大リーグを目指しているのかどうか知りませんが、最近の佐々木朗希を見ていて、あまり私は良い感情を持ってなかったりする。
佐々木朗希のファンの人からすれば、私のような感情を認めたくないかも知れませんが、それはそれで致し方ない。
大リーグの先発投手に求められている登板数は、約33試合なんだそうで、ここ最近の最大登板数だと36試合。
中4日、約100球というのが、大リーグの先発投手に求められている数字であり、これをこなせるだけの体力と技術が無ければ、先発ローテーションに食い込む事が出来ませんので、大リーグのスカウトからすれば、それがこなせるであろう人材しか誘おうとしない。
そのような大リーグの先発投手の基準からすれば、たとえ素材が一級であっても、中4日のローテーションを守れそうもない人材というのは、興行面や勝ち星について計算出来ませんし、そのような人材に高い契約金を払って、目立った成績を上げられないという結末になれば、スカウトはおろかGMまで職を失う可能性が高まりますので、及び腰となって当然だろう。
さて、私達一般人の会社に置き換えてみますが、物凄い才能があって、なおかつ物凄い成果を出した事のある人材が、週に1回出勤する訳でもなく、リモート出勤する訳でもないとなった場合、その人を才能だけで評価し続けられるだろうか?
頭が痛い、お腹が痛いと、理由をつけて会社を休む人に対して、チームや組織として信用や信頼を与えられるかと言えば、そのようなお人好しは存在しないと私は思ってますが、いくら野球選手が個人事業主だとは言え、チームや組織に在籍している以上、チームや組織に与えられた目的に合わない人として、その人は評価される。
完全な新人であれば、新人だからと最初のうちは目をつぶってもらえるだろうけど、プロ入り4年目ともなれば、そのような生暖かいフィルターは消えていってしまう。
才能や素材という点において、競走馬を例にしますが、どのように才能や素材に優れた競走馬であっても、調教されないまま勝利した競走馬や、ましてやG1に勝利した競走馬というのは存在しない。
馬は人間の言葉を話せませんので、体調や状態を調教師が管理しつつ、こなさなければならない課題の調教を強制しますが、プロスポーツ選手は人間ですので、なんだかんだ理由をつけて、与えられた問題の克服から逃げる事が出来てしまう。
才能や素材が無くても、頭でっかち耳年増になれるのが、人間の良い所でもあり悪い所でもありますが、一流や超一流と呼ばれる人達は、たとえ嫌であっても、自分の課題の克服に対して、愚直に取り組み続けられる人達であり、二流と呼ばれる人達であっても、自分の課題の克服に対して、愚直に取り組み続けられる人であれば、見切りをつけられるまではチャンスを与えられる。
逆に自らを調教しない人達は、たとえ才能や素材に満ち溢れていても、その才能や素材を花開かせる事なく見切りをつけられるのだ。
そのような事を言うと「故障したらどうしてくれる?」と言う人が出てくるだろう。
それに対して「故障するまでやってみたら?」としか、私には言いようがありませんけど、これまたそのような事を言うと、やれ「精神論だ!」と言う人が出てくるに違いない。
しかし故障するかしないかと言うのは、誰かの寿命を問うのと同じであり、いつ亡くなるか誰も知らないのと同じく、練習を増やす事で故障するかしないかというのは、神ならぬ人間には分からない。
ただ1つ言える事は、人がいつかは必ず死ぬのと同じように、プロスポーツ選手もいつかは必ず引退するという事であって、故障が原因で引退するのか、それとも長年プレーし続けた上で引退するのかは、誰にも分からないのである。
故障するのを怖がって練習しなければ、課題の克服が出来ないまま引退に追い込まれるだろうし、故障するのを怖がらずに練習する事によって故障し、引退に追い込まれる事もあるだろうけど、どっちにせよプロスポーツ選手は引退する。
そして、一軍の舞台で活躍しなければ、どのような才能や素材の持ち主であっても、プロの評価は得られないのである。
佐々木朗希を見てると、プロとして自分に与えられた寿命を、まるで永遠であるかのように勘違いしているように見えるので、私は佐々木朗希が好きになれない。