/木下隆行/大倉孝二/武田航平/ねりお弘晃/黄川田将也/渡辺徹/浅田美代子/西村まさ彦/益田恵梨菜/樋井明日香/未浜杏梨/長谷川眞優/佐々木しほ/眞嶋優/古橋舞悠/森岡朋奈/磯原杏華/葉月/百合沙/落合萌/久田莉子/木下愛華

2017年 第33回 やりすぎ限界映画祭
2017年 ベスト10 第1位:『リンキング・ラブ』
やりすぎ限界パルムドール/やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界男優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞:『リンキング・ラブ』


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界女優賞:田野優花


やりすぎ限界女優賞:石橋杏奈


やりすぎ限界女優賞:益田恵梨菜


やりすぎ限界女優賞:樋井明日香


やりすぎ限界女優賞:長谷川眞優


やりすぎ限界女優賞:眞嶋優


やりすぎ限界女優賞:古橋舞悠


やりすぎ限界女優賞:森岡朋奈


やりすぎ限界女優賞:葉月


やりすぎ限界男優賞:中尾明慶


やりすぎ限界男優賞:加藤諒


やりすぎ限界男優賞:西村まさ彦


[「AKB48」に「全く」「興味なかった」]



僕は「AKB48」に「全く」「興味なかった」。理由は「女優ヲタ」だから。「グラビアアイドル」を「見つめる」のさえ「ギリギリ」の範囲なのに、「音楽系アイドル」まで手を出したら「支離滅裂」で収拾つかなくなると思った。「あえて」「音楽系アイドル」に関わってこなかった。




だが「音楽系アイドル」「NG」の僕が、なぜこれほど「AKB48」を魅せた『リンキング・ラブ』に「ガン見」になってしまったのか?

[「日本が世界に誇る文化」]



■「アニメもアイドルも日本が世界に誇る文化だ」



「音楽系アイドル」の知識が「皆無」な状態で『リンキング・ラブ』を見て、「AKB48」などの「アイドルグループ」が、「日本が世界に誇る文化」だということを「初めて」「自覚」した。「日本」で売れるという「現実」は、「アジア」の市場に影響を与える「現実」なのだろう。「中国」や「韓国」で「日本」のアイドルの写真が「氾濫」する理由を自覚してなかった




うすうす気づいてはいたが、日本のアイドルは「K-POP」にも影響を与えてきた。「山口百恵」から「キャンディーズ」「ピンク・レディ」「おニャン子クラブ」「モーニング娘。」…………の「流れ」など、『リンキング・ラブ』を見るまで「全く」「知らなかった」。「AKB48」が「モーニング娘。」を超えた理由を調べ、「今」のアイドルの「スタイル」を確立したのが「AKB48」なのだと思い知った。「遠い存在」ではなく、ファンが「メンバーに会える」「身近な存在」となったアイドルだったとは、何一つ殆ど砂粒ほども「知らなかった」。



「NMB48」「HKT48」…………や、「乃木坂46」「欅坂46」…………などは「うっすら」聞いたことあったが、さらに「まさか」、「新しい」「スタイル」が「全世界」まで拡がり、「インドネシア」「ジャカルタ」「JKT48」、「中国」「上海」「SNH48」、「タイ」「バンコク」「BNK48」、「ベトナム」「ホーチミン」「SGO48」…………など、「全く」「知らなかった」。日本の「AKB48」がこんな「大ごと」になってたと「今頃」思い知って、大きい方を漏らし「反省」「懺悔」「償い」しかなかった。






「秋元康」に「今頃」、「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」。「今頃」、「日本が世界に誇る文化」だと理解した。「田原総一朗」が推す理由、「AKB48選抜総選挙」「センター」の「重さ」、類似したグループが星の数ほど生まれた理由を、「今頃」思い知った。

[普段「当り前」と思って見てるもの]






人間は今起きてることを「当り前」のことと考えてしまいがち。だが人間は失った時「初めて」、今まで起きてたことが「当り前」のことではなかったと「自覚」する。




「幸せ」を失い、それが「幸せ」だったと初めて思い知るように、普段「当り前」と思って見てるものを、もし「タイムスリップ」で、一度も見たことない「過去」の時代に行き、「生まれて初めて」その「当り前」のものを見たとしたら、人間はどうなってしまうのか?






