『傷だらけの悪魔』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『傷だらけの悪魔』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2017年/日本映画/97分
監督:山岸聖太
出演:足立梨花/江野沢愛美/加弥乃/岡田結実/藤田富/小南光司/仲谷香春/芋生悠/高野海琉/YUKINO/中島愛蘭/花影香音/福田愛美/吉増裕士/簑島宏美/岩井七世/川原亜矢子/宮地真緒

2017年 第33回 やりすぎ限界映画祭
2017年 ベスト10 第1位:『傷だらけの悪魔』
やりすぎ限界パルムドール/やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞:『傷だらけの悪魔』


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界女優賞:足立梨花


やりすぎ限界女優賞:江野沢愛美


やりすぎ限界女優賞:加弥乃


やりすぎ限界女優賞:岡田結実


やりすぎ限界女優賞:仲谷香春


やりすぎ限界女優賞:YUKINO


やりすぎ限界女優賞:岩井七世


[「いじめ」]




人間がいる限り「いじめ」はなくならない。全世界で「いじめ」はあるだろうが、日本は特に酷いように見える。




僕にも小学生の頃「いじめ」られた経験がある。子供の頃は「いじめられる側にも原因がある」などと「戯言」を聞いたこともあったが、「今」は完全な「寝言」でしかないと確信する。仮にいじめられる側に人を怒らせる原因があったとしても、「暴力」「傷害」を加えた時点で、加害者は未成年でも「少年法」で「犯罪者」となる。




「もし」「仮に」、「人を怒らせる原因がある人間」だったとして、その酷さに怒りを感じても、「暴力」「傷害」など加えず加害者にならなければ、「悪人」はその「人を怒らせる原因がある人間」の方だろう。だが「いじめ」て「加害者」となったら、「悪人」は「暴力」「傷害」を加え法律を破った側に「逆転」する。「暴力」「傷害」は「今」大人の世界でも「重罪」。

[「自分が他人にしたことは、いずれ全部自分に返ってくる」]




「澄川ボルボックス」の「原作マンガ」が「超話題作」だったと調べたが、いつものごとく全く読んでないので映画の内容しか知らない。「原作マンガ」を読まねば解からない、登場人物の詳細な設定や背景は一切知らない。



■「私 中学の時
  葛西さん達に いじめられてたの!」




父の仕事の都合で「栃木県立南高等学校1年C組」に「転校」してきた葛西舞(足立梨花)。東京にいた時の中学校の同級生、小田切詩乃(江野沢愛美)と再会する。かつて舞の友達グループが詩乃を「いじめ」てた時、舞は止めずに「傍観」「他人事」だった。詩乃は人生を変えられたほどの「怨み」「憎しみ」「怒り」の記憶が消えない。「傍観」「他人事」だった舞に、かつての「いじめ」の「復讐」を始める。「自分が他人にしたことは、いずれ全部自分に返ってくる」。かつての舞と詩乃の立場が「逆転」する。

[「日本人全体」の「想像力」の欠落]




日本に「いじめ」が多い原因の一つに、「心の貧しさ」を感じる。「ストレス」が溜まりすぎて、「他人を傷つける」ことでしか発散できない、精神が安定できないほど追い込まれてるのかもしれない。「いじめ」てなければ「生きれない」加害者の行動は、「生きてて心から幸せ楽しいと実感できることが他に何一つない」思考、「そのもの」に見える。幸せで心が満たされてる人間は「いじめ」をしないだろう。






また「いじめ」を本当に楽しいと思ってる加害者なら、「想像力」の欠落で「信念」「価値観」「倫理観」が歪んでしまうのを、関わった大人達が「誰も止められなかった」ということなのかもしれない。その加害者と関わってきた大人達にも責任はあるかもしれない。




日本にいじめが多いのは、「不幸」な人間が多いからかもしれない。だが何をもって自分自身を「不幸」と思うかはその人間の「想像力」次第。「北朝鮮」「シリア」「イスラエル」の人間と比較して「不幸」と言い切れるのか? 「日本」にいじめが多い本当の原因は、「日本人全体」の「想像力」の欠落だと思う。一人でも多く気づいてほしい思いで、僕は映画と関わり続けたい。

[恐るべき「犯罪者」まで堕ちた]



詩乃が舞に「復讐」した「怨み」「憎しみ」「怒り」の「動機」は、僕も「共感」できる。「家庭崩壊」「過呼吸」「リストカット」まで追い込まれた。この「悔しさ」を簡単に許すことなど誰でも無理だろう。




