『女神の見えざる手』 | やりすぎ限界映画入門

やりすぎ限界映画入門

ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『女神の見えざる手』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2016年/フランス=アメリカ映画/132分
監督:ジョン・マッデン
出演:ジェシカ・チャステイン/マーク・ストロング/ググ・ンバータ=ロー/アリソン・ピル/マイケル・スタールバーグ/ジェイク・レイシー/サム・ウォーターストン/ジョン・リスゴー/デヴィッド・ウィルソン・バーンズ/ラウール・バネジャ/チャック・シャマタ/ダグラス・スミス/メーガン・フェイヒー/グレース・リン・カン/ノア・ロビンズ/セルジオ・ディ・ジオ

2017年 第33回 やりすぎ限界映画祭
2017年 ベスト10 第3位:『女神の見えざる手』
やりすぎ限界グランプリ/やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界男優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞:『女神の見えざる手』


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界女優賞:ジェシカ・チャステイン


やりすぎ限界女優賞:ググ・ンバータ=ロー


やりすぎ限界女優賞:メーガン・フェイヒー


やりすぎ限界男優賞:マーク・ストロング


[「男をやっつける」]




『女神の見えざる手』の「怖さ」は「男尊女卑」だった「男性社会」で、「男をやっつける」「男に勝つ」「男性社会に勝つ」「女」がどんな人間か、極限のくそリアリズムで「本当にそう見える」 “棲息速度域” まで、「徹底的」に見せたこと。「男性社会」に変化が始まってる「予兆」に見えた。

[「キャリアウーマン映画」]



■「あなたは まるで男」




『羊たちの沈黙』『ブリジット・ジョーンズの日記』シリーズ『プラダを着た悪魔』『マイ・インターン』『ドリーム』…………など、「キャリアウーマン映画」はたくさんあるが、「男をやっつける」「男性社会に勝つ」「女」の映画は少ない。殆どの「キャリアウーマン映画」が、「男性社会の中で輝く女性」を見せた映画だと思う。




「男をやっつける」「男性社会に勝つ」「女」の映画で思い出すのは、『エリン・ブロコビッチ』『キューティ・ブロンド』『G.I.ジェーン』……などだが、近年になって『ゼロ・ダーク・サーティ』『ゼロ・グラビティ』のように、「現代の女性像」は「かなり」「変化」してきた。だが『女神の見えざる手』を見て「現代の女性像」が、とうとうここまで大きく「変化」してしまったことを「決定的」に感じた。




人間は頭が良くなり過ぎた。崇高な「想像力」が、狩猟民族だった「男」の「労働」、「女」の「育児」の、「役割」「本能」を変えてしまった。「女性スポーツアスリート」など、「感情に左右されない」、目的遂行のため「感情がコントロールできる」女性に、僕は「脅威」を感じる。




「男をやっつける」「男性社会に勝つ」「女」、マデリン・エリザベス・スローン(ジェシカ・チャステイン)の「衝撃」「ショック」は、僕にとって『G.I.ジェーン』以来の「衝撃」「ショック」かもしれない。

[「ロビイスト」]




僕は初めて「ロビイスト」という職業を知った。実際「ロビイスト」がどんな職業か、詳しく知られてないことも知った。



「ジョン・マッデン監督」は『女神の見えざる手』「ロビイスト」について、「業界を のぞき見るような ストーリー」「普通の人には まったく分からない世界で 説明も難しい」「だが本作を観ることによって 業界の実態が分かるだろう」と話す。




物語は「創作」でも、「法律が決まるプロセス」は「実話」にしか見えない。法案可決のために必要な投票数を確保するため、「ロビイスト」が政治家達の説得に奔走する。政治に詳しくない僕でも、「国」「政治」の仕組みが何となく理解できるように見えたのが衝撃的だった。「ロビイスト」という職業の実態を見たことも、「震撼」「驚愕」「絶句」だった。

[「銃規制強化法案」]



■「つまり…
  “安全な米国を目指す母たち”?
  “安全は国民すべての
   完全武装で成り立つ” 」





「動物愛護」とか「環境破壊」とか、「創作」なら「題材」は自由だが、「女ロビイスト」が「男をやっつける」「男性社会に勝つ」話で、題材に「銃規制強化法案」を選んだのがビビっておしっこ垂れ流しだった。






本当の「銃乱射事件」での被害者達の声で、映画化された企画かとも想像した。「全米ライフル協会」などの「銃ロビー」が、「アメリカ」の歴史に根深く関わる問題は、「マイケル・ムーア監督」の『ボウリング・フォー・コロンバイン』で知った。「銃規制推進派」だった「オバマ大統領」にも止められない「大問題」。だが「銃」と「政治」が「絶対切れない国」で「女ロビイスト」が、「男」の、「暴力」「争い」のイメージが強い道具「銃」の題材で、「男をやっつける」「男性社会に勝つ」。



「かなり」「ヤバい」と思った。この「緊迫感」「怖さ」に「ガン見」。スローンの「信念」「価値観」「倫理観」に大きい方を漏らしビビって震え上がるしかなかった。銃がないと不安に感じるのであろう、アメリカの「文化」「歴史」に、「面白くない」と思う人間が多いかもしれない迫力が「凄かった」。

[人間はどこまで「非情」になれるのか?]




■「境界線が分からなかった
  いつも…
  境界線が見えない」







「目的を成し遂げる」ため、人間はどこまで「非情」になれのるか? 「想像力」に性別は関係ない。本当に何かを成し遂げるには、「法の範囲」を超えねば現実に成し遂げられないのかもしれない。ここまで「非情」にならねば勝てないことが「嘘」に見えなかった。殆どの人間が「成功」できないのは、ここまで「非情」になれないからかもしれない。僕にはとても真似できない。




「頭のいい人間」しかいない恐るべき世界で、人間の「想像力」は「どこまで考えることができるか?」を見せられてるようだった。「ロビイスト」の恐るべき戦いで一番震え上がったのは、「裏をかく」「裏をかく」「裏をかく」……………………、戦いで「勝つ」ことなど、もはや「奇跡」でしかないように見えたこと。「勝つ」人間とは、本当に「仏様」「神」に選ばれた人間でしかないのかもしれない。どんなに頭のいい人間も「負ける」プロセスが、あまりに「本当にそう見える」「怖さ」に漏らした。卑小な一個人にできる人間の限界を見た気がした。






最期の “激震” は、「こんなうまく行かねぇだろ」と思いながらも、スローンより「もっと悪い奴」、「男」に勝った「女性」を応援してしまった。「男をやっつける」「男性社会に勝つ」「女」スローンが、「実在の人物」に見えるまでの恐るべき極限のくそリアリズムに、「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」。「男性社会」の価値観に「変化」が始まるかもしれない「予兆」を感じた。




画像 2020年 6月