『リンキング・ラブ』はバブルの時代、「もし1991年の人間がAKB48を見たら世界はどうなってしまうか?」という「視点」で、「AKB48」の「ヤバさ」、普段みんなが「当り前」と思って見てるものの「ヤバさ」、「日本が世界に誇る文化」の「ヤバさ」を思い知らせた。

[『制服が邪魔をする』]






僕は「鶏」だった頃、『ニュー・シネマ・パラダイス』のような野外上映で、「もしも」「江戸時代」に『E.T.』を上映したら、「侍」「農民」は一体どうなってしまうか? と「想像」した。



■「おニャン子クラブが 過激になって復活だ!」



恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「沢口靖子」の『竹取物語』で、「UFO」の「怖さ」に震え上がり「弓を射る」のが、僕には極限のくそリアリズムに見えた。「メル・ギブソン監督」の『パッション』を見て「ショック死」した観客の事件を思うと、「もしも」「江戸時代」に『E.T.』を上映したら、あまりの「ショック」「衝撃」で、「侍」「農民」で「失神」「気絶」する者が出ると思った。






「JKT48」「SNH48」「BNK48」「SGO48」…………まで「全世界」を「変えてしまった」「大ごと」、「もし1991年の人間がAKB48を見たら世界はどうなってしまうか?」




普段「当り前」と思って「完全無意識スルー」。「ちゃんと」見てなかった「AKB48」を、「日本が世界に誇る文化」となった「理由」を、『制服が邪魔をする』を、僕は「初めて」見る「1991年の人間」と同じ「視点」、『E.T.』を見る「侍」「農民」と同じ「視点」で見てしまった。あまりの「ショック」「衝撃」で、「失神」「気絶」まで追い込まれ大きい方を漏らし「泣きながら」、『リンキング・ラブ』に「弓を射ってしまった」。

[「一人だけ違う奴」がいる]






僕は「一応」俳優で、「エキストラ」ばかりの三流でも一応何でもやれと、「ダンス」を習わされたりする。だが鏡で自分の「ダンス」を見て思い出すのは「淀川長治先生」が、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「アンナ・パブロア」に憧れ、鏡の前で『瀕死の白鳥』の真似をしたら「瀕死の赤がえる」にしか見えなくて「止めた」話。僕の「ダンス」も「全く」「同じ」「瀕死の赤がえる」。「芸人」がギャグで「笑い」を狙う「程度」にしか見えない。



自分でやってみて解かるが「持久力」「筋力」「柔軟性」など、「かなり」「体力」がなければ「ダンス」はできない。僕がダンスの先生に「こっぴどく叱られた」のは、「体幹」の「意識」だった。どんな動きをしても自分の体の「揺れ」を「止める」「支える」「体幹」ができてなければ、「極限の美」に魅せる「姿勢」「振り」など「決める」「固定」することができない。






『リンキング・ラブ』で結成した「ASG16」には、「極限の美」の恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” が、真塩美唯(田野優花)から真塩由美子(石橋杏奈)寺島弘美(益田恵梨菜)北川梨奈(樋井明日香)西野マリ(長谷川眞優)林田サチ江(眞嶋優)中平カヨ子(古橋舞悠)小谷ミナ代(森岡朋奈)佐藤その子(葉月)……………………、「もっといた」が「眩暈」がして、「9人」で調べるの止めたが、「AKB48」の「ダンス」を「女優」が、「よくぞここまで」やったのは「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」。






「ASG16」に「ダンス経験者」がいることも調べた。だが「一人だけ違う奴」がいるのは「一目瞭然」。……「こいつは女優じゃない」。「一人だけ」他の「15人」と違う「ダンス」「体幹」を見てビビって震えがった。…………「あんたに殺されたくねえ」。“本物” の「怖さ」を「今頃」思い知った。



『制服が邪魔をする』『フライングゲット』で、「一人だけ違う奴」が「一目瞭然」の「体幹」、「怖さ」は、「オリンピックアスリート」ほどの「訓練」だったのかもしれない。恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「田野優花」に、「日本が世界に誇る文化」を「全世界」まで拡げた「真実」が何か思い知らされた。「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」以外なす術はなかった。

[「1991年」極限のくそリアリズム]




「魔法のランプ」とか「守護神」とか「タイムコップ」とか…………、他にも「願い事」が「3つ」叶うなら「もっと違うこと」願うだろうと、「バカバカしい」「コメディ映画」に何度「だまされそう」になった知れない。






だが「美術」「衣装」の細部の「ディティール」に「震撼」「驚愕」「絶句」。「ファッション」や「車」は当然。大きい方を漏らしたのは「ファンタ」「少年ジャンプ」「CM」…………、さらに『就職戦線異状なし』や「織田裕二」にしか見えない「武田航平」を見て、「背景」の恐るべき極限のくそリアリズムから「説得」されるしかなかった。特にソニーの「CDラジカセ」は、実は全く同じものを持ってる。実は「今」、僕が「PC」のスピーカーに使用してるのが、「全く」「同じ」「1991年」の「CDラジカセ」。「親近感」を抱き「涙」が出た。






加賀修造(中尾明慶)の「変化」も「かなり」「泣かし」だった。普段みんなが「当り前」と思って見てるものは「当り前」じゃなかった。「もし1991年の人間がAKB48を見たら世界はどうなってしまうか?」という「嘘」を、恐るべき極限のくそリアリズムで見せた「ショック」「衝撃」に、「失神」「気絶」まで追い込まれ、大きい方を漏らし「泣きながら」、「弓を射ってしまった」。




画像 2020年 7月