だが詩乃を「いじめ」た人間達は「少年法」で「犯罪者」。もし詩乃が「正しい人間」なら、自分がやられても「復讐」して同格の「犯罪者」に堕ちてはいけない。




詩乃の「直接手を下さない」「いじめ」は、「犯罪行為をそそのかした」ことで、「そそのかされた正犯者が実行することが要件」の「教唆犯」となる可能性はあると思う。専門知識がないので、未成年で「教唆犯」は成立しないのかもしれない。だが詩乃が許せなかったのと同じく、「やられた」舞の「怨み」「憎しみ」「怒り」だって消えない。絶対「ただでは済まない」はず。



僕は自分が「復讐」しなければ、「因果応報」、罪を犯した人間に絶対「仏様の裁き」が下ると信じてる。「復讐」しなければ裁かれる「悪人」は舞だった。もし「成人」だったら「教唆犯」の可能性が高い、舞への「暴力」「傷害」行為を藤塚優里亜(加弥乃)や名取静(岡田結実)達にそそのかした詩乃は、舞の「傍観」など比較にならない「悪人」、恐るべき「犯罪者」まで堕ちたように見える。

[「復讐の連鎖」]



「自分が他人にしたことは、いずれ全部自分に返ってくる」人間の世で、詩乃はこのまま舞に「勝ち逃げ」できて人生「生涯安泰」だと思ったのだろうか? 「やったらやり返す」「復讐の連鎖」が消えないのは、今なお続く戦争の歴史からも「一目瞭然」。「想像力」さえあれば、「ただでは済まない」ことが考えられた。どこかで「復讐の連鎖」を止めなければ、「戦争」は末代まで続く。どんな「報復」が自分に返ってくるか、詩乃は怖くなかったのか? 「想像力」が足りない詩乃の「哀しさ」に大きい方を漏らした。

[舞の「正しい」「部分」]



■「無関心!
  無関係!
  傍観者!
  おまえらのせいで私たちは-
  毎日毎日地獄を見てんだよ!」




「傍観」「他人事」で、苦しむ詩乃を「助けなかった」。また想像を超えた事故かもしれないが、静が「複雑骨折」した原因は問われる問題かもしれない。そんな舞への詩乃の「復讐」は、「因果応報」、「仏様の裁き」にも見えた。



だがきれい事でやられるまま無抵抗だったら、「いじめ」のエスカレートは止まらない。「被害者」へと立場が「逆転」した時点で詩乃と「対等」になった。「自殺」する人間が現実に多くいる状態で、「自分の身を守る」ことを考えねば、本当に「死」まで追い込まれるかもしれない。




日本で「いじめ」が減らない原因は、「傷害事件」を立証する「証拠」を「証明し難い」からだと思い知った。舞の「罪」も消えない。だが舞の「正しい」「部分」は、自分が「いじめ」られて、「初めて」いじめられる人間の「苦しみ」「辛さ」を思い知ったこと。そして「犯罪者」に対して「泣き寝入り」せず、「証拠」を集める努力に挑み、「いじめ」に立ち向かったことは、「正しい」「部分」だったと思う。舞の「無関心! 無関係! 傍観者!」であったことが、生涯「罪悪感」を背負う「教え」に見えた。

[絶対「泣き寝入り」しない]




心から詩乃に「同情」する。詩乃は「かなり」「かわいそうな人間」だと思う。その理由は、ここまで追い込まれるまで、詩乃に「自分の身を守る」方法、「悪」に立ち向かう方法を「考える力」「想像力」がなかったから。詩乃は舞のように「証拠」を集めることを「知らなかった」。「知識」「想像力」があれば、詩乃の人生は違う人生に変わってたかもしれない。




実際、舞ほどの「勇気」「ど根性」で立ち向える人間は殆どいないだろう。だが「できること」はきっとある。「友達」に相談してダメなら「先生」、「先生」に相談してダメなら「親」、「親」に相談してダメなら「警察」、「警察」に相談してダメなら「区市町村」、「区市町村」に相談してダメなら「弁護士」。「警察」で聞けば「どんな証拠」が必要か教えてくれるし、ネットで調べると「1回は無料」という「区市町村」の「弁護士」にも相談できる。ここまで相談する時点で、何らかの解決のヒントは絶対見えてくる。




絶対「泣き寝入り」しない。「いじめ」を減らすには、「いじめ」が犯罪であることを訴え続けねばならない。立ち向かうには「勇気」「正義感」が必要だが、相談できる人にはできる限り相談し、最期は「自分の身を守る」「転校」も考え、「証拠」を集める努力をすべきだと思う。「犯罪者」には絶対「罪」を償わさせなければならない。「いじめ」が「犯罪」であることは、絶対思い知らさねばならない。




画像 2020年 